第11話 佳樹の愛したひと
ビル風に乱される髪を押さえて、コナは大きなビルを見上げた。
会社だった。
佳樹の会社が位置するビジネス街は、夜が深くなるにつれて賑やかになる銀座とは逆なのだろう。
歩いている人こそいるものの、そこにあるビルたちはもう今日を終えたような顔をしている。
東京に来てから賑やかな夜しか知らないコナは、山城佳樹の会社の落ち着いた明かりの
ロビーを見つめた。
「ごめんね。遅くなって」
暗い道の向こうから弁護士の
遅くなると連絡があったが5分過ぎただけだった。
「全然大丈夫ですよ」
「山城社長の専属の弁護士の与田蒼です。
はじめまして」
「はじめまして。山城コナです。いろいろ調べてくださってありがとうございます」
コナがぺこっと頭を下げる。四季と蒼は目を
合わせた。
「お待たせして申し訳ない。では、さっそく
行こうか」
「はい」
「蒼さんよろしくお願いします」
三人で社長室のある20階までエレベーターで上がる。
19:00を過ぎているが、エレベーターホールにはまだパラパラと社員がいた。
「コナ。大丈夫?」
そう聞いたものの、四季にはコナがとても
穏やかに見えた。
初めて会うようなものだからなのだろうか。
逆に四季の方が緊張しているのかもしれない。
「うん」
「コナくん。お母様のことがなにかわかれば
いいですね」
蒼がコナに優しく微笑む。蒼に母親のことを
言われたコナは真っ先に枝折の顔が浮かんだ。
枝折も同じことを言っていた。
父親に会う、イコール母親のなにかがわかるということだ。
祖父母は母親のことを人間ではないと言っていた。
幼いコナを置いて男と出ていったらしき母親。
それが本当なら確かに人間のすることではない。
「そうですね」
少し間を空けてコナが返事をする。
エレベーターは20階に到着し、静かにその
ドアを開けた。
無機質な感じの廊下を、蒼について歩いて行く。
一番奥の部屋の前で三人は止まった。
「与田です」
インターホンのようなものを押してから名乗った蒼が顔を近づける。
カチ、と音がしたのを確認してドアを開けた。
「社長。四季くんをお連れいたしました」
「ん」
中は広かった。真ん中に置かれた来客用の
ソファが天井からの照明に艶やかに光っている。
そして壁の一面はガラスになっていてそこから見える東京の夜景がスクリーンの中の映像のようだった。
来客用のソファに座っていた山城佳樹は立ち上がることもせずに顔だけを三人の方へ向けた。
「お久しぶりです」
四季がそう言うと、佳樹はため息をつく。
蒼が四季を佳樹の対面に座らせて、コナとともにその後ろに立った。
佳樹は蒼の隣にいるコナのことを聞かなかった。蒼と一緒にいるので事務所のものだと思っているのか。
「なんだ。出て行ったのになんの用だ」
佳樹は、蒼には四季のことは放っておけ、と言っていたが蒼が心配して連絡を取っていることは薄々気づいていた。
しかしそれを咎めることはしない。
情とかではなく、単に佳樹は忙しいのだ。
「聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?」
今、どこで何をしている、という報告でもない。
金を無心しに来たわけでもなさそうだ。
佳樹は正面に座った四季と目を合わせる。
久しぶりに会った息子は大人になったように感じた。
「お父さんはお母さんと結婚する前に結婚していたんですか?」
「急になんの話だ」
四季は単刀直入に聞く。遠回りしている時間もなければ、怖いのに早く真実を知りたいという思いが強かった。
「教えてください。大切なことです。
お母さんには言いません。…連絡も取ってないし」
「…」
「本当のことを教えてください」
四季が頭を下げる。蒼とコナは佳樹をじっと見ているだけで口は出さなかった。
「…結婚は、してないが一緒に暮らしていた人はいた」
「その人と別れてからお母さんと結婚したんですか?
それとも同時に、」
「そんなことはしない」
サッと佳樹が立ち上がり、一面窓になっている壁の方へゆっくりと歩いて行った。
佳樹は背が高い。四季も高い方だ。
細身のところまで似ている、とコナは佳樹の後ろ姿を見て思った。
「そんなことを聞いてどうする」
「本当のことを教えてくれたら、そのわけを言います」
佳樹は窓から東京の夜景を見て、チカチカとしている灯りに目を閉じる。
ソファに座っている四季は佳樹の方へ体を向けた。
「20年前ぐらいだ。私はまだ会社を興したばかりで今とは比べ物にならないぐらい狭いところに社屋を構えていた」
そこに事務員の面接にやってきたひとりの
女性。
産まれたばかりの子供を抱えているので、一日でも早く働きたいと言った。
「彼女の名前は
一生懸命働いてくれた」
産まれたばかりの子供がいると聞いていた佳樹は、客にもらった物をゆりの家に届けたり、なにかと世話を焼いた。
家に上がってくれ、と言うゆりを、佳樹はいつも断っていた。
「社長。お茶ぐらい飲んでいってください。
いつもこんなによくしてもらって」
その日、ゆりがどうしてもひかないので、佳樹は初めてゆりのアパートの部屋に入った。
一部屋しかない狭いアパート。小さな布団を敷いた上に子供がすやすやと眠っている。
佳樹が手土産に買って行ったお菓子を皿に乗せて、お茶を淹れていたゆりがぽつりぽつり、と話し始めた。
「この子の父親は交通事故で亡くなりました」
「そうだったんだ」
「まだお腹にいる時です。本当に良い人で。
だからこの子もきっと良い人になる。良い人に育てるのが私の願いです」
大変だったね、なんて言葉ではすまされないぐらいゆりは苦労しただろう。
愛する人を亡くした悲しみ。それを乗り越えてたったひとりで出産し、育てているのだ。
若いのに立派な女性だ、と佳樹は感心した。
「どこも働かせてくれないと思ってました。
だから社長には感謝です。その上こんなによくしてもらって」
「いや。社員はみんな大切にしたいから」
うれしそうにゆりが微笑む。
佳樹は会社でもゆりの笑顔に癒されていた。
社長とは名ばかりで他の社員と同じように、いや、それ以上に働いている。
恋人もなく、田舎から出て来たので友達も少ない。
そんな佳樹にとってゆりは光のようだった。
二人でお茶を飲んでいると、子供が小さく泣き出した。あわててゆりが布団の中から子供を抱き上げる。
立って抱っこして背中をとんとん、と叩くと
子どもはすぐに泣き止んだ。
「いい子ね。コナ。泣いちゃダメよ」
「こな?」
「はい。カタカナでコナです」
珍しい名前だ。佳樹には男か女かもわからなかった。
ゆらゆらと子どもを揺らしてゆりが微笑む。
その笑顔からはゆりが心から子どもを愛していることが伝わってきた。
「どういう意味なの?コナちゃんて」
「ハワイの言葉で、南風って意味です。
暖かくて穏やか。
そんな男の子になってほしい。私がつけました」
「男の子か。いい名前だね」
そういえばコナウインドというのを聞いたことがある。
そのコナから取ったのか。
愛する人がたったひとつ残した大切な命。
ゆりは必死でそれを守ろうとしていた。
四季は窓に向かって話している父の後ろ姿をずっと見つめている。蒼が隣のコナを見ると穏やかな顔で目を閉じていた。
今の佳樹の話が本当なら、四季とコナは異母
兄弟ではない。
それに安心しているのか。
それとも初めて聞く母親の面影を追いかけているのか。
「しはらくして、私はゆりと暮らし始めた。
二人いた方がなにかと便利だ、と言ってなかば無理やり一緒に住み始めたんだ。
その時にはもう私にとってゆりはかけがえのない人になっていた。コナも私を見て笑うようになり、可愛くてたまらなかった。
血の繋がりはない。でもそんなものになんの
価値もないとコナが教えてくれた」
四季は枝折や篤子がそうだ、と思っていた。
今、父である佳樹が言った通りだ。
きっと、コナも今そう思っているに違いない。
「コナが生後半年を迎えた頃、仕事から帰ると部屋でコナがひとりで泣いていた。
それもそのはずで、コナを置いて買い物にも行かないゆりがいなかった」
部屋が少し乱れていた。なにかおかしいと感じた佳樹はコナを抱きながら外を探しに行った。
辺りにいないのでもう一度家に戻り、コナと
二人で待っていたが一時間経っても帰って来ず、連絡もつかない。
やはり変だ。佳樹は警察に電話をした。
「結局、ゆりは見つからなかった。警察は家出、という判断をしたが私にはどうしてもゆりがコナを置いていくなんて考えられなかった」
家出をするならそれなりの荷物を持って行っただろう。
しかしゆりの服や化粧道具、財布までもが家に残っていたのだ。
しかしそれから数ヶ月してもゆりは戻って来なかった。
「その頃、仕事が軌道に乗って規模拡大することになった。
まだ一歳になったばかりのコナを抱えては厳しい。
私はコナを山形の両親に預けに行った」
仕事が落ち着いたら連れに来るから、と全ての事情を両親に話した。
両親は、仕事のことだけを考えろと言ってくれた。
佳樹は安心して東京に戻る。少ししたら三日間ほど休みが取れるのでコナに会いに行こう、と佳樹はがむしゃらに仕事をした。
仕事が落ち着けばゆりのことも探せる。
ゆりがコナを置いていくわけがないので、なにかあったに違いない。
佳樹の会社は小さいながらも従業員はいる。
従業員やその家族を守ることを最優先にしていたので、
落ち着いたらと自分に言い聞かせていた。
「三日間ほどだが、やっとできたまとまった
休みに私はコナに会いに山形に行った」
そこでコナに会うためにがんばっていた佳樹の心が打ち砕かれた。
実家に行くと両親が消えていたのだ。
住んでいた家の門に【売り家】と書かれた紙。
佳樹を追い払うかのように風にパタパタと揺れていた。
「近所の人に聞いたら…東京で息子と暮らす、と言っていたらしい。だからそれ以上何も聞けなかった」
東京で息子と暮らすと言って引っ越した両親。
警察にいうわけにもいかない。
両親がいなくなったことがゆりの失踪と重なって、佳樹を苦しめる。
そして何より両親はコナを連れて行っているのだ。
「コナを道連れに命を経ったのかとも考えた。
しかしそれなら私になにかしらの連絡がくるはずだ。
探偵を雇って居場所を探させたが、見つからなかった。
休みを作って山形へ行き、私は歩きに歩いて探した」
両親とコナの居場所がわからなくなってから
一年が過ぎた頃、会社を興す時に世話になった人が佳樹を訪ねて来た。
すっかり忘れていたが、その人は佳樹のことを気に入って自分の娘をもらってくれ、と前に言っていたのだ。
そろそろどうだ?、とその人に言われ見合いを打診される。
伴侶がいないと仕事にも身が入らないとかなんとか言われまだ気落ちしていた佳樹は断ることもできずに、言われるがままに見合いをし、
結婚した。
「今思えば両親は、コナと私の縁を切るために失踪したのではないかと考えてる。
仕事も軌道に乗り大切な時期だということを私が言ったからだ」
仕事のことだけを考えろ、と言い、息子のこれからを一番に考えた両親。
自分が親となった今、その気持ちも佳樹にはわかるのだ。
今まで静かに聞いていた蒼が、うーん、と小さな唸り声を出す。それを聞いた佳樹がやっと窓の方からこちらを向いた。
「お父さん。コナのことはどう思っていますか?」
四季の声が震えていた。
祖父母の気持ちもわかる。自分には祖父母はいないと言われていた意味も四季には理解できた。
しかし祖父母がコナに、ゆりが浮気して出て行ったと散々言い続けたこと。
コナが高校生になってからは生活費を一円も出さなかったこと。
祖父母に陰ながら守られていた佳樹は良い。
しかしコナはどうなるのだ。なぜなんの罪もないコナがこんなに苦労して生きてこなければならなかったのか。
佳樹は祖父母やコナをなぜもっと探さなかったのか。結局佳樹は自分のことしか考えていない、と四季は思った。
「元気に暮らしてくれていたら、それでいい」
「気にしてた、ってことですか?」
「忘れたことなど一日もない。たった一年ほどしか一緒に暮らせなかったが…」
蒼は何かを考えているように一点を見つめている。
その隣でコナは佳樹を見つめていた。
「お前に言うのもなんだが…
私が一番愛した人が産んだ子だ。我が子だと思っている」
父親である佳樹がコナを田舎に置いて来たのではないことだけが四季にとってのわずかな救いだった。
そして今も、佳樹はコナを思っている。
コナの母親のゆりがいなくなってからも、コナは佳樹に愛されていたということなのだ。
佳樹がまたソファに座る。
目と目の間を指でつまんで、うんうん、と
ひとり頷いた、
「社長。なぜいきなり四季くんがこのような話をしに来たのか。それはひとまず置かせてください。
今の社長の話をふまえて、私からお聞きしたいことがあります」
蒼がソファの横に立てていたカバンからファイルを取り出し中身を確認した。
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