第6話 謎
僕は私物の封筒を職場に持ち込んで、昼休みの間に手早く申請書を作り、自分の戸籍、名古屋の実家の父に頼んで送ってもらった祖父の死亡時の戸籍、そして父の現在の戸籍と併せて、切手を貼った自分宛の返信用封筒と身分証のコピーを同封して、その日の帰り道、ポストから普通郵便で投函した。
そして月日が流れ、康太は塾の課題をこなすのに忙しくなり、僕も日々の仕事に忙殺され、いつの間にか祖父の軍歴を請求したこと自体、忘れかけていた。
そんなある日、愛知県庁から1通の手紙が届いた。
見慣れた自分の手による筆跡を見たとき、3週間ほど前に祖父の軍歴を申請していたことを思い出した僕は、その封筒を自宅のダイニングテーブルで開封した。
中には兵籍簿と兵籍簿附属書類の写しと共に、「履歴原票は見当たらず」と記載された通知書が1通入っていた。
事前にインターネットや書籍で調べたところによると、兵籍簿は旧陸軍や旧海軍の各地方の徴兵区で作られたもので、徴兵検査から除隊まで、兵隊としての一生を表した記録で、「徴兵台帳」に近い性格を有している。
一方で、履歴原票は各部隊が作成した、いわば部隊側の人事記録で、転属・作戦地・負傷・階級などがより細かく書かれている。
ただし、部隊ごとに保存状況がバラバラで、残っていないケースがとても多く、防衛省・防衛研究所が所蔵しているとのことだった。
祖父の場合、やはり兵籍簿は残っていたが、履歴原票はないということだろう。
履歴原票はもともと作成していない可能性もあるし、終戦時までに戦災で焼けたのかもしれない。連合軍の上陸前に、部隊で意図的に焼き捨てた可能性もある。
いずれにせよ、履歴原票がないことで、所属部隊の変遷や戦地への移動記録、どの作戦に参加したか等の作戦・戦域の記録などは分からなくなった。
一部については、兵籍簿に記載されている情報もあるが、徴兵台帳の性格を有する兵籍簿よりも、部隊側で作成されている履歴原票の方が正確で、情報量が多い。
僕は少し情報が浅くなるかもしれないなと思いながら、祖父の兵籍簿を開くと、そこには当時の祖父に関する情報が箇条書きで記されていた。
氏名・生年月日・出身地・本籍、徴兵前の職業、徴兵検査の結果、徴兵区・入営日・配属された部隊名、部隊異動・配置、入隊時の階級・昇格の日付、戦地での移動・作戦参加記録、負傷・疾病の記録、賞罰・叙勲、復員日・除隊の区分などなどだ。
「じいさんは、上等兵止まりか。」
入隊時の階級や昇格の日付を見て、僕は苦笑した。
入隊したほとんどの召集兵が1年半ほどで上等兵まで上がり、そのまま終戦を迎えるのが一般的と書籍に書かれていたので、まぁまぁ普通なんだろう。
と、ここで僕の目が留まった。
負傷・疾病の記録欄だった。
そこには端的に1行で
「昭和20年8月17日 愛知県豊橋市で戦死」
と記載されていた。
どういうことだろう。
兵籍簿によると、じいさんは終戦の翌々日に死んでいることになっている。
まず最初に頭に浮かぶのは誤記だ。
昭和20年8月17日は、一応ポツダム宣言を受諾し終戦はしているが、当然、すべての戦線で戦闘が終了したわけではない。
日本が敗戦し、まだ事態収拾の目処どころか、ただ単に混乱し、現地部隊ごとに右往左往している時期だろう。それどころか、敗戦したこと自体、知らない部隊も数多くあったはずだ。
その中で誤記されたり、後に書類を整理する段階で誤って転記されるようなことは多々あり得る。
しかし、僕の推測は兵籍簿の最後に添付されていた戦死通知書と陸軍死亡証明書によって、激しく揺さぶられた。
特に陸軍死亡証明書には、祖父の名前と戦死日がはっきりと記載されていた。
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