第11話 : 千華(秀次)が“美少女の圧倒的スケジュール”を味わう日
翌朝。
校門をくぐった瞬間――秀次(千華ボディ)は悟った。
(……今日、俺は死ぬ)
理由は、単純で、致命的だった。
「千華ちゃん、おはよ〜!」
「今日も髪サラサラ〜!」
「黒川さん、そのリボン新しい?」
「おはよう、黒川」
「おはよ、今日も天使」
人、人、人。
右から左から、正面から。
次々と飛んでくる声と笑顔と「千華」。
(なんで全員、俺に話しかけてくるんだよ……!
“千華”って、こんな人気モンスターだったの!?)
しかも、一人ひとりとの距離が近い。
女子は自然に手首を掴んだり、
肩をぽんと叩いたり、
男子は当たり前みたいな顔で髪型を褒めてくる。
(近い近い近い!!
パーソナルスペース返してくれ!!)
教室に辿り着く前に、すでに精神力の二割が削れていた。
ようやく教室に足を踏み入れたその瞬間。
「千華、ノート見せて!」
「ねぇ、ちょっと相談あるんだけど〜」
「新しいヘアピン買ったの、意見ほしい!」
「写真撮ろう! なんか今日いつもより可愛い!」
「タグ付けしとくね〜」「ストーリー上げてもいい?」
(待て待て待て待て!!!
なんで俺、“人気インフルエンサー兼癒やし系女神”みたいな扱いされてんの!?)
自分の席にたどり着く前に、
すでに三人からノートを預かり、
四人から相談を受け、
スマホを向けられて数枚写真を撮られ、
帰ってきたスマホにはSNSの通知が山のように積もっていた。
【@○○ があなたをタグ付けしました】×5
(やばい……情報量の暴力ってこういうことか……)
「千華〜、これ感想教えて〜」
「黒川さん、ホームルームのことで委員長が探してたよ」
「ねぇ千華、今度さ、一緒に帰らない?」
(俺のHP……もうとっくにマイナス突入してるんだが……)
休み時間。
さすがに限界を感じた秀次は、逃げるように席を立った。
(とりあえず、一旦どこかで落ち着こう……)
だが、足が自然に向かった先は――女子トイレだった。
ドアの前で固まる。
(……入れねぇ……!!)
見た目は千華でも、中身は男子高校生である。
倫理観と羞恥心が、全力でブレーキを踏んだ。
(いや無理だろ。ここ越えたら、人として何かを失う……!!)
仕方なく、女子トイレ近くのベンチに腰を下ろす。
そのとき、中から声が聞こえてきた。
「ねぇ……最近の千華、変じゃない?」
(っ……)
耳が勝手にそちらを向く。
「なんかさ〜、柔らかくなったよね」
「わかる。前より話しかけやすいっていうか……可愛いんだけど!」
「でもさ、あれ絶対男子が放っとかないよね」
「特に影山。あれガチで狙ってるって噂」
(……は?)
心臓が一拍、強く跳ねる。
「影山ってさ、千華にだけ態度違くない?」
「廊下で探してるの見たもん。なんか“千華どこ?”って」
「なんか目的あるっぽくない? ちょっと怖いんだけど」
「聞いた? “千華って裏で狙われてるらしいよ。影山から”って」
(影山……が?
千華を……狙ってる……?)
背筋が、ぞわりと冷たくなる。
昨日、影山を見た瞬間に走った“説明できない恐怖”。
そして、千華が見せたあの怯え。
(これ……ただの人気とか、憧れとか……そんな生ぬるい話じゃない……
あいつ、本気で千華に近づこうとしてる……?)
女子たちの他愛ない噂話なのに、
そこに混じる「怖い」の一言だけが、耳に刺さったまま抜けない。
*
席に戻れば、再び会話の津波が押し寄せてくる。
「千華〜、これ一緒にやろ?」
「次の小テスト、大丈夫? よかったら一緒に勉強しよ」
「このプリントまとめるの手伝ってほしい〜」
「写真の加工どうすればいいと思う?」
「ストーリーのリンク切れてた、助けて!」
「今日の放課後、空いてる?」
(いや女子社会って……
コミュニケーション量、男子の五倍くらいない……!?
情報と感情の往復がえぐいんだが……)
誰も悪くない。
みんな善意で、みんな笑顔で、みんな距離が近い。
だからこそ、断りづらい。
気づけば、昼休みが終わる頃には
秀次は机に突っ伏していた。
(もう……何も受け止められねぇ……)
そして、放課後。
チャイムが鳴り、
やっと解放される——と思った矢先。
「黒川さん、軽音部どう? 見学だけでも!」
「千華、演劇部に来て! 顔がいいのは正義だから!」
「バレー部も歓迎するよ?」
「帰宅部なんてもったいないって〜!」
(いや……帰らせてくれよ……
俺を……俺を家に帰らせろ……!!)
千華の身体が持つ“人気”は、
普通の放課後という選択肢すら奪っていく。
校門を出るころには、
秀次の中身は魂レベルでぐったりしていた。
その日の夜。
田辺家に帰り、制服を脱ぎ捨て、廊下にへたり込む。
(……なんだよ、“美少女”って……)
天井を見上げながら、ゆっくり息を吐く。
(いったい何人分の感情と期待を、同時に受け止めてんだよ……
これ毎日こなしてたのか、千華……
マジで……すげぇよ、お前……)
人気は光だと思っていた。
でも実際は——
“責任”であり、“期待”であり、そして、“圧”だった。
凡人男子には、その重さはあまりにも過酷だった。
(……今日、一日で……十回は死んだな)
目を閉じる。
なぜ自分たちは、
あの日、神社であんな願いをしてしまったのか。
その答えはまだ分からない。
けれど――
(神社が“心のシェルター”になってく理由……
今日だけで、嫌ってほど思い知った……)
静かな天井を眺めながら、
秀次は、明日もまた“美少女”として生活しなきゃいけない現実に
そっと頭を抱えたのだった。
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