かつての女の子たちが立派になって俺(底辺魔導学校の教師)のもとへやってきました!?
ほっためぐ
プロローグ、堕ちた名門アトラスゲイル
かつての勇気の殿堂、今の底辺の中の底辺
エンゼイアという地に魔導あり。エンゼイアという地に魔導師あり。遠い昔に誰かが言った言葉は、今となっては当然の言葉として語られる。
昔々の大昔からその世界は魔力に満ち溢れ、人々はその恩恵にあずかり生き続けてきた。走るのも、飛ぶのも、泳ぐのも。生きとし生けるもの全てが、魔力の輝きに満ちている。
そんな世界においては、魔導とは生きる手段であり、学ぶべき学問であるのも当然なもの。そう、魔導は勇気を、知恵を、体を。そして心を育むものである。皆が皆、そう思っている。
故に欲した。たくさんの人間が。そして作り出したのだ。
魔導を学び、自らを、世界を識る。そして足るに至る。そのためにまい進するための大舞台。人それを魔導学校と呼ぶ。
そのうちの一つがアトラスゲイル。
純黒に赤い月の紋章。知恵と勇気の炎は赤々と燃え盛り、そこで学んだ多くの雛鳥は堂々と旅立つ。自立と強い力をもって、街と寄り添うように、世界に名をとどろかせるように進む。世界に刻まれるように。そんな長い長い歴史を。堂々たる御姿を見せるそれを人々は深い敬意を表して……。
「紅の学堂」とも「勇気の殿堂」と呼ぶ。
「これは一体どういうことなのだ!! シャルル・トゥールバスター!」
バンっと机を叩くような、そんな音が聞こえた。ぞくっとした著しい緊張感が、一室を支配するようだった。
「どういうことだと申しましても。これが事実です」
長机の前で冷や汗をかきながらもはっきり答えるのは、一人の青年だ。髪に手を触れながら、言葉を選ばずに言い放つ。目を落としたのは、長机にある紙束だ。上から下まで文字がびっしりと書き込まれており、まるで何かの執念か願望のようだ。
「この紙束はアトラスゲイル……俺たちに対する現在の評価、そして周囲の方々からいただいた大量の苦情です。現状、俺たちの評価は最悪も最悪なんですよ」
そう言った青年……シャルル・トゥールバスター。彼はアトラスゲイルの教師だった。茶色の髪はぼさぼさで、痩せ型で少しばかしやつれているように見える……そんな青年だ。
「講義に参加せずに暴れ回ったり、大声でがなり立てる。一般の方々に対する、魔法の行使もあったと聞きました。それらの非難が積み重なったものがこれなんです」
紙束に手を当てつつ、シャルルはそう言った。淡々と話す口調には、突き放すようなニュアンスが含まれているのは明らかだった。突きつけられたものを、それでも受け入れなければならないという感覚が、彼の中にあった。
実際、理由はわかっている。この紙束の中身をチラ見しただけでも、こうもなろうという気持ちはある。理由はわかっていた。
「学内においては地位が高い貴族が幅を利かせて、たくさんの問題を起こしている状況。それを俺たちのような教師が取り締まれないから、野放し状態。いくら歴史のある名門であっても、それが続けば堕落するのは確実ですよ」
「喧しい!」
シャルルの目の前にいるのは立派な口髭を蓄えた男だった。そんな彼が再びドンと長机を叩く。たった一言で切り捨てて、大きく息を吐いた。
シャルルが怒られているのを見て、周りの人間はざわざわと、口々に声を上げていた。だがそれは心配しているわけではない。笑っているのだ。若い教師が切り捨てられて、怒られているそのざまを見て、ざまあみろと思っているのだ。
「それを何とかするのが君の仕事だろうに。これでは君のような教師をなぜ呼び寄せたか、わからないではないか」
「教師の仕事ではありますから、対処するつもりではあります」
「(嘘だ。何とかしようって言っても、今の状態じゃなんにもならないんだ)」
男にこう返しながらも、シャルルはそう心の中でこぼした。
正直なところ、シャルルにも諦観の気分があった。諦めてしまう理由があった。
都へと上がって、教師になるために学業を修めた。そして新人教師としてアトラスゲイルへ雇われだして、シャルルはもう数年になっていた。アトラスゲイルは歴史ある場所だ。それはシャルル本人もわかっている。だが、表面の歴史にいくら敬意を払おうと、いくら表層だけを掬おうと、中に入って数年も経てば、中身もすぐに分かろうと言うもの。そしてその中身に失望し、絶望してしまうのもまた当然なのだった。突きつけた紙束の文字が、はっきりとどうにもならない現状を思い知らされているようで。
「(それに……これだけじゃない。外だけじゃなくて、中も)」
心の中でシャルルは続ける。外の評判よりももっと酷いのは……。
「いいか? アトラスゲイル……。ここは歴史ある学舎なのだ。君が生まれるずっと前、私が生まれる前にさかのぼる。優秀な人材を多数輩出してきた、名門中の名門だ」
男はふう、と息を細く吐きながら、うっとりと陶酔した様子で話し始めた。
「君はこの国の、現職の防衛大臣を知っているか? 彼はアトラスゲイル出身だ。更に、有名な廷臣の何人かもアトラスゲイルで学び、羽ばたいたのだ。もちろん、私もアトラスゲイルの人間よ。これはまさに深紅の学堂が持つ、輝かしい歴史といっても差支えがない」
黙って聞くしかないと、シャルルは判断した。
「私が通う前からずっと、そういった者を出してきた。深紅の歴史は、保たねばならない。脈々と受け継がれるその歴史を、我々の手で積み立てねばならぬのだ」
学園長たる男は赤々とした使命に燃えているように見えた。歴史の火を絶やさぬために、頑張らなければならないと言う責任感の強さがそこにはあった。それは、彼がここ出身だからそうさせるのだろう。強い誇りをもっている。それはわかる。
「(口を開けば歴史、歴史か)」
「(もう何年何回。こんなつまらない言葉を聞いたんだか……)」
その言葉を聞きながら、だがシャルルは心の中でこう呟いた。歴史に耽溺するような、げんなりするような言葉。歴史を保たねばならない。アトラスゲイルの歴史は魔導の歴史だ。名門なのだ。男は口を開いてはそう言い続ける。そのために何をするべきか。というものは特に何も考えずに。名門であることに固執して、その名前だけに目を向けて。中身には目を背ける。
そんな人間にしか、シャルルの目には映らないのであった。
「シャルル・トゥールバスター」
「なんでしょう、学園長」
学園長たる男は目線を向けて自らの名前を言った。そして一旦言葉を切ると、
「そんな誇り、歴史を維持するために必要なものは……何だと思う?」
「それは……何でしょう」
「こういうことだよ!」
そう叫ぶや否や、男は紙束に手を触れ、言葉を唱えた。
「汝、万物の一点さえ焼かれたまえ……」
「!!」
その言葉に、シャルルが驚愕したような表情を浮かべる。これは魔法の詠唱だ。
そして。
「はあっ!」
──ゴオッ!
男が叫んだ瞬間、紙束は手を当てた先から赤い炎に包まれ、真っ黒な灰へと変わっていく。
この瞬間。真実を告げようとする言葉の束は、ものの一瞬でこの世から一切の姿を消してしまったのだった。
「なんてことを……」
「深紅の学堂、その歴史にふさわしくないもの。これを残す理由はない」
悪びれもせずに、男は言った。灰の山には目もくれずに、シャルルに言う。
「そして……評判に傷がつくのは、君のような教師が悪いからだ。シャルル・トゥールバスター。君のような存在がしっかりしていなければ、最初からその紙が並ぶことはなかったのだ!」
突きつけられた言葉に、シャルルは何も言えなかった。言える言葉すら見つからなかったというのが正しい。アトラスゲイルの歴史に固執する目の前の男に対して、あまりにも無力な自分を。言葉を突き付けても何も変わらず隠滅に走った学園についても諦観するしかなく。
ただ両手を握りしめて、目の前の相手を見つめるしかなかった。
「私は視察に向かわなければならないので失礼する。灰は自分の手でかたずけたまえ、シャルル・トゥールバスター」
そうして学園長たる男はゆっくりと踵を返して歩き出す。
そして去り際、
「不平を示したいなら行動で示すといい。このような紙束でなくてな」
最後に耳打ちするように、そういい放ったのだった。
バタン。と扉が大きく絞められた後。シャルルはただ立ち尽くしていたのだが。
「あっはっはっは!!」
「傑作だ傑作!」
後ろから投げつけられる言葉が、突き刺さった。他の教師の笑う声だ。
「また言いたい放題のシャルルさまが失敗してらあ、いい加減に諦めりゃあいいのにさ!」
「だな! ここは変わんねえよ!」
あざけるような言葉が聞こえる。そう、そういう調子なのだ。アトラスゲイルの問題は、学外や生徒だけではない。ともすればこれが一番、恐ろしいことかもしれない。
導くはずの人間が、他者を嘲り笑っているという、最悪すぎる状況。
その言葉に、シャルルはただ黙っているしかなかった。自分の行動が無駄になった証拠を目にした状態で、何か言う力もなくなっている。
「ちょっと皆さん、笑うことはないじゃないですかっ!」
そんな中でも、一人立ち上がって声をあげる者はいた。うら若き女性の姿。長いブロンドの髪がふわりと舞うのも気にしない。
「だってそれは間違ってないです。シャルル先生は正しいことをしたはずです」
「はっ、これだから正義感ってやつはたまらねえな」
「若いっていいねえ、シャルルさまもそうだし、あんたもほんとに!」
「本当のことですってば!」
「あー、あの」
同僚たちが言い争う、そんな声を聴いて、シャルルは振り向いた。
「何も言わなくていいんです。俺も……無駄なことをしたってだけなんで」
「シャルル先生……」
振り向いて、乾いた笑顔でこう告げる。面と向かってそういわれた彼女は、何も言うことができなかった。
「そうだよ、無駄なことなんだよ。結局全部無駄なんだ」
「そうそう、だってここはもう……底辺の中の底辺なんだからさ」
「紅の学堂」「勇気の殿堂」。
それは。深紅のアトラスゲイルをさしていう言葉だった。
純黒に赤い月の紋章。それを持つ者たちが、歴史に名を刻むために勇気をもって羽ばたいた……そんな時代は今は昔。
それとは正反対へとなり果ててしまった現在のアトラスゲイルを、人々は侮蔑を込めてこういう。
「堕落した名門」、「底辺の中の底辺」と。
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