第19話 : 影山の部下と接触し、恐怖だけが加速する日

 昼下がりの廊下。

 授業と授業のあいだの、束の間の静寂。

 人の足音がふっと途切れ、風の抜ける気配だけになる。


 ――そのときだった。


「黒川さん」


 柔らかいのに、ぞくりとする低さの声。

 秀次(千華ボディ)は振り返り、息を呑んだ。


 そこにいたのは三人の男子。

 どこか均一な雰囲気を纏う、影山信平の“取り巻き”として有名な連中だ。


 髪型まで整った無機質な笑み。

 礼儀正しい立ち姿なのに、目が笑っていない。


(やだ……空気が、重い……)


 真ん中の男が一歩前に出、微笑んだ。


「影山さんが――呼んでます」


 ていねいなのに“拒否不可”の響き。

 背中に冷たいものが這い上がる。


「い、いや……今日は……無理!!」


 反射的に叫んでいた。


「え?」


「無理! 忙しいの! めっちゃ用事あるの!! ていうか……なんか色々!!」


 テンパりすぎて語彙が消え、

 そのまま走り出していた。


「黒川さん!? え、ちょ、走るの!?」


 振り返る余裕もない。


(無理だ……絶対無理だ……

 行ったらダメだって体が言ってる……!

 あれ……普通の呼び出しじゃない……!!)



 息を切らせて辿り着き、壁に手をつく。

 心臓が乱暴に暴れている。


(怖かった……

 ほんとに……何なんだあいつら……

 圧が……圧が強すぎる……)


 そのとき。


 別の階段の隅、死角になった薄暗い場所で——


 誰かがしゃがんでいた。


「……千華?」


 しゃがみ込み、膝を抱え、肩を震わせている。

 秀次ボディに入った千華本人だった。


「千華、大丈夫か……?」


 声をかけた途端、千華の肩がびくっと跳ねた。


「っ……来ないで……」


「来ないでって……お前、なんでそんな隅で震えて……」


 千華は視線を合わせようとしない。

 まるで何かを拒むように、壁のほうへ顔を向けている。


「……聞こえた。

 影山のやつ……私を呼んでたって……」


 小さく、震えた声。


(本当に……怖がってる……?

 ここまで……?)


「千華。なんでそんなに怖がるんだよ?

 あいつ……何したんだよ?」


「……やだ。言いたくない」


「でも、今日のはさすがに……」


「知られたくないの!!」


 声が、刺すみたいに大きく響く。

 階段の薄い空気が震えた。


 続く声は、か細い。


「……お願い……関わらないで……

 影山のことなんて……もう……話したくない……」


 拒絶というより“恐怖で固まった心”の声だった。


(こんなの……

 こんな状態になるまで、誰にも言えなかったのかよ……)


 胸の奥が、痛むように熱を持つ。


 

 夕暮れの神社


 風の冷たさが、今日だけは妙に身にしみた。


 二人は拝殿横のベンチに並んで座る。

 沈黙が長く続き、木々が擦れる音だけが降りてくる。


 やっと千華が口を開いた。


「……ごめん。今日のこと……

 本当は、私がもっと強ければよかったのに……」


 自分を責めるしかないみたいな声だった。


「強くある必要なんてねぇよ」


 秀次はゆっくり言葉を落とした。


「怖いなら、怖いって言えよ。

 言いたくねぇなら、言わなくていい。

 でも……」


 横を見ると、千華の指がわずかに震えていた。


「お前があんなふうに震えてんの、見てらんねぇんだよ」


 千華は息を飲んだように、一瞬目を伏せた。


「……ごめん……」


 頬を伝う涙が小さく光る。


「私……ほんとに怖いんだよ……

 あいつが何を考えてるか……

 どうして私なのか……

 全部……分からなくて……」


 震える声が、風に揺れて消えていく。


(千華……

 こんなに弱って……

 こんな想い、誰にも言えなかったのかよ……)


 秀次の胸に、強烈な痛みとも違う何かが走る。


「……千華」


 そっと、肩に触れた。


 千華は抵抗せず、

 細い身体を寄せるようにして座り直した。


「……ありがと。

 あんたがいてくれて……ほんとに、よかった」


 その一言が、胸の奥深くに落ちていく。


(絶対に……守る)


 言葉にならない決意が、静かに灯る。

 影山の影は深まる一方なのに、

 それでも、守りたいと強く思った。

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