第1話-3-

 マンションに左右を挟まれた細い路地には、入り口の鳥居からずっと砂利が敷かれている。その奥、突き当りには小さな本殿がある。

 その左手にあるのは、細長い古民家のような建物。社務所だろうか。御守りやおみくじなどが並べられた窓口が見える。


 少年に促されるまま、照は社務所の中へ入っていった。

 入ったところは応接スペースになっているらしく、折り畳み机とパイプ椅子が並べられている。入口の正面には引き戸があり、奥の建物へと続いているようだ。

 入って右手側は、机と棚が置かれた事務所スペースになっている。かなり雑多に物が置かれ、お世辞にも片付いているようには見えない。

 左手の一番表通りに近い側は窓口で、小上がりになって畳が敷かれていた。


「なになに?お客さんー?」


 テンション低そうな声とともに、巫女服の少女が起き上がって声をかけてきた。小上がり部分に置かれた座布団に寝転がっていたらしい。


(巫女さんいたんだ……)


 と言っても巫女服を着ているだけで髪はピンク、だらしなく気崩していて中に着ているTシャツが見えている。しかもスニーカーだ。

 除霊の神社とか言ってたし、そういうものなんだろうか。


「お客さんじゃない」


 少年が巫女さんに声をかける。


「なんか……じっちゃんの孫?だって」

「孫?!マジでー?」


 少女は急に大きな声を上げて、バタバタと駆け寄ってきた。


「二葉、失礼」

「だってー、じっちゃんの孫でしょー?じゃー身内みたいなもんじゃーん」


 身内?

 この人たちは、祖父とはどういう関係だったんだろうか。


 少年に勧められるまま、照はパイプ椅子に座る。

 向かいに少年が座り、横から巫女さんが覗き込んでくる。


(なんだこの状況……)


 照が戸惑っていると、少年が丁寧に頭を下げた。


「オレは、アラタ。えっと……じっちゃんには世話になってて」

「えっとー、アタシは二葉。ここで巫女さんやってるー」

「ど、どうも」


 いっぺんに名乗られて、照はぎこちなくお辞儀を返した。


「わたしは豊橋 照って言います」

「豊橋……?名字違うんだねー」


 ぶっきら棒で無表情だが、言葉遣いは丁寧なアラタ。

 ちょっとテンション低そうに話す二葉。


 神社?これで?

 本当に祖父はここに住んでたの?


 そんなことを思いながら、照はぎこちなく笑顔を作る。


「でー?じっちゃんのお孫さんが、なんで急に?」

「あ、その……祖父の住んでた家を見に来た、っていうか……」

「遊びに来た感じー?」

「いや、そうじゃなくて……祖父が亡くなったって聞いたので、相続のために……」

「あー、相続ね…………え?相続?」


 少しつぶやいてから、二葉は急に大きな声を出した。


「じゃ、もしかしてあたしたちここから追い出されちゃう?!」

「そう、なの?」

「だってー、百人さん言ってたしー。相続の人が来たら、この神社取り壊されるって」

「いやいやいや!」


 なんで突然そういう話になったのか。

 慌てて、照は手を振って否定する。


「そういうのは、まだ全然、なにも決まってなくて……」

「え、そなの?」

「相続の手続きとかも終わってないっていうか……」


 そのとき社務所の入口の扉が開いた。

 今度はスーツ姿の青年だ。手にはコンビニの袋。


「おや、お客さんですか?」


 青年はゆっくり入ってきて、照に軽く会釈した。


「除霊のご相談ですか?それとも────」

「じっちゃんの孫、なんだって」


 アラタに言われ、青年は驚いた顔で照を見る。

 そして姿勢を正して、今度は丁寧に頭を下げた。


「これは失礼しました。私は百人圭介、鳴子除霊サービスで事務をやっています」


 礼儀正しく頭を下げられて、照は慌てて立ち上がって自分も頭を下げた。

 ────名刺でも持ってくればよかった。

 まるで、前の会社にいた時の来客時の対応を思い出す。


(あ、でも今無職じゃん)


 持ち物を頭の中で確認しても、名刺入れなんて入っていない。

 というか、今もスーツなんて着ていない。

 相手だけがスーツを着ている居心地の悪さに、照はつい動きがぎくしゃくしてしまう。


「ところで────」


 頭を上げてから、百人は言った。


「お孫さんということは……鐵蔵さんが亡くなった、ということはすでに御存じなのですよね?」

「は、はい……」


 ざっと、これまでの経緯を説明する。

 父から電話があったこと、祖父には会ったことがないこと、相続のために祖父が住んでいたという家を確認しに来たこと────。

 しばらく無言で話を聞いていた百人は、照の話が終わった後もなにかを考えるように、じっと照の顔を眺めていた。


「なるほど。事情はわかりました」


 少ししてから、百人が言った。


「実は……私たちはみな、鐵蔵さんに助けてもらったことがあるんです」


 言いながら、百人は少し目を細めた。


「アラタは生まれつき犬神に呪われていました。

 犬神というのは、とても力の強い悪霊です。その強さゆえに、両親も親族も、近所の人たちまで呪いに巻き込まれて……。本人も、あやうく命を落とすところを鐵蔵さんに助けられたんです。

 そっちの二葉は、自信が悪霊にとり憑かれて街をさまよい、人を襲っていたところを同じく鐵蔵さんに助けられました。……私も、悪霊に襲われていたところを同じように助けてもらったんです」


 悪霊。

 今までの照の人生で、聞いたこともかかわったこともない単語。

 さっきアラタが自分の目の前で、真っ黒いモヤモヤを消すところを見ていなければ、どこかのおとぎ話かなにかだと思っていただろう。


「私たちは恩返しをするために、鐵蔵さんの仕事を手伝うようになりました。それが、この鳴子除霊サービスなんです」


 うーん、と照は唸った。

 除霊。悪霊。あまりにも自分の生きてきた世界と違いすぎる。

 でも、目の前にいる3人はその世界で生きて、仕事をしてきたのだ。

 アラタも二葉も、まだ学生くらいの年齢に見える。百人だってそう離れてはいないはずだ。

 3人とも、自分にとって非日常の出来事イベントが日常の出来事イベントの世界で生きてきた、ということなのだろう。

 こんな世界が。こんな人たちが。

 祖父と一緒に暮らしていたなんて。


「そこで、ご相談……というか、お願いがあるのですが」

「え、はい?」


 唐突に言われ、照は思わず背筋を伸ばした。


「鐵蔵さんのお孫さん、ということは、この神社の相続に関して権利をお持ちなのだと思うのですが……」

「あ、その」


 慌てて、両手を振って否定する。


「まだなにも決まってないっていうか……現状を確かめに来ただけなので、ここをどうするとかはまだなにも決まってなくて────」

「そう、ですか……」


 そう言うと、百人はおもむろに立ち上がり、机に手をついて頭を下げた。


「でしたら、お願いします。

 ……この神社と、鳴子除霊サービスを、継いで遺していただきたい」

「……は?」


 唐突な言葉に、照は固まった。


 いやいやいや無理無理無理!

 こんなどこからどう見てもごく普通のありきたりな人生を送って来た人間に、悪霊だの呪いだのごく自然に飛び交うような業界の会社の跡を継ぐ?

 意味が分からないにもほどがある。


「鐵蔵さんが命を落としたのは、ある事件がきっかけなんです」

「事件?」


 百人の言葉に、照は眉をしかめる。


「実は……アラタに憑いていた犬神は、ある宗教団体が悪霊をコントロールしようという目的で生み出した悪霊だったんです。

 もちろん悪霊をコントロールする方法なんてまだ発見されていません。当然失敗して、その結果アラタの両親やその周囲に呪いを振りまくだけに終わりました。

 ……しかし、その団体は懲りずにまた悪霊を生み出そうとしていたんです」


 なんかまたよくわからない話が始まった、と照は思った。

 でもさすがに宗教団体がどうとか、胡散臭いんじゃない?


「連中は山奥に研究所を作って、信者を集めて実験してたんだ」


 今度はアラタが話し始めた。


「そいつらに家族を連れていかれたっていう人からの依頼で、オレたちは研究所の場所を探してた。

 で、先月ようやっとその場所を割り出して、みんなで乗り込んでって研究所を潰してきたんだ」

「先月、ニュースにもなっていたと思いますよ。とある宗教団体が違法な薬物を所持、販売していたということで摘発されています。

 この違法な薬物というのは、悪霊を生み出すときに使う材料のことですね」


 言いながらスマホでネットニュースを見せる百人。

 その事件は照も見覚えがあった。

 ────え、てことは全部本当の話?

 まだ半信半疑のまま照は聞いていた。


「ただ……そのとき、連中が呼び出した悪霊と呪いを、じっちゃんが受けたんだ。

 ────オレたちを守る為に」


 言いながら、悔しそうに机に拳を置くアラタ。

 百人も二葉も、沈んだ表情で黙り込む。


 確かに、祖父の死因を聞いていなかった。

 もしかしたら父も聞かされていなかったのかもしれないが、悪霊に殺されたなんて言われても信じられなかっただろう。


 え、でもちょっと待って?

 あまりにも、あまりにも自分の生きてきた世界の常識とかけ離れすぎている。

 悪霊、呪い、除霊。

 この人たちは、たぶんウソは言っていない。

 ウソだとして、ウソを言う意味がわからない。


 照が黙っていると、アラタは言った。


「じっちゃんのやり残したこと、続けたいんだ」

「あたしも、まだ恩返しできてない」


 隣で二葉も口を開く。


「改めて、お願いします。名前だけでもかまいません。この神社の社長になっていただけませんか?」

「実際の除霊の仕事はオレたちがやるから大丈夫」

「あたしもちゃんと仕事するからさ」

「ええー……」


 3人に詰められ、照は返答に詰まる。


 ……こんな訳の分からない話、断るべきだ。

 いくらなんでも胡散臭すぎる。

 だいたい、会ったその日のうちにされるお願い事じゃない。

 悪霊を除霊する神社の社長なんて、たとえ名前だけだとしても、いきなり自分に務まるわけがない。


 いや、でも。と照は思った。


 ────ここで断った場合。

 この神社をどうするかは置いておいて、すぐにでも仕事は探さなければいけない。

 次の職場がどういう条件かはわからないけど、きっと似たような仕事だろう。

 今までと同じように働いて、今までと同じように生活して。

 当たり前が繰り返される日常に戻るだけだ。


 ────では、もしこの話を受けたとしたら?

 少なくとも住む場所と社長という仕事が、今すぐ手に入る。

 今までとは違う日常になることは確かだ。

 除霊なんて言われても全然わからないけど、この人たちはずっと除霊の仕事をやって来た。

 自分は社長として、会社と神社が残るようにすればいいだけ。


 あれ?もしかして、あんまり悪い話じゃない?

 むしろ、わりといい出来事イベントなのでは?


 社長を継いだら、必死で次の仕事を探さなくてもいい、ってこと?

 あんなクソみたいなブラック企業で、楽しくもないクソみたいな仕事を押し付けられる、 クソみたいな出来事イベントしか起こらない毎日とはおさらばできる、ってこと?


 いいことづくめじゃない?

 いや、それどころか人生大逆転じゃない?

 これまでのどん底人生から一転、会社、じゃなかった神社社長だなんて

 生まれて初めて、いい方向の出来事イベントが!


 いやいや。

 いやいやいやいやいや。


 頭の中をいろんな考えがぐるぐると廻る。


 ふと顔をあげると、真剣な表情の3人と目があう。

 思わず気圧されてしまう。


「え、えっと……」


 遠慮がちに、照は言った。


「もう少し、考えさせてください」



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