祖母が亡くなった日

ぴよぴよ

第1話 祖母が亡くなった日

祖母が亡くなった。まだ夏の暑さが残る季節のことだ。

病院で死亡の知らせを聞いて、病室からでた。祖父が遠くの景色を見ている。

腹正しいほどに天気の良い日だった。

悲しいよりも、喪失感でぼんやりしていた。覚悟はしていたが、本当に亡くなってしまうとは。


祖母は厳しい人だった。毎日口癖のように、私に「勉強しろ」と言っていた。

そこら辺を走り回り、怪我ばかりする私をいつも心配していた。

呑気で食い意地が張っていて、おまけに頭の悪い私のツッコミ役でもあった。

彼女はいつも「馬鹿だねぇ」と私を見て呆れていた。

しかし厳しいばかりでもなかった。

私が大好きな芋料理を出してくれた。いつもアイスやお菓子を買ってきてくれた。

悲しい時はそばにいてくれた。とても心の温かい人だった。

私が泳げないと言うと、体を張って泳ぎ方を教えてくれた。

私にとって祖母は絶対的な存在になっていた。


祖母が倒れたのは中学生の時。脳梗塞だと診断された。

寮から帰ってきて、すぐに病院に向かった。祖母は管を繋がられており、意識がない。

マネキンのようなその姿に恐怖を覚えた。いつもの祖母じゃないみたいだ。

ICUの中で医療機器のアラームが響いている。あまりに無機質な音に、不気味さを感じてしまう。

白すぎる部屋の中で、私たち家族だけが悲しんでいた。

私が狼狽えて泣いていると、「声をかけてあげなさい」と母が言った。

「おばあちゃん」と言って手を取った。骨ばって熱い手だった。まだこの体は生きている。泣き崩れたいのをグッと堪えて、強く手を握った。

もう一度声をかけると、手を握り返してくれた。


それはとんでもない奇跡だった。祖母は右側の脳を切るほどに重症だったのだ。

もう起きないだろうと誰もが思っていた。

でも祖母は私の手を握ってくれた。息を吹き返したのだ。

「あなたの手に助けられたよ」

ガラガラの声で祖母に言われた。


祖母が助かったと言うのに、私はなんとも言えぬ恐怖に胸を支配されていた。

脳を切られた祖母の頭がへこんでいる。とんでもなく怖いことだった。


ある時病室に行くと、祖母が祖父にアイスクリームを強請っていた。

まだ病人食以外を口にしてはいけない段階なのだが、それでもわがままを言っていた。

「アイスクリーム食べたい!アイスクリーム!」

その姿に私は大きくショックを受けた。あんなにしっかり者の祖母が、子供みたいになっている。

私を導き、いつもそばにいてくれた祖母じゃないみたいだ。

こんなの私のおばあちゃんじゃない。

祖父が「我慢強い人だったのに、どうしてこんなことに」と嘆いていた。

そんな家族の姿は見たくなかった。祖母は私にとって絶対の存在だったのに。

心のどこかで、いつも元気で死なないと思っていた。そんなことはなかったのだ。

病気の前では人は無力だ。


人間は肉でできている。その肉が少しでも削れば死に近づく。

当時中学生だった私にとって、それは信じたくない事実だった。

心のどこかで魂とか霊とか、肉体が滅んでも残る存在を信じていた。そんな私に突きつけられた現実は、非情なものだった。

人間は所詮肉の塊だ。なんて脆い存在なのだろう。人間も他の動物と同様に、死ねばそこで終わるのだ。

祖母は死んでしまった、と私は思った。右側の脳と一緒にどこかへ行ってしまったのだ。でも諦めたくない気持ちだってまだある。気持ちが拮抗しては、いつもどちらかが勝ったり負けたりしていた。


絶対的だった祖母が、小さく弱々しくなっていく。

それでも元の祖母が忘れられなくて、私は何度も話しかけた。手を握って学校の話をした。左半身に麻痺が残った祖母の体をさすった。

いつか元の祖母に戻ってくれるに違いない。

祖母はもう勉強しろとは言わなかった。ただぼんやり私を見ていた。

いくら私が馬鹿な話をしても「馬鹿だねぇ」と言わなかった。

表情が虚でいつもどこか遠くを見ている。私を見てくれることはほとんどなかった。


元に戻ってくれるかもしれない。そんな幻想を捨てることにした。この人はもはや祖母ではない。

祖母はもう連れて行かれたんだ。手の届かない遠くへ行ってしまった。

祖母だったものがそこにいる。

なんで私の祖母と同じ形をしているのだろう。早く祖母を返してほしい。

一度「ちゃんと話聞いてる?」と祖母に怒ったことがあった。

祖母は虚ろな目をやめて、一瞬ビクッと固まった。かと思えば、さめざめと泣き出した。

前の祖母だったらこんなことで泣かなかったのに。


私は祖母にあまり話しかけなくなった。祖母に何か言われても、適当な返事をした。

話しかけられると事態怖かった。

祖母の言うことは支離滅裂で、意味をなさないものが増えていった。

会話していると苦しくなっていく。変わり果てた祖母を前に、私は泣く事しかできなかった。

「どうしておばあちゃんにそんなに冷たいの」と母に言われたことがある。

冷たくしているつもりはなかった。ただ怖いから話しかけないだけだ。

だが母に祖母が怖いとは言えなかった。

私の気持ちなどわかってもらえるはずもない。

自分が醜い人間であることもわかっていた。怖いという感情を持ってしまったのも、私の心が弱いからだ。


祖母を恐れているうちに、数年の月日が流れた。

大人になっていくごとに祖母を避けなくなったが、それでもどこかに「怖い」と言う感情が常にあった。話していると強烈に死を感じる。


私の幼い頃のアルバムには、祖母の字がびっしり書かれていた。「生まれてきてくれてありがとう」とか「この時は楽しかったね」とか。そんな言葉の贈り物があった。

ああもうこの時には戻れないんだなと悟った。

アルバムを見て一人で泣いた。


あっという間に十年の年月が流れた。私はすっかり大人になり、仕事をしていた。

教師として仕事を始めて一年目だった。


祖母が再び倒れた。今度は心不全らしい。

正直驚かなかった。彼女はずっと死に近いところにいたのだ。全て連れて行かれる時が来た。そうとしか思わなかった。

当時はコロナウイルスが流行っており、感染拡大防止のため、病院に泊まれるのは一人だけだった。

「十年前、お前の手がおばあちゃんをこの世に戻したんだ。だからまた奇跡が起こるかもしれない。お前が泊まりなさい」

祖父にこう言われた。母も賛成している。

「おばあちゃんはあなたを一番可愛がっていたんだよ。あなたがいてくれたら、喜ぶよ」

こうして私が泊まることになった。


祖母の枕元に立った。十年前のあの時と同じように管が繋がれている。

でもあの時と違うのは、もう別れが近いと言うことだった。

これはもうダメだとわかった。何でわかったかと訊かれると難しい。でももう祖母は起きないとわかった。

十年前に別れを済ませていたはずなのに、急に悲しくなった。

どうして私は祖母を避けていたのだろう。元に戻らないとわかっていても、あれは祖母だった。間違いなく祖母だったはずなのに。


「今度学校の遠足に行くよ」

手を握りながら話しかけた。返事は当然ない。構わず私は話しかけた。

今勤めている学校の話。友達の話。昔祖母に怒られた話。

あまりにも虚しかった。祖母には何も届いていないと言うのに。

私の涙声ばかりが病室に響いた。

「元気になってね。また話そうね」

ずっと祖母を避け続けていたくせに、何を言っているのだ。なんて自分は愚かだったのだろう。後悔してももう遅い。


話しかけていると、すっかり夜になった。こんな緊急時だと言うのにとても眠い。

祖母の寝ているベッドの隣で、私は眠ってしまった。ここで私は不思議な体験をした。


眠ると夢の中に祖母が出てきた。

病院のベッドで横になっている祖母だ。昔みたいに元気な姿だった。血色が良く、私によく「馬鹿だねぇ」と言っていた祖母だった。

私が何か言おうとすると、「もうダメだよ」と言われた。

そんなこと言うなとは言えなかった。祖母がそう言うならもうダメなのだろう。

「そうなんだ」と言うと、祖母は寂しそうに笑った。

「悲しまないでね。これは順番」とも言われた。

悲しむな、か。今の私たちには難しいことだ。家族は奇跡を信じていると言うのに。

ここで終わってしまうのか。

避けたことを謝ればいいのに、私は「何か食べたいものはある?」と訊いた。

すると「スイカが食べたかったな」と言われた。

スイカは祖母の好物だった。ずっと病人食だったので、スイカを求めているのだろう。


しばらく夢の中で祖母と話していた気がするが、内容はほとんど忘れた。

目が覚めると、祖母は亡くなっていた。


私が連絡する前に、病院から家族に連絡が行った。

私と祖父は患者のための休憩スペースに来ていた。遠くに海が見える。

祖父は何も言わないで遠くを見ていたが。

ふと「おばあちゃんは何か言っていたか?」と訊かれたので、「スイカが食べたかったって言っていたよ」と答えた。


夢は所詮夢だ。祖母の最期が受け入れられない私が見た、都合のいい夢。

ちゃんと別れを告げられず、最後まで逃げ回った。話せなかったことを後悔して、自分の中で最期の会話をした気になって。どうしようもなく逃げた私が見た、祖母の幻覚だ。

夢の話は私の中だけに留めておこう。


祖母の遺体は黒い袋に入れられた。もう人間ではないのだろう。生きているものとして扱ってもらえなくなった。

このまま葬儀場まで運ばれる。

「一度家に帰りなさい」家族は私を家に返した。どうやって帰ったのか覚えていない。

悲しいと言うより、喪失感がすごかった。

私は祖母を看取れなかった。馬鹿だ。寝るんじゃなかった。


ふらふらと台所に立って、飲み物を飲んだ。

こんな時だと言うのに、喉は乾くし腹も減っている。

冷蔵庫を見ると、ジャガイモが入っていた。

祖母に芋料理を作ってもらったことを思い出した。


昔、水泳教室から帰ってきた時。その日は昇級テストがあったのだが、私は友達と同じ級になるためにわざと手を抜いた。本気を出さなかったのだ。

それでよかったのかと悩んでいた。

祖母に話すと「馬鹿だねぇ」と言った。

「そんなことしたら、友達に失礼だよ。何事にも本気でぶつからないと。今度の昇級テストには全力を出しなさい」

そしてがっかりしている私の肩に手を置いた。

「今日はあんたの大好きなフライドポテトを作ったよ。たくさん食べて、次も頑張ってね」

祖母の特性フライドポテトは絶品だった。ジャガイモがホクホクしていて、程よい塩味が効いていて、本当に美味しい。

悲しい時や頑張った時には、フライドポテトを出された。これを母と奪い合いながら食べるのが幸せだった。


そんなことを思い出すと、無性にフライドポテトが食べたくなった。

冷蔵庫からジャガイモを取り出して、皮を剥く。細長く切って、片栗粉を塗した。

油を温めて、ジャガイモを投下していく。

祖母と一緒にフライドポテトを作ったこともあった。懐かしい気持ちになっていく。


出来上がったフライドポテトはとてもおいしかった。祖母が作ったものには負けるが、それでもホクホクで美味しい。

人が亡くなっているのに、芋なんか揚げているんじゃないよと思われるかもしれないが、人が亡くなったからこそ思い出に浸りたいのだ。


半分くらい食べて冷蔵庫にしまった。祖母のフライドポテトは冷えても美味しかったっけ。

芋を揚げたくらいで悲しみは消えないが、元気だった祖母を思い出して、少し気持ちが明るくなった。

もっと早く気づけばよかった。本人が亡くなっても、元に戻らなくても。

私にくれた思い出はずっとある。その思いを抱き締めていれば、どんな変化だって受け入れられるのに。家族が当たり前にしていたことを私はできていなかった。


祖母をちゃんと見送ろう。

祖母のために何もできなかった私だが、せめてきちんと見送りたい。


そう思っていたのに。

私は葬儀場で、座布団を敷いて横になっていた。

原因は耐え難いほどの腹痛。私は葬儀の日、あまりの腹の痛さに会場で悶絶していた。

「おばあちゃんが亡くなってよほど悲しいのね」

親戚にそう言われたが、そうではない。

原因は芋だ。おそらく芽が出ており、そいつを摂取したせいだろう。悲しみのあまり気付かなかった。芽の出たジャガイモを、うまいうまいと言って食べた私って一体。


読経が行われる中、腹が鳴き声を上げている。もはや悲鳴だった。

うっかり立ち上がったり、くしゃみでもしようものなら、便が出そうだ。

尻の穴に力を入れ、親戚に挨拶をしまくった。


悲しい気持ちと、トイレの気持ちが入り混じる。こんな馬鹿なことになるなんて。

私がしゃがんだり回ったりしているので、母が異変に気づいた。

「おばあちゃんが亡くなって悲しいのね」と親戚的な発言をされたので、

「フライドポテトを食べて腹が痛い」と正直に告げた。

母はそれを聞いて崩れ落ちた。こんな時に芋なんか揚げたのかと怒鳴られた。

怒鳴る気持ちはわかる。でも私の気持ちなんてわからないだろう。

私は祖母との思い出に浸るために芋を揚げたのだ。単にトチ狂って芋を揚げたのではない。


「芋を揚げたのはお前だったのか」

見れば、父が立っていた。父は青い顔をしており、今にも吐きそうだった。

父もフライドポテトを食べていたことが判明した。

私が葬儀場に着いた時、家に戻って何か食べようと思ったらしい。それで冷蔵庫にあるフライドポテトに手を出した、と言うことだった。

「二人とも嫌いだ」

母は怒ってしばらく口をきいてくれなくなった。


幸い葬儀中だったので、顔色が悪くても誰も気にしなかった。

父と二人で便意に耐え、脂汗をうかばせながら太ももをつねっていた。


便意のせいで、悲しさは半減した。

母が泣いていても「ああ、泣いてるな」と思うばかりであった。

何度もトイレに駆け込み、トイレとは熱い友情で結ばれることになった。

早く葬儀が終わりますようにと祈ってしまった。おばあちゃんとの最期のお別れだと言うのに、なんて罰当たりなのだろう。


棺桶には花が詰められ、祖母が食べたいと言っていたスイカが入れられた。

泣きそうになったが、上から水を出せば反動で下からも漏れそうだったので、泣くに泣けない。

棺桶を運ぶ役は断念した。棺桶を担ぎながら漏らしたら、笑い話じゃ済まない。


「あんたたち、最低だよ」と母に言われたが、この際最低でもなんでもいい。

なんでもいいから、早くトイレに行かせてくれ。


葬儀場から火葬場へ着いた。

その頃には、腹の痛みは最高潮に達していた。便意を我慢しすぎて尻が筋肉痛を起こすほどである。

焼かれる前、最期のお別れがやってきた。

(おばあちゃん、お腹が痛いよ。今までありがとう。こんなことになってごめん)

私は心の中でそう呟いた。

(でもおばあちゃんに作ってもらったフライドポテト。あれを思い出したら作りたくなったんだ。これからも悲しいことがあったら、フライドポテトを作るね)

こう思いながら、棺桶から離れた。


どうか安らかに眠ってほしい。

祖母ともっと話せばよかったと後悔したこともあった。

でも。祖母とはたくさんの思い出がある。それがある限り、彼女は私の中で生きていてくれる。これからも悲しくなったらアルバムを見よう。

生活の中で、祖母が教えてくれたことを胸に生きよう。


ここまで思ってトイレに駆け込んだ。火葬場のトイレはたいへん綺麗で空いていた。

素晴らしいトイレを設置してくれて感謝だ。

トイレから出ると、外で父が青ざめた顔で立っている。彼はまだ苦境の中にいるのだろう。

私はというと、すっきりと腹の痛みが治っていた。

祖母を焼く前に治っていてくれよとも思ったが、痛みが取れてよかった。

痛みが取れると、腹が減ってきた。



火葬場で弁当をもしゃもしゃ食べた。

ここで夢で見た祖母の「悲しまないでね」という言葉を思い出した。

まさか腹痛が起きたのも、悲しんで欲しくないと言う祖母の意思だろうか。

「私が悲しまないためだったのか・・」と母に言うと

「馬鹿だねぇ」と祖母的な発言をされた。

「あんたが勝手に芋を揚げて、勝手に腹を壊しただけだよ」

そうか・・と思いながら、私は母と父の分の弁当を食べた。


親戚が祖母の思い出話で盛り上がっている。私は無茶苦茶食べている。

父は青い顔をしており、食欲がない。母はもう涙が出ないらしく、引きつった顔で弁当を食べる私を見ている。

もし祖母がこの光景を見たら、また「馬鹿だねぇ」と言うのだろうか。


骨壷が少し傾いた気がした。

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