第28話

都心のモダンな一軒家。恋愛リアリティショー『The Dual Heart』のリビングルームに足を踏み入れてから、数時間が経過した。

​僕は、全員の自己紹介を終えた後も、極力発言を控え、「光と影を支配する超越的な偶像」というペルソナを維持していた。僕の指先に施された光と影の融合ネイルは、静かに光を反射している。

​(彼らの感情を分析しなければならない。嫉妬、純粋さ、計算、情熱。これこそが、僕の演技に欠けている「脚本のない素材」だ)

​僕の意識は、既に「プロの声優」としての役作りに集中していた。目の前の彼らが抱く「愛」を、演技の素材として、冷静に切り取ろうとする。

​相原翔(映像クリエイター)は、常に僕の顔に視線を固定している。彼は、僕を『被写体』として、その瞬間瞬間の微細な感情の変化を映像で捉えようとしている。彼が僕の秘密を暴く危険を孕んでいるが、同時に、僕の「偶像のビジュアル」を最高の形で世界に届けてくれる『無言の共犯者』でもある。

​高橋美月(舞台女優志望)は、僕を純粋に『表現の先輩』として見ているようだ。彼女の瞳には、恋愛のトキメキよりも、僕の声の出す「魂の深さ」への探求心が見える。彼女との会話は、演技論という「安全圏」の中で交わされるだろう。

​夕食が終わり、出演者たちがリビングでリラックスし始めた頃、僕の「偶像の壁」に、最初にして最も強力な衝突が起こった。

​その相手は、佐野拓海(フィットネストレーナー)。直情的で豪快な関西弁を使う、最も「生身の感情」をぶつけてきそうな男性だ。

​佐野は、他の出演者との会話を打ち切り、真っ直ぐに僕の隣にやってきた。

​佐野「あのな、風花さん。俺、正直に言うで。あんたの声と、その空気感に、ホンマにやられたんや」

​彼の関西弁は、僕が演技で使う穏やかな関西訛りとは違い、熱量が高く、素朴で情熱的だ。

​佐野「俺は、小難しいこと言えへん。あんたの纏うてる『儚い光』が、俺が過去に失くした、何か大切なものと重なって見えるんや。あんたを見てると、守らなアカンって気持ちになる。これ、演技やない。ホンマの気持ちや」

​彼の言葉は、僕の「演技の素材」という冷静な分析を、一瞬で吹き飛ばした。彼は、僕の「偶像性」ではなく、僕の「声の奥にある、守られるべき脆さ」を、彼のトラウマ(恋人の喪失)を通して感じ取り、直球の『保護欲と愛』をぶつけてきている。

​(これは…何だ?この感情の熱量は、台本にない。僕が演じている「癒やしの光」が、彼の「本物の喪失感」に触れて、反射している…?)

​僕は、言葉を失った。僕が今まで作り上げた感情は、全て技術と計算だった。しかし、佐野が僕にぶつけてくるこの感情は、純粋で、計算がなく、そして、熱い。

​僕は、優しく、戸惑いを隠しながらも、風花の**「癒やしの周波数」を保った。

​風花:「あ、ありがとうございます。その…守りたいと思ってくれる、優しさ…ほんまに嬉しいです」

​僕の関西訛りは、佐野の直情的な感情を受けて、わずかに『地声に近い、素の響き』が混ざってしまった。

​その瞬間、佐野の顔が、さらに喜びに輝いた。彼は、僕のその小さな戸惑いこそが、「偶像の壁の崩壊」だと感じたのだろう。

​佐野「あんな、良かったら明日、二人で話さへん?俺、あんたの『光』に、ホンマに惹かれてるんや」

​僕は、彼の直球の愛の言葉に、「本物の愛」の切実さと、その熱量が持つ演技への破壊力を体感した。

​(この感情を、僕は八尋の演技に組み込むことができるのか?)

​僕は、初めて、演技の素材としてではなく、生身の人間として、誰かに愛されたいという、強烈な衝動に駆られた。その衝動は、僕の「偶像の防御壁」を大きく揺るがした。

​その一部始終を、相原翔のカメラが、静かに、そして鋭く捉えていた。翔は、穏やかな顔の下で、満足そうに頷いていた。彼のカメラは、既に風花の「秘密の葛藤」を、最高の作品として記録し始めていた。


​恋愛リアリティショー『The Dual Heart』のVTRが終了した瞬間、スタジオのセットは一瞬、静寂に包まれた。画面には、佐野拓海の直情的な告白と、それを受けた風花がわずかに動揺し、地声に近い響きを混ぜて安堵を返すシーンが映し出されていた。

​スタジオのライトが点灯し、MCの粗茶と、コメンテーターの桐島綾乃、そしてコラムニストの顔が映し出される。

​粗茶は、ヘッドセットマイクを握りしめ、顔は興奮と驚愕で硬直していた。

​「うわぁ…ちょっと待ってくれ、鳥肌もんやん。佐野君の熱量がヤバすぎる。そして、風花さん。初めて『素の動揺』を見せたやん…」

​――桐島綾乃の危機管理と分析

​粗茶の言葉を受けて、桐島綾乃は静かに、しかし有無を言わせない口調で話し始めた。彼女の顔は冷静だが、その目の奥には、大太の秘密が晒されることへの強い警戒が宿っている。

​桐島「佐野君のアプローチは、プロの役者でも対応が難しいわ。彼の『本物の喪失感』から来る直球の愛が、風花君の『偶像の防御壁』に、初めて『生身の感情』のヒビを入れた」

​桐島さんは、冷静に、大太の秘密の露呈リスクに言及した。

​桐島「特に注目すべきは、風花君が『ほんまに』と返した時の声の響きよ。普段の彼の声は、完璧に制御された『穏やかな関西訛り』。しかし、あの時、一瞬だけ『地声に近い、硬質な響き』が混ざったわ。それは、彼の『感情のリセット』が間に合わず、『富士見大太』という素の魂が、声の表面に滲み出た瞬間よ」

​コラムニスト「つまり、風花さんは、佐野さんの感情に、演技ではなく、人間として反応してしまったということですか?」

​桐島「ええ。ですが、これは風花君の『表現者としての勝利』でもあるわ。彼は、佐野君から受け取った『本物の愛の熱量』という素材を、既に演技の設計図に取り込もうとしている。あの動揺は、『本物の愛』を知るための、命がけの学習よ」

​――防御壁の再構築

​粗茶は、桐島さんの冷徹なまでの分析に、プロとして深く頷いた。

​粗茶「なるほど!僕らは恋愛を見てるんじゃなくて、天才が演技の素材を命がけで集めるドキュメンタリーを見とるんやん!だからこそ、風花さんは恋愛対象じゃなくて、『愛の素材』として見なアカンわけや」

​桐島「(力強い関西訛りを混ぜて)その通りよ、粗茶君。風花君がこの番組で求めるのは、『完成された光の演技』だけ。彼の『偶像の壁』に過度に踏み込み、彼の『プライベートの領域』を詮索することは、最高の芸術を破壊する行為やで」

​桐島さんは、公の場で改めて、風花の「偶像性」を盾にした最強の防御論を提示した。

​VTRは、相原翔が満足そうにカメラを構えているシーンへと移る。

​粗茶「そして、映像クリエイターの翔君。彼は、風花さんの『動揺』という最高の瞬間を捉えた。彼のカメラは、番組のドラマを作るが、同時に風花さんの秘密を暴く、最大の火種やん!」

​スタジオは、風花の「演技」と「本心」の境界線が、いつ崩壊するのかという、スリリングな予測で熱を帯びていた。大太の「究極のライブ配信」は、ここから、さらに予測不能な展開へと進んでいく。

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