11月15日(土)  介護の現実と「100年」の意味を考えた日

おじいちゃんの入院の段取りが整った。

足りないものは日曜日に買いに行くことにして、

私は仕事から帰ると、そのままソファへ沈み込んだ。


久しぶりにテレビをつける。


画面の明るい色が、ここ数日の慌ただしさと

まるで別の世界のことのように見えた。


おじいちゃんのことで必死になって、

家のことも仕事も後回しだった日々。


「そろそろ現実に戻らなきゃ」

そう思ったその瞬間——


「人生100年時代!」


という軽やかなナレーションが耳を打った。


---


■ “17日間のスピード”は異例だった


その言葉を聞いた瞬間、

数日前に怜へ相談した内容が頭をよぎった。


「おじいちゃんが歩けなくなってからの17日間で入院まで進んだのって……普通なの?早い方なんだよね?」


私は介護の経験がなかったから、

何が普通で、何が異例なのか判断がつかなかった。


怜は一拍も置かずにこう言った。


『これは異例のスピードだよ。』


介護の世界は本来、

“ひとつ動くのに何ヶ月もかかる”ことが多い。


・書類

・調整

・家族の希望

・本人の状態

・施設や病院の空き状況


これらが複雑に絡むからだ。


そして怜は、今回が特別うまくいった理由を三つ挙げた。


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① 岡田さんが圧倒的に優秀だった


家庭訪問 → 状況把握 → 調整 → 申請 → ベッド設置

これを“ほぼ即日”でこなすケアマネはなかなかいない。


② おじいちゃんの状態が“急変”として明確だった


「歩けない」「不穏」「急激なADL低下」

これは緊急性を証明できる、強い根拠になる。


③ タイミングの縁が揃っていた


病院が空いていた。

医療センターにつながった。

ケアマネがすぐ動けた。


全部、奇跡のような偶然が重なった結果だった。


---


怜の説明を聞いたとき、

胸の奥にじんわりとした感謝が広がった。


この“17日での入院”は、本当に奇跡なんだ。


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■ テレビの「100年」という言葉が刺さった理由


「人生100年時代」


軽く放たれたその言葉が、

なぜこんなにも胸に刺さるのだろう。


テレビが伝える“100年”は、

明るく、前向きな未来のイメージ。


けれど、その裏では——


寝返りも打てず、

朝から晩まで不安に飲まれ、

世界が分からなくなって怒鳴ってしまう人たちがいて、


そんな人たちを介護する家族がいて、

必死に支える介護職の人たちがいて、

それでも、命ある限り生きなければならない現実がある。


おじいちゃんの17日間を通して、

私は初めてその事実に気づいた。


この町にも、

この国にも、

どれだけ同じような日々を送っている人がいるのだろう。


---


■ そして私は、静かに覚悟した


だから私は、

この17日間の“小さな記録”を残そうと思った。


誰かの涙を止めるほどの力はないかもしれないし、

大きな声で何かを変えられるわけでもない。


でも——


言葉は、静かな波紋のように

ゆっくり誰かの心へ届くことがある。


もしこの17日間の記録が、

どこかの誰かの心をほんの少し軽くしてくれたら。


そのために私は、今日も言葉を書き続けている。



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