第7話 コナの父親




四季しきが帰ってからbranchは閉店までずっと

忙しかった。

コナが片付けていると、枝折しおりがふらりと出て行く。

どこへ行ったのだろう、とコナが考えていると、すぐに帰ってきた枝折は手に紙袋を持っていた。


「コナ。熱いお茶淹れて」

「お茶?」

「そうよ。これ、一緒に食べよ」


小腹が空いたから注文しておいた、と枝折は

楽しそうに紙袋から四角い折り箱を取り出した。


「うわー」

「コナこれ好きでしょ?」


前に一度、枝折が買って来た焼き鯖寿司。

コナが鯖寿司より焼き鯖寿司の方が好きだ、と枝折に言ったのを覚えてくれていたようだ。


東京に出て来てから、今まで食べたことのないおいしいものばかりを食べさせてもらって

いる。

まだ温かい焼き鯖がいい香りだ。二人で

カウンターに座って熱いお茶を飲みながら

焼き鯖寿司を頬張った。


「ここより分厚い鯖の焼き鯖寿司はないと

思う」

「そうなんですか。めっちゃうまい」

「ねえ、コナ」


コナの口元についていた飯粒を取って、枝折が自分の口に放り込んだ。


「見つかったらいいわね。お父さんと

お母さん」

「半々なんです。見てみたいとも思うけど、

別に無理ならそれでもいいかなって」

「こういうのも縁かもしれないからね。

もし見つかったらお父さんは別として、

お母さんには会いなさい」


なぜ母親なのだろう。

自分を置いて男と逃げた人なのに。

コナは枝折の言っている意味がわから

なかった。


「母親が子供を置いていくなんてよっぽどの

ことよ。

それをなんとも思ってないんなら狂ってるわ」

「そうですかね」

「コナのママが狂ってないとすると、すごい

理由があると思う。それを許すためにもね」

「許す…」


別にコナは怒っていない。しかし怒って

当たり前のことだ。

捨てられた方は悪くない。だからこそ母親を

許せるのはコナだけなのだ。


祖父母に愛されずに育ったことなど父母は

知らない。

それも全部含めてコナには許して欲しい。

枝折はそう願っていた。


「コナを産んでくれた人よ。あなたをこの世に連れて来てくれた人なのよ。

今の立派なコナの姿を見せてやりなさい。

こんなにもしっかりと生きていることを見てもらって全部許してあげなさい」

「…はい」


見つかるのが難しいと言われている母親。

もし会うことができたなら枝折の言う通り何もかも全て許したい。

枝折たちのおかげで今最高に幸せだと知って

欲しい。


そして自分の母は枝折だけだ、と伝えたい。


こんなにも穏やかな気持ちでいられるのは全て枝折のおかけだ。

優しく微笑んでいる枝折にコナは心から感謝していた。








弁護士のあおいから一週間も経たないうちに四季に連絡があった。


コナくんの父親のことで、と前置きした蒼は

コナと二人で話を聞くか、それとも先に四季

だけ話を聞くかという選択肢を挙げた。


【いきなり本人に言わない方がいいのかな】


四季がそう返信すると蒼から、かもしれない、という意味深な答えが返ってきた。

四季は少し考えて、自分だけで先に話を聞いた方が良いと決め、ちょうど休みだった明日に

蒼に何時でもいいからマンションに来てくれるように伝えた。



そして次の日の昼過ぎ、蒼が四季のマンションにやって来た。

いつも通りコーヒーを出す。ひとくち飲んだ蒼は深い息を吐き、カバンから書類の入ったクリアファイルを取り出した。


「四季くん。コナくんは友達?」


裏を向けているのでクリアファイルの中の書類は見えない。

いきなりそんなことを聞いてきた蒼に四季は

眉間にシワを寄せてしまった。


「そうだけど…」

「コナくんのこと、どう思ってる?」


なにかを含んでいるような蒼の言葉。

コナの父親はなにものなのか。

今からの話を聞いても友達だと思えるのか、と蒼に試されている気がして、四季は両手の拳をぎゅっと握った。


「好きだよ。大好きだよ。コナは本当に

いいヤツだし一緒にいると安らぐんだ」

「そうなんだね」

「ずっと一緒にいたいって思ってる」


心なしか四季には蒼の目が悲しそうに見える。

その目はなにを憐んでいるのか。


うん、と頷いた蒼がクリアファイルをひっくり返して中身を出した。


「コナくんの父親の名前は…山城佳樹やましろよしき

「…え?」


山城佳樹。それは四季の父親の名前だった。

蒼が四季の方に向けている書類にはびっしりと文字が書き込まれている。

その文字たちがゆらゆらと揺れ、四季は目の前が真っ暗になった。


「コナくんの父親は社長。四季くんと異母兄弟ということになる」

「血が、繋がってるってこと?」


聞こえないぐらいの四季の声に蒼は頷いた。


「そんな…」


名字が同じだったと知った時、ざわついていた胸はこのことを察知していたのだろうか。

コナのことを友達と思っているのか、と蒼が

確認してきたのは、純粋に友達だと思っているのなら血が繋がっていてもさほどショックではないからだ。


しかし今、四季は倒れてしまいそうなほど

ショックを受けていた。

それが何を意味するのか。

握った拳を解けない四季にはわかっていた。


「社長は奥様と結婚する前に、女性と暮らしていた。

その女性がおそらくコナくんのお母さん

なんだ」


言葉の出ない四季に、蒼は少しずつ説明する。

話を続けた方が四季が落ち着くと考えたからだ。


「その女性が出て行ってからコナくんを山形のご両親に預けて、社長は奥様と結婚したみたいだね。

奥様とは見合いなんだけど、元々結婚が決まっていたのかな。結婚までのスピードを考えるとそうかもしれない。

でも、社長はコナくんのお母さんに惹かれてしまった」


婚約者のような人がいたと予想される四季の父、山城佳樹は自分の会社で事務員として働いていたコナの母と恋に落ちてしまった。

コナの母がコナを置いて出て行った後、佳樹は婚約者と結婚し四季が生まれた。


蒼は書類に書いてあることを簡単にわかりやすく四季に説明した。

家系図をさした蒼の指先。山城佳樹には妻の位置にいる女性が二人。


「コナくんのお母さんのことは社長に聞いた

方が早い。

話さなかったらもう少し調べてみるけど」

「蒼さん」


さっきよりも幾分落ち着いたように見える四季が、書類をさしている蒼の指から顔を上げた。


「俺とコナは同じ歳だよ?おかしくない?」


子供がどれぐらいで産まれるかなんて四季にはわからない。

しかしこんな短期間で次の子が生まれるの

だろうか。

なんか変だな、と思った。


「そこは私も変だと思ったから調べて計算してみたら、コナくんが産まれてすぐにコナくんのお母さんが出て行ったとして、その後すぐに

奥様が四季くんを身籠ったとしたらギリギリ

同じ歳になるんだよ。

でも…」


少し差した光がまた閉ざされたようだった。

四季は蒼から視線を外してテーブルの上の真っ暗に見える

書類をぼんやりと見つめた。


「でもね、四季くんは11月生まれだよね。

さっきの私の話が本当だとすると、コナくんと同じ歳に

なるには、例えばコナくんが1月生まれで

四季くんが12月とかになるんだよ。

まあ、11月でも無理やりいけるとは思うけど

現実的ではないかな」


蒼が首を傾げる。コナの誕生日を聞けばハッキリするのだろうか。蒼自身も頭がこんがら

がっていた。


「コナに誕生日を聞いてみる。調査に要るっていえば聞いても変じゃないよね?」

「そうだね。頼む」


早速四季はコナにラインをする。

早く二人が異母兄弟でないことを証明しな

ければ。

父親が同じだということももしかしたらなにかの間違いかもしれないのだ。


必死に突破口を探していた四季は、なぜ自分がこんなに

必死になっているのかにまだ気づいていなかった。


【2005年4月27日だよ】


「4月…?」


コナから来たラインを蒼にも見せる。

2005年の4月といえば四季が生まれる7ヶ月前だ。

コナの母親が産んですぐに姿を消したとする。

しかしそこから四季の母親が妊娠したとしても11月に出産することは難しい。


専門の人に聞いた妊娠についての書類の上を、蒼は目を左右に忙しく動かしていた。


【ありがとう】


【こちらこそ】

【蒼さんによろしく】


なんてことない風を装ってコナとのラインを閉じる。

コナの温かみのあるメッセージに凍りついて

いた四季の心は温められた。


「ふた通りのパターンが考えられるな。

一つ目はコナくんのお母さんが妊娠中に奥様も妊娠していたということ。

二つ目はコナくんか四季くんのどちらかが

社長の本当の子ではないということ」


まれに信じられないぐらい早産するケースもあるが、今回はそれは外してもいいと、蒼は判断した。


「お父さんに聞くしかないね」

「うん。ただ、社長が本当のことを言うかどうかだよね。

コナくんを田舎に預けてから一度も会いに

行ってないんだもんね」


そして今、家を出た四季のことも少なからず

憎んでいるだろう。

過去を掘り返されることも佳樹は気を悪くするだろう。

しかし真実を知っているのは父親だけなのだ。


四季はコナと血が繋がっていないと証明する

ためにも父親に会わなければと考えた。


「俺が聞く。コナと血が繋がってないって、

この耳で聞きたい」

「四季くん。コナくんは…友達じゃないん

だね?」

「…そうみたい。血が繋がってたら困るから」

「ははは。素直だね。

で、コナくんは連れて行く?今日のこと全て

話して。

もしかしたら社長に会える最後のチャンスかもしれない。

怒ってしまったらもう会わないだろうし」


四季よりも山城佳樹の性格を理解している蒼が苦笑いする。

蒼の言う通り、過去をほじくり返されて

山城佳樹は怒るかもしれない。

そうなったらコナどころか四季も出入り禁止になるだろう。


コナが山城佳樹に会うのは、蒼の言う通り

最後のチャンスなのかもしれなかった。


「コナが会いたくないって言ったら、どこか

見えるところで見るだけでもいいよね?」

「それは大丈夫。私の事務所の者だといえば

中にも入れるから。社長にアポ取っておくね。少し先になるだろうけど」


蒼に入ってもらって、コナに話をしよう。

最初は自分みたいに驚くかもしれないが、

そうじゃないってことを証明するには父親に

会うしかないのだから、とコナを説得しな

ければ。


確率は二分の一。


四季は気を強く持とう、と握った拳で胸を

叩いた。







branchの閉店時間になった。

四季がこのひと月ほど姿を見せていなかった。

仕事が忙しいのだろう。ラインは頻繁に来ていたが、コナは四季の体が心配だった。


最後の客を見送りに行ったコナが店に帰ると、枝折がカウンターに突っ伏していた。


「枝折さん」

「あー。大丈夫。大丈夫。飲みすぎたかなあ」


心配そうに上体を起こしに来たコナに枝折が

微笑む。

安心した顔をしたコナが冷たい水を汲んで

持って来た。


「ありがとう。後で飲むわ」


話すのもしんどかった。顔を上げるのも辛い。

ここ一ヶ月ほど枝折はやたらと体が重く感じ、それは日増しに強くなっていた。


またカウンターに突っ伏した枝折の心を読んだのかコナはそれ以上何も言わずに片付けを始めた。


「枝折さん。少し奥で休む?」


片付けが終わり、コンビニに売り上げを入金

して戻って来たが、枝折はまださっきと同じ

体勢だった。


今日は比較的客は少なかった。

枝折がウーロン茶や緑茶ばかりを飲んでいた

のもコナは見ていた。


返事のない枝折に近づいてみると、眠っていたのではなく苦しそうに小さくうめいていた。


「枝折さん!」


コナがあわてて枝折の肩を引くと、顔を上げた枝折の目が暗めのライトでもわかるほど黄色

かった。


「大丈夫よ。もう少しだけここで…」


コナの手をすり抜けた枝折の体はカウンターにぺちゃん、と落ちた。


救急車を呼ぼうとしたコナを、半ば意識の

ない枝折が止める。

片手で枝折の体を椅子から落ちないように

支えていたコナが枝折の口に耳を近づけた。


「これぐらいで…救急車なんて呼ばないで。

少ないのよ。救急車って」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

「タクシー呼んでちょうだい」


そう言って枝折はコナにだらりともたれ

かかって動かなくなった。




なにを持って行っていいかわからず、とりあえず枝折のバッグを持って行く。

タクシーを待っている間にコナはこの時間診てくれる病院で一番近いところを探して電話を

すると、受け入れてくれると言ってくれた。


タクシーからコナが枝折を抱えて降りると、

救急外来の窓口にいた看護師があわてて

ストレッチャーを持って来た。


「先ほど電話した佐藤です」

「佐藤さんね。しんどいですね。この上に

寝ましょうね」


返事をしない枝折を看護師二人がストレッチャーに乗せた。


「受付しておいてもらえますか?患者さんは

先に処置室に運びますので」

「わかりました。よろしくお願いします」


枝折を乗せたストレッチャーが角を曲がって

消えていく。

コナは枝折のバッグをぎゅっと握りしめた。


「保険証かマイナンバーカードあります?」


事務の人が廊下を見つめていたコナに話し

かける。

枝折のバッグから財布を出すと、その中に

マイナンバーカードが入っていた。


「こちらに記入して…えーと、患者さんとの

ご関係は?」

「…」


置いたマイナンバーカードの写真の枝折が

コナを見つめていた。


「息子です」

「息子さんですか。じゃあ住所とかわかり

ますね。

あちらに座って書いていただいて、書けたら

また持って来てください」


プラスチックの板にクリップで挟まれた問診票とペンを受け取り、コナは近くある椅子に

座った。


以前枝折から、なにかあった時のためにと

聞いていた住所を携帯のメモを見ながら書く。

震える手。コナは枝折のことが心配で吐きそうだった。


「…佐藤枝折さとうしおり


自分の書いた枝折の名前に指を這わせる。

問診票を渡したその足で、コナは外へ出た。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る