第17話:男子更衣室で千華(中身秀次)が精神崩壊する回

 体育の終わりを告げる笛が鳴った瞬間、

 グラウンドにいた男子たちが一斉に更衣室へなだれ込んだ。


 その中で、秀次ボディの千華(中身秀次)だけが、

 まるで戦場の入口を見つめる兵士のように固まっていた。


(む、むりむりむりむり……!!

 男子更衣室とか……最終ダンジョンじゃん……!!)


 足元が震え、喉はカラカラ。


「田辺? 何突っ立ってんだよ、はよ入れって!」


「ひっ……!?」


 背中を押され、

 強制的に世界が切り替わった。



 湿ったタオルと汗の匂いが混じる熱気。

 ロッカーの金属音、シャツを脱ぐ布の音、

 男子特有の雑で力強い声が反響する。


「やべ〜汗でシャツくっついてる!」

「飲み物買ってこよ」

「てか今日の黒川、走り方えぐくね?」


(情報量のオーバーフローッ……!!

 なんでみんなそんな自然に脱ぐの!?

 見せる気あんの!? ないの!?)


 視界の端で肌色がチラチラするだけで、

 脳がフリーズする。


「田辺、着替えねぇの? 遅くね?」


「あれ、顔赤いぞ?」


「え、恥じらってんの? なんでだよ田辺w」


(恥じらうに決まってるだろバカッ!!

 私は今“女の精神”で“男の身体”にいるんだよ!!

 計算式が成り立つわけねぇだろ!!)


 頭の中が、パニックの赤ランプで埋め尽くされる。



「だ……だめぇ!! 見ないで!!」


「いや別に誰も見てねぇけど!?」


「田辺今日はマジでどうしたん……?」


(絶対見てる!! 全方向から視線飛んできてるの!!

 ほら今も!! 多分飛んでるの!!)


 千華は逃げるようにロッカーの影へ走った。


「私は……ここで着替えるから!!

 絶対来るな!!」


「は、はい……」


 男子たちは困惑して距離を取る。


(やば……手……震えてる……

 シャツ一枚脱ぐだけで、どうしてこんな地獄……!?)


 そんな千華の耳に――最悪の追撃。


「今日のギャル、胸やばくね?」

「言うなってw でも分かる」

「黒川今日マジ女神だったわ」

「田辺は泥まみれで草w」


(やああああああああ!!

 なんでそんな話を更衣室で普通にすんの!!?

 男子って……男子って……!!)


 羞恥のダメージ量が致死レベルを越え、

 視界の端がじんわり涙で滲む。



 ようやく着替え終わった頃には、

 更衣室にはほぼ誰も残っていなかった。


「田辺、おせーよ。体調悪いんか?」


「今日マジで変だぞ?」


「ううっ……!」


(ちが……違うのよ……!!

 私が弱いんじゃなくて……

 男子更衣室の文化が強すぎるのよ……!!)


 千華は魂が抜けたような足取りで更衣室を出た。


「……男子って……バカ……」


 掠れた呟きは誰にも届かず、

 空気に溶けて消えた。



 一方、千華ボディの秀次は――


「千華、背中のホックずれてるよ〜。ほら直すね!」


「ちょ、ちょっ!? 触んな触んな触んな!!」


「何言ってんの〜いつも直してあげてるじゃん♡」


(は!? 千華の友達って……毎日こんな距離なん!?

 スキンシップのレベル、人間じゃねぇだろ!!

 女子文化……難易度高すぎ!!)


 さらに別の女子が寄ってくる。


「今日の千華マジ可愛かったよ〜体育で見惚れた!」

「髪の毛汗でしっとりしてるの色っぽい♡」


「やめろやめろやめろ!!」


(無理だ!!

 距離ゼロで褒められるの無理だって!!

 心臓が千華の顔で動くの反則だって!!)


 こちらも精神ゲージが赤点滅だった。




 境内のベンチ。

 二人は並んで座り、そろって死んだ魚の目。


「…………(魂抜け)」

「…………(同じく)」


 沈黙はしばらく続き――


「男子更衣室……地獄だった……」


「女子更衣室……天国の皮かぶった地獄だった……」


「男子って……なんであんな……?」


「女子って……なんであんな近いの……?」


 二人とも声が震えているのに、

 なぜか笑いが込み上げた。


 笑いながら、ようやく息ができるようになる。


「……でも今日分かった」

 千華はぽつりと言った。


「男と女って……こんなに“別の世界”なんだね」


「だな。

 文化違うどころじゃなかったわ……

 惑星違うレベルだった……」


 ふと、視線が合う。


 そこには――

 「同じ地獄を見た者同士」だけが共有できる、

 妙な信頼と温かさがあった。


「……まあ、いい経験には……なった、よな」


「うん。

 なんか……お互い、がんばってんなって思った」


 千華の表情が、少しだけ柔らかくなる。


「……ありがとう」


(……まただ。

 なんだよ……

 この胸の奥の、じんわりくる感じ……)


 夕暮れの境内に沈む光の中、

 二人はしばらく、何も言わずに座っていた。


 今日、二人は本当に初めて――

 “相手の世界の重さ”を理解し始めたのだった。

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