第2話 外道

 ――勇者、だと?


 気でも触れているのか――その言葉を飲み込み、ヒューガは剣を構えたまま質す。


「こちらも敢えて訊く。その《勇者》とやらが殿下に何の用だ?」


 アシュリーゼによると、魔法陣の起動には成功したが術式発動のためのマナ充填には数分の時間を要するという。

 敵に追いつかれた以上、こちらに注意を引いて少しでもこの無為なやりとりを引き延ばし、なんとか時間を稼がなければならない。


「そんなの決まってるじゃないですか。《帝国の至宝》と名高い絶世の美少女、アシュリーゼ皇女殿下を僕のお嫁さんとしてお迎えに参上したんですよ」


 さも当然であるかのような返答に、アシュリーゼが堪らず身体を強ばらせてマントにしがみつくのを背中に感じる。

 

「大陸の覇権争いなんて僕はべつに全然興味なかったんですけど、老い先短いくせしてどうしても皇帝になりたい困ったさんの大公様が『お前がサングロリア征服を成し遂げた暁には、マグナマーレ総督の地位を与えてやる。皇女の身柄は好きにするがいい』なんて仰るものだから、こうやって遠路遙々軍勢おともを引き連れてプロポーズをと思いまして。それにほら、世界を救う《勇者》の報酬と言えば、やっぱり綺麗なお姫様との結婚っておとぎ話でも相場が決まっているじゃないですか」


 ――世界を救うだと? 帝都を踏みにじり王宮を焼いた殺戮者がどの口で……!


 やはり、この男にだけは姫に指の一本たりとも触れさせてなるものか。ヒューガは今一度誓うように剣を強く握り締めた。


「――というわけで騎士さん、そろそろおしゃべりも飽きてきたでしょう? サクッと皇女様を渡してもらえると手間が省けて助かるんだけどなぁ。――っと、もちろんタダなんてケチなことは言わないですよ。僕としても、これから大陸平定を進めるにあたって優秀な人材は惜しいですし、おとなしく従ってくれるなら僕の家来として取り立ててあげてもいいですよ。なんなら、僕のおこぼれの子でよければ囓らせてあげたって構いません。……ま、同門のよしみってヤツです」


「――ッ!?」


 急に心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われ、ヒューガは息を呑んだ。それは決してこの男の下劣な言動に対してではなく。


 ――同門……だと? それは――。


「あっ! やっと気づいてくれたみたいですね、♪」


 魔道士の男はフードを脱いで顔を露わにすると、本当に嬉しそうに、無邪気に笑った。

 黒髪の映える、その声色と相まって一瞬女性と見紛うような美しい顔立ちで。


「私は貴様など知らん」


「まぁ、そりゃあそうですよね。あなたが勝手に組織を抜けた後、僕はその穴埋めとして補充された後輩なんですから。でも、たとえあなたが僕のことを知らなくても、僕はあなたのことをよーく知ってますよ。……ねえ、《死神》のⅩⅢじゅうさん号さん?」


 とうの昔に捨て去ったはずの過去まものが、今になって鎌首をもたげてきた。


 ――やはりこいつは……!


「あーあ、ズルいなぁ……。ひとりだけ表の世界に逃げ出して、ちゃっかりお姫様に気に入られて王室親衛隊なんてエリート中のエリートにまで昇進しちゃったりして。僕が先輩の尻拭いで大陸中を駆けずり回ってる間に、ちょっとシアワセ独り占めしすぎなんじゃあないですか? そのスピード出世を支えたあなたの《力》、いったいどこで手に入れたモノなんでしたっけ?」


 満面の笑顔から一転。黒髪の男は妬みの感情を隠すことなく、問い詰めるように捲し立てる。

 

「ヒューガ、やはり彼は《我ら》の……」


「……大丈夫です、姫。今はただ、私を信じてください」


 何かを察して心配そうにささやくアシュリーゼの手を、安心させるように後ろ手で強く握り返す。


「そうやってお姫様の寵愛を独り占めして、今までたくさんいい思いをしてきたんでしょう? もう十分じゃないですか。 ――そろそろその、僕と交代してくださいよ」


 睨めつけるように、男が初めて放った明確な殺気。魔法の素質を持たないヒューガにさえはっきりと伝わるマナの揺らぎに肌がざわつく。


「……決めました、先輩にはこれから僕の右腕げぼくになってもらいます。最愛のお姫様も、今まで築き上げてきたモノも、そしてこれからあなたが手に入れるはずだったモノも、そのすべてが後輩ぼくに奪われるのを一番近いところで目に焼きつけてもらいますよ」


「勝手をほざくな! 誰が貴様の軍門などに――」


「まあまあまあ、そう吠えないで冷静になって考えてみてくださいよ。抵抗してここで呆気なく殺されるのと、お姫様一人を売って命と地位の保証を買うの、どっちが得かなんて分かりきってるじゃないですか?」


「黙れ外道。帝国騎士に己の損得で国を売るような者は一人としていない」


「その、騎士道精神っていうんですか……? 生き恥を晒すくらいなら主のために潔く散る! みたいな感覚って、僕には全然理解できないんですよね。だって死んじゃったら全部終わりなのに。生き恥? 大いに結構じゃないですか。恥のひとつやふたつで命が買えるなら安すぎてお釣りが来るくらいですよ。どれだけ悔しくて惨めでも、国を売って敵国の軍門に降った裏切り者って後ろ指を指されたとしても、そんなの全部命あっての物種じゃないですか。人生それなりに長いんです、生きてりゃまた何かしらイイコトもありますって。さっきも言ったでしょう? お姫様は僕専用って決めてるからダメですけど、僕のハーレムのおこぼれなら囓らせてあげるって。そりゃあ、さすがに《帝国の至宝》と比べたらちょっと見劣りするかもしれないけど、いずれ大陸全土から選りすぐるんです。きっと先輩好みの女の子オキニも見つかりますって。これでも人の上に立つ者として、部下のメンタル管理にはちゃんと気を遣ってあげてるつもりなんですよ? ……特に、有能な人には、ね」


 まるで聞き分けのない子どもでも諭しているかのように、男は苦笑交じりに蕩々と語る。


 ――姫をまるで物のように……! 聞くに堪えぬとはこのことか。


 文字通り、生きてきた世界が違うのだと実感した。どういった経緯でこの若い男が大国ノルドの大公に取り入り宮廷魔道士たちを指導するような立場を得たのか定かでないが、少なくともこの決定的な価値観のズレから察するに、表の世界に身を置いてからそう年月は経っていないのだろう。

 いかに大陸の覇権を争う宿敵ノルドといえど、こんな私欲と私怨に塗れた外道バケモノを喜んで飼うほど堕ちてはいないはずだ。ならば、この男が力尽くでその地位を簒奪したか、あるいはサングロリア打倒の宿願惜しさに彼の大公は猛毒と承知で破滅の杯を煽ったか――。


 もし、今も組織を抜けずに裏の世界に身を置き続けていたら――もし、アシュリーゼと出会うことがなかったとしたら、自分もこのような人生観を持っていたのだろうか。反吐の出るような気分とは裏腹に、ヒューガには目の前の男が急に己の鏡写しのように感じられて堪らず奥歯を噛んだ。


「さあ、回答期限です。お姫様を売って僕の下僕として生き延びるか、それとも首を横に振ってそのまま捻じ切られるか。――どうか賢明なるご判断を」


 黒衣の魔道士はそう言って、慇懃無礼を絵に描いたような大仰な所作で一礼した。


「…………」


 ヒューガは引き寄せるように一層強く握ってくるアシュリーゼの手を握り返すと、沈黙を貫いたまま懸命に思考を巡らせた。

 果たして、主を守りながらこの魔道士を退けられるのか。それが不可能な場合の次善策は。

 《勇者》云々の妄言はさておき、国境警備の目を欺き霧のように帝都間近に大軍を展開させた未知の魔法、そしてノルド軍の異常なまでの魔道戦力、それらすべてがこの黒衣の魔道士によってもたらされたものなのだとしたら、およそ実力の底が読めない非常に危険な相手だ。


 ――顧問アドバイザーとはよく言ったものだ。組織――《我ら》によって調を受けたというのならば、特殊な魔法才覚が覚醒している可能性は高い。悔しいが、こちらの手の内だけが知られ、奴のそれが読めない以上、やはり我々にとって分が悪いと言わざるを得ない。ならば、致し方あるまい――。


「……姫、約束を守れず申し訳ありません」


 それまで強く握っていたアシュリーゼの手を突然離すと、ヒューガは口惜しそうに謝罪を述べた。


「ヒューガ……?」


 言葉の意味を計りかねるように、アシュリーゼが不安げな声を上げる。


「ハハ、ハハハハハハハッ!! あーあ、残念でしたね、お姫様♪ あなたの信じていた騎士様の忠誠なんて――」

 

 黒衣の魔道士が勝利を確信して前髪を掻き上げ、天を仰いだ――その瞬間だった。


 マナの充填が完了して一段と強い輝きを放ち始めた魔法陣の中へ、ヒューガは躊躇いなく皇女アシュリーゼを突き飛ばした。


「ヒューガ! あなた、まさか――」


 叫ぶ主の声に背を向け踵を返すと、自身は呆気にとられた黒衣の魔道士に向かって猛然と駆けだしていた。


「生きてください、アシェ! 生きていてさえくれれば、あなたがどこにいようとも、この私が! ――ヒューガ・レイベルが必ず見つけ出し、お迎えに上がってみせます!!」


 振り返ることなく叫び、体当たりも同然に刺し違える覚悟で致命の一突きを見舞う。

 男に覆い被さるような角度で、マントをはためかせ少しでもアシュリーゼを死角とするように。


「ふざけた真似をッ!」


 しかし、命を貫く渾身の一突きは黒衣の魔道士を取り巻く不可視の衝撃波によって阻まれ、逆にヒューガの身体が吹き飛ばされてしまった。


 ――チッ、風の防壁魔法か!  ……しかし、これで私の目的は――。


 受け身を取り、追撃を警戒して距離を保ちつつ横目に魔法陣を見やる。

 既に装置は光を失い、そこに《帝国の至宝》の姿はなかった。


 転移は無事成功したのだ。



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