駆け落ち未遂

湯島めいか

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 もし逃げるなら今日しかない。

 王城の門を出たとき、一瞬そんな考えが浮かんだ。


 ◇


 夏の明るい日差しの下、武官の制服を着たアルドリクは商人街へ向かう。3階建ての建物の死角へ入り込み、石を握って呪文を唱えると、白い光が現れた。


「シア・ルー。問題ないか」


 ふわりと空中から溶け出すように、それは人の姿になる。


 呼び出した相手は石畳に足を降ろし、「はい陛下」と微笑んだ。ひろがった藍色の髪が、ゆっくりと収まっていく。


 元は神官で、今やアルドリクの近侍である青年は、何を着ても隠せないほどの美貌を持っていた。


「……それにしても、凄い魔法ですね。王城からこちらまで、すぐに跳べました」

「まったくだ。さすが、王家の秘宝だな」


 そう言って、紐で括られた石飾りを胸元にしまっておく。


 国王と近侍が城の外、今は兵士と魔法使いの2人連れに見えるだろう。

 腰に剣を提げた黒髪の男と、灰色の被り物で視線を避ける魔法使いが一緒に街を歩く。それはごく普通の光景で、行き交う人々は一瞬目線を投げてはすぐに外していく。


「裏門は、無事抜けられたのですね」

「ああ、城代の甥だと言ったらすぐに。持ち物を調べられることもなかった」

「まぁ……。皆様が、陛下のお顔を覚えていらっしゃらないとは思いませんでした」

「というか、顔の傷がないからな」


 アルドリクは自嘲する。


「お前が治してくれたから……。しかし、俺の本体はあの傷なのか? とは思うな」


 ともあれ、居室に身代わりを置き、こうして昼間に外に出ることが出来たのだ。王城に閉じ込められる生活が始まって1年半、久々の外に心が躍る。


「おかげでこうして、お前と散策デートができるが」

「……陛下」


 軽口に対し、シアが困った顔で応じる。

 本日の用件は、人捜しでしょう? と。


「どちらも本題だぞ。だが……」


 顔を上げて往来を見る。

 交易路を旅してきた一団や、買い付けの商人、宿屋の引き込みなど、通りは賑わっている。店前にたまった砂をはく箒の音、串焼き肉の香ばしい匂い、異国語なまりの値切り交渉。


 雑踏に混ざっても、誰もこちらを気にも留めない。自分にとっては、これが本来の生活だった。生き返る心地がする。すれ違った護衛の持つ武器の形状から出身地を当てる遊びも、最後にやったのはいつの話だったか。


「このまま、お前と2人で異国へ逃げてもいいな」


 ふとそう呟く。

 その直後、隣を歩く相手の視線が自分に向けられた。


 驚きで目を見開き、すぐに俯いた相貌。

 そこに、薄い涙の膜が生まれていたことを、アルドリクは見逃さない。


 ――そんな顔をさせるつもりじゃなかった。


 戯言ざれごとだ。

 お前を試したつもりもない。

 失言を後悔し、気にするなと伝える前に、シアは顔を上げて息を深く吸い込んだ。


「……お供します」


 想像を超えた一言に、呼吸が止まる。

 同時に、時間まで止まったような心地がした。


 まさか、そこまで。

 軽く冗談を言ったつもりだったし、シアが乗ってくるとは思わなかった。

 そのようなお戯れを、と諭される予定だったのだ。


 けれど返事は予想外で。

 そこにあるのは忠誠と好意と恩義と……。

 この一瞬で、自分はシアに、神殿の仲間と実家の兄弟と城の同僚全部を捨てさせたのだ。


 山肌を降りる風が僅かに届き、それに促されるように肩を落とす。


「すまん、言わせたな」


 自分の一言が、そこまで響くとは予想できなかった。

 それほどに、思いを寄せてくれているとは。


 異国を訪ねたこともあるアルドリクは、この国を捨てることも選択肢の内だ。けれど、王都を出たこともないシアにとっては、崖から飛び降りるような覚悟だったはず。

 ……それでも、なお。


「悪かった。お前には、守りたいものがあるのに」

「言わせた、だなんて」


 自分より一回り小さい彼は、両手でフードを降ろしてその顔を日の光にさらした。

 顎をわずかに上げてこちらを見つめる。

 出会いから今日まで、変わらず、その誠意はアルドリクに注がれている。


「あなたはもう十分、国に尽くされました。報われるべきです。わたくしは非力ですが……せめても、お供させてください」


 シア・ルーが、自分の唯一の戦利品ならそれもいい。

 充分だ。

 本当に、攫って逃げてしまいたい。


 ……けれど、それはできなかった。


 お互い、やるべきことがある。

 それに、ここで国を去っても、シアの笑顔は今のように曇ったままだろう。


 ならば、完全な勝ちを、あの宰相からもぎ取らなくては。

 でなければ、ここまでやってきた意味がない。


「そうだな。だが、今ではなく」


 いつものように、相手を飾る銀色に手を伸ばした。

 しゃらり、と音を立てる耳飾りは、アルドリクがシアに最初に贈ったものだ。


「いずれ――きちっと国の外面そとづらを整えたら、東に連れて行ってやる」


 お前の母の故郷まで。

 この宣言はシアにとって予想外だったようだ。今にも濡れそうだった瞳が晴れていく。


 ぱちりという瞬きとともに、目の中に星が輝いた。

 シア・ルーの髪も瞳も、夏の夜空の色をしている。


 だから最後までやりきるつもりだと告げ、相手の耳飾りを弾いて仕切り直しの音を鳴らす。

 魔力の補充はこれで十分だろう。


「さて――どこから探そうか?」


 初日の今日は小手調べだ。どこでもいい。

 この王都内にも、シアが足を運んだことのない場所はたくさんあるはずだ。


「どこでも、お前の行ってみたいところに」

「陛下。……人を捜していらっしゃるのですよね?」


 どこでも、はおかしいでしょう? と。

 やっと最初の目論見通り、たしなめる言葉をもらえた。


「ではシア・ルー」


 そこでアルドリクは満を持して、今まで温めておいた一言を告げる。

 本当に、どれだけこれを望んだことか。


「ここは外だ。陛下でもアルドリク様でもなく――俺のことは、“アルドリク”と呼んでくれ」


 ◇


 この夏の日の出来事を、シアはよく覚えている。


 逃げてしまうか、と冗談めかして口にした陛下が、どれだけの重圧を背負っていらっしゃったか。

 もう充分です、と心から。

 あのときは本当に、いずこにでもお供しようと思ったのだ。


 けれどあの方は、残るとおっしゃった。

 国を取り戻すために、命を懸けると。

 シアの父である宰相に、望まぬ即位を迫られて座に就いたというのに……。


 その気高さ、優しさに恋をしたのはいつからだったろう。


 出会いは、春。

 シアが神殿から実家へと連れ戻された日に、全てが始まったのだった。



→本編


https://kakuyomu.jp/works/822139836430214740/episodes/822139836430275147


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駆け落ち未遂 湯島めいか @yushimame

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