第4話 想い溢れて苦しくなる胸は




なぜ篤子あつこ四季しきを連れて来たのか。

二人が来てから一時間ほど経った頃、枝折しおり

それに気づいた。

コナと四季はスローペースなりに二人で会話をしている。

四季に話し方が好きだと言われたコナは気後れすることなく話すことができていた。


「この子ね。家出してきたのよ。

それでうちに応募して来たの」


あきれているのではない。

篤子はそれこそ息子を見るような目で優しく

四季を見ていた。


「あら。うちの子と同じじゃない」

「コナとはちょっと違うんだな。

この子は勝手に飛び出して来たのよ。

もしかしたら今頃探されてるかもしれない」


長男の四季は父親の会社を継ぐのが嫌で飛び出したのではない。

幼い頃からずっと、家に自分の居場所ではない気がしていた。

仕事ばかりでほとんど会えない父親。

弟の方を優先する母親。

心を休めることが家では無理だった。


「高校を卒業してすぐに家を出ました」


家を借りるにも保証人がいる。四季にはそんな人はいない。

とにかく早く仕事を見つけて、そこの誰かに

保証人になってもらい、家を借りなければ。

家を借りたらほぼ無一文になってしまう。

高収入の仕事を探していた四季は篤子の経営

するホストクラブに面接に来たのだった。


「篤子。保証人になってあげたの?」

「ううん。使ってないマンションがあるから

そこを寮ってカタチで貸すことにしたのよ」


本当は家賃などいらないが、もしこのことが

他のホストの耳に入ったらいただけない。

銀座ではありえない破格の家賃で四季に

マンションを貸すことにしたが、

他のキャストにはもっと高い家賃を言うようにと四季と口裏を合わせていた。


「四季を連れて来たのは、コナと友達になれるかなって思ったの。切磋琢磨し合いながら成長していってほしいなと思ったんだ」

「へえ。そっか。四季も家出して来てるから

友達がいても会えないんだ。

気が合うか合わないかはわかんないけど、

あんたたち今度ふたりでごはんでも食べに

行っておいで」


もうコナのことをよく理解している篤子が

連れて来たのだ。

この二人はきっと気が合う。

枝折は、なんとなくコナと四季が似たもの

どうしな気がしていた。


枝折の提案にコナと四季は顔を見合わせた。


「行こうか」


先にそう言ったのは四季。コナは初めてできた友達にうん、と笑って頷いた。

四季は元々友達もいただろう。似ていると

いっても四季とコナの境遇は違う。

それが食い違わなければいい。

うれしそうに微笑み合っている二人を見て、

篤子と枝折はそう願っていた。




コナと四季はそれから二人で遊びに行くようになっていた。

田舎育ちでひたすらバイトばかりだったコナを、四季はいろんなところへ連れて行った。

スエットの上下では出かけられないので、

コナはたまに服を買ったりするようになったが、質素な暮らしは変わらなかった。

しかし枝折が、コナが一人で服を買いに行ったりすることを良いことだと褒めてくれた。


「明日、歌舞伎町の篤子の店に行って

みましょうか」


歌舞伎町の店とはホストクラブのことだ。

オープンしてしばらく経つが順調に回っているらしい。

銀座のクラブもあるので篤子は多忙だ。

なかなかbranchにも来られない、と嘆いて

いた。


枝折がカウンターの中を片付ける。

ボックス席のテーブルを拭いていたコナが

振り向いて、うん、と頷いた。


「いきなり行ったろ。

四季、ビックリするわよ」


明日、コナと行くが、四季には内緒にして

くれ、と枝折は篤子にラインをした。


「あの、枝折さん。どんな格好で行ったら

いい?」


コナはもちろんホストクラブに行くのは

初めてだ。

四季と遊びに行く時の格好ではダメな気がして枝折に聞いた。


「そうね。セットアップとかでいいんじゃ

ない?

そこまでかしこまらなくても大丈夫よ。

篤子の店だもん」

「篤子さんに怒られますよ」

「歌舞伎町だからね。ラフな格好でいいわよ」


コナは日に日に成長していく。

田舎から出て来たばかりのコナと比べて、

見た目だけではなく中身が成長している。

枝折とも冗談が言い合えるようになった。

二人の信頼関係も時間とともに築かれていくのだろう。


「セットアップなら枝折さんに買ってもらったのを着ていこうかな」

「なんだか懐かしいわね。まだ置いてるの?」

「もちろんです。初めて着たまともな服だから」


枝折からプレゼントされた服はコナにとって

宝物だった。

枝折がくれたというのがうれしくてあの日以来袖を通していない。

枝折は男だが、母親とはこういうものなのだろうかと思う。

本当の母親を知らないコナにはもう枝折が母親だった。


「楽しみね」

「はい」


帰る枝折を見送りに、コナも階段を上がる。

秋風はさらに温度を下げ、そろそろまた冬が

やってこようとしていた。





若い子向けね、と枝折が篤子が経営するホストクラブの入り口でつぶやいた。

歌舞伎町にはほとんど来たことがない枝折にはよけいにそう感じるのだろう。

海の中を想像させるような青い照明。

ドアを開けるとすぐに受付のようなカウンターがあった。


「青過ぎて寒くなってきたわ」


中もブルーを基調とした内装。あちこちに灯る白いライトがコナには海の中の泡に見えた。


「いらっしゃいませ」


カウンターの中で若い男性が軽く頭を下げる。

台の上には銀のトレーが置いてあるだけ

だった。


「初めてなの」

「かしこまりました」


カウンターの中から若い男性が出て来て、店に通ずるドアを開けると飛び出してきた賑やかな声が枝折とコナを包んだ。


「ご新規のお客様です」

「いらっしゃいませ」


カウンターの男と同じ制服を着た男が枝折と

コナを迎えに来た。


「こちらへどうぞ」


さっきの受付よりも中の方が同じブルーでも

明るい。

一番奥の壁が全面鏡になっているので店内が

広く感じる。

二人が席に座ると、案内してきた男が注文を

取ろうとして膝をついた。


「ドンペリの…ロゼでいいかな。

あとソフトドリンクのメニューある?」

「こちらになります」


男が革張りのメニューを枝折に差し出す。

枝折がそれをコナに見せた。

注文を済ませ、男が去ると枝折が首を傾げた。


「ドンペリ入れたのに。シャンパンコール

ないのね」

「なんですか?それ」

「昔はね、ドンペリ入りましたー!って叫んでくれたのよ。

それにキャストがありがとうございまーす!

って。今はそういうのないのね」


篤子の店なのでドンペリニョンのボトルを入れたが、そこまで感動されないようだ。

枝折は足を組み、店内を見回した。


「いいお店ね」

「はい。なんか落ち着きます」

「眠たくなるわ」


あちこちから聞こえてくる話し声は賑やかなのだが、落ち着いた雰囲気の内装なのでガチャ

ガチャしていない。

若い子向けなのに品の良さがあった。


「お待たせしました」


注文したシャンパンと、コナが頼んだアイス

ティーを持って来たのは四季だった。


「ビックリした」

「だって内緒にしてたもの」


四季についてきたさっきの男が手際良くボトルやグラスを並べていった。


「四季もこれは飲めないから、なにか頼んで」

「ありがとうございます。コナと同じので」


四季が大きなピッチャーに入っているアイス

ティーを二つのグラスに分ける。

そして枝折のグラスにはシャンパンを注いだ。


「シャンパンコールいります?」

「やっぱりあるのね。いらないけど」


四季もなかなかホストが板についてきた

ようだ。

四季の掛け声で三人で乾杯する。

コナは四季が席に来てくれたので緊張がほぐれてきた。


「篤子は?」

「もうすぐ来ると思います」


しばらく三人で話していると、同じ制服を着ているが、先ほどとは違う男がテーブルにやって来た。


「四季さん。お願いします」

「はい」

「指名?」

「すみません。後でまた来ます」


コナにニコッと笑って四季は違う席に行って

しまった。


「指名制なんだね」

「そうそう。良かった。四季も指名もらえる

ようになったのね」


四季と入れ替わりで違うキャストが席に来た。

枝折が、そのキャストにこの店のNo.1は誰かと聞く。

そのキャストが、あっちの、と言ってすぐ

近くのテーブルにいるキャストを手のひらで

さした。


「あの子?やっぱりイケメンね。

でもうちの子には負けるわ」

「え。息子さん、ホストされてるんですか?」

「いいえ。もったいないでしょ?」


お世辞なのかもしれないが、そのキャストが

うんうん、と頷いてコナを見る。

コナが恥ずかしそうに顔の前で手を振り、

それを見て枝折とそのキャストが笑った。


「…」


コナがふと、四季の方を見ると可愛い女の子の客が四季にピッタリとくっついて座り、じっと顔を見つめている。

たまに話をしているようだが、視線はずっと

四季から動かなかった。


四季が飲んでいたグラスにアイスティーが半分ほど残っている。

コナは自分のグラスを飲み干した。


おはようございます、とあちこちから声がする。

どうやら篤子がやってきたようだ。


「ホントに来てくれたの?ありがとう」

「いい店じゃない」

「え?オーナーのお知り合いだったん

ですか?」


枝折たちのテーブルについていたキャストが

目を丸くして枝折とコナに頭を下げた。


「そうなの。ありがとう。ここはもういいわ。

そうね…四季のヘルプについてあげて」

「はい」


篤子に言われた通りにそのキャストが四季の

いるテーブルに行くと、四季にベッタリと

くっつていた客の女の子が明らかに嫌そうな

顔をして、四季から離れた。


「ドンペリありがとうございます」

「こちらこそ。いつもボトル入れてもらってるから。

篤子。忙しいのはいいことだけど体大丈夫

なの?」

「どうってことないわよ。ここもそろそろ

落ち着いてきたから」


二人が話しているそばでコナは空っぽになったグラスをじっと見つめていた。

篤子がまたそこにアイスティーを注ぐと、

ハッと顔を上げてニコッと笑う。

枝折と篤子がそんなコナを見て視線を合わせた。



四季が店の外まで見送りに来た。

昼間のようにたくさんの人がいる。道端で

倒れ込んでいる人がいても、みんなそれに

振り返ることもなく楽しそうに騒いでいた。


「今日はありがとう」


四季がうれしそうに笑う。

枝折とコナに来てもらえて本当にうれしかったのだろう。


「また来るわ。四季が働いているところが

見れて私もうれしい」


照れ笑いした四季がスッとコナの顔を

見つめた。


「コナ。俺、まだまだだけどがんばるよ」

「うん。がんばって」


四季と別れて枝折とコナはタクシーに乗る。

路上にも人が溢れていて、大通りにでるまで

なかなか進まなかった。

ようやく進み始めたタクシーの窓の外。

賑やかな歌舞伎町が後ろへ後ろへと流れて

いった。


「コナ」


枝折に呼ばれて、窓の外からコナが顔を

向ける。

枝折は横顔のままだった。


「私たちの仕事って、他の人から見たら

お客さんとお酒を飲んで、楽しく話して…

なんて楽でいい商売なんだって思われることもあるのよ」

「…」

「でもそうじゃないのはコナにはわかる

わよね?」

「はい」


来てくれた客にどれだけ楽しんで帰ってもらえるか。

楽しみだけではない。時には癒すこともある。

そんな存在になるために一生懸命働いている。

コナはまだまだだ。しかし枝折を見ていると

わかる。

客のために、客のことを第一に考えているのだ。


「もちろん、四季もよ。来てくれたお客さんにまた来てもらえるように、また指名してもらえるように一生懸命なの」


“俺、まだまだだけどがんばるよ”


そう言った四季の顔をコナは思い浮かべる。

四季は働く自分の姿を枝折とコナに見てもらえたのが本当にうれしかったのだ。

一生懸命働く自分の姿を。


頭ではわかっていた。わかってはいたが、

コナの胸はずっと苦しかった。


「俺も、がんばります」


そう返すのが精一杯だ。

枝折に気づかれないようにコナはまた窓の外に顔を向けて盛りを迎えた街灯りを目で追った。






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