第8話 : クラスの混乱と“逆の違和感”が広がり始める

 教室に入った瞬間だった。


 空気がねっとりと重く、ざわつきが一瞬止まった。


 向けられる視線は、すべて秀次(千華ボディ)へ。


(うあああああ……もう無理……見ないでくれ……!!

 俺は美少女の皮を被った凡人です!! 中身はただの男子!!)


 席につくまでのわずかな動作でさえ、全身がぎこちない。

 その違和感はすぐにクラス全体へ広がった。



 数学の授業。

 先生が黒板に書いた問題は、簡単な図形証明——のはずだった。


(これ……なんだ? 角……え?)


 つい“いつもの秀次”としてぼそっと呟いてしまう。


 その瞬間――

 前後左右の生徒が バッ と振り返った。


「えっ……千華ちゃん、数学で困ってる!?」

「今日どうしたの……?」

「なんか……声がかわいすぎない!?(混乱)」


 ギャル友達が小声でざわつく。


「ねぇ千華、今日なんか……ふわふわしてない!?

 なんか……守ってあげたい系なんだけど!?」


「わかる! なんか柔らかい!!」


「黒川さんから“隙”を感じるって初めてでは?」


(違う! 違う!! 違う!!!

 俺が柔らかいんじゃなくて、この身体が柔らかいんだ!!

 俺は一ミリも柔らかくねぇ!!)


 さらに。


 ペンを取り落とした。


 カラン——。


「ひっ……!」


 リアクションが完全に“庶民男子”で、クラスがざわつく。


「黒川さんこんな反応したっけ?」

「もっとクールじゃなかった?」

「今日……可愛い成分が多い……(混乱)」


(死ぬ……絶対今日死ぬ……!!)



 秀次の身体に入った千華は、

 机と同化する勢いで静かだった。


 普段の秀次は“空気”だが、それでもリアクションはある。

 だが今日の千華(中身秀次)は、完全に無声。


「田辺、今日めっちゃ大人しいな」

「てか顔色悪くね?」

「熱あるんじゃね?」


「……大丈夫」


 返事は短く、声は小さく、目は伏せられたまま。


 男子二人は心配そうに顔を覗き込む。


「田辺……悩みでもある?」

「話なら聞くぞ?」


(……この身体、こんなふうに“気づかれる”ことって

 今までほとんどなかったのね……)


 胸の奥がちくりとした。



 休み時間。

 委員長の小峰が、千華ボディの秀次の席へすっと立つ。


「黒川さん」


「ひゃっ……はいっ!?」


 声が裏返る。


 小峰は冷静に眉を寄せた。


「今日のあなた……言葉遣いが柔らかすぎるわ。

 いつもより距離が近いし……どうしたの?」


(バレてる!!! この人観察眼お化けか!?)


「あ、いや、その……寝不足で……!」


「そう。無理しないようにね」


(助かったけど怖い!!)


 この小さな違和感の積み重ねが、

 後に大きな伏線になっていく。



「今日の黒川さんなんか違うよな」

「可愛いが増してる」

「いや、あれは“守りたい可愛い”だろ」

「いつもより喋る気がする」


 一方で。


「田辺、影薄すぎない?」

「いや、もともとやろ」

「でも今日は静かすぎじゃね?」


 完全に逆転現象が発生していた。



 人混みを避けて廊下を歩く秀次ボディの千華。


(見られないって……こんなに歩きやすいのね……)


 そんな油断の瞬間だった。


 信平——

 学校の王者。

 千華が恐怖の対象としている人物。


 その取り巻きが三人、廊下の先に立っていた。


 彼らは千華(秀次ボディ)を見て、目を細めた。


(え……なに、この感じ……?)


「おい田辺……今日なんか雰囲気違くね?」


「落ち着きすぎっていうか……別物じゃね?」


「てか黒川どこ行った? お前見てねぇのか?」


「ッ……!」


 “黒川”という名前だけで身体が跳ねた。

 昨日の神社で聞いたあの声がフラッシュバックする。


 震えが走った、その瞬間――


「行くぞ。こっち」


 秀次(千華ボディ)がさりげなく腕を引いた。


 取り巻きの視線から自然に隠すように、

 二人の立ち位置をふわりと入れ替える。


「え……」


「ここにいたら面倒見られるだろ。早く」


 自然すぎる“庇い”。


 取り巻きは怪訝な視線を残して去った。


(……守られた……

 そんなこと、私……されたことないのに)


 胸の奥が熱く震える。



「さっき……ありがとう」


「いや、なんとなく危なそうだったし」


「“なんとなく”で助けに入れるって……凄いわよ。

 私、それできなかった」


 千華の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 互いの立場が逆になったからこそ、初めて理解する世界の差。


 その差が、

 二人の距離をわずかに近づけていくのだった。

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