第5話 世代間ギャップ

昼休みになると、僕は携帯と手帳を持ってそそくさと執務室を離れた。

使われていない比較的小さな会議室に入り込むと、僕は早速、愛知県庁の救援課に電話をかけた。

電話に出た担当者に、祖父の軍歴を取り寄せたいので、正式な申請をする前に、そもそも祖父の軍歴が存在しているかどうかを確認したいと伝えた。

というのも、ネットで調べたところによると、旧陸軍の軍歴は原則、防衛省防衛研究所で管理されているが、実際には戦争末期の混乱で紛失したり、空襲による戦災で焼失していることも少なくないからだ。

そのような場合に、正式な申請から入ると、県庁に無用な手間をかけるし、こちらも申請の手間がかかったのに、「存在しない」という回答だけをもらう羽目になる。

だから、正式な申請の前に県庁を通じて、防衛省防衛研究所に軍歴の有無を確認するのが一般的らしい。

僕が祖父の氏名、出身地、生年月日を伝えると、県庁の担当者は手作業で古いファイルを探すので、近日中に回答するとのことだった。

僕は自分の携帯電話番号を伝え、仕事中で出られない時は、留守電に軍歴の有無だけでもメッセージを残してほしいとお願いした。

夕方、仕事終わりに僕が家に戻ると、まだ誰も帰宅していなかった。

康太は塾に行っていて、今日は夜9時過ぎにならないと戻らない。

妻も、もう少ししないと帰らないだろう。

僕が家を片付け、お米を研ぎ始めたところで、携帯電話に着信があった。

タオルで手を拭き、電話を取ると、県庁の担当者からだった。

「夜分に申し訳ありません。愛知県庁の救援課の者です。急いでおられる様子だったので失礼かと思いましたが、電話を差し上げました。今、少しだけお時間いただいてよろしいですか?」

若い女性の職員で、かなり丁寧な物腰だった。

「はい、大丈夫です。祖父の軍歴は、いかがでしたか?」

「はい、調査したところ、保管されていることが確認できました。申請をしていただいたら送付することもできます。申請に必要なものを、今、申しあげてもよろしいですか?」

「ちょっと待ってください。今メモを取りますから。」

僕は急いでテーブルの上に置いてあったチラシを裏返し、康太のペン立てからボールペンを取り出し、インクが出るか、ペン先を何度か動かした。

「お願いします。」

「必要なものを申し上げます。まず申請書です。書式はホームページにアップロードされていますので、そちらをご利用ください。添付書類は、あなたの身分証のコピー、それから直系血族であることがわかる戸籍謄本類、あとは返信用封筒と郵便切手です。申請自体に費用はかかりません。」

かなり手慣れた案内の仕方に、意外と軍歴を取り寄せる人が多いのかもしれないと思いながら、僕はボールペンを走らせた。

「ありがとうございます。早速、郵送で申請させてもらいます。」

「最後に、申請を受け付けてから発行まで、混み具合にもよりますが、大体3週間から1ヵ月になりますので、ご了承ください。それでは失礼します。」

そう言って、電話は切れた。

今から申請すれば、遅くとも8月初旬には届くだろうから、自由研究にも間に合いそうだ。

「兵籍簿」や「履歴原票」を基に、祖父が入隊した時期の戦局や所属していた部隊について調べて、発表用の原稿を取りまとめる感じだろうか。

やがて、妻が帰り、次いで康太が帰宅すると、僕は康太に、じいさんの軍歴が残っていることが確認できたと伝えた。

「やっぱり存在するもんなんやね。」

そう言って感心した康太の気持ちが、僕にもよくわかった。

僕にとっても、じいさんが戦争に行っていた話は、僕が生まれるずっと昔の話で、そういった意味合いでは、かつて地球に恐竜が存在したという話と、さして変わりはなかった。

まして、康太にとってみれば、自分が生まれる約70年前に終わった戦争の話をされても、全く実感はないだろう。

だから、康太の言葉には、恐竜の化石を見つけた考古学者のような感慨がある。

「それまでは、太平洋戦争前後の日本の状況を調べておく感じやろか?」

康太は夕飯のハンバーグを頬張りながら、自由研究の構想を練っている。

「自由研究もいいけど、今年は受験に集中してよ。」

妻の心配も、康太の耳には入らないようだ。

「そやな。太平洋戦争関連の資料は、書籍も動画も大量にあるから、一般的な情報はいくらでも手に入ると思うわ。でも、できれば、その時代を生きた人たちの空気感みたいなものに踏み込んだ情報が手に入ると、いいんやけどな。」

僕がそう言うと、康太はケチャップを口の端につけたまま、きょとんとしていた。

「空気感?」

「せや。死んだじいさんは、直接の戦争の話は一切してくれへんかったけど、一回だけ、自分らと自分らの下の世代とは結構ちゃうとか、言うとった。」

「どういうこと?」

康太は僕の話を聞きながら、器用に箸を使って、ハンバーグに添えられていたグリーンピースを横にのけ始めた。

「大正8年生まれのじいさんは、尋常小学校に1925年に入学して、1931年に卒業してんねん。」

「うん。」

「日本で軍国主義教育が本格化するのは、満州事変が起こった1937年からやねん。だから、1937年以降に初等教育を受けた世代、つまりじいさんの一回り下の世代やな。それと、じいさん達の世代は軍国主義に対する親和性が大きく違ったらしいわ。」

「親和性って何なん?」

「馴染むとか、受け入れる、ってことや。」

「ああ、なるほど。」

「軍国主義がいつから本格化したかは資料でわかるけど、当時の人が感じていた世代間ギャップなんかは、その時代を生きた人に聞いて初めてわかることもあるんや。」

「今で言うと、昭和・平成・令和の違いみたいなもんやな。」

感心する康太の横で、隣に座った妻が、康太がのけたグリーンピースを、またハンバーグのそばに丁寧に寄せていた。

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