第3話 新米ホストの四季




19:00を少し回った銀座の街は賑やかだ。

ネオンが灯り始めるこの時刻。花が咲いた

ようにキレイな景色だった。


この日、篤子あつこからの誘いで食事に行くことに

なったのだが着て行く服がないことに気づいたコナは焦っていた。

田舎から持ってきた服は数枚あるが、どれも

くたびれている。

生活するのに精一杯で服を買う余裕など

なかった。


今から迎えに行くから、と枝折しおりからラインが

来た。

服を買いに行く時間はない。

仕方なく枝折に正直にラインをしたが既読が

つかなかった。


ガチャ、と店の入り口のドアの鍵が開く音が

した。コナは部屋から飛び出すと驚いた顔の

枝折が立っていた。


「びっくりした。どうしたの」

「枝折さん、ライン見てくれてませんか?」

「ライン?ごめん。見てないわ」


そう言ってスエットを着ているコナに枝折は

持っていた紙袋を手渡した。


「これに着替えて」

「これ、」

「どうせ着て行く服がなくて困ってたん

でしょ?ごめんね。

忙しすぎて買いに行く暇もないもんね」


コナが枝折に渡された紙袋の取っ手を握り

しめる。

服を持っていない理由を忙しくさせたから、と言った枝折にコナは胸が込み上げた。


「待ってるから着替えてきなさい」

「はい」

「先に言っとくけどそれ、プレゼントだから」

「は、はい。ありがとうございます」


ここへ来て3ヶ月。もう枝折はコナの性格を

見抜いているようだ。

それがコナには本当にうれしかった。


枝折が買ってくれた服は若い子が好んで着る

ブランド。

紙袋にはバッグに靴も入っていた。

着替えて髪を整える。美容師に教えてもらった通りセットして、新しい靴を履き、コナは

枝折が待っている店に出た。


「素敵。コナに似合うと思ったわ」

「本当に似合いますか?」

「自分の子のことは私が一番わかってるのよ」


階段を上がり、タクシーを拾うために大通りへ出る。

枝折とコナのことを歩いている人たちがじっと見ていた。




枝折が立ち止まったのは格子戸が粋な店。

見るからに高級そうなその店で篤子が待って

いた。


「ごめん。待った?」

「ううん。今来たとこよ」

「いらっしゃい。枝折ー。久しぶりじゃん」


白く分厚い木でできたカウンターの中から、

男性が枝折に怒っているフリをしている。

ごめんごめん、と言いながら枝折がコナと

ともにカウンター席に座った。


「お前、顔見せないからどうしてんのかと

思ったぞ」

「いろいろ忙しくてね。

コナ。ここのオーナーは私と篤子の高校の

同級生なの」

「え?」


オーナーが挨拶すると、コナも挨拶をした。


「篤子さんと枝折さん、同級生だったん

ですか?」

「そうよ。こいつもね」

「こいつ言うな。

コナくん、嫌いなものない?」


楽しそうに話す3人を見てコナも楽しく

なった。

友達がいなかったコナは、友達がいたらこんな感じなのかと思った。


「大丈夫です。なんでも食べられます」

「お!いい子だね」

「そりゃそうよ。私の息子だもの」


オーナーが目の前に握った寿司を置く。

白い身がキラキラとしておいしそうだがコナにはなんの魚かわからなかった。


「お前、とうとう産んだか。

いつ性転換したんだ?

コナくん。これ、ヒラメだよ。食べやすいからどうぞ」

「いただきます」

「枝折は性転換なんかしないわ。

痛がりなのに」

「篤子うるさい。性転換なんかしてないわよ。

私は私が大好きなのに。この子はうちの店で

働いてるの。でも息子だと思ってる」

「おいしいです!」

「私がいい話してるのにコナはお寿司に

夢中だわ」


ワイワイと話す雰囲気がコナには本当に

楽しい。

オーナーが握ってくれる寿司も舌がとろけそうなほどおいしかった。


「こんなうまい寿司食ったことないです。

スーパーの寿司しか食ったことないから」

「そうかそうか。うれしいなあ。

じゃあスーパーにないもんばかり出しちゃおう

かな」

「おいおい。お会計私なのよ。まあいいわ。

コナに喜んでもらえたら安いもんよ」


篤子が、隣でパクパク食べているコナを見て

微笑む。

その向こうで枝折も同じように微笑んでいた。


「篤子も母親みたいだな。で、枝折が父親か?」

「まあそうなるわね、おっぱいないから私」


オーナーが目の前に牛肉の寿司を置く。

驚いたコナがぼかん、と口を開けた。


「肉の寿司?」

「うまいぞ」

「はい!」

「死ぬほど霜降りだからおいしいと思うわよ。

篤子にいただきます、って言いな」


笑っている3人を見ながら、篤子は口元で

微笑んでいた。


店の支度があるから、と枝折とコナは先に

帰って行った。

篤子もそろそろ店に顔を出さないとならない。

会計を済ませてバッグに財布を入れていると、同級生であるオーナーがそばにやって来た。


「枝折、相変わらずだな」

「あの子は変わらないわね」

「お前も…しんどいな」

「高校の時からだから、もう慣れっこよ」


店の外まで送り来たオーナーが篤子の肩を

ぽんぽん、とした。


「ということは二人とも一生独り身か」

「人のこと言えないでしょ?あんたも早く良い人見つけな」


変顔をしたオーナーに手を振って篤子は夜の道を歩いた。



高校の時、ずっと3人でつるんでいた。

まだ男の格好をしていたが、枝折の心が女だということも篤子は知っていた。

それでも篤子がオーナーではなく枝折を好きになったのは人間として、なのだろう。


あれからもう20年以上経つ。枝折が篤子の

気持ちに気づいているのかどうかはわからないが、篤子は枝折に彼氏がいるのかと聞かれた

ことがない。


それはなぜか。この歳まで独り身でいる親友のことが心配ではないのか。


枝折がなにを考えているのかはわからない。

しかし篤子の心は高校生の時から決まっているのでそれに従うしかないのだ。


「父親と母親、か」


篤子のつぶやきは夜の街に消えていく。

指で夜風に吹かれる髪を押さえ、篤子は自分の店を目指した。





いつも通り1:00を過ぎると客足がゆっくりに

なる。

カウンター席に客がいない時は、枝折とコナは椅子に座ってお菓子をつまみながら話をした。


「へえ。高校入ってすぐから」

「そうなのよ。

一年の時に同じクラスになってね。

気が合うんだろな。腐れ縁ってヤツよ」


その3人がそれぞれ銀座で店を構えている。

コナにはそれだけでもすごいことだと思った。

東京に出て来てまだ数ヶ月だが、コナにも銀座は東京の一等地であることがわかっていた。

その銀座で3人とも成功しているのだ。


「すごいですよね。友達がいて、続いているのもすごいけど皆さん、お店を持ってるなんて」

「そう言われてみたらそうよね」


枝折はコナに言われてあらためて今まで続いて来た友情に感謝することができた。

この歳まで続く縁などなかなかない。


「ねえ、コナの夢はなに?」


そう言って枝折がスッと立ち上がる。

ボックス席にいた客が帰るので二人で見送りに行った。


二人でテーブルを片付ける。他に客はいない。

洗い物をしているコナの隣で枝折はまた

座った。


「俺は夢もなんにもないです」

「若いのに。もったいない」

「ないっていうか…そんなこと考えたこともなかったです」


毎日が精一杯だった。夢を描く暇もなかったのかもしれない。

枝折に問われてコナは困ってしまった。


真っ白な布でグラスを拭き、背の高い棚に

片付ける。

グラスに半分ほどになった酒を枝折は見つめていた。


「もし、コナがこの仕事が好きなら…

自分のお店を出すってのもいいんじゃない?」

「俺は…」


枝折が腰の辺りまである髪の先を指でくるくる、とした。


「俺は、ここでずっと働きたいです」

「…」

「枝折さんと一緒に」


微笑んでいた枝折が眉を下げる。瞬きをしてうんうん、と頷いた。

コナも枝折の隣に座り、なにも言わない枝折の顔を見つめた。


「ダメですか?」

「ダメなわけないでしょ。うれしい。

でもね、やりたいことが見つかったら遠慮なくここを出るのよ」

「見つかったら…」

「そうよ。親はね、子供を見送るのが仕事。

子供が幸せなら淋しさにも耐えられるって

思うの」


枝折には子供がいないのであくまで今の自分の想いだった。

今まで親の気持ちなどわからなかったが、

コナと働き始めて、コナを我が子のように

可愛がっていると親というのはこういう気持ちなのか、と考えることも多くなっていたのだ。


「はい」


やりたいことなど見つかるのだろうか。

今はただ枝折とここで働き、枝折の力になりたい。恩返しがしたい。

それしかコナは思いつかなかった。


客がやってきてカウンター席に座る。

この時間は夜の仕事を終えた客が来る。

近くのBARのマスターや、ホステスやホストが客とともに来ることもある。

それらの客は皆、枝折に会って楽しそうな顔をする。


コナは、いつか自分も枝折のような存在になれたいいなと思うようになっていた。







暑い夏がようやく過ぎて、夜風が冷たくなってきた。

コナが東京に来てから半年以上が経ち、接客にもなんとか慣れてきた。

それでもまだこの世界ではおとなしい方なのだが、枝折はそれでいい、と言ってくれていた。


「おはよう」


branchに篤子が入って来た。

夜なのに “おはよう” というのにもコナはやっと慣れてきた。


「おはようございます。いらっしゃいませ」

「今日はもう一人いるのよ。

ほら。早く来なさい」


篤子が階段の上を見上げて手招きしている。

枝折とコナが顔を見合わせていた。


「オーナーですかね」

「かもしんないわね」


以前篤子に連れて行ってもらった寿司屋の

オーナー。枝折と篤子の友達だ。

オーナーかと思ってコナが篤子のところまで

迎えに行くとコナと同じ歳ぐらいの男が立っていた。


「…いらっしゃいませ」

「あ、おはようございます」


篤子がコナの手にタッチしてからその男を

カウンター席に座らせ、自分も隣に座った。


「紹介するわ。ホストの四季しきです」

「四季です。初めまして」

「こちらは枝折とコナ」

「はじめまして。コナです」

「ホストには見えないわね。いくつ?」


枝折が顔を近づけると四季が照れたように

笑った。


「19歳です」

「コナとタメか」

「顔可愛いでしょ?まあ19だし、ホストに

なってまだ日が経ってないのよ。

新鮮でいいでしょ?」


どうりで素人っぽいと思った、と言って枝折が笑った。


「枝折、こんなんだけど褒めてるのよ」

「こんなん、って失礼な。もちろん褒めてる

わよ」

「あ、ありがとうございます」


ここ一ヶ月、篤子はbranchに顔を出さな

かった。

忙しいのだろう、と枝折とコナは心配していたのだが。


「少しずつ準備進めててね。ホストクラブ。

来週やっとオープンするのよ」

「歌舞伎町?」

「そうそう。いい空き店舗があってね。

元々そこはホストクラブだったからそのまま

ホストクラブにしたのよ」

「それでしばらく顔を見せなかったのね」


大詰めだったこの一ヶ月、昼間はホストクラブのオープンに向けて篤子は奮闘していた

ようだ。

そこまで広い店ではないが、質の良いホストを揃えることで集客を狙う。

SNSにホストの写真をアップして、料金体制も載せる。

若い女の子でも気軽に来られるようにして

いた。


「従業員の面接とか、内装工事とか。バタバタしたわ」

「言ってくれたら手伝うのに」

「ふふふ。枝折をビックリさせたかったのよ」


篤子はそう言ったが、枝折が忙しいことも

わかっている。

枝折は水くさいと思ったが篤子は昔から

そういう性格だった。

もっと頼ってくれたらいいのに、と枝折と

オーナーはよく話したものだった。


「おめでとう篤子。お花贈らせてもらうわ。

住所教えて」

「ありがとう」


枝折と篤子が話をしている間、四季はずっと

口元で微笑んでいるだけでひとことも話さ

ない。

数分経ってからコナがなにか飲み物を出そうと、四季に話しかけた。


「りんごジュースでいいですか?」

「はい。ありがとうございます」


この店の常連客にも何人かホストがいる。

みんなキラキラとして話も上手い。

枝折が言ったようにコナにも四季がホストには見えなかった。


枝折と篤子は四季とコナを放置して二人で話している。

りんごジュースを飲みながら黙っている四季にコナはなにを話そうか考えていた。


「歌舞伎町って行ったことないんですけど

賑やかなんですよね」

「はい。いろんな人がいます」


行ってみたいな、とコナが言うと、四季がニコッと笑った。


「コナくんの話し方、好きです」

「話し方?」


普通に話すとコナは訛りがキツい。

がんばって標準語を話しているがアクセントがおかしいのだろう。


それを四季は好きだと言った。

バカにしているのではないことは四季の真っ直ぐな目を見ればわかる。

コナは照れくさそうに笑った。


「話してたら落ち着きます。いいですね。

穏やかだな」

「訛ってるだけですよ」

「それもかもしれませんが、コナくんの声と

ゆっくり話すのが好きです」


自分にもいいところがあるのだ。

なんにもないと思っていた自分にも。


それを会ったばかりの四季に教えてもらった

みたいでコナはうれしかった。




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