生贄は恋を知る

川獺

生贄は恋を知る

 街を彩るランタンや色とりどりの布飾り、三年に一度の竜神祭の季節の訪れを感じさせる。街並みはいつもよりも美しく派手に、行き交う人々も浮足立っていた。ただ一人浮かない顔をしている自分と、名残を惜しむ母親を除いて。

この街では三年に一度、古き白亜の城を根城にする竜神様を祀り、齢で言うなら十を越えた子どもを一人贄として差し出している。贄になる子どもは生まれた時から決まっており、成長するまでそれはそれは清く正しく大切に育てられる。何を隠そう、今年迎えた三年越しの竜神祭の贄は、十五になる自分だったのだ。

「母上、今までありがとう」

「ああ、リチャード……」

 祝祭用の真白い装束を身に纏い、玄関で最後の別れを惜しむ様に母に抱き締められる。父は贄として選ばれた自分を寧ろ誇らしく思っているようで祝祭に肯定的だった。そう、この街では竜神信仰こそが絶対の宗教国家なのだ。故に贄とは竜神様に選ばれし貴重な存在とされる。そうしている内馬車が止まる音がし、ドアをノックされた。

「リチャード殿をお迎えに上がりました」

「それでは母上……行ってきます」

 母に別れを告げて玄関を出ると、祝祭の衣装を身に纏った祭司が居た。馬に括り付けられた竜神祭用の飾り付けが施された馬車へと誘われる。白い装束を汚さない様に気を付けながらキャリッジへ乗り込むと司祭も共に乗り込み、手綱引きが馬に合図を送りゆっくりと動き出す。パレードの意味合いを兼ねたそのゆったりとした動きの馬車はどうにも落ち着かなかった。竜神様の贄として捧げられ、そして帰って来た者は一人もいない。つまりはそういう事なのだろう。それを街の皆は浮かれた様子で手を振って来る。まるで英雄の旅立ちの様な扱いだ。

「司祭様、この後私は何処へ行くのでしょう」

「このパレードが終われば、その足で竜神様のおわす古城の麓の祭壇に向かう予定ですよ」

「そう、ですか……」

 そうして喋っている内にも沢山の人々に見送られ、パレードは着実にゴールである古城の麓に向かっていく。竜神様、とは宗教画で見覚えのあるお姿以外は正直その名しか知らず。巨大な竜の姿をした神であらせられるという事しか分からなかった。信心深い父のもと、何度も礼拝堂へ通った事はあるが知識としては子どもの自分にはその程度の物だったのだ。

 ゆっくり、ただ古城の麓を目指しゆっくりと馬がキャリッジを引いて行く。いつの間にか街を出て、古城に程近い森へと踏み込もうとしていた。次第に祭壇が見えて来る、ああ、これでもう自分もいよいよ……と腹を括った。白く美しい花々に囲まれた石積みの祭壇は、思っていたよりも神聖なものだった。馬が足を止める、すると司祭に手を引かれてキャリッジを降りた。祭壇にはキャリッジの手綱引きと司祭、そして捧げられる自分だけ。覚悟を決めて祭壇へ踏み出すと遠くから大きな何かが羽ばたく音が聞こえた。

『我はもう贄は要らぬと申したというのに……』

 風を切り空から羽ばたきと共に現れた巨大な美しきの竜、それこそが我々が絶対的な信仰をする竜神様そのお方だった。初めて見るそのお姿に目を丸くして見詰める。翼を折り畳み長い尾をしゅるりと靡かせ祭壇に座する、その姿は正に神々しいと言うより他なかった。

「しかしこれこそが我々の竜神様への信仰の証、どうかお受け取り下さい」

『もう金輪際贄は出さぬと誓え、それを竜神の言葉と心得よ』

「はっ、しかし……わかりました、心得まして御座います」

 竜の唸る様なな声と共に甘く優しい声が重なる。司祭が困った様に応えているが、どうやらこの神様は贄を欲しがってはいないらしい事だけは分かる。では何の為の祝祭だったのか、それは信心深過ぎる街の民達がそう信じ続けてきた末路なのだろう。そのなんと皮肉な事か。

『そこの者、我が怖いか?』

「いいえ……お美しいです」

 これは本心だった。初めて見た瞬間から美しいと思ったのだ、今は折り畳まれたその翼も、その神々しいお姿も、恐ろしいなどとは思わなかった。大層美しかった。

『……そうか。最後の贄としてお前を連れて行くが良いな?』

「その為に此処におります、構いません」

『分かった』

 竜神様は再び翼を広げ、大きく羽ばたき宙に浮きあがる。その際白き綺麗な花々の花弁が舞った。大きな足に身体を掴まれ、そして次の瞬間には竜の咆哮と共に大空へと舞い上がっていた。その咆哮はきっと街にも届いた事だろう、祝祭に彩られた街が次第に小さく見える。真っ直ぐに根城とされている白亜の古城へと空を切って空を我が物の様に羽ばたくその姿は成程信仰の対象とされるのも頷ける程だった。掴まれた足に確りとしがみ付き、振り落とされない様に注意を払いながらどんどん遠ざかる街を見下ろした。

 古城に辿り着くとバサリと翼を折り畳み空中でそのお姿が変わっていく。竜の翼と尾が生えた人と変わらぬ風貌へとその身を移すと落とさぬ様に軽々と抱き抱えられた。ゆっくりと羽ばたき、地に降り立つとその翼と尾も消え、靡く長い白の衣服を纏った人と何ら変わりないお姿へと変わられた。美しいブロンドが太陽の光を受けて輝き、月の如き金の双眸が抱えられた自分を見る。

「これが本来の姿だ、拍子抜けたか?」

「いいえ。すこし驚きましたが」

 抱えられていた自分を地に降ろし、そして古城の門戸を開く。重そうな黒の鉄格子の門は見た目によらず、竜神様で手を掛けるとすぐに主を迎え入れる様に開き、そして二人を迎え入れると同時にその門を閉ざした。

「こっちだ」

「はい、すぐに」

 祭壇にもあった沢山の美しい白い花が咲き誇る立派な庭園を抜けると、いよいよ古城の入り口だった。その扉を開くと中では自分より年上と思しき子どもや青年、女性らが竜神様を出迎えた。

「おかえりなさい、リゲル様」

「おかえりなさいませ!」

 そう口々に歓迎する様子で皆が笑顔で迎えている、これは一体……と不思議に思い竜神様と彼らを交互に見るとすぐに答えを教えられた。

「彼らはお前と同じ元贄だった者達だ。我が匿っている」

「それでは……」

「街の者達は我が贄を食うと思い込んでいる様だが、生憎人を食す趣味はない」

 生きていて一番ほっとした瞬間だったかもしれない、それまで贄として生かされ続けてきたのも食べられる為だと思って居たからだ。そうでないとはきっと此処にいる彼らと竜神様本人しか知らない事だろう。

「改めて言うが人は食わない。食料は森で余が狩っている。心配するな」

 安堵したのを見破られたのか、そう優しく声を掛けられる。その穏やかな声のお陰でより気が楽になった。改めて竜神様を見るとそれはそれは美しい顔(かんばせ)であった。これが本来の姿と言っていたが、宗教画にも司祭の話にも見た事も聞いた事も無かった。

「人として成りすまし街に出る事もある、故にこの姿を隠していると言えば分かるか?」

「……竜神様は心が読めるのですか?」

「さてな?それより竜神様、と呼ばれるのは少々歯痒い。リゲルでいい」

 悪戯ににこりと笑みを浮かべてはぐらかされる、だがある程度心が読めるか余程鋭いと見て相違は無いだろう。改めて名乗られるとすぐに頷き復唱する。

「……リゲル様」

「ああ、まだその方が良いな。して、名は何という?」

「リチャード、と申します」

「リチャードか、良い名だ」

 リゲル様より低い背丈故に容易に頭を撫でられる。何故だかそれが嬉しい様なもどかしい様な気持ちになった。綺麗な琥珀の瞳が新たな仲間として自分を見詰めている。思えばこれは初めての恋だったのかもしれなかった。この想いだけは見破られません様にと願いながら、まだ十五の自分の人生は大きく変わっていく事となった。

「さて、皆。新しい仲間を受け入れてやってくれ。夕飯の支度だ」

 ぱんぱん、と手を叩き出迎えてくれていた彼らに合図を送る。すると散り散りに持ち場へ戻り、何人かは食堂へと向かっていった。自分も何かを、とリゲル様をちらりと伺い見るとふふ、と笑って食堂へと手を引かれた。

「今日は今朝仕留めたばかりの獣肉がある。リチャード、料理の心得はあるか?」

「少しだけですが、母から教わっています」

「上々、ならば調理場の手伝いを頼もう。アンナ!」

「はい!リゲル様」

 食堂の奥の調理場からアンナと名を呼ばれたブロンドヘアの女性がすぐに顔を覗かせる。前掛けで手を拭い此方へと歩み寄って来ては、自分とリゲル様を交互に見、成程と頷く。

「リチャードにも料理を教えてやってくれ」

「わかりました、今日は獣肉のシチューに致しますね」

「それは楽しみだ」

 引かれていた手を離すと、アンナと呼ばれた女性に「あとは頼む」と短く伝えてリゲル様は何処かへ去って行った。その背を見届けてから、アンナへと向き直る。自分より幾らか年上だろうか、大人びた美女だった。

「それじゃあ始めましょうか!」

「はい、お願いします」

 そうしてアンナからの調理指導は始まった。幸い最低限の調理器具の扱いは教わっていた為そんなに手古摺らせることは無かった様に思う。

 獣肉を一口大に切り、城の庭で育った野菜や森で採れたキノコを小さくカットする。リゲル様は小さめのカットの方がお好みであるという事も知った。どうやらリゲル様が魔物や獣を狩り、その皮や牙、角等を売って生計を立てているらしい事も聞かされた。その売り上げは中々良く、貴重な調味料の類も揃っている。人の街に行くと言っていたのはその為かと思い知った。その調味料から塩と胡椒を手に取り、肉に下味を付けていく。小麦粉をまぶして軽くソテーしてからたっぷりのワインで煮込むのが美味しさの秘訣だと教わる。

「リチャードくん、他の男の子達より料理上手よ!」

「ありがとう御座います……」

 面と向かって褒められるというのは如何にも照れ臭かった。たっぷりのワインが注がれた鍋を火打石で火を付けた釜戸にくべる。そこにソテーした獣肉と野菜やキノコを投入していく。強火で一気に沸いたワインのいい香りが調理場に充満する。ぐつぐつと沸く鍋の中に刻んだトマトを加え、あとはひたすらに煮込むだけとなる。

「ここまでくれば大丈夫、煮詰めて水分が減ってとろみが出てきたら完成よ」

「なるほど」

「あとは……そうね、調理場の中をじっくり観察しとく?」

「そうさせて貰います」

 基本的には普通の家庭とそう変わらない調理場だ。明らかに違うのは保存されている野菜や肉の鮮度を保たせるために何かを施されている事だろうか。リゲル様の竜神故のお力なのかはわからないが、いずれも二~三日は余裕で保ちそうな新鮮さだった。

「これはリゲル様のお力ですか?」

「ああ、それね!そうそう、リゲル様が保存が効く様にして下さってるの。どうやってるのかまでは分からないんだけど……」

「不思議なものですね……」

 改めて自分が生かされていた現実との乖離を感じた。まるで別の世界に来てしまったかの様にすら感じる。すっかり此処に住まう彼らは慣れてしまっている様子だが、来たばかりの自分には新鮮な事ばかりだった。

「さて!そろそろ出来上がりね」

 色々と教えて貰っている内、アンナが鍋の中を木製のスープレードルで掻き混ぜそのとろみの付き具合にうんうんと頷いた。掻き混ぜる度にシチューのいい香りが広がる。

「今日はありがとう御座いました」

「いいのいいの、リゲル様の頼みだもの。きっとこれからも色々あると思うけどすぐ慣れるわ」

 アンナがにこりと笑う、きっと彼女は此処に来てからそれなりに長いのだろう。三年毎に行われる竜神祭、一体どれ程の贄達がディオン様の下で匿われ続けたのか。歴史のある行事故にきっと亡くなった者達も居るのだろう。その度、ディオン様は辛い思いをされてきたのかもしれない。それともそれも慣れてしまう物なのだろうか。それは自分には分からなかった。

「リチャード」

「リゲル様!」

「あ、リゲル様。今夕飯が出来上がりましたよ」

「ありがとうアンナ、もう少ししたら皆を呼んで支度をしよう。少しリチャードと話がしたい」

「私と、ですか?」

「ああ。少し庭に行こうか」

 調理場に顔を覗かせたリゲル様が自分に目配せをしてくる。アンナにも声を掛ける中、何か御用だろうかとすぐに其方へ向かうと食堂を抜けてエントランスホールへ出る。そのまま付いて行くと来た時に通った白の出入り口の扉をリゲル様が開いた。外に出るとすっかり太陽も傾き夕陽が白亜の城を鮮やかなオレンジに染め上げていた。

「リチャード、お前は余を怖がらなかったな」

「ええ」

「その様な反応をしたのはお前が初めてだった」

「そうなのですか?」

 意外であると思った。しかし普通は齢十そこそこの子どもが初めて巨大な竜を見れば怖いと思うのも無理は無いのかもしれない。しかも食われるかもしれないと思って居れば尚の事だ。リゲル様は慣れた様子で庭を歩き、そして白く咲き誇る花々の方へ向かう。はぐれない様にそれに付いて行った。

「この花はいつ何時でも綺麗だな」

「美しい花ですね、リゲル様のようです」

「ふふ、それも初めて言われた。この国を象徴する花だ」

 リゲル様がその指先で沢山の花々の中から一本を摘み取り、そしてそっと花の匂いを嗅ぐ。白い花はとても彼に似合っていて、その美しさに思わず見惚れた。

「夕飯を食べる前に、少しばかり手向けをしようと思ってな」

 追加する様にまた数本ぷちり、ぷちりと飛竜草を摘み取って小さな小さなブーケにする。するとそれを持ち庭の裏側へと回った。古城の広い裏庭の隅に置かれた一角、そこには石碑が置かれていた。目的地はそこの様で、その前に辿り着くと石碑にブーケを手向けた。

「此処に贄として我に捧げられてしまった者達が、寿命を終えたり病で亡くなったりした時に眠る場所だ。」

 何処か悲し気に見えるその表情で、石碑に向かってリゲル様は祈りを捧げていた。そよ風がブーケを揺らし、そして花弁が数枚舞い上がる。その姿は儚く、美しく、悲しかった。

「竜神祭が訪れる度にこうして花を手向けている。お前にも教えておこうと思ってな」

「竜神祭は、リゲル様にとって悲しいものですか?」

 祈りを捧げ終わりそう言うと、踵を返してまた城へと戻っていく。その途中で声を掛けた。欲しても居ない贄を差し出され、そしてこうして匿い続け、死んでいく者達を静かに見送る事しか出来ない。祝祭に浮かれる街の人々とは裏腹にこんな事が行われていた等とは誰も知り得なかっただろう。

「悲しい……とも少し違うな、皮肉だがこうして誰かと居るお陰で寂しくはない。ただ複雑なだけだ」

「そう……ですか」

「さぁ、そろそろ夕飯にしよう。皆が待っている筈だ」

 リゲル様が手を差し出してくる。それを掴んで二人並んで白い花々の横を通り、共に城内へと戻っていった。









 それが私とリゲル様の出会いだった。次の竜神祭は司祭とリゲル様の交わした約束の通り贄は現れず、ただ街が浮かれ祝祭に酔いしれているだけだった。自分は十八に育ち、あの頃はまだ小さかった背丈も見目の変わらないディオン様を超すほど大きくなり体躯にも恵まれた。今は専ら力仕事や調理の補助、ディオン様の狩りの手伝いをしている。初めての恋はずっと胸の何処かで燻り続け、今もまだ想い続けていた。

「リチャード」

「はい、此処に」

 朝の早い時間、エントランスホールの階段を下りて来るリゲル様に流れる様に長槍を渡す。これから狩りの予定だからだ。自分は腰に剣を携え、補佐に回る予定である。

「大物が居ると良いが」

「この所はよく魔物も出ます、駆除には丁度いいかと」

 今日の狩りは魔物が対象だ。売り物になる魔物の皮や牙は街の民では早々手に入らない為重宝されやすい。貴重な皮を血で汚さない様に綺麗に仕留めなくてはならない為手腕が問われる。その点においてはリゲル様の槍捌きは正確で確実に喉笛を突くのに長けていた。

「肉の貯蔵は充分だったな、ならば魔物の肉も売ってしまおう」

「ええ、まだ御座いますのでそう致しましょう」

 ひらりひらりとリゲル様の丈長の白い装束が歩く度に靡く。白い花弁を思わせるそれが彼にとても似合っていて好きだった。そして返り血を浴びないという自信の表れてもある真白いそれは気高く美しい。城の扉を開き、庭を抜けると鉄格子の門が見える。それを開けて森に出た後はいつでも応戦出来る様武器に手を掛けて周囲を隈なく探った。

「リゲル様」

「ああ、あれなら申し分ない」

 森の奥でウルフの大きな魔物を視認し、息を潜めて二人で木陰に隠れる。様子を伺いながら、此方に背を向けた瞬間リゲル様が頷き号令を出す。魔物の意表を突く様に背後から攻め込み、携えた剣で牙と爪に応戦する。その間に木陰から狙い澄ませた槍が投げ放たれ、合図と共に数歩下がるとウルフの首を槍が貫通した。もがき苦しむウルフもすぐに大人しくなり、息の根が止まった事を確認するとリゲル様が此方に向かって来て槍を引き抜きそれについた血を振り払った。

「相変わらずお見事です」

「それ程でもない。さて、早速獲物を捌いて売りに行くか」

「解体はお任せを」

 まだ鮮度の良い内に小型のナイフで皮を剝いでいく、これももう三年の内にすっかり慣れたものだ。綺麗に肉と革の間の脂を削いでいけば一枚の革になる。後の加工はプロがやるだろう。続いて武具や祭具、アクセサリーに用いられる牙を抜き、肉として売るための血抜きをする。心臓の上部の頸動脈をナイフで切り、獲物を逆さに持ち上げる。滴りドクドクと流れ落ちていく血液が止まった頃にこれで良しとそれを巨大な革袋に詰め込み担ぎ上げ、ナイフを仕舞って衣服に付いたフードを顔を見られぬ様深々と被る。

「さて、参りましょう」

「ああ」

 リゲル様が力を籠めると輝きと共に竜の巨大な翼としなやかな竜の尾が生える。森のすぐ外まではバレないだろうと思ってなのか時折こうして半竜状態になる事があった。手を掴まれたかと思えばバサリと大きく翼をはためかせ勢いのままに宙に浮く。木々より少しだけ高く舞い上がり、森の出口まで確りと手を握り締め合い飛び立った。果たして重くは無いのだろうか、と不思議に思うが竜神であるディオン様には大した事ではないのかもしれない。精々振り落とされない様に獲物を確りと担ぎ握られた手を離さない事だけを考えた。あっという間に森の出口に辿り着くとふわりとその翼を風に乗せて高度を落とし、そして折り畳んで地に降り立つ。また輝きに包まれたかと思えば普段の人の姿に戻っていた。

 握っていた手を離して近くの無人の小屋に武器を隠してから街の方へと進んでいく、この道中ももう何度も通ったものだ。まずは鮮度が落ちない内に肉屋へこの大荷物を売りに行くことにしよう、と恐らく同じ考えのリゲル様と共に街へと歩いて行く。肉屋は街に入ってすぐにあった、人々の波が賑わいを見せるその中、逸れない様にと気を付けながら進んでいく。肉屋の店主に声を掛けると相手も慣れた様にその革袋から出された大きなウルフの肉の状態を見て感嘆する。相変わらずのいい仕事だと褒められ、肉と引き換えに金貨が入った袋を渡された。

 次に向かうのは革とアクセサリーを扱う店だ、剥いだばかりのそれを小脇に抱えて店を訪ねると此方も慣れた様に皮や牙の状態を鑑定していく。艶やかな牙と汚れも無く血の付着もほぼない美しい毛並みは予想以上の高値が付いた。リゲル様が代金の金貨の袋を受け取りにこやかに幾らかのやり取りをした後店を出る。

「何か必要な物はあっただろうか」

「しいて言えばパンを作る為の小麦が減って来た位でしょうか」

「成程、では少しばかり買って帰ろう」

 此度の上々の成果を握り締めてご機嫌そうにリゲル様が笑む。竜神様への供物として年に何度か祭壇に果物や野菜を捧げられることもあるが、こうして獲物を狩り稼ぐ事で匿われた子ども達が元気に育ち護られているという裏側を知れるのは今は自分だけだ。時には街で懸賞金が掛かった魔物を退治して稼ぐ事もある。古城での暮らしはそうしてディオン様の手によって守られ続いていた。

 街の市場は一段と活気付いている。改めて深くフードを被り直し、顔が知れない様に細心の注意を払った。案の定市場の片隅に母らしき人影を見つけたが、自分は本来死んだことになって居る身。声を掛ける事は叶わなかった。気を取り直して市場でまず必要な小麦粉を買い、それを脇に抱えながら今日の成果が良かった細やかな祝いに赤く瑞々しい林檎を二つ買う。こっそり二人で食べる為だ。落ち着ける場所は無いかと周囲を見渡すと丁度ベンチが空いていた。そこにリゲル様を誘導すると林檎を一つ渡した。

「たまにはこっそりこういうのも宜しいかと」

「全く……では折角だ、頂くとしようか」

 ベンチに隣並んで座り、くすくすと愉快そうに笑うリゲル様は心をどきどきさせた。真っ赤に鮮やかな林檎を握り、リゲル様が噛り付くをの見てから自分もそれに噛り付いた。程好く甘酸っぱく瑞々しいそれは口の中をさっぱりとさせてくれる。何よりこうして二人並んで同じものをこっそり食べている事がデートの様に思えてより鼓動は跳ね上がった。今だけはリゲル様を独り占め出来る、そんな優越感にも酔いしれながらシャクリシャクリと林檎に噛り付いた。

「うむ、美味い」

「とても綺麗な林檎だったのでつい。ですがお口に合って良かったです」

 林檎に触れる唇を、整った歯列が噛り付くその林檎をそっと見詰めてしまう。この想いは年々大きくなっていた。竜神様に恋をした、そんな者などきっと今までも居ないだろう。リゲル様はずっと見目も変わらない、それに対して自分はただの人でどんどん歳を取っていく。最初から分かって居た儚い恋だ。それでも林檎から手に滴る果汁を舐めとるその姿がやけに瞳の奥に焼き付いて離れなかった。








 そよ風に白い花々が揺らぎ、その花弁が儚く綺麗に舞い散る。大きな街を見下ろす様に鬱蒼と茂る森の中聳え立つ白亜の古城から響き渡る竜の咆哮は信心深い街の者達にもきっと届いた事だろう。グルル、と鋭い牙と喉を震わせる美しい一翼の竜神はあの街の信仰の対象だ。そのお姿は古くからずっと神として祀り上げられそして崇拝されている。永遠に近い時を生きる神。それが竜神――リゲル様だった。

 巨大な神々しい翼に長く美しい尾、そのお姿を間近で見られる物などごく一部に限られている。例えば代々受け継がれているあの街の祭司、そして過去に贄として竜神様に捧げられてきた子ども達。しかしそれももう終わりを告げた。竜神様が祭司に命を下し以降贄は二度と差し出される事は無くなった。贄として差し出された自分を最後にしてその皮肉な伝統は変えられたのだ。

「リゲル様」

 その呼び掛けに気付いたリゲル様は翼を折り畳み、眩い輝きと共に人の姿へと戻っていく。齢十八の自分は最初に贄として捧げられた十五の時よりも随分大人に成長し、視線もリゲル様より少し高くなっていた。

「すまない、少し感傷に浸っていた」

 それもそうだろう、長く贄として捧げられた子等をこの古城で匿い育ててきたリゲル様である。その子等がどんどん成長し、そして寿命や病を迎えて死んでいくのも当然の事だ。今日は一人の男性が命を引き取った、歳も三十と早すぎる突然の死だった。リゲル様によって何らかの不思議な処理を施された遺体は裏庭の石碑の下に眠らされている。一体今までに何人の子等を見届けてきたのだろうか。贄を捧げる儀式も終わりを告げた今では、きっと最後に残るのは自分だけだろう。あと何年、このお方の傍に居られるだろうか。

「泣いてもいいのですよ」

「お前は優しい子だな」

 悲し気なリゲル様を思わずそっと抱き寄せて背を撫でる。しかし首を緩く振るディオン様は決して涙を流しはしなかった。あの咆哮に全ての感情を乗せたのかもしれない。

 コツン、と額がぶつかり合い漸くリゲル様が少しだけ微笑む。それでも拭えない悲しみが滲んでいた。このお方に伝えたくても伝えられないもどかしい想いが胸をきつく締め付ける。この想いを伝えたら、また悲しい顔をさせてしまうかもしれない。困らせてしまうかもしれない。そう思うと言葉に出来なかった。様々な仕事を覚え、最終的に運良く側近の様なポジションを任された自分だからこそこうしてこのお方に寄り添う事が出来ている、それだけでも充分だと自分に言い聞かせた。

「我は歳を取らない、永遠を生きている。故に分かって居た事だが何度繰り返してもこればかりは慣れないな」

「リゲル様……」

 永遠に共に、とは約束出来なかった。自分はただの人でしかない。彼の傷を癒せる者は何処にも居ないのだ。それでも贄を出そうとした祭司に命を下し捧げることを禁じたのだから、もしも自分が死を迎えた時彼は本当に独りぼっちになってしまう。そんな事はさせたくなかった。例え短い生涯の人生だとしても、恋したお方の悲しい顔をこれ以上見たくはなかった。

「さぁ、そろそろきっと夕食だ。城にもどろう」

 気付けば空は夕陽に染まっていた、白い花々も白亜の城も美しい西日に照らされオレンジ色に染まっていく。沈みゆく太陽も今日は少しだけ寂しそうに見えた。頭をぽんぽんと撫でられ、そっと肩を押されて二人は離れた。もしも想いが通じた恋人であったなら、もっと抱き締めて決して離さないのに。そう思いながら素直にそれに従い庭先を歩いて行くリゲル様に続く様に城の扉を潜り控え目でありながら煌びやかな城内へと入った。

 まさに夕食の支度の途中なのだろう、食堂ホールは数人の男女が皿やパンを運び準備している。調理場の方から立ち込める良い匂いは恐らく野菜と肉のスープだろう。その香りを嗅ぐと急に腹が減った様な気になって来た。スープ皿に盛られた美味しそうなそれが人数分じわじわと運ばれて来る。本来食事も必要としないらしいリゲル様も夕食だけは皆とともにとっていた。

 次第に食堂に人が集まって来る、老若男女が皆それぞれ椅子に座ると揃ってから祈りを捧げて食事を口にした。野菜の育ちが実に良かった事や亡くなった仲間の思い出の話、今日のスープは誰が作ったかなど話題は尽きずリゲル様も嬉しそうにスープとパンを口にしてそれらを見守っていた。自分もスープにパンを浸して頬張る。この城の窯で焼かれたパンは街のパン屋のそれにも劣らない。

 これらも全て贄として捧げられた子等が代々受け継いできたもので、例に漏れず自分もパンの作り方や発酵の過程、そして焼き窯の温度調節なども一通り学んだ。リゲル様が直接指示した訳でもなく我々がリゲル様の喜ぶ顔が見たくて受け継いできたというのが正解なのかもしれなかった。誰よりも優しく、そして気高いリゲル様はまさしく崇拝に値する神であり、そして此処に捧げられた子等にとっては父や母といった親の様な存在でもあった。






 夕食の後、片付けや掃除などで散り散りになっていく皆を見送りながら、一人部屋に戻っていくリゲル様の背中を視線で追いかけた。少しした後、思い立った様にその後を追いエントランスホールの階段を登って奥まった場所にある豪勢な扉の前に立つ。扉を三回ノックし声を掛けた。

「リゲル様、リチャードです」

「ああ、入れ」

 夕方の光景が忘れられなかったのもある、だが頭でと言うより心が気付けばこの扉をノックしていたという方が正しいかもしれない。返答を受け取ると恐る恐る扉のノブを回して開き、そして部屋に入り後ろ手に扉を閉めるとディオン様はソファに凭れて座っており、部屋に入って来た自分を見ると体勢を正した。

「どうした?」

「いえ……これと言った用事は無いのですが……」

「ふふ、珍しいな。寂しくなったか?」

 幾ら背が伸びても、体躯に恵まれても、大人になっても、リゲル様にとってはまだ自分は子どもと変わらないのかもしれない。この国では十八で成人だ、つまりもう自分は本来大人と変わらなかった。しかし笑顔でおいで、と手招きされ素直に従うと隣に座る様視線で指示される。そっとそのふかふかとしたソファに座り、肩を並べた。

「寂しい、とは少し違うかもしれません」

「ほう?」

「言葉にしようとすると喉が痞えるのです」

「ゆっくりでいい、聞かせてくれ」

 優しくそっと頭を撫でられる、それがとても嬉しかった。そしてそれとは裏腹に本当に言ってしまっていいのかと心が揺れる。もしもそんなつもりはないと言われたら?やはりもしも逆に悲しませる結果になってしまったら?そんなもしも、が脳裏を駆け巡る。しかしそれでは何の為に来たのか分からない。墓まで持っていくつもりだった言葉を覚悟を決めて紡ぎ始める。

「リゲル様」

「ああ」

「あなたの事を……お慕いしております」

「それは……」

 歯を食いしばり、意を決してから一拍置いてそう伝えるのが関の山だった。リゲル様は思い掛けない意外な言葉に驚いている様子だ。それはそうだろう、だが初めて出会った時に恋をしてからの三年と言う歳月は、神には一瞬でも人間にとっては実にもどかしいものだった。頭を撫でられていた手を取り、そして両手で握り締めた。どうかこの想いが届きます様にと。

「ご迷惑、でしたか?」

「……いいや、驚きはした」

「あなたに、恋をしてしまったのです」

「我が、永きを生きる竜神と知っていても?」

「存じ上げております、それでも……」

 惑う様にリゲル様の視線が彷徨う。どう応えるべきか悩んでいるのかもしれなかった。一言ずつ悩みながら、それでも返答をしようとリゲル様が口を開く。

「……お前は……竜の我を美しいと言った」

「ええ」

「思えばあの時から、我にとってお前は確かに特別だったのかもしれない」

 両手で包んだ掌を解かれ、片手を持ち上げてすっとリゲル様の頬に擦り寄せられる。その手も頬も、思って居た以上にとても暖かかった。竜神様に恋に落ちた少年はいつしか青年になり、そして竜神様と結ばれました。などとそんな御伽噺の様な事があっていいのだろうか。愛しいと謂う言の葉が心に降り積もっていく。

「リゲル様……私は……」

「こんな事を竜神である我が言って良い物か分からないが……我も、お前が特別だったのだろう」

 リゲル様の頬に触れる掌に、彼は心地良さそうに双眸を伏せる。まるで体温を分け合う様にして。思いが通じ合ったというのにどうしてだろうか、涙が一筋だけ溢れて来る。嬉しさ故か安堵故か、それは分からない。リゲル様に手を引かれ、影が重なると同時に唇が触れ合った。初めての接吻はほんの少しだけ涙の味がした。

「好きです、リゲル様。好きなのです……あなたの事が、どうしようもなく」

「だがその想いに確りと応えるには、人は余りに脆く儚い」

 離れ難いと何度も何度もキスをする、背に回される腕が縋る様に抱き着いた。どこか悲し気な表情をするリゲル様の首筋にもどうか悲しまないでと願いを込めて唇を落とした。

「……この想いは、あなたを悲しませてしまいますか?」

「我と永久に愛を誓えるか?その返答次第だな」

「ええ、いつまでも」

「人である事を、やめてでも?」

「私はもうあなたのものです、惜しくはありません」

「本当にお前は……人としての生を捨ててでも我を選ぶか」

「ええ。勿論です」

 少々食い気味に返答する、迷いはなかった。共に居られるならば何だって良かった。どんな物でも捧げる覚悟さえあった。額を擦り付け合い、伏せていた琥珀の双眸を開けたリゲル様と目を合わせる。

「馬鹿な者だ……では我の血を飲み契約しろ、神の眷属になればその命も我と同じく永遠に近い」

 まるで人魚の伝説だ、とその時思った。人魚の肉を食らえば永遠の命が出に入るという迷信、それを竜神ならばその血で成せるという事か。確かに神の血を飲もうなどと言う不届き者などあの竜神崇拝を絶対とする宗教国家ではあり得ない。実際そんな事させられないと一瞬怯むが、それを見越したリゲル様は自らの舌先を噛んで傷を付け再び口付ける。

 先程と違うのは唇を割り開いて舌が入って来た事だろう。リゲル様の傷付けられた舌先から注がれる血と混ざり合う唾液をごくりと思わず飲み込む。ゾクリとした感覚と共に鼓動が早くなる。右肩が異様に熱く感じ、身体が自分の物ではない何かに作り替えられていく錯覚を起こす。くらくらとする頭で舌を絡め合い傷口を労わる様に舐るとリゲル様の肩が跳ねた。飲み込んだ血の味はまるで甘露の様だった。暫くそうして初めてのディープキスを味わい、酔い痴れた後ふうふうと肩で息をしながらリップ音と共に唇が離れる。

「ふ、ぁ……身体に、違和感は無いか?」

「……ええ、変な感じはしましたが」

「契約のしるしが肩に刻まれている筈だ」

 ボタンを外し上着をぱさりと脱いで違和感を感じた右肩にそっと触れる、横目に右肩を見れば竜の翼の如き黒い文様が刻み込まれていた。それを一撫でしてああこれで本当に"人"ではなくなったのかとぼんやり思った。

「これが……」

「私の右腕である証だ……もう戻れないが覚悟は良いな?」

「リゲル様のためならば」

「全く……お前はそればかりだ」

 くすりと笑みを浮かべて右肩をリゲル様の手がするりと撫でる、それをただ愛しむ様に。きっと彼にとっても初めての試みだったのだろう、それ程までに彼に愛されたと思うと心が躍った。そして自分だけが、と永久に共に居る権利を得た事に何かが満たされて行く感覚がした。右肩を撫でる手を取り、指を絡ませて手を握った。








 あれから果たして幾許の時が過ぎただろう。まるで瞬く間に元贄達は歳を取り、見送る回数はどんどん増えていく。最後に残されたのは来たばかりの頃料理を教えてくれたブロンドが美しく優しい女性、アンナだった。その彼女がたった今老衰により永遠の眠りにつき、一翼の美しき竜となったリゲル様の咆哮が古城の庭先から周囲の森や街へと響き渡る。これももう何度目になるだろうか。しかしこれが本当に元贄達との最後の別れであり、悲しみの連鎖の終焉でもあった。

「リゲル様」

 何処か遠くを見詰めるようなその竜の姿のまま、彼の頬に擦り寄せる様に手を伸ばす。ぐるる、と喉を鳴らし翼を折り畳んでそれに応じた竜神リゲル様は屈む様にして牙と鱗で傷付けない様そっと頬を寄せる。

「これでもう、あなたの抱え続けた悲しみは終わりです」

 きっと涙を流さない様に竜の姿で居るのだろう彼を優しく撫でた。竜神の眷属となった自分はあれから時が止まった様に姿も変わらず衰える事も無くなった。本当に人で無くなったのだと改めて物思いに耽る。しかしそれで良かった、後悔は無かった。最後までこうしてディオン様の悲しみに寄り添い、癒せるのは自分だけだと思ったからだ。

「あなたは独りではありません、私がずっとお傍におります」

 慕う様に竜の鱗を撫で、そして敬愛を示す様に口付ける。竜の姿のリゲル様を怖いなどとは一度も思わなかった。それは美しく愛しい一翼の竜であった。そんな事を思って居ると不意に眩い輝きと共にリゲル様が半竜の姿へと変わり、巨大な翼を拡げ長い尾をしゅるりと靡かせた。

「……空を翔けたくなった、お前も共に」

「どこまでも、ご一緒致します」

 決して離れない様両手を強く握り合う、すると巨大な翼の羽ばたきと共に宙へと浮かぶ。白い花弁がはためき舞い散り、その光景はとても神々しく美しかった。太陽を背にして広い森の上を翼を風に乗せて飛ぶ。行くあても無くただ大空へと舞い上がる美しい翼を間近でこうして見られるのは自分だけの特権だった。広い広い大空を我が物の様に翼を広げて飛ぶリゲル様の表情は、漸く悲しみを乗り越えて少しだけ微笑んでいた。

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生贄は恋を知る 川獺 @kawasekawauso

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