いつもの道を外れた先にある恋1
目の前でタイムセールの一〇個パックの卵が、また一つまた一つと数を減らしていく。
水曜日の午後五時過ぎ、俺は最寄りのスーパーマーケットまで買い出しに来ていた。
このスーパーマーケットでは毎週水曜日と金曜日にタイムセールが実施され、母親がいないため俺は高校生ながらタイムセールの常連になっていた。
小説家をしている父親は俺が高校に上がってからは取材旅行で家を空けることも多く、暫定的に家事全般を任されてしまっている。
最初は段積みになったいたであろう卵パックが入っているプラスチックの籠も残り一段となり、一家族二パックの制限があっても目減りしていく。
残り数を心配しながら並んでいると、ようやく俺の前に人がいなくなりすっかり見慣れてしまった店員が購入数を聞いてくる。
制限いっぱいの二パックを受け取って、他の食材を買うために店内を歩く。
あとはゆっくり買い物をして帰ろう。
どうせ急いで家に帰ったところで、特にやりたいこともない。
学校に行って、家事をして、買い出しをして、暇つぶしにソシャゲをするか読書をする日々。
それこそパックに収められた卵のように、色も形も似ていて型に嵌ってしまうような変わり映えのしない日常。
けれども大きく日常が変わってしまうと、それはそれで拒否反応が出てしまいそうだ。
俺の将来はどうなっているんだろうか。
そんな想像できもしない想像をしながら買い物をしていると、いつの間にか買い物を終えて店を出ていた。
帰って何をしようか。
普通だったら少しは心が浮き立つような考え事をしようとしても、思いつくのはいつも同じ。
慣れた道、慣れた買い物袋の重み、慣れた疲労感。
今日もこうして一日が過ぎていく。
そう思った時、左肩が何かに突かれたように身体が傾いた。
衝撃を感じた方を見ると、傍の狭い路地から出てきたのか俺より少し年上ぐらいに見える中肉中背で金髪の輩風の男が苛ついた顔でこちらをねめつけていた。
思わず立ち止まってしまうと、輩風は鼻を鳴らしてから目線を切った。
「ったく、いてぇなぁ」
「ごめんなさい」
俺はすぐさま謝った。
しかし輩風の男でさえ俺に興味がないのか、絡んでくることもなく再び路地へ引っ込んでいった。
絡まれることを望んでいたわけではないが、正直身構えてしまった。
何事もなく安堵して歩き出そうとしたが、さきほどの輩風が路地の途中で足を止めるのが見えてつい目を留めてしまう。
その瞬間、やめてくださいと女性の訴える声が輩風の男の向こうから聞こえてきた。
訴える声が何故か聞いたことある気がして、急に心臓が鷲掴みにされた感覚になる。
輩風への恐怖を忘れて、声の正体を知ろうと首を伸ばして輩風の向こうを覗き見た。
髪の長い女性が茶髪の輩風の男に口を塞がれていた。
女性の顔には明らかな恐怖が宿っており、女性が誰なのか分かると知らずのうちに狭い路地に足を踏み出していた。
さっきの金髪が俺の方を振り向いてから、俺はようやく反射的に近づいている自分に気付いた。
「ああっ、なんだぁ?」
金髪が睨みつけてきても、すでに覚悟は決めていて見知っている女性を助けるために声を振り絞る。
「そこの女性を放してくれませんか?」
その後には殴られ、少し殴り返して、蹴られた記憶ともう一つ。
美奈子さん。
逃がすためにその名前を叫んだ感覚が、血の混じった口の中に残っているだけだった。
目が覚めると、額の左にじくじくとした痛みを感じた。
壁から突き出た室外機が視界の正面にあるのを見て、自分が路地に横たわっているのがわかる。
そうだ、美奈子さん。
痛みに耐えながら起き上がり、美奈子さんが倒れてはいないかと路地を見透かすように探す。
逃げられたのかな。
無事を確認したわけではないが、美奈子さんの姿がない事にひとまず安堵した。
さすがに輩たちも公然の場で人を襲うとは思えないし、正確な時間はわからないけれど美奈子さんが逃げるぐらい間は輩たちを手こずらせたはずだ。
「……ふぅ」
最近は感じていなかった疲労に太い息を吐く。
惰性のような日常を送っていた俺には、輩たちとの戦いは少々堪えたようだ。
帰って横になるか。
蹴られたせいか腹部の痛みも併発してきた身体で立ち上がり、斜め前に落ちている贖罪の入った買い物を袋に手を伸ばす。
だが取っ手を掴んだところで買い物袋が粘液のようなもので濡れていることに気付き、慌てて中身を覗いた。
「はぁぁ」
買い物袋の惨状に疲労とは違うため息が出る。
タイムセールで並んで買った卵が見るも無残に潰れ全滅していた。
これで一週間は卵が食べられないな。
卵の一週間お預けが確定して落ち込むと、額の痛みが際立ち始める。
痛む部分に手を当ててみると、濡れた感覚がありすぐさま手を離した。
手には粘ついた赤い液体が付いていて、出血しているのは一目でわかった。
帰ったら手当だな。その後に買い物袋を洗濯して、買った中で使えそうな食材を確かめて、なんか急にやる事が増えた気がする。
痛みと面倒を感じながら道に戻るために歩き始めると、この結果に行き着いた理由の美奈子さんが脳裏に浮かんできた。
美奈子さんを助けられたなら、いいか。
少しでも前向きに考えていつもの家路に就いた。
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