第一章 ⑨ 神様、誰でもそうでしょう?

「どうかしたの、レイ? あなたの悩み事の重みで車のスピードが落ちてるわよ」


 東宮御所とうぐうごしょに帰る車の中、司子が問いかけてきた。

 隣に座るレイは苦笑しつつ応える。


「いえ、何でもありません……」


 レイは本日、初めて司子が友人といるところを見たが、その姿はごく普通の女の子に思えた。大和朝廷やまとちょうていの血を受ける姫君でも、宮内の暴君でもなく。


 わずか三時間という短い間、彼女は一般の小学生と同じように会話し、ゲームをして、友達とふざけ合っていた。それは新鮮な光景であり、レイは自分の小学生の時と同じだと驚くとともに懐かしさが込み上げた。


 自分が司子と同じ年齢だった頃、一緒に過ごした親友は今どうしているのだろう。


「まだ異様な光景に思えるでしょう?」


 唐突とうとつに司子が言う。

 本当は御力や過去の記憶を思い出していただけなのだが、彼女は今日の体験でレイが悩んでいると思ったらしく、こう続けた。


「たくさんの人間と繋がりを持たず、決められた場所に、護衛付きでなければ外出もできなくて……」


 確かに、レイは半年前までありふれた普通の学生の一人として生きてきた人間で、それが今では全く違う世界に住む方々のそばで仕事をしているのだから驚くことはたくさんある。


 世間一般の想像とは違い、皇室の人間に自由や贅沢が許されない現実は入庁前から解っているつもりだった。

 しかし、レイの予想をはるかに超えて皇族には自由がなかった。


 学業が終わっても、放課後は皇族にとって重要な稽古や勉強が待っている。そこに公的行事の出席などを組み込んでしまえば、自由な時間は一週間に一日あれば良いという具合になる。


 国民人気首位である司子の場合、皇室を代表して顔をメディアに出す単独公務も付加されているため、心的疲労も相当であるはずだ。


 今日は数少ない休日を友人との遊びに当てられたとはいえ、それも影武者まで動員した厳重な警備態勢の下で実現させた数時間だった。

 友達に会うなど民間人にとっては容易たやすい行為だが、司子にとっては何より希少な経験だ。


「おかげで友達もあまりできなかったわ。蛍なんて人見知りが強いから、ろくに話せる友人もいないみたいで、たまにこうして外に連れ出しているのよ」


 言いながら、司子は自身の肩で寝息を立てる妹をでた。

 レイに姉妹はいないけれど、それは間違いなくき姉の顔だったと思う。司子は少し悪戯が過ぎるだけで、やはりもとは良い子なのだ。


「あの二人の他には、どのようなご友人がいらっしゃるのですか?」


「んー、そうねぇ。気兼きがねなく話せる幼馴染は、リコとモモだけかも。それ以外は、みんな上辺で付き合っているだけの御学友……」


 彼女は自嘲気味じちょうぎみに笑う。


「普通の子に比べると少ないかもしれないけど、わたしは満足よ。レイは何人くらい友達がいたの? 二十人、三十人?」

 司子は、普通の子供時代を過ごしたはずの大人に問いかけた。


「私の小学生時代の友達は、一人だけでした」


 自信に満ちて答えたレイの顔を、少し驚いたように司子は見つめ返す。


「殿下よりも少ないですね。ただとしを重ね、進学するにともなって友人は増えていきました。護衛官となってからも、寝食を共にし、厳しい訓練を協力して乗り越えた同期の仲間とは深い絆で結ばれています。それこそが、我ら皇宮護衛官の最大の力なのです!!」


 皇宮警察お決まりの文句を口にし、レイは誇らしい気持ちになった。


うらやましいわね……。わたしには、そんな絆などないわ」


「──でも。それでも私は、あの十二歳の頃に一緒だった親友よりも仲の良い友人を、二度と得たことはありません。最後に別れてから、もう十年以上も会ってはいませんが、私は今もその子を忘れません。おそらく、この先も……」


 司子は信じられないというふうに眉を寄せた。


「……小学校以来、一度も会っていないのに、その人が人生で一番の友達なの? 皇宮警察学校の同期生よりも?」


 疑問に思われるのも無理はない。

 彼女の年齢にできた友人というのは、毎日学校で顔を合わせて休日に家に遊びに行く間柄を指すのだから。


 レイは真剣な表情で首肯する。


「そうです。殿下の年齢では実感が湧かないと思いますが、別に珍しいことではありません。友達はレストランのウェイターのように、入れ替わり立ち替わりかわっていくものです。大人であろうと子供であろうとそれに違いはありませんが、一つ違うとすれば、大人では子供同士のような友人関係はたぶん作れないという点です」


 夕日が司子の顔を蜂蜜色はちみついろに照らす。

 視界を紅く染めながらレイは続けた。


「殿下。殿下の年齢にできた友達は、一生ものの掛け替えのない友人です。たとえ進学を機に二度と会わなくなろうとも……。

 私を含め、多くの人々がそうであったように、本当に友情のためだけに付き合えるのは殿下の年齢だけなのです。だから、いま周りにいる方々をどうか大切にしてください。この時代、一緒に夢を語り合えるほどの友達なんて誰にでもいるわけではありません。少なくとも、私には一人しかいませんでした」


 司子は、真剣な瞳でレイを見つめていた。

 普通の体験が不足している分、実際の体験者から少しでも学ぼうとしているのだろう。


 おそらく彼女が映画や漫画をよく見るのは、生来それらを好いていたからではない。外で自由に遊ぶ願いが叶わないから、架空の世界で遊んでいただけなのだ。

 本日の司子は、普段アニメを消化している時の何十倍も幸せそうだった。


「先ほど、殿下は自分には絆がないと仰いましたが、それは違います。我々護衛官よりも強い横の絆を、私は先ほど目にしました。そして、これからは国民と縦の絆をつむいでいってください。私が、その時までおそばについています」


 レイは微笑ほほえんだ。

 尊大な発言に呆れたのか、司子は目を丸くした後に顔を伏せてしまう。夕日に焼けて、彼女の頬は紅潮こうちょうしていた。


「そ、そう。勝手にすればいい、わ……」

 司子は咳払せきばらいして言う。

「……で、一緒に夢を語り合った親友は? その人も護衛官を目指していたの?」


「はい、そうです……」

 レイは視線をらしながら答えた。


「あぁ……」

 司子は何かを察した声を出す。

「護衛官になっていないのね、その人は」


「ええ、残念ながらそうなのです。今はどうしているのか……」


 わずかな沈黙の後、司子は取りつくろうようにレイを励ました。

「で、でも夢を共有できる友達がいて良かったじゃない。わたしには夢なんてないし」


 何かやりたいことはないのですか、とはかない。

 一般国民とは違い、司子たち皇族は「結婚の自由」などの基本的人権が必ずしも保障はされないという事情をレイは知っているからだ。

 もちろん「職業選択の自由」もあるとは言いがたい。夢があったとしても、すべてを口に出せるわけではない。


「やりたい夢や叶えたい願いは昔から色々とあったけど、天皇になりたいとか御用地から出て自由になりたいとか、叶えられないし友達にも聞かせられないものばかりだったから」


 確かに、それは誰にも聞かせられない。

 ほとんどの人間は、大なり小なり定められた範囲の中で自由を謳歌おうかしているに過ぎないが、司子の定められた範囲は常人のそれより遥かにせまい。

 地図上で言えば、彼女が自由に動ける最大の庭は「皇居」という巨大な城の中だけだろう。


 そう思い、レイは窓の外を見る。

 そこには東宮御所とうぐうごしょへと帰る道すがら、通りかかった皇居の城壁がそびえていた。


 城壁を無表情ににらむ司子の呟きに、レイはなんと言葉を返せばよかったのだろう。



「わたしは、一生ここから出られないのかしらね……」









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