僕に繋がる物語
イロイロアッテナ
第1話 違う、そうじゃない
一体どないなってんねん。
7月初旬だというのに、うだるような暑さの中、僕は汗を拭いながら玄関のドアを開けた。
家では、息子の康太が冷房の効いた部屋で鼻歌まじりに塾のテキストを解いていた。
両親に似ず頭が良い息子は、妻にとって希望の星だった。
3年生の春から中学受験の塾に入れると言った妻に、僕が
「4年生からじゃないの?」
と聞くと、妻は全然わかってないというふうに頭を左右に振り、肩をすくめて、
「戦いは既に始まっているのよ。」
と鼻息荒く、僕を指差して言った。
「嫌だったらやめてもええからな。」
妻にこっそりとそう言った僕に、康太は、
「全然大丈夫やけど、心配してくれてありがとうやで。」
そう言って、僕が思うよりもずっと楽しそうに塾に通っていた。
康太が通う塾はスパルタで有名な塾だったが、僕の心配は杞憂に終わり、康太は比較的早い段階で、その塾の一番上のクラスまで駆け上がった。
中学受験に乗り気ではなかった僕も、康太が結果を出すにつれ、現金なもので妻が選んだ中学受験というルートは康太には合っていたのかもしれないと考え始めていた。
「今年の夏はどうする?」
小学6年生になり、順調に成績を伸ばす康太がそう聞いてきたのは、僕が部屋着に着替えている時だった。
僕はスーツをハンガーに掛けながら、
「今年は入試の年だし、夏の旅行は試験が終了するまで延期やろなぁ?」
とのんびり答えると、康太は首を振って、
「違う違う、そうじゃ、そうじゃない。」
と鈴木雅之の真似をした。
康太がまだ塾に入りたての頃、問題を間違える度に妻が康太に誤りを指摘して、やり直しを見てあげていたのだが、康太には、それがかなりストレスだった。
間違っているから誤りを指摘しないといけない。
でも、親から頭ごなしに違うと言われるとしんどい。そこで、康太のためにいろいろ思案した結果、康太が問題を間違える度に、YouTubeで鈴木雅之の「違う、そうじゃない」をかけることになった。
その結果、康太はむしろ「違う、そうじゃない」をYouTubeで流したいがために次々と問題を解き、のびのびと間違いを積み上げていった。
それで今でも、「ちゃうがな!」と言う時、康太は鈴木雅之になりきって歌い出す。
「違う違う、そうじゃ、そうじゃない。」のフレーズしか知らないけれど。
「何がちゃうねん?」
「あんな、僕が言ってるのは、夏の自由研究の話やねん。」
「自由研究?したらええがな。」
「ちゃうがな。夏は、夏期講習やら何やらかんやら、忙しいねん。」
「ほな、せんかったらええやん。」
「いや、学校の宿題やから、やらなアカンねん。やる、やらんのところは自由じゃないねん。」
「そりゃ難儀なこっちゃ。がんばってや。」
僕は大きく背伸びをして、あくびをしながら言った。
「いや、マジで時間がないから無理やねんて。通常の授業に、夏期講習に、それから志望校別特訓のスーパー・アドバンス・エクセレント・ボンバー・コースがあるねんて。」
「いや、そないな、おもろそうな名前のコースはないやろ。」
「コースの名前はちゃうかも。けど、忙しいのはマジやねん。」
「ほな、自由研究どうすんねん?」
「せやから、今年の自由研究は僕がプロデュースするから、実働はお父さんに頼みたいねん。」
康太の前に置かれたジュースのグラスの中で、氷が「カラン」と小気味良い音を立てて崩れるのに合わせて、康太は僕を指差して、にやりと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます