雉はどっちだ
猫小路葵
雉はどっちだ
むかしむかし、川のほとりの村にお千代という女の子がいました。
お千代は弥平という父と二人暮らしでした。
弥平は貧しい百姓でしたが、お千代のことをとても大事に育てていました。
村を流れる川は、大雨が降ると水があふれました。
土手は崩れ、田畑は水に浸かります。
お千代の母も洪水で命を落としていました。
あるとき、お千代は重い病にかかってしまいました。
高い熱にうなされるお千代を見て、弥平は心配でたまりませんでした。
枕もとでお千代にたずねます。
「お千代、なにか食いてぇもんはねぇか」
お千代はうわ言のように答えました。
「ととさん……おら、小豆まんまがくいてぇ……」
小豆まんまは、母がまだ生きていた頃に、たった一度だけ食べたことのあるご馳走でした。
けれども、いまの弥平に小豆を買う金などありません。
考えあぐねた弥平は、とうとうある決心をしました。
弥平は、村の地主の蔵に忍び込みました。
生まれて初めて盗みをはたらこうというのです。
蔵には米や小豆が入った大きな袋がいくつも置いてありました。
弥平はふるえる手で米と小豆を枡に入れ、足早に立ち去りました。
弥平に気づいた者はだれもいませんでした。
弥平は、お千代のために小豆の粥を炊きました。
炊きあがった小豆粥にお千代は「わぁ……」と力なく笑いました。
弥平は、ふぅふぅと冷ましてやりながら、お千代に小豆粥を食べさせました。
「お千代、小豆粥のことはだれにも喋っちゃなんねぇぞ」
「ととさん……どうして?」
「どうしてもだ」
お千代は、小豆粥ですっかり元気を取り戻しました。
ようやく外で遊べるようにもなり、弥平も安心して畑仕事に出掛けていきました。
お千代はひとりで留守番をしながら、家の前で
たん、たん、たんと毬をつくお千代は、自分でつくった
――あずきまんま たべた
あずきまんま たべた
そこへ近くの百姓が通りかかりました。
「お千代、よくなったのか」
百姓が問いかけると、お千代も「うん」と笑って返事をしました。
「そうか、よかったな」
百姓はそのまま通り過ぎていきました。
そのころ、地主の家では米と小豆が盗まれたことに気がつきました。
たいした量ではありませんが、念のため庄屋には届けておきました。
あくる日、村に雨が降り出しました。
雨は三日三晩降り続き、川はいまにも溢れそうでした。
村の衆は地主の家に集まり、どうしたものかと話し合いました。
「やっぱり、人柱をたてるほかねぇのか……」
「人柱……」
「さて、だれを……」
人柱とは、人を生きたまま土に埋めて、神様に災害などを鎮めてもらう習わしでした。
たいていは何か悪さをした人が人柱に選ばれます。
「そういや、地主さんの蔵の米と小豆が盗まれたんじゃなかったか」
「そうだ、その盗っ人を人柱にしよう」
「けど、だれがやったかわかるめぇ」
そのとき、ある百姓が「あ……」とつぶやきました。
皆が一斉に百姓を見ました。
「どうした」
「心当たりがあんのか」
百姓は、いくらか青ざめた顔をして、ゆっくりと頷きました。
その晩、大勢の村人たちが弥平の家に押しかけ、弥平を縛り上げました。
お千代は泣いて叫んで助けを請いましたが、聞き入れてもらえませんでした。
「弥平、おめぇは地主さんの蔵から米と小豆を盗んだだろう」
「とぼけても無駄だぞ。お千代が手毬唄でそう歌ってたからな」
お千代は愕然としました。
自分が歌った手毬唄のせいで、ととさんの盗みがばれたのです。
「心配すんな、お千代」
弥平は無理に笑ってお千代に言いました。
涙を流すお千代を残して、村人たちは弥平を引きずるように行ってしまいました。
雨の中、川のほとりにはもう大きな穴が掘られていて、弥平はそこに連れていかれました。
そこへお千代が父を追って走ってきました。
「ととさん!」
するとそのとき、土手の木の枝がみしりと鳴って、群衆の中から男の悲鳴が上がりました。
皆が驚いて振り返ると、一人の百姓が枝から逆さ吊りにされていました。
お千代の手毬唄を聞いた、あの百姓でした。
――おまえか、余計なことを喋ったのは
女の声がしました。
お千代は驚いて声の主を探しました。
「かかさん!?」
それはお千代の、亡くなった母の声でした。
枝の上で、母の亡霊が百姓の足をつかんで逆さ吊りにしているのが見えました。
亡霊は、大きく見開いた三白眼で百姓を睨みつけて言いました。
――口の軽い男
――
百姓の顔がみるみる赤黒くなっていきました。
――弥平をはなせ
女のおそろしい声が土手に響きました。
血がのぼった百姓の鼻から血が吹き出しました。
皆は震えあがり、小便をちびる者もいました。
百姓のかかぁが走り出て、弥平の縄をときました。
お千代が駆け寄り、「ととさん!」と弥平にしがみつきました。
そのとき、川の土手が崩れました。
押し寄せる水に、皆あわててそこから逃げ出しました。
弥平もお千代を抱きかかえ、山の方へ走りました。
それを見届けると、亡霊は百姓の足から手をはなしました。
百姓はどさりと枝から落ちて、かかぁと子に支えられて逃げました。
亡霊はいつのまにか消えていて、川のほとりにはだれもいなくなりました。
不思議なことに、今度の雨は洪水になりませんでした。
おそるおそる村人が川を見にいくと、崩れたはずの土手はきれいなままでした。
押し寄せたはずの水もどこにもなく、ただ雨が静かに降り続くばかりでした。
地主の家の軒下には、盗まれた分だけ米と小豆がそっと置かれているのが見つかりました。
きっとお千代の母が返したのだろうと、村人たちは囁きました。
それ以来、どんなに雨が降っても川があふれることはなくなりました。
弥平とお千代の姿もまた、ぷっつりと消えました。
神隠しにあったのか、遠くの土地へ逃れたのかは、だれにもわかりませんでした。
雉はどっちだ 猫小路葵 @90505
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