優しいフリをしているだけだ。俺は帝国最悪のダンジョンマスター

蛇足

第1話 処刑台

 縄が首にかかった瞬間でさえ、俺は何も感じなかった。


 恐怖も後悔も祈りもない。

 ただ――つまらない、と思っただけだ。


 もっと壊したかった。

 もっと殺したかった。


 処刑人が合図をし、足元の床が落ちる。

 最後に見えたのは、憎悪と恐怖に満ちた群衆の顔だった。


(……次は、もっと自由に殺せる世界だといいな)


 そう願った瞬間、意識は闇に沈んだ。


——そして、目を覚ます。



「……ここ、どこだ?」


 天井が低い。

 木で組まれた小部屋。知らない匂い。

 視界に映った自分の手は、小さく、幼かった。


 転生。なるほど。世界は、どうやら俺に“続きを見ろ”と言っているらしい。


 窓の外には行商人の馬車が走り、小型の狼が警戒を解かずに辺りを睨んでいる。

 背後には、宝石のように青い光を宿した街灯――。


 魔法と魔物。そしてダンジョン。

 それを聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。


(……いい世界じゃないか)


 ただし今の体では、何もできない。


 だから――演技だ。

 本性を出せば終わり。

 この世界で“殺し”を再開するためには、まず社会に溶け込む必要がある。


 俺は鏡の前に立ち、表情を作る。


「……よろしく……おねがい……します……」


 震える声。怯えた目。

 ぎこちない笑み。


(こんなもんで十分だろ)


 かつて大量殺人鬼と呼ばれた俺が、

 今では“気弱で優しい子供”として育てられていく。



 年月が流れ、俺は帝国の最高学府――ヴァルゼルン帝国学園に入学した。


 一年D組。

 天才ばかりでもなく、かといって完全な落ちこぼれでもない。

 ただ、使い勝手が良さそうな、平均的な連中の集まりだ。


「クロガネ、またノート貸してくれよ〜。昨日さ、実技の自主練で寝落ちしてさ」


 隣の席から、茶色の頭がヌッと出てくる。

 リオ・アルバン。

 クラスのムードメーカーで、誰とでも距離が近い男だ。


「……うん。ここから、この辺まで……」


 俺はゆっくりページをめくって見せる。

 リオは「助かる!」と笑い、遠慮なくノートを写し始めた。


(体力はある、そこそこ動ける、バカではない。

 でも詰めが甘いタイプ……)


 俺は視線を黒板に戻しながら、リオの癖や口調、交友関係を記憶していく。


(こいつは、情報源としてしばらく泳がせておく価値はあるな)


 前の席では、金髪の少女が静かに教科書を閉じた。

 エリナ・フォルテ。

 学年でも指折りの優等生で、この一年B組にいるのは「実戦科と支援科、両方を受けたいから」という本人の希望によるものらしい。


 彼女の視線が、一瞬だけこちらを掠める。


「またリオくんにノートを貸してるのね、クロガネくん。優しいわ」


「……いえ……たいしたことは……」


 エリナはそれ以上は踏み込まず、すっと前を向いた。

 興味がないのか、それとも――俺の仮面が優秀だからか。


 どちらでもいい。

 今はまだ、誰にもしっぽを見せるつもりはない。



「では今日は、ダンジョンの基礎について復習だ」


 教壇に立つのは、担任のダモン・ヴェルト。

 片腕には古い傷痕。元冒険者で、今は一年B組の担任兼、実習担当だ。


「いいか、お前ら。ダンジョンは“資源”であると同時に“墓場”だ。

 特に──未登録ダンジョンには絶対に近づくな。これは何度でも言う」


 ダモンは黒板に、大きく「未登録ダンジョン=危険」と書きなぐった。


「登録済みのダンジョンは、帝国が階層、構造、魔物の分布をある程度把握している。

 だが未登録のものは違う。深層どころか、入口から何が出てくるか分からん」


(未知、ね……)


 教室のあちこちから、ごくり、と喉を鳴らす音がした。


「深層に入れば、生きて帰れる保証はない。お前ら優等生もだ。フォルテ」


 名を呼ばれたエリナ・フォルテは、背筋を伸ばして答える。


「心得ています、先生。どれだけ知識があっても、未知のダンジョンでは慢心が死につながると」


「そうだ。……アルバン、お前は慢心以前に『考える』癖をつけろ」


「いてててて、耳が痛いっす先生〜」


 教室に笑いが起きる。

 俺も、それに合わせて小さく笑ってみせた。


「クロガネ、お前はどうだ?」


 急に名を呼ばれ、俺は肩をすくませる。


「ひっ……は、はい……!」


「未登録ダンジョンについて、どう思う?」


 一瞬、本音が喉まで上がった。


(面白そう、なんて言えないよなぁ)


「……こ、怖いです……先生。

 どんな魔物が出るか、わからないですし……」


 ダモンは満足げに頷いた。


「その感覚を忘れるな。ビビっているくらいで丁度いい」


(そうだな。お前らにとっては、な)


 心の中だけで、俺は笑った。


(俺にとっては、“どれだけ殺せるか分からない素敵な箱”なんだが)



 放課後。

 一年B組の教室は、雑談と椅子を引く音でごちゃついていた。


「おい見たか? 帝国北部に新しい無主ダンジョンができたんだと」

「マジ? またかよ。最近多くない?」

「調査隊、半分戻ってこないらしいぞ……やべぇよな」


 クラスの隅で、数人の男子が噂話に花を咲かせている。

 リオもその輪に入り、身振り手振りを交えて大げさに話す。


「俺さ、ニュースで見たけどさ。現場の映像ちょっとだけ出てたぞ? 入口の周り、血の跡だらけだったんだって」


「マジかよ……!」


 教室の空気が一気に重くなる。

 しかし俺の胸の奥では――


(……新規ダンジョン、か)


 ゆっくりと沸騰するような熱が、じわじわと広がっていた。


「クロガネ、お前無理そうだよな、そういうの」

 リオがこっちを振り向いて笑う。


「未登録ダンジョンとか入ったら、一瞬で気絶しそう」


「……うん……ちょっと、……」


 わざと視線を落とし、教科書をバッグにしまう手を震わせる。


(いや、気絶どころか――多分一番テンションが上がる自信がある)


 けれど、それは俺だけが知っていればいい。



 数日後の休日。

 学園は休講日で、寮の生徒も街に遊びに出ている者が多かった。


 俺は「図書館で自習してくる」とだけ寮監に告げて、帝都の北門へ向かった。


 北門の前には、北部方面へ向かう定期馬車が何台か並んでいる。

 俺はその一つに近づき、御者に声をかけた。


「あ、あの……この便って、北部の前線キャンプまで行きますか……?」


「ああ? お前みたいな学生が行くには、あそこは物騒だぞ」

 御者は俺の制服を見て、眉をひそめた。


「し、親戚が、その、兵隊をしていて……差し入れを……」


 わざと語尾を濁し、視線を落とす。

 御者は面倒そうにため息をついた。


「……まあいい。金は払えるんだろ?」


「はい。ちゃんと……」


 銅貨と銀貨を渡すと、御者は肩をすくめた。


「勝手にしな。怪我しても知らんぞ、坊主」


(怪我どころか、俺は怪我させる側になる予定なんだが)


 心の中で呟きながら、馬車に乗り込んだ。



 帝都から半日ほど揺られた先。

 北部の前線キャンプは、思ったよりも物々しい雰囲気だった。


 即席の木柵。帝国兵の詰所。魔導灯が等間隔に並び、その先――


 ぽっかりと、大地に空いた“穴”。


 それが、新たに発生した未登録ダンジョンだった。


(……あれか)


 遠目に見ても、周囲の空気が歪んでいるのが分かる。

 近づくだけで、肌が粟立つような魔力の濃さだ。


「おい、学生。ここから先は立ち入り禁止だ」

 柵の前で、帝国兵に止められた。


「す、すみません……ただ、親戚が中隊にいて……」


「名前は?」


(知らないな)


 即答する代わりに、俺はわざと口ごもる。


「……す、すみません……名前は教えるなって……」


「はぁ?」


 兵士は露骨に訝しげな顔をしたが、すぐに興味を失ったように肩をすくめた。


「今日はもう調査も打ち切りだ。とっとと帝都に戻れ。ここは遊び場じゃない」


「……はい。すみません……」


 素直に引き下がるふりをして、俺はキャンプの外れまで歩いた。


 そして、日が沈み、夜が降りてから――戻ってきた。



 夜の前線キャンプは、昼とは違う静けさに包まれていた。


 見張りの兵はいるが、数は少ない。

 何より、誰も好き好んで“穴”の奥までは近づかない。


(ビビってくれてて助かるよ)


 俺は森の影に沿って、柵の死角を探した。

 前世で散々やってきた、“見張りの目を抜ける動き”は、体が勝手に覚えている。


 月明かりの下。

 俺は誰にも気づかれず、ダンジョンの入口へ辿り着いた。


 大地が裂けたような暗い穴。

 足を踏み入れた瞬間――


『――新規侵入者、確認』


 脳内に、冷たい声が響いた。


(……っ)


 さっきまで聞いていた風の音が遠のき、代わりにその声だけがくっきりと耳に残る。


『悪意の総量、測定中……』


(へえ。初対面の挨拶がそれか)


 クラスメイトに向ける穏やかな笑顔は、ここにはいらない。

 口元から、ゆっくりと“仮面”を剥がしていく。


『――適合率、九十八パーセント。

 あなたを、このダンジョンの“主”に選定します』


「……ふぅーん。」


 思わず笑みがこぼれた。



 内部は朽ちかけた森だった。


 じめじめとした土。黒ずんだ木々。

 まだ魔物の気配は薄い。生まれたてのダンジョンだからだろう。


 だが――


(ここからどれだけでも殺しやすくできる)


 器はある。中身は俺が好きに詰めればいい。


『マスター権限の受諾には、コアへの接触が必要です。最奥部への誘導ルートを生成しますか?』


(ああ、頼む)


 足元の地面が、僅かに脈動する感覚がした。

 森の木々が、俺の進行方向だけを開けるように、静かに位置を変える。


 数分も歩かないうちに、小さな広間に出た。

 祭壇のような、何もない空間。


 そこに――黒い光球が浮かんでいた。


『――新規ダンジョンマスター候補、接続完了』


 黒いコアは、まっすぐに俺を見ているように感じられた。


『あなたの悪意は、ここを満たすだけの密度を持っています。この器を、あなたの“狩場”とすることを提案します』


(提案、ね)


 笑わせる。

 断る理由なんて、どこにもない。


「もちろんだ。ここは、俺のダンジョンだ」


 俺は黒い光球へ手を伸ばした。


『マスター権限、承諾を確認。

 所有者を――クロガネと登録します』


 世界が、一瞬だけひっくり返るような感覚がした。



 視界が戻ったとき、俺は同じ場所に立っていた。


 だが、さっきまでと違う。

 森の空気の流れ。地面のわずかな起伏。

 全てが、手のひらの上に乗ったように“分かる”。


(……これは)


『初期状態:階層数1。

 あなたの欲望に応じて、ここから成長していきます』


 黒い光球――ダンジョンコアが、淡々と状況を告げる。


「第一階層の構成はどうなってる?」


『現状、森林型の未完成状態。

 腐敗属性と夜間固定を付与可能です。実行しますか?』


「いいね。まずは薄暗く、じわじわ腐る森にしよう」


 言った瞬間、足元の大地が脈動した。

 木々の色が、さらに黒く、病んだように変わっていく。



『管理補助を生成できます。低級悪魔――サキュバス。生成しますか?』


「……ああ。使えるなら何でもいい」


 光が収束し、少女の輪郭を形づくる。

 白い肌。滑らかな肢体。頭には小さな角。

 腰から伸びる細い尾が、ゆらりと揺れた。


 やがてその目がゆっくりと開く。

 赤く縁どられた瞳が、まっすぐ俺を映した。


「……マスター……?」


「ああ、俺だ。お前はただの駒だ。従え」


「……従う……なんでも……」


 その声はどこか快楽に濡れているようでもあり、恐怖で震えているようでもあった。

 どちらにせよ――扱いやすい。


(最初の“仲間”としては上出来だな)



 黒い光球が、淡々とした声で告げる。


『あなたの悪意を計測……

 成長パターンを構築します』


 それは、俺の心を覗き込み、嬉々として記録しているように聞こえた。


「ひとつ、聞いていいか」


『どうぞ』


「ここって、帝国の北部だろ。俺、学園から通うのダルいんだが」


『マスター権限により、“副入口”の設置が可能です。

 条件を満たす地点に、地上との接続口を増設できます』


「条件?」


『マスターがよく足を運ぶ場所、もしくは強い執着を持つ場所の近くです』


(……学園の、裏の森か)


 人目が少なく、夜はほとんど誰も来ない場所。

 都合が良すぎる。


「そこに一つ、作っておけ。

 地上の連中にはバレないようにな」


『了解。帝都ヴァルゼルン学園裏手の森林に、副入口候補を設定……成長に応じて接続を開きます』


(これで、いつでも通える)


 腐り始めた森の景色を見下ろしながら、俺は口の端をわずかに吊り上げる。


「……ここからだ。俺のダンジョンに足を踏み入れた奴から――」


 黒い瞳には、何の罪悪感も浮かんでいない。


「順番に、“処理”してやるよ」


————————————————————————


★評価が励みになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る