優しいフリをしているだけだ。俺は帝国最悪のダンジョンマスター
蛇足
第1話 処刑台
縄が首にかかった瞬間でさえ、俺は何も感じなかった。
恐怖も後悔も祈りもない。
ただ――つまらない、と思っただけだ。
もっと壊したかった。
もっと殺したかった。
処刑人が合図をし、足元の床が落ちる。
最後に見えたのは、憎悪と恐怖に満ちた群衆の顔だった。
(……次は、もっと自由に殺せる世界だといいな)
そう願った瞬間、意識は闇に沈んだ。
——そして、目を覚ます。
◆
「……ここ、どこだ?」
天井が低い。
木で組まれた小部屋。知らない匂い。
視界に映った自分の手は、小さく、幼かった。
転生。なるほど。世界は、どうやら俺に“続きを見ろ”と言っているらしい。
窓の外には行商人の馬車が走り、小型の狼が警戒を解かずに辺りを睨んでいる。
背後には、宝石のように青い光を宿した街灯――。
魔法と魔物。そしてダンジョン。
それを聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
(……いい世界じゃないか)
ただし今の体では、何もできない。
だから――演技だ。
本性を出せば終わり。
この世界で“殺し”を再開するためには、まず社会に溶け込む必要がある。
俺は鏡の前に立ち、表情を作る。
「……よろしく……おねがい……します……」
震える声。怯えた目。
ぎこちない笑み。
(こんなもんで十分だろ)
かつて大量殺人鬼と呼ばれた俺が、
今では“気弱で優しい子供”として育てられていく。
◆
年月が流れ、俺は帝国の最高学府――ヴァルゼルン帝国学園に入学した。
一年D組。
天才ばかりでもなく、かといって完全な落ちこぼれでもない。
ただ、使い勝手が良さそうな、平均的な連中の集まりだ。
「クロガネ、またノート貸してくれよ〜。昨日さ、実技の自主練で寝落ちしてさ」
隣の席から、茶色の頭がヌッと出てくる。
リオ・アルバン。
クラスのムードメーカーで、誰とでも距離が近い男だ。
「……うん。ここから、この辺まで……」
俺はゆっくりページをめくって見せる。
リオは「助かる!」と笑い、遠慮なくノートを写し始めた。
(体力はある、そこそこ動ける、バカではない。
でも詰めが甘いタイプ……)
俺は視線を黒板に戻しながら、リオの癖や口調、交友関係を記憶していく。
(こいつは、情報源としてしばらく泳がせておく価値はあるな)
前の席では、金髪の少女が静かに教科書を閉じた。
エリナ・フォルテ。
学年でも指折りの優等生で、この一年B組にいるのは「実戦科と支援科、両方を受けたいから」という本人の希望によるものらしい。
彼女の視線が、一瞬だけこちらを掠める。
「またリオくんにノートを貸してるのね、クロガネくん。優しいわ」
「……いえ……たいしたことは……」
エリナはそれ以上は踏み込まず、すっと前を向いた。
興味がないのか、それとも――俺の仮面が優秀だからか。
どちらでもいい。
今はまだ、誰にもしっぽを見せるつもりはない。
◆
「では今日は、ダンジョンの基礎について復習だ」
教壇に立つのは、担任のダモン・ヴェルト。
片腕には古い傷痕。元冒険者で、今は一年B組の担任兼、実習担当だ。
「いいか、お前ら。ダンジョンは“資源”であると同時に“墓場”だ。
特に──未登録ダンジョンには絶対に近づくな。これは何度でも言う」
ダモンは黒板に、大きく「未登録ダンジョン=危険」と書きなぐった。
「登録済みのダンジョンは、帝国が階層、構造、魔物の分布をある程度把握している。
だが未登録のものは違う。深層どころか、入口から何が出てくるか分からん」
(未知、ね……)
教室のあちこちから、ごくり、と喉を鳴らす音がした。
「深層に入れば、生きて帰れる保証はない。お前ら優等生もだ。フォルテ」
名を呼ばれたエリナ・フォルテは、背筋を伸ばして答える。
「心得ています、先生。どれだけ知識があっても、未知のダンジョンでは慢心が死につながると」
「そうだ。……アルバン、お前は慢心以前に『考える』癖をつけろ」
「いてててて、耳が痛いっす先生〜」
教室に笑いが起きる。
俺も、それに合わせて小さく笑ってみせた。
「クロガネ、お前はどうだ?」
急に名を呼ばれ、俺は肩をすくませる。
「ひっ……は、はい……!」
「未登録ダンジョンについて、どう思う?」
一瞬、本音が喉まで上がった。
(面白そう、なんて言えないよなぁ)
「……こ、怖いです……先生。
どんな魔物が出るか、わからないですし……」
ダモンは満足げに頷いた。
「その感覚を忘れるな。ビビっているくらいで丁度いい」
(そうだな。お前らにとっては、な)
心の中だけで、俺は笑った。
(俺にとっては、“どれだけ殺せるか分からない素敵な箱”なんだが)
◆
放課後。
一年B組の教室は、雑談と椅子を引く音でごちゃついていた。
「おい見たか? 帝国北部に新しい無主ダンジョンができたんだと」
「マジ? またかよ。最近多くない?」
「調査隊、半分戻ってこないらしいぞ……やべぇよな」
クラスの隅で、数人の男子が噂話に花を咲かせている。
リオもその輪に入り、身振り手振りを交えて大げさに話す。
「俺さ、ニュースで見たけどさ。現場の映像ちょっとだけ出てたぞ? 入口の周り、血の跡だらけだったんだって」
「マジかよ……!」
教室の空気が一気に重くなる。
しかし俺の胸の奥では――
(……新規ダンジョン、か)
ゆっくりと沸騰するような熱が、じわじわと広がっていた。
「クロガネ、お前無理そうだよな、そういうの」
リオがこっちを振り向いて笑う。
「未登録ダンジョンとか入ったら、一瞬で気絶しそう」
「……うん……ちょっと、……」
わざと視線を落とし、教科書をバッグにしまう手を震わせる。
(いや、気絶どころか――多分一番テンションが上がる自信がある)
けれど、それは俺だけが知っていればいい。
◆
数日後の休日。
学園は休講日で、寮の生徒も街に遊びに出ている者が多かった。
俺は「図書館で自習してくる」とだけ寮監に告げて、帝都の北門へ向かった。
北門の前には、北部方面へ向かう定期馬車が何台か並んでいる。
俺はその一つに近づき、御者に声をかけた。
「あ、あの……この便って、北部の前線キャンプまで行きますか……?」
「ああ? お前みたいな学生が行くには、あそこは物騒だぞ」
御者は俺の制服を見て、眉をひそめた。
「し、親戚が、その、兵隊をしていて……差し入れを……」
わざと語尾を濁し、視線を落とす。
御者は面倒そうにため息をついた。
「……まあいい。金は払えるんだろ?」
「はい。ちゃんと……」
銅貨と銀貨を渡すと、御者は肩をすくめた。
「勝手にしな。怪我しても知らんぞ、坊主」
(怪我どころか、俺は怪我させる側になる予定なんだが)
心の中で呟きながら、馬車に乗り込んだ。
◆
帝都から半日ほど揺られた先。
北部の前線キャンプは、思ったよりも物々しい雰囲気だった。
即席の木柵。帝国兵の詰所。魔導灯が等間隔に並び、その先――
ぽっかりと、大地に空いた“穴”。
それが、新たに発生した未登録ダンジョンだった。
(……あれか)
遠目に見ても、周囲の空気が歪んでいるのが分かる。
近づくだけで、肌が粟立つような魔力の濃さだ。
「おい、学生。ここから先は立ち入り禁止だ」
柵の前で、帝国兵に止められた。
「す、すみません……ただ、親戚が中隊にいて……」
「名前は?」
(知らないな)
即答する代わりに、俺はわざと口ごもる。
「……す、すみません……名前は教えるなって……」
「はぁ?」
兵士は露骨に訝しげな顔をしたが、すぐに興味を失ったように肩をすくめた。
「今日はもう調査も打ち切りだ。とっとと帝都に戻れ。ここは遊び場じゃない」
「……はい。すみません……」
素直に引き下がるふりをして、俺はキャンプの外れまで歩いた。
そして、日が沈み、夜が降りてから――戻ってきた。
◆
夜の前線キャンプは、昼とは違う静けさに包まれていた。
見張りの兵はいるが、数は少ない。
何より、誰も好き好んで“穴”の奥までは近づかない。
(ビビってくれてて助かるよ)
俺は森の影に沿って、柵の死角を探した。
前世で散々やってきた、“見張りの目を抜ける動き”は、体が勝手に覚えている。
月明かりの下。
俺は誰にも気づかれず、ダンジョンの入口へ辿り着いた。
大地が裂けたような暗い穴。
足を踏み入れた瞬間――
『――新規侵入者、確認』
脳内に、冷たい声が響いた。
(……っ)
さっきまで聞いていた風の音が遠のき、代わりにその声だけがくっきりと耳に残る。
『悪意の総量、測定中……』
(へえ。初対面の挨拶がそれか)
クラスメイトに向ける穏やかな笑顔は、ここにはいらない。
口元から、ゆっくりと“仮面”を剥がしていく。
『――適合率、九十八パーセント。
あなたを、このダンジョンの“主”に選定します』
「……ふぅーん。」
思わず笑みがこぼれた。
◆
内部は朽ちかけた森だった。
じめじめとした土。黒ずんだ木々。
まだ魔物の気配は薄い。生まれたてのダンジョンだからだろう。
だが――
(ここからどれだけでも殺しやすくできる)
器はある。中身は俺が好きに詰めればいい。
『マスター権限の受諾には、コアへの接触が必要です。最奥部への誘導ルートを生成しますか?』
(ああ、頼む)
足元の地面が、僅かに脈動する感覚がした。
森の木々が、俺の進行方向だけを開けるように、静かに位置を変える。
数分も歩かないうちに、小さな広間に出た。
祭壇のような、何もない空間。
そこに――黒い光球が浮かんでいた。
『――新規ダンジョンマスター候補、接続完了』
黒いコアは、まっすぐに俺を見ているように感じられた。
『あなたの悪意は、ここを満たすだけの密度を持っています。この器を、あなたの“狩場”とすることを提案します』
(提案、ね)
笑わせる。
断る理由なんて、どこにもない。
「もちろんだ。ここは、俺のダンジョンだ」
俺は黒い光球へ手を伸ばした。
『マスター権限、承諾を確認。
所有者を――クロガネと登録します』
世界が、一瞬だけひっくり返るような感覚がした。
◆
視界が戻ったとき、俺は同じ場所に立っていた。
だが、さっきまでと違う。
森の空気の流れ。地面のわずかな起伏。
全てが、手のひらの上に乗ったように“分かる”。
(……これは)
『初期状態:階層数1。
あなたの欲望に応じて、ここから成長していきます』
黒い光球――ダンジョンコアが、淡々と状況を告げる。
「第一階層の構成はどうなってる?」
『現状、森林型の未完成状態。
腐敗属性と夜間固定を付与可能です。実行しますか?』
「いいね。まずは薄暗く、じわじわ腐る森にしよう」
言った瞬間、足元の大地が脈動した。
木々の色が、さらに黒く、病んだように変わっていく。
◆
『管理補助を生成できます。低級悪魔――サキュバス。生成しますか?』
「……ああ。使えるなら何でもいい」
光が収束し、少女の輪郭を形づくる。
白い肌。滑らかな肢体。頭には小さな角。
腰から伸びる細い尾が、ゆらりと揺れた。
やがてその目がゆっくりと開く。
赤く縁どられた瞳が、まっすぐ俺を映した。
「……マスター……?」
「ああ、俺だ。お前はただの駒だ。従え」
「……従う……なんでも……」
その声はどこか快楽に濡れているようでもあり、恐怖で震えているようでもあった。
どちらにせよ――扱いやすい。
(最初の“仲間”としては上出来だな)
◆
黒い光球が、淡々とした声で告げる。
『あなたの悪意を計測……
成長パターンを構築します』
それは、俺の心を覗き込み、嬉々として記録しているように聞こえた。
「ひとつ、聞いていいか」
『どうぞ』
「ここって、帝国の北部だろ。俺、学園から通うのダルいんだが」
『マスター権限により、“副入口”の設置が可能です。
条件を満たす地点に、地上との接続口を増設できます』
「条件?」
『マスターがよく足を運ぶ場所、もしくは強い執着を持つ場所の近くです』
(……学園の、裏の森か)
人目が少なく、夜はほとんど誰も来ない場所。
都合が良すぎる。
「そこに一つ、作っておけ。
地上の連中にはバレないようにな」
『了解。帝都ヴァルゼルン学園裏手の森林に、副入口候補を設定……成長に応じて接続を開きます』
(これで、いつでも通える)
腐り始めた森の景色を見下ろしながら、俺は口の端をわずかに吊り上げる。
「……ここからだ。俺のダンジョンに足を踏み入れた奴から――」
黒い瞳には、何の罪悪感も浮かんでいない。
「順番に、“処理”してやるよ」
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