第2話 サブヒロイン、大暴走

 あれから俺はなんとか桜を振り切り、息を切らせながら2年生の教室へ辿り着いた。

 廊下の窓から入る春のそよ風が制服を揺らす。


(よし……!今日も栞と話すぞ………!!)


 胸の奥が期待で熱くなる。

 ここに来れば、きっと――


 ――いなかった。


 教室を見回す。

 黒髪の清楚な彼女の姿はどこにもない。


「……え?なんで?」


 ガラリと世界が冷えていく感覚。

 焦りながら右往左往していると、背後から気さくな声が降ってきた。


「おーい京一郎!なにキョロキョロしてんだよ」


 主人公の男友達

 『吉岡 ヒロシ』


 このゲームではお助けポジションのキャラ。


「栞ちゃん探してんのか?」

「なっ……!ど、どうしてわかんの!?」

「バレバレだって、お前が栞ちゃんのこと好きなことくらい俺には分かってるぜ!」

「……」


 返す言葉もない。


 ヒロシは少し申し訳なさそうな顔になり、


「でも…悪いけどさ、栞ちゃん今日は休みだってよ」

「………………は?」


 ゆっくりと音もなく、希望が崩れ落ちていく。

 春の風が吹き抜ける。


「詳しいことはわかんねぇけど…まぁ明日は来るかもしれないし、元気出せよ」


「……うん」


 小さな声で返すのが精一杯だった。


 ◆ストレス +12


(こうやって少しずつ遠ざけられていくのか……この世界は本気で俺の邪魔を……)


 ぎゅっと拳を握る。


(俺は絶対負けねえぞ…!!絶対栞と結ばれるんだ…!!!)


 担任の声が響き、授業が始まろうとしたその瞬間――


 ガラッ!!


「す、すみませぇぇぇん!!!

 寝坊しちゃいましたぁぁぁぁ!!!」


 勢いよく扉が開き、

 視線が一斉に集まる。


 そこに立っていたのは、水色のポニーテールを大きく揺らしながらぜぇぜぇ肩で息をする美少女。


 制服は着崩しているわけじゃないのに、なぜか妙にエロい。特に胸元。


「こら海野!新学期早々遅刻か!」

「ひえっ……!ご、ごめんなさいぃ〜!」


 縮こまる姿すら可愛い。


 お馬鹿でドジ、だけど美少女。

 『海野 渚』


(出た……!“学力ステータス”暴上げで落ちるヒロイン…!)


 彼女は席に着きながらこちらに気付いてにこっと笑う。


「おはよ〜京一郎くんっ!」


(し、下の名前で呼んだ!?

 いや、この時点で下の名前で呼ばれるのは明らかに好感度が高すぎる!!)


 授業が始まって数分。

 海野さんがプリプリしながら手を挙げた。


「せんせ〜い!

 教科書忘れちゃいましたぁ〜!」

「海野!またか!」

「てへっ♡」


(いや笑って誤魔化すなよ!)


 そして海野さんは、当然のようにこちらを見る。


「ねぇねぇ京一郎くん?見せて〜?

 一緒に見るのだめ〜?」


「お、おう……」


 断れなかった。

 推しの栞に誓った誠実さはどこへ。


 机を寄せられ、肩が触れそうな距離。

 甘いシャンプーの香りが鼻先をくすぐる。


(だ、だめだ……!!近い!近すぎる!!)


 教科書を見るふりをしても、視界の下あたりに巨大な存在感が揺れる。


(胸が……でっけぇ……!!!

 なんだこの天然兵器は……!)


「京一郎くん、この漢字なんて読むの〜?」

 と覗き込まれ――


(うわっ……仕草まで可愛いとか…どう考えても誘惑イベントじゃねぇか!!)


 心の中で悲鳴が止まらない。


 だめだ…!このままじゃ俺……海野さんに浮気しちゃう!!


 そして、巨乳の誘惑に耐えなんとか一日を終えた俺はふらふらとトイレへ駆け込んだ。


「くそ……ストレスMAXで遊び人と巨乳と向き合うのは無理ゲーだろ……」


 冷水で顔を洗い、ため息をつく。


(このままじゃ持たねぇ……嫁に辿り着く前に俺が死ぬ……)


 気持ちを整えてトイレから出た、

 その瞬間――


 ドンッ!


「あっ――」


 誰かと肩がぶつかった。


「ご、ごめんなさ――」


 声が詰まる。


 そこに立っていたのは、

 緑がかった長髪を両側で丸く結んだお団子ヘア。

 少し上目遣いの可愛い顔立ち。

 しかしその瞳は妙に観察するような光。


 ぶりっ子美少女ヒロイン

 『翡翠 すい』

(バスケ部マネージャー)


「わあ……あなた、すっごくいい身体してて素敵なの……♡」

「え、えぇっ!?」


 近い。

 勝手に俺の二の腕とか触ってくる。


(な、なにしてんだこいつ……!)


「ねぇ…バスケットは…お好きですか?」


 そこはかとなく既視感のある誘い文句。

 どっかの週刊少年漫画で聞いたことあるやつだ。


(やばい……これは運動特化ルートの緑の悪魔……!つまりこいつも栞ルートの天敵!!)


「きょっ!!興味ありません!!!!!」


 俺は反射的に叫んでいた。


 翡翠さんの手が離れると同時に、俺は踵を返して全力疾走。


「うふふ…♡逃げても無駄なの…あなたがバスケ部に入ることはもう確定してるの…♡」


 背後から、鳥肌が立つほど甘い声が響いた。


(いやだああああああああああ!!!)


 振り返る勇気もなく、俺は全速力で廊下を駆けた。

 春風が吹き抜け放課後前の静かな校舎に俺の足音だけがやけに響く。


(くそ……このままじゃ俺が先に壊れる……!!)


 思わず立ち止まり、ゼェゼェと息を吸う。


(すでに3人もルートが立ってる……!?昨日転生したばっかだぞ!?)


「サブヒロイン……あと何人だ……!?」


 指を折りながら必死に数える。


(7人中……あと4人もいる!!!)


(と、とにかく帰ろう!!学校にいればいるほど変なフラグが立つ!!)


 俺はその場から全力疾走で逃げ出した。


 春の陽気に誘われて校庭では部活の声が響いていたが、俺にとっては全部デスボイス。


(危険地帯すぎるんだよこの学校!!!家だ!帰宅だ!引きこもりこそ最適解!!!)


 脳内でドラゴンクエスドの戦闘BGMを鳴らしながら校門をぶち抜く。


 途中で桜の笑い声が聞こえ気がして一瞬ビクッとしたが振り返らない、振り返ったら負けだ。


(家なら安全……!栞以外のフラグは全部回避だ……!!)


 春風を切り裂きながら、全力で坂道を駆け上がる。


 息が切れる。

 足が震える。

 でも止まれない。


 やっと自宅が見えた瞬間――


「俺帰宅ぅぅううううう!!!」


 玄関に飛び込み、扉を勢いよく閉めた。


 ドンッ!


(ふぅ……助かった……

 これで今日は安全!!!)


 壁にもたれ、膝から崩れ落ちる。

 我ながら情けないが、生還できた。


 ◆ストレス -5

 ◆精神力 +1


(明日こそ栞ちゃんに会う……!俺は諦めないからな!!)


 拳を握りしめ、小さくガッツポーズした。

 ――だが、俺はまだ知らなかった。


 この家こそ最も危険な戦場であることを。


 部屋でベッドに仰向けになりながら、天井の木目をぼんやりと眺めた。


(勉強も運動も容姿も……もう無理……今日は限界だ……)


 今の疲弊し切った体では息をするのも精一杯だった。

 そして俺は瞼を閉じ、夢へ逃げることにした。


(ちょっとだけ……ほんの少しだけ……)


 ――たぶん一時間後。


「京一郎〜〜?お友達が来てるわよ〜〜?」


 母の声が一階から響いた。


(友達?ああ、ヒロシか……)


 学校では散々だったが味方の出現によって俺の心を癒してくれるのならば少しは救われる。


 そう思ってしまったのが……致命的なミスだった。


「はーい……今行く……」


 まだ眠気の残る身体を引きずり、階段を降りていく。

 母がニコニコとリビングの方を指差す。


「ほら、待たせちゃ悪いでしょ」


 俺は扉の取っ手に手をかけた。

 深呼吸ひとつ。


(ヒロシ……今日は色々と頼むぞ……栞の情報を…)


 ガチャ。


 扉を開けた。


 ――その瞬間。


 空気が、凍った。


 リビングのソファに座っていたのは俺が想像していたヒロシの姿ではなく――


 あの小悪魔的な笑顔のギャル後輩、

 桜 さくらこ。


「せ〜んぱい♡来ちゃった♡」


 にこっ、と。

 天使の笑み。

 でも背筋が氷点下。


(終わったァァァァァァ!!!!!!!!)


 母が無邪気に笑う。


「可愛い子ねぇ。京一郎にもこんなに可愛いお友達がいたんてねぇ」

「いや違う違う違う違う!!!!!!!」


(なぜ!!なぜ住所を知ってるんだよ!!!

 このクソゲー、ストーカー機能まで搭載されてんのか!!!)


 桜は立ち上がり、とてとてと俺に近づく。


「先輩、校門で呼んだのに振り向いてくれないから来ちゃった♡」


 どうやら俺を学校からストーキングしてきたらしい。


「ねえねえ、先輩の部屋案内してよ〜♡」

「ぜっっっっっっっっっっ対ダメ!!!」


 即答。全力拒否。

 しかし次の瞬間――母の静かな笑顔が視界に入る。


「あら京一郎?女の子のお願いをそんなに強く断るなんて……」


 にこぉぉぉ……。


「そ、そういうのはさぁ……!その……節度ってものが……」


「節度?なにそれ食べられるの?」


(会話のキャッチボールさえ許されない!!)


 母はさらに一歩。

 逃げ場を塞ぐようにじわりと距離を詰めてきた。


「京一郎?お母さん、ずーっと心配してたのよ?アンタにちゃんと女の子の友達ができたのって栞ちゃん以外だと初めてじゃない!」

「ち、違うんだよ!友達っていうかなんというか――」

「はい♡じゃあ桜ちゃん、遠慮なく二階どうぞ〜♡」

「えへへ〜♡おじゃましまーす♡」

「ちょ、母さん!?!?!?!?!?!?」


 腕を掴まれ、ずるずると階段へ引きずられていく。


(こ、これは……詰んだ!?完全に詰んだ!?)


 階段の途中、桜がキャッキャと笑いながら囁く。


「も〜♡早く先輩の部屋行こ?」

 

(いやだああああああああ!!!!助けてヒロシィィィィィ!!!!)


 部屋へ着くや否や、彼女はズンズンと侵入する。


「へぇ〜ここが先輩のお部屋ぁ♡」

 棚、ベッドの下、机の引き出し……容赦なくチェックしちゃうよ〜ん♡」

「ちょっ、やめろって!!勝手に見るな!!」

「え〜なんでぇ〜?いいじゃん、減るもんじゃないし?」


(俺の心が削られてんだよ!!)


 桜はクローゼットをガサゴソしながら、当たり前みたいな口調で言う。


「今日はね〜、先輩が浮気してないか調査しに来たの♡」

「……は?」


(何言ってんだコイツ……?)


 そして――桜がピタッと動きを止めた。


「……あれ?」


 振り返り、ぱちぱちと瞬きをしながら俺を見る。


「私たち……付き合ってなかったの?」

「付き合ってないわあぁぁぁぁぁ!!!!!」


 声が反射で爆裂。


 桜は「え?」と呆気に取られ、ぽかんと口を開けたまま。


「えっ……あれっ……?じゃあ……先輩は、私のこと好きじゃないの?」

「す、好きじゃないというか……その……」


(転生してから今までこいつの告白イベントなんてなかったぞ!?俺は栞ルート一直線なんだよ!!)


 桜は一瞬だけ視線を落とし、眉を下げて唇を噛む。


「そっかぁ……」


 ほんの少し、悲しげに。


(や、やめろ罪悪感攻撃!!)


 でも次の瞬間――


 にこっ。


「じゃあ、これから好きにさせるね♡」


 恐怖の笑顔。宣戦布告。


(いやあああああああああ!!!!!)


 桜は勢いよく俺のベッドにダイブ。


「ふわぁ♡先輩の匂い〜♡」

「やめろぉぉぉ!!!ベッドだけは聖域!!」


 しかし桜に通用する理屈はこの世に存在しない。


「ねぇ先輩?私、帰らないから♡」

「帰れよ!!!!!」


(なんなんだこのイベント!!!俺の平穏はどこにあるんだあああ!!!)


 桜はベッドの上で唐突に――制服のボタンへ手をかけ、にやりと笑う。


「ほらぁ♡女の子の裸見ても先輩は我慢できるのかなぁ〜?」


 肩をちらり。

 挑発的な視線。


 京一郎は反射で叫んだ。


「やめろおおおお!!!

 俺は……俺は栞一筋なんだぁぁぁぁ!!!」

「…………………誰その女?」


 桜は一歩、また一歩と迫る。


 ――京一郎、最大の危機。


 ◆恋愛フラグ暴走

 ◆栞ルート崩壊の危機

 ◆桜の嫉妬上昇中


(だ、誰か……助けてくれぇぇぇ……!!)


 そして桜が俺の目の前の距離まで近づいた――


「先輩……じゃあその女の事、私の体で忘れさせてあげる…♡」


(終わったーーー!!!!!!)



――つづく

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