第4話 : 火曜日問題とDiscord地獄、そして一人暮らしの真実

 その夜。


 田辺家の夕食と団らん――

 これまで触れたことのない“家庭の温度”に圧倒された千華(中身秀次)は、

 秀次のベッドでぐたりと伸びていた。


(……だめ。心のキャパが、完全にオーバーした……)


 知らない匂い、知らない話題、知らない気遣い。

 全部が新しくて、全部が胸をざわつかせた。


 少しでも落ち着こうと目を閉じた、その瞬間。


 スマホが爆音で震えた。


「ひっ……!?」


 画面には――


《千華(中身)→通話》


(絶対ろくな話じゃない……)


 覚悟を決めて通話を押すと、

 “自分の声”で、殺意高めの怒号が飛んできた。


「アンタ、火曜日忘れてんじゃないでしょうね!!?」


「は!? 火曜日!? 何それ!?」


「火曜日はゲームの日でしょ!! 毎週固定って言ったでしょ!!」


「初耳なんだけど!?!?」


「言ったわよ!!(※言ってない)」


 千華(中身秀次)は枕に顔を押しつけた。


(こいつ……管理職か何かなの……!?)


「はい、今すぐ連絡して。Discord開いて」


「Discordって何!? 響きが怖い!!」


「何が怖いのよ! 青いアイコンのやつよ!! 早く!!」


 言われるがままアプリを開くと――


 《通知:DM 112件》


「……百十二!?!?!?」


「毎週参加してる固定メンバーなのよ! 今日アンタが来ないから全員大騒ぎしてるの!」


「うそでしょ……!?

 てか、私……じゃなくて俺……いや、何でもいいけど、そんな人気なの……?」


「安心しなさい。ゲームが上手いだけよ」


「なんか刺さるその言い方!!」


 DMを開くと、心配が渦のように流れ込んできた。


《千華さん大丈夫?》

《今日は来ないの珍しいな》

《何かあった?》

《無理しないでね》

《待ってるよ》

《返事だけでも》

《心配》


(……こんなに、誰かが自分を気にしてくれる世界……あるんだ)


 胸がじんと温かくなる。


 ――が、その瞬間。


 手が滑って別のボタンを押した。


 ピロン。


《VCに参加しますか?》


「あーーーー待って待って待って!! 押してない!!」


「誤爆!? やめて!! VC入ったら修羅場よ!!」


「どうすればいいの!? 消して!!」


「戻るボタン押しなさいって言ってるでしょ!!」


「どれよォォォ!?」


 パニックで変なスタンプを十連投してしまい、

 チャットがさらにざわつき始める。


《!?》

《千華スタンプ連打!?》

《元気じゃん!?》

《逆に心配なんだけど!!》

《誰か状況確認いってこい》


「ぎゃーーーー!!!!!」


「落ち着きなさいって言ってるでしょ!!!(怒)」


 二人の口喧嘩のせいで状況がさらに悪化する中、

 なんとか千華(中身秀次)は文章を打ち込んだ。


《今日は体調悪くて休みます、ごめん》


 送信。


 すぐに返事が届いた。


《お大事に》

《無理しないでね》

《また来週!》


(……優しい……こんな優しさ、知らない……)


 胸の奥がじわりと熱くなる。


 落ち着いたころ、

 スマホの向こうから秀次(中身千華)のため息が聞こえた。


「はぁ……今日はもういいわ。

 配信もないし、ゲーム仲間にも連絡済んだし」


「……あんた、毎週こんなに忙しいの?」


「忙しいというか、まぁ……生活習慣みたいなものよ」


「家庭は? 帰って……怒られたりとか」


 少しの沈黙。


 それから、落ち着いた声で――しかしどこか乾いた響きで言った。


「……私、一人暮らしだから」


 心臓が、どくんと揺れた。


「え……」


「誰も帰ってこないし。

 誰も“おかえり”も言わないし。

 私がどこで何してても、怒る人なんていないのよ」


 その言葉は淡々としているのに、

 どうしようもない寂しさがにじんでいた。


(これが……千華の“普通”……?)


「寂しく……ないのか?」


「……慣れてる」


 ほんの一瞬だけ、声が震えた。


「じゃあさ……」

 秀次(中身千華)の声が、少しだけ柔らかくなる。


「田辺家、どうだった? 母さんとか……柚とか」


「……っ」


 胸が痛んだ。


 あの夕飯の温度。

 心配してくれた声。

 笑い合う空気。


(あんなの……反則よ)


 喉が熱くなる。


「……別にどうもしてない。ただ……」


「ただ?」


「うるさかった。でも……温かかった」


 その告白は、

 語尾だけが小さく震えていた。


「とにかく明日も学校あるんだから、早く寝なさい」


「は? 私今説教されてる?」


「当然でしょ。アンタ明日、“千華”として教室に立つのよ?

 一秒でも寝不足なら挙動でバレるわよ?」


「……すごい圧」


「これくらい普通」


「どこから湧くのよその管理精神……!」


「黙って寝ろ」


「……はい」


 自分より自分をコントロールしてくる“自分の声”に、

 千華(中身秀次)は思わず苦笑した。


 通話が切れる。


 直後、静寂が落ちてきた。


 田辺家のにぎやかさとは真逆の、

 白い天井がやけに冷たい。


(……違う家の匂いだな)


 布団に沈み込むと、胸がきゅっと締めつけられた。


 たった今まで通話していた声。

 それは自分の身体から発されていた声。


 でも――

 その声は思っていたより、ずっと優しい響きを持っていた。


 暗い部屋で、千華は小さくつぶやく。


「……私も」


 声が震えた。


「私も……居場所がほしいよ」


 誰にも届かない言葉。


 しかしそれは、

 確かに“境界線を越えた気持ち”だった。

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