日常
「……今日は学校行かないの?」
「疲れた。体痛い」
零華が目覚めた時には既に昼間。死にかけて大けがして、寝て起きたらすぐ学校。それも遅刻して。そんな気分には到底なれなかった。
「ご飯は? 食べないの」
「……食べなきゃ死ぬよ」
言われてようやく空腹を思い出す。思い返せば、零華は昨日の昼以降丸一日なにも口にしていない。
枕元の眼鏡を掛ける。
痛む体に鞭を打ち、ようやく零華は重い腰を上げた。
布団の横に座ったエルは、零華が寝る前からずっと同じ姿勢で彼女を見つめ続けている。
「……よく飽きないね」
エクサエスは眠らない。
寝込みを狙撃しようとしたところを何度も邪魔されたことにより、零華はそれを嫌というほど理解していた。
「好きな人だもの。どれだけ見てても飽きないわ」
「……あっそ」
エクサエスの時間間隔からして、放っておくと永遠に眺めているだろう。
それに対し、あくまで零華はそっけなく答える。それはプライドのせいか、あるいはただ照れているだけのようにもエルには映った。
「……行くよ」
寝巻の上から大きめのパーカーを羽織り、財布をポケットに入れると零華はドアノブに手を掛ける。
「誘ってくれるの?」
「……留守なんて、任せるわけないでしょ」
ドアを開けると冷たい空気が吹き込む。思わず体を震わせる零華に対し、エルは薄着のまま、平気な顔をして外に出る。
エクサエスが実体化すると、その姿は人のように見える。しかしそれは人間の目にそう映っているだけで、実際の姿は違うらしい。
もっとも、それはエクサエスが勝手に言っているだけなので、人間にその真偽を確かめる手段はない。
暖かい日差しの下を二人は歩く。
今にも崩れそうな廃墟が並んだ街並み。しかしそこは決して静かな場所ではない。浮浪者や家出をした子供たちが各々拠点を作り、小さな町のような喧騒を生んでいた。
「あ、東堂さん!」
背後から投げかけられた溌溂とした声。
振り返ると、走り寄ってくる13歳ほどの少年。
「何、またなんか拾ったの?」
「そうなんすよ……ほら!」
少年そのものの純粋な笑顔のまま、その手に握られた紙袋を零華に手渡す。
中にあったのは四角形の爆弾。拾ったのなら、おそらく不発だったのだろう。
「C4……、うん、いくら?」
「2……で、いいですか」
零華はぎこちない笑みを浮かべると、財布の中から数枚札を抜き取り、少年に手渡した。
「いいの、んですか……こんな」
「……ご飯、ちゃんと食べて」
勢いよく礼を言う少年に背中を向け、零華は再び歩き出す。
「使えるの? それ」
「起爆装置か……雷管を変えれば、なんとか」
使用することは可能だ。だが、直すぐらいなら新しいものを買った方が安いし速い。
零華は大きく自己嫌悪のため息をついた。
「優しいのね。案外」
――きっといいことなのだろう。褒められるべきことなのだろう。だから、嫌になる。小さいころ教え込まれたあの吐き気のする価値観の中に、自分がまだ居るようで。
「……気持ち悪い」
それに対し、エルは何も返さなかった。
「やあ、零華くん」
続けざまに人がやってくる。今度はしわくちゃのシャツに身を包んだ、どこか気の抜けている男。
彼も少年同様に小さな紙袋を零華へと手渡す。
「家まで行こうとしたんだけどね。手間が省けたよ」
紙袋の中身はいくつかの札束。その個数をしっかりと数えた後、零華は男の目をしっかりと見つめる。
「ありがとうございます」
「組長が、よくやってくれた。だってさ。次も頼むよ」
「……はい」
今度は零華が頭を下げ、男の後姿を見送る。
紙袋の中身は、それだけで数か月は働かずに過ごせるような額。それは昨日の殺しの報酬だった。
「……まあ、うん。いつの間にか仕事になっちゃった……みたいな」
言い訳をするように零華は呟く。エルがどこから零華のことを見ていたかは知りようがないが、そのあたりの事情は当然把握しているだろう。
神の力を借りた人間は恵賜者と呼ばれている。
恵賜者は清廉潔白、故に殺しなどに手は出さない。恵賜者以外で恵賜者と正面から戦い、安定して勝てる人材は稀、その上に頻繁に殺しを引き受ける人材となるとこの辺りでは零華以外に名前は上がらない。
「これは向いてる……それだけ」
口元から漏れるような言葉。もはや誰に向けて話しているのか、零華本人ですらわからなかった。
◇
「おはよう、零華ちゃん。風邪へいき?」
数日間の療養。傷もある程度治り、多少動いても傷が開くことはないほどになった。
「まあ、うん。もう大丈夫」
表向きには、東堂零華は街中のアパートで独り暮らしをする女子高生である。昔は違う名前だったのだが、何度目かの殺しの報酬として新しい身分証を受け取った。
そこまではいいのだが、新教育課程の都合上、高校卒業までは学校に通わなければいけなくなったのが悩みどころだ。
「ほんとに大丈夫だよね? ね?」
「しつこい……」
学校では必要以上に交友関係を広げないようにしていた零華だったが、桜間さくらだけは妙にしつこく絡み続けてくる。
始めのうちは本気でうっとおしがっていた零華も、さくらの無邪気で純粋な精神性にいつの間にか絆されていた。
「よう、東堂」
零華自身も今の今まで忘れていたが、そう言えばもう一人、やたらと絡んでくる人が居た。
ウェーブのかかったロングヘアをぶら下げた、きざったらしい男。
名前は――。
「えっと……」
「あ、おはよう盃城《はいじょうくん」
そう、盃城昇太郎。
「風邪……だっけ。一週間近くも続けて休むなんて、ずいぶんと重傷だったみたいだね」
きざな上に嫌味ったらしい。
何をか考えて話しかけてきているのかもさっぱりわからない。
「唾つけたら治った」
「……どこに付けるんだよ」
判を押したように善人ばかりの学校の中、こんなふうな人間は希少だ。零華としても、こっちの方が話しやすくていい。
「……用ないなら、行くけど」
「ああ。風邪に気を付けろよ」
盃城は意地悪く口元を歪ませ、含ませるような言い方をする。
不思議なのは、この感じで嫌な噂を一つとして効かないことだ。善人であれと育てられた子供たちが陰口を聞くようなことはないだろうが、変な奴がいるという噂ぐらいは回る。変な奴や変わったやつにも優しくして、仲良くなる。それは模範的で、エクサエスに好かれるとされている行動だからだ。
実際、零華も転校してすぐのころは鬱陶しいほどにいろんな人に話しかけられた。
「またねー。盃城くん」
そして一番の謎が、この男が恵賜者だということ。エクサエスにも変わり者は居るみたいだ。それとも、悪魔にでも取りつかれたのか。
「エル・トレイヒアです。よろしく」
「な……っ」
珍しく転校生が来たかと思えば、エルがすまし顔で教室へと入って来た。
白い髪は頭の上で一つに結び、完璧に着こなした制服のスカートは零華よりも短く折られている。
「では、あそこの席へ」
担任に促され、一番後ろの席に座るエル。
零華の様子が見たいだけなら、実態を消して高次元に戻れば地球上のどこでも見ることができる。
「……なんで、というか、どうやって」
休み時間に入って早々零華はエルの手首を引っ張り、閉鎖された屋上に繋がる階段へと連れ込んだ。
そこには基本人は来ず、蜘蛛が巣を張っているような薄暗い場所。
「……零華ったら、強引……」
茶化したような態度をとるエルを睨みつけ、零華は再び同じ内容を尋ねる。
「普通に入学したの。零華と一緒に居たいから」
「いや……」
突っ込みどころは無数にある。
「上から見てればいいでしょ、会話はテレパシーでできるし」
「だから、一緒に居たいって言ったでしょ」
「というか、ばれないの」
「見た目は人と変わらないし、ばれないわ。他の連中がそうしないのはくだらないプライドがあるからね」
「で、どうやって普通に入学してきたの」
「零華のお得意先に頼んで、身分証を作ってもらったの」
零華お得意先といえば、いつも仕事を持ってくる反社会的勢力のことだろう。そんな連中が見返りも求めずに頼みを聞いてくれるわけがない。そう零華が口に出そうとする前に、エルが自分の首元を指差した。
「私、零華の恋人と名乗ったの。そしたら身分証と引き換えに爆弾を埋められた。連中、零華の手綱をしっかりと握っておきたいようね」
「……は?」
「平気よ。爆弾ぐらい」
エクサエスが爆弾ごときで死ぬわけはない。それは事実だろう。だが零華が気にしたのはその前の言葉。
「恋人って……」
「……嫌?」
そう問われると零華はそっぽを向き、たどたどしく答えた。
「……いいんじゃない? 素直に悪魔だとか名乗られるよりはましだし……」
目を細め、口元を緩ませるエル。
「そういえば、来月は修学旅行ね」
「……ああ、そういうこと」
二年生最後にして、高校生活最大のイベント。行き先は日本の首都、岡山。
大昔は東京に行っていたというが、数十年前の内乱と、一時的なエクサエスの完全顕現によってあの土地は人の住める場所ではなくなってしまった。
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