第7話:秘めた夜、ほどける距離

秋の風が街路樹を揺らし、落ち葉が歩道に舞っていた。

私は駅前のカフェで、温かい紅茶を前にしていた。

約束の時間より少し早く着いたのは、心の揺れを落ち着けたかったから。

康彦からの連絡は、短く、切実だった。


「一度だけ、外で会ってほしい。どうしても話したいことがある」


私は何度も断ろうとした。

けれど、彼の声が耳に残り、指が勝手に返信を打っていた。

それが、私の弱さだったのかもしれない。


カフェの扉が開き、康彦が現れた。

スーツ姿の彼は、どこか疲れた表情をしていた。

「麻衣子さん……ありがとう、来てくれて」

その声に、胸が締め付けられる。


彼は注文したコーヒーに口をつけることなく、私を見つめていた。

「美月はもうすぐ出産です。僕は父になる。でも……あなたを忘れられない」

その言葉に、私は目を伏せた。


「もう、終わったはずよ。あなたには家庭がある」

私は静かに告げた。

けれど、彼の手がそっと私の指に触れたとき、身体が微かに震えた。


「今夜だけでいい。最後に、あなたを抱きたい」

その願いに、私は抗えなかった。

それが、私の罪深さだった。


ホテルの部屋は、静かで、どこか切ない空気に包まれていた。

窓の外には、夜の街が広がっていた。

私はソファに腰を下ろし、彼の気配を背中で感じていた。


彼がそっと隣に座り、私の手を握る。

その手の温もりに、心がほどけていく。

「麻衣子さん……あなたのことを、ずっと想っていました」

その言葉に、私は目を閉じた。


彼の唇が、私の頬に触れる。

指先が髪を撫で、肩にそっと触れ唇が首筋に触れる。

私は静かに浴衣の帯をほどき、彼の手を受け入れた。


ベッドの上、彼の腕に抱かれながら、私は女としての自分を思い出していた。

唇が重なり、吐息が混ざり合う。

彼の指が肌をなぞり、胸元に触れるたび、心が揺れる。


「麻衣子さん……綺麗です」

その言葉に、涙がこぼれそうになる。

私は彼の背に腕を回し、静かに身を委ねた。


身体が重なり、熱が伝わる。

それは、罪と知りながらも、心と身体が求めてしまう瞬間だった。

彼の動きに合わせて、私の身体も応えていく。

静かな喘ぎが、部屋の空気を震わせる。


「今夜だけ……これが最後よ」

私は彼の耳元で囁いた。

彼は何も言わず、ただ私を強く抱きしめた。


夜が更けるにつれ、二人は身体を何度も重ねた。

それは、別れを告げるための儀式のようでもあり、未練を断ち切れない証でもあった。


朝になり、私は彼より先に目を覚ました。

窓の外には、淡い光が差し込んでいた。

彼の寝顔を見つめながら、私は静かに浴衣を整えた。


「ありがとう……康彦さん」

その言葉を胸に、私は部屋を後にした。

それが、私の最後の夜——そう、信じた。


――つづく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る