第15話 : 千華が知る“秀次の孤独”と、胸に刺さるひとこと

 放課後。

 太陽が傾き、校庭の砂が赤く光るころ。


 千華ボディの秀次は、汗を拭きながら校門を出ていた。

 その横を、泥だらけで項垂れた秀次ボディの千華が歩いていく。


 体育の差――その残酷な結果が、

 二人に別々の疲労を刻み込んでいた。


 ◇ 田辺家に帰る“秀次の身体”


「ただいま……」


 田辺家の玄関に足を踏み入れた瞬間、

 奥からバタバタと駆けてくる音。


「兄ちゃん!? ねぇほんとに大丈夫!?

 体育で転んだって聞いたよ!?」


 妹が泣きそうな顔で飛びついてくる。

 袖を握る手は小さく、でも温かかった。


「無理しなくていいんだからね……

 最近、兄ちゃん……本当に疲れてるみたいだよ?」


 ――その一言が。


 千華の胸を、思わぬ角度から刺した。


(……あ。

 こんなふうに心配されるの……いつ以来だろう……)


 自分の家では、こんなふうに誰かが気づいてくれることはなかった。


「……ありがと。心配してくれて」


 言うつもりのなかった優しい声が、自然と漏れてしまう。

 妹がぽかんと目を丸くした。


「今日の兄ちゃん……なんか優しい……」


「ちょっ……やめてよ……!」


 照れ隠しの拒否が、逆に柔らかくて。

 千華は自分の反応に少し戸惑った。


 ◇ 静かすぎる部屋/孤独の痕跡


 自室へ入ると、ふっと空気が変わった。


 秀次の匂い。

 散らかったゲームケース。

 途中で力尽きたのか、中断されたままの写真フォルダ。

 返信されず残っているメッセージ通知。


 千華は、机の上に開いたノートに目を留めた。


《明日も普通に行けますように》


 それは小さな字で、ページの隅に書かれていた。


(……こんなメモ……誰に見せるつもりもないのに……)


 胸がぎゅっと縮む。


 部屋の隅には、未開封の小さな箱。

 「誕生日」の文字が印字されたシール。


(……自分で買ったの?

 誰にも祝われないと思って……)


 重たいものが喉にせり上がる。


「……知らなかった。

 本当に……何も……知らなかったんだ……」


 その声は、自分でも気づかぬほど震えていた。


 ◇ 一方そのころ、千華ボディの秀次


 千華の家への帰り道。

 スマホがほぼ常時震えている。


 ピコンピコンピコンピコン――!


「やめろ……! 通知止まれ……!」


 画面を見れば、SNSは完全に炎上寸前。


《今日の千華、走り方が綺麗すぎた》

《惚れた》

《体育動画あげていい?》

《今日の黒川、マジ天使》


「うおおおお!! なんで動画まで撮られてんだよ!!」


 嬉しいでも怖いでもない、

 未知の圧だけが胸にのしかかる。


(人気者って……こんな世界で生きてんのか……

 千華……これ、毎日かよ……?)


 眩しすぎる光は、時に痛い。

 秀次は初めて、

 千華が背負ってきた“重さ”を理解し始めていた。


 ◇ 夜の神社/沈黙が語る本音


 夜。

 境内の石段に座ると、世界が急に静かになる。


「……来たのね」


「お、おう」


 二人とも、昼間とは違う顔だった。

 泥跡の残る千華(秀次ボディ)。

 SNS疲れで目の下に影を作る秀次(千華ボディ)。


 どちらも、いつもの自分じゃない。


 沈黙のあと、

 千華(秀次ボディ)がぽつりと口を開く。


「今日ね……分かったの」


「何が?」


「秀次……

 あなた、ずっと“一人で”頑張ってたんだね」


 秀次の呼吸が止まった。


「部屋を見て……

 妹さんの言葉を聞いて……

 学校での扱われ方も見て……」


 千華は拳をぎゅっと握る。


「やっと……少しだけ分かったの。

 あなたの毎日が、どれだけしんどかったか」


「……」


「ごめんね。

 人気とか、見た目とか……

 そういう表面のことばかりで……

 本当のあなたを見ていなかった」


 その言葉は、

 やさしく、でも鋭かった。


(……やめろよ……そんな言われ方……

 なんか……泣きそうになるだろ……)


 秀次は思わず顔をそむける。


「べ、別に……謝ることじゃねぇから。

 お前だって……大変だろ。

 SNSとか……人気とか……あれ……反則だろ」


 言いながら、思わず笑ってしまう。


「千華……マジですげぇよ。

 “人気”って……あんな地獄みたいな通知に耐えてんのかよ……」


 千華の瞳が揺れる。


「……気づいたのね」


「気づくわ! あれはもう……尊敬しかねぇよ……!」


 その一言で――

 千華は、まるで胸の奥がほどけるような感覚を覚えた。


 自分の“頑張り”を誰かに見てもらえたのは、

 実は初めてだった。


「……ありがとう。

 そう言ってくれて、嬉しい」


 その声は、体育の泥より重く、

 通知の嵐より静かで、

 心の奥に確かに残った。


 ふたりの距離は、

 ほんの数センチだけ近づいた。


 でも、その数センチが――

 これからの二人に大きな意味を持つことを、

 まだ誰も知らない。

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