第4話 ファーストコンタクトの衝撃
駅前の喧騒を抜け、僕たちが足を踏み入れたのは地域でも最高級とされるホテルのラウンジだった。高い天井に煌めくシャンデリア。床には足音が吸い込まれるような深紅の絨毯が敷き詰められている。漂う空気そのものが「庶民お断り」と言っているような場所だ。
「……手、汗ばんでるよ」
「っ! す、すいません……」
僕が耳元で囁くと、隣を歩く天童かれんが身体を縮こまらせた。繋いだ手から彼女の極度の緊張が伝わってくる。無理もない。彼女は今、人生を左右する決戦の場に向かっているのだ。しかも、頼みの綱は「学校一の陰キャ(変装中)」という、あまりにも細い糸一本。
「胸を張って。君は何も悪いことはしていない」
「で、でも……相手はあの西園寺さんです。もしボロが出たら、実家の父にも迷惑が……」
「大丈夫。今の僕は仁科悠じゃない。君が選んだ『最高の恋人』だ。そうだろう?」
僕が繋いだ手に少しだけ力を込めると、彼女はハッとしたように僕を見上げた。 コンタクト越しの視線が合う。僕はあくまで余裕たっぷりに微笑んでみせた。
「僕を信じて」
「……はい。お願いします、悠くん」
彼女が小さく深呼吸をし、表情を引き締める。よし、顔つきが変わった。さすがは生徒会長、土壇場での覚悟はあるようだ。僕たちはウェイターに案内され、ラウンジの奥まった席へと進んだ。
そこに、奴はいた。
窓際の特等席。革張りのソファに深々と腰掛け、脚を組んでいる男。西園寺誠也(さいおんじ せいや)。年齢は二十代半ばだろうか。仕立ての良いグレーのスーツを着ているが、ネクタイは少し緩められ、どこか粗暴な印象を与える。整った顔立ちではあるが、その目は爬虫類のように冷たく、他者を値踏みするような不愉快な光を宿していた。
「――遅い」
僕たちが席の前に立つや否や、西園寺はスマホから視線を外さずに言い放った。 挨拶もなし。典型的な「自分以外はNPCだと思っているタイプ」だ。
「申し訳ありません、西園寺さん。少し手間取ってしまって」
かれんが強張った声で謝罪する。西園寺は鼻で笑い、ようやくスマホをテーブルに放り出した。そして、ゆっくりと顔を上げ――僕を見た。
「……あァ?」
その眉間に、深い皺が刻まれる。予想外、という反応だ。かれんから「彼氏を連れて行く」と聞いて、どんな男を想像していたのかは知らない。だが、少なくともこんな「同格」あるいは「それ以上」のオーラを纏った男が来るとは思っていなかったのだろう。
「初めまして。かれんとお付き合いさせていただいている、仁科です」
僕は西園寺の不躾な視線を柳のように受け流し、スマートに一礼した。そして、流れるような動作でかれんの椅子を引く。
「座って、かれん」
「あ、ありがとう……」
彼女を座らせてから、僕も対面の席に着く。背筋を伸ばし、軽く膝を揃える。 西園寺のふんぞり返った姿勢とは対照的に、隙のない姿勢を維持する。これがボディランゲージによる最初の攻撃だ。『品位』において、こちらのほうが上だと無言で知らしめる。
「……フン」
西園寺は不快そうに舌打ちをした。
「おい、かれん。なんだこいつは」
「えっと、ですから……私の、お付き合いしている……」
「聞いてねえよ、そんな建前は」
西園寺は乱暴にかれんの言葉を遮った。
「どこの馬の骨だって聞いてんだよ。見たところ、学生か?それとも売れないモデルか?チャラチャラした格好しやがって」
チャラチャラ、ね。今日の僕のコーディネートは、姉さん監修の「富裕層向け・若手実業家風」だ。これをチャラいと断じる時点で、彼の美的センスあるいは金銭感覚がどの程度か知れるというものだ。
「現在は学生ですが、将来的には……そうですね、世界を見据えた仕事をしたいと考えています」
僕は嘘は言っていない。哲学書を読んでいる(フリをしている)のも、ある意味で世界を見据えていると言えなくもない。
「ハッ!学生風情が大きく出たな。どうせ親の脛かじりのガキだろ」
「そういう西園寺さんは随分とご立派な身分のようで」
「当たり前だ。俺は西園寺グループの次期総帥だぞ?お前みたいな有象無象とは住む世界が違うんだよ」
西園寺はテーブルの上にある水を一口飲むと、さも汚いものを見るような目で僕を見た。
「で、いくらだ?」
「……はい?」
「だから、いくら貰って『彼氏役』を引き受けたんだって聞いてんだよ。学生のバイトにしちゃあ、マシな面構えだがな」
ドキリ、とかれんの肩が震えた。鋭い。いや、鋭いというよりは、彼の思考回路が「金で解決できないものはない」という発想に基づいているだけだろう。かれんがそんな器用な真似(レンタル彼氏の雇用)をするはずがないと思いつつも、カマをかけてきているのだ。
ここで動揺すれば、思う壺だ。僕は表情一つ変えず、静かに微笑んだ。
「面白い冗談ですね。僕とかれんの関係をお金で換算するとは……さすがは西園寺グループ、すべての価値基準が『円』なんですね。勉強になります」
「なんだと……?」
西園寺の目がすうっと細められる。挑発には皮肉で返す。あくまで丁寧語で、しかし内容は相手の品性を貶める。これが一番効く。
「僕たちは真剣にお付き合いしています。今日は、あなたが彼女にしつこ……いえ、熱心に求婚されていると聞いて、一度きちんとお断りするために伺いました」
僕はテーブルの上で手を組み、真っ直ぐに西園寺を見据えた。
「単刀直入に申し上げます。彼女は僕の恋人です。婚約の話は白紙に戻していただきたい」
空気が張り詰める。ラウンジの穏やかなBGMが遠くに聞こえる。西園寺はしばらく僕を睨みつけていたが、やがて低い声で笑い出した。
「クク……ハハハ!傑作だ!白紙に戻せ?俺に命令するのか?このガキが!」
バン!とテーブルを叩く音。周囲の客が驚いてこちらを見るが、西園寺はお構いなしだ。
「いいか、勘違いするなよ。この婚約は天童家と西園寺家のビジネスだ。かれんの父親も土下座して頼んできたんだぞ?『どうか娘を貰ってやってください』ってな!」
「……っ!」
かれんが唇を噛み締め、俯く。事実なのだろう。彼女の家は名家だが、最近は経営が傾いているという噂も聞く。この男は、それを笠に着て彼女を支配しようとしているのだ。
「かれんは俺の所有物(モノ)になるんだよ。飾り人形として俺の隣に置いてやるって言ってんだ。感謝こそされ、拒否権なんてあるわけねえだろ」
「……」
「おい、そこの学生。お前もだ。遊びで手を出したんなら見逃してやる。今すぐ消えろ。手切れ金くらいなら恵んでやるぞ?」
西園寺は懐から分厚い財布を取り出し、数枚の万札をテーブルに放り投げた。 ヒラヒラと舞い落ちる福沢諭吉。あまりにも陳腐で、三流ドラマのような悪役ムーブだ。だが、実際にやられるとこれほど腹が立つものもない。
僕はチラリとかれんを見た。彼女は悔しさに震え、膝の上で拳を握りしめている。泣き出しそうなのを必死に堪えている顔だ。……OK。状況は把握した。そして、僕の中で「スイッチ」が完全に切り替わる音がした。
(……仕事だから、適当にあしらって終わらせるつもりだったけど)
僕はゆっくりと立ち上がった。西園寺が見上げる。
「あ?なんだ、金が足りねえのか?」
「いえ。チップにしては少なすぎますね。ホテルのサービス料にもなりませんよ」
僕はテーブルに散らばった札には目もくれず、静かに、しかし冷徹な声で告げた。
「西園寺さん。あなたは二つ、大きな間違いをしている」
「あぁ?」
「一つ。天童かれんは物じゃない。意志を持った一人の人間であり、誰よりも気高く、美しい女性だ。それを『飾り人形』などと呼ぶあなたの感性は、このコーヒーの澱よりも濁っている」
僕はウェイターが運んできたばかりのコーヒーを指差した。
「そして二つ。……あなたは僕を『ただの学生』だと思っているようですが」
僕は眼鏡のない素顔を近づけ、西園寺の目を至近距離で覗き込んだ。普段、分厚いレンズの下に隠している「観察眼」を全開にする。相手の動揺、コンプレックス、微細な表情筋の動き。全てを見透かす、捕食者の目。
「僕から見れば、あなたは『親の威光』という鎧を着ていないと何もできない、哀れな裸の王様にしか見えませんよ?」
「き、貴様……!」
西園寺の顔が朱に染まる。激昂して立ち上がろうとする彼を、僕は言葉だけで制した。
「座りなさい。まだ話は終わっていない」
低い、絶対零度の命令口調。普段の「ニシナ」からは想像もつかない威圧感に、西園寺が一瞬、気圧されて腰を浮かせたまま固まる。その隙に、僕はかれんの肩を抱き寄せた。
「かれん。よく聞いて」
「は、はい……」
「こんな男に、君の人生を預ける必要は一ミリもない。君の隣にふさわしいのは、君を尊重し、君と同じ目線で歩ける男だけだ」
僕は彼女の瞳を見つめ、甘く、優しく囁いた。
「例えば――僕のような、ね」
ドキン、と彼女の心臓が跳ねる音が聞こえた気がした。顔を真っ赤にしてフリーズするかれん。そして、顔を真っ赤にして怒り狂う西園寺。
さあ、ゴングは鳴った。ここからは一方的な蹂躙(論破)の時間だ。S級レンタル彼氏の「接客術」の裏メニュー、『害虫駆除』のスキルをお見せしよう。
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