第2話 『ゴ ユ ッ ク リ』

 涼しい風が顔を横切っている。遠くで潮騒とウミネコの鳴き声が聞こえる・・

 僕はゆっくりと目を開いた。水平線に太陽が沈み上3分の1を覗かせていた。

 どうやら助かったらしい。僕は浜辺に打ち上げられていたのだ。


「美夏!」


 僕は叫んだ。あたりを見回すと数メートルほど先にうつぶせに倒れている彼女を見つけ、僕は駆け寄った。彼女を仰向けに寝かせなおす。気を失っているが、呼吸はしているようだ。


「魚住さん・・・」


 言い忘れたが、普段から美夏と名前を呼んでいるわけではない。面と向かった場合はちゃんと姓に「さん」付けしている・・正確にはそうしか呼べなかった。


 僕は彼女の名を呼び、何度か頬を軽く叩いた。


「ん・・・あぁ・・優一・・」

 優一!? 美夏が僕を呼び捨てに!! まるで恋人のように!! 僕の心は躍った


「・・・くん・・」

 ・・・・・・・・・・まぁ、そんなオチだろう・・


「ここは一体・・・」

「わからない・・気が付いたら此処にいたんだ」

「へんね・・串本にこんな島なんてあったかしら・・」


 改めて回りを見回してみる。白い砂浜の後ろにはパームツリーが立ち並びまるで南国の離島を彷彿させる。その向こうに石垣が見える。


「魚住さん! 石垣だよ」

「えっ…ええと…石垣島?」


 ・・・美夏はまだ頭が混乱しているようだ。

「違うって^^;; 本当の石垣だって」

「えぇ、そうね」

「だからさ、石垣があるって事は人が住んでるって事じゃない」


 やっと美夏の目がいつもの状態に戻った。

「ということは、誰か見つければ」

「ここがどこかも判るって」


 僕らは酸素ボンベをはずし、石垣の傍において階段を捜した。

 階段は苦もなく見つかり、そこを上ると、広い草原の中に一本の道があり、その先に白い洋館が一軒建っていた。黄昏の薄暮の中洋館の明かりが優しそうにオレンジ色に輝いていた。

「よかった・・人が居るみたいだ」

「でも変ね・・こんなところに一軒だけなんて」

「とりあえず入ってみようよ。世捨て人かも知れないじゃないか」

「・・世捨て人・・ねぇ」


 意味不明の事を言った僕を呆れるように見つめた。少しだけ鳶色がかった瞳が夕日を受け神秘的に輝いていた。


 洋館は左右対称の形で、コの字型になっている。真中に木製のドアがあり道はそこに続いていた。草原の中に立つ一軒の館、そこまで導く白い小道、草原には白い小さな花が咲き乱れていた。ファンタジックな風景だ。


「シロツメクサね。可愛くって好きだな」


 美夏もウットリとした表情だ。もし美夏と恋人同士だったらここで手でも握りお互いに見詰め合って・・あんなことや・・・あんなことや・・・


「優一君・・どうしたの」

 美夏がぼんやりしている僕を覗き込んで来た。大きな瞳、筋の通った鼻、小振りで形のいい唇・・僕はこれ以上視線を合わせることが出来なかった。


「何、赤くなってるの」

 意地悪そうに美夏がいう。

「べっ・・別に・・夕日のせいだろう」

 僕は照れていった。


 どうする。しばらく様子を見るのか、館に向かうのか…


 洋館にたどり着いた僕たちは、まず呼び鈴を押してみた。だが待てども誰も出てこない。「すいません」ノックをし、叫んでも反応がない。

「入ってみようか」

 痺れを切らした美夏が提案した。


「でも・・不法侵入にならないかな」

「だけどこのまま待っていても埒あかないわよ・・それにいくら夏だからといってもこのままじゃあ・・」


 そうなのだ。僕らはウエットスーツを着たままなのだ。しかもまだ乾いていない。当然スーツの下は水着なので夏とはいえこのままでは凍え死ぬ・・のはオーバーとしても夏風邪をひきかねない。僕らは無礼を承知でドアを開けた。


 ドアには鍵がかかっておらず、すんなり空いた。


 だが、不思議にも中はひんやりとして、何年も人が住んでいない様だった。それどころか明かり一つついていない。


「おかしいなぁ・・外からは明かりが見えたんだけど・・」

「夕日の反射かしら・・いずれにしても不法侵入だけは免れたわね」

 誰もいないから不法侵入にならない。という事では無いのだが....


 扉を開けると大きなホールになっていて、左右に二階に続く階段がある。ホールの奥には4つの扉があった。


 ホールを見渡す。大理石の床に円形の紅い絨毯が敷いてある。右手の階段付近には欧羅巴の甲冑、左手にはソファとその後ろに大きな振り子時計。玄関の横に戸棚があり、そこには小さな人形が数体置いてあった。


「なにこの人形」

 美夏が言った。人形はデッサン人形のような球体の頭がついていて、そこには顔はない。黒檀で出来ているようで両手を思い思いの方向に向けている。


 最初、僕は踊る人形を思い浮かべたが、少し違うようだ。


「待てよ・・この人形のポーズ・・」

 僕はじっと見た。全ての人形は小さな旗を持っている。これは・・・

「手旗信号だ」

「手旗?」

「うん。僕はずっとボーイスカウトに居たから・・手旗は得意だったんだ・・」


 手旗信号は直立を含めて13個のポーズで構成されている。日本語の手旗の場合は原則としてカタカナを上下左右反転させた形になっている。


「えぇと・・コ〃ユツクリ・・ゴユックリだってさ・・」


 どういう意味だろう?

 なにがゴユックリなんだろう・・まるで僕らが迷い込んでくることを知っていたようではないか。


「ねぇ・・なんだか・・ゲームみたいじゃない?」

 美香が言った。

「よくある、サウンドノベルってやつ・・恋人同士が何者かの意思で建物に誘われて恐怖を体験するって奴・・」


 そういわれると、この建物自体、あのにでてくる洋館に似ている。

 でも洋館のつくりなんて何処も似たり寄ったりだろう。

「まさか・・現実世界だよここは・・」

「あら、事実は小説より奇だわ」

「それに・・ゲームの設定とは明らかに違うことがある」


 僕は断言した。悔しいけど・・僕は先を続けた

「僕らは・・(まだ)恋人同士じゃない・・」

 まだ・・というところは美香に聞こえない程度にしかいえなかった。


「・・・そうね・・ただの幼馴染・・先生と生徒・・ガイドとお客さん・・」

「み・・・魚住さん・・」

「昔は美夏って名前で言ってくれたのに・・ずっと『さん』付け・・」


 ど、どういうことだ・・ま・・まさか・・


「私はずっとあなたの事好きだったのに・・・」

 ドスン・・僕の心臓に何かが突き刺さった


「み・・・」


「・・・なんてね。ちょっと気分でたかな・・」

「え・・」

 からかったのか僕を・・僕の気持ちを知らないで・・


「きさまぁ、よくもコケにしたなぁ」

 そういって僕は美夏を押し倒し、むりやりウェットスーツを剥ぎ取った・・・


 なんて真似は到底出来るわけがない。


「・・なんだ・・冗談か」

 そういうのが精一杯だった。

「ドキッとした?」

「そりゃぁ・・」


 悪戯そうに微笑む美夏は、中学の時とぜんぜん変わっていない。いつもは僕よりずっと年上に見えるのに、こんな時は可愛い妹のようだ。


「だいたい、僕が魚住さんのこと美夏って呼び捨てしたなんて・・」

「あるわよ。小学校の修学旅行のとき。ずっと魚住だったのが、帰りのバスで『お、おいしそうなお菓子ジャン、一個ちょうだい』って」

「そんな前のこと・・・」

「なんだが、嬉しかったな。周りの男子はみんなだったから」


 美夏は小学生の頃から美少女だった。 いやもっと前からだ。

 幼稚園の時、家族で外食に行ったときレストランの隣のボックスで食べていたカレンダー会社の人に見初められ、市販のカレンダーのモデルをやったことがあるというイワクつきだ。

 そんな美少女に男子はみな「さん」付けしか出来なかったのだろう。

 僕が当時と呼び捨てに出来たのは唯一幼稚園から一緒だったのと、当時は未だ恋心を抱いていなかった為だ。


「だから、これからも私のこと呼び捨てていいわよ」

「・・美夏・・・」

 これほどすんなりと出るとは思わなかった。

 いつも心の中でそう言っていたからだろう。

「私も優一って呼んでいいかな・・あの頃みたく」

 小学生の時、美夏は僕のことを呼び捨てにしていたのか? 全く記憶がない。

 あるのは、セピアカラーに染まったサイレントムービーの中で微笑む美香の笑顔だけだ・・


「それで、優一。ゲームの主人公としては次はどうするの」

「・・館の探索に決まっている」


 僕は空元気でこたえた。恋人同士ではなく、幼馴染としてではあるが、僕があこがれた優一・美夏の関係になれたのだ。それに多くのゲームの場合、二人は決してラブラブな関係ではない。恐怖を乗り越えて本当の恋人になれたんだ。僕らの関係もまだまだこれからなのだ。

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