軟派王子と堅物姫の政略結婚物語 ~見合いに来た王子があまりにも女好きで、姫はつい決闘を申し込んでしまいました~

よし ひろし

第一話 最悪の出会いと宣戦布告

 アークランド王国とヴォルガルド帝国。長きにわたり血で血を洗う争いを続けてきた二つの大国は、今、歴史的な転換点を迎えようとしていた。

 周辺の新興都市国家群「リベル」の台頭により、両国の国力低下が無視できないレベルに達していたからだ。共倒れを防ぐための苦肉の策――それが、和平条約の締結と、両国王族による政略結婚だった。


 両国の国境沿いに設けられた中立地帯、その迎賓館の一室――


 ヴォルガルド帝国の第一皇女、シルヴィアは、豪奢な椅子に深く座りながら、苛立ちを隠せずに貧乏ゆすりをしていた。


「遅い……! 何のつもりだ、アークランドの王子は」


 シルヴィアの燃えるような赤髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。ドレスこそ纏っているが、その鋭い眼光と鍛え上げられた身のこなしは、彼女が「戦乙女ヴァルキュリア」として戦場を駆けてきた猛者であることを雄弁に物語っていた。


「姫様、ご辛抱を。これは国の存亡にかかわる儀式でございます」


 背後に控えた近衛女官長、ヒルダが静かに諌める。ヒルダはシルヴィアが幼い頃から武術と礼儀を叩き込んだ教育係であり、戦場でも背中を預ける信頼できる部下だ。


「わかっている。だが、約束の刻限を過ぎても現れぬとは、我が国を侮っている証拠。一度、顔面を兜ごと粉砕してやらねば気が済まん」

「……お顔が笑っておりません、姫様」


 その時、重厚な扉が派手な音を立てて開かれた。


「やあやあ! 待たせてごめんね、子猫ちゃん!」


 現れたのは、目も眩むような金髪碧眼の美青年だった。アークランド王国第一王子、レオンハルト。この場にそぐわぬようなお気楽な調子で現れた彼の左右には、あろうことかフリルのついたメイド服を着た美女が二人、べったりと寄り添っていた。


 瞬間、シルヴィアの眉間に深い皺が刻まれた。


 そんな姫の様子に気づいているのかいないのか、王子は両脇の女性と戯れる。


「レオン様ぁ、ブドウ食べさせてぇ」

「はいはい、あーん」

「んっ……おいしぃ! 今度は私がレオン様にワインを口移しで……」

「おっと、それは夜のお楽しみだ」


 へらへらと締まりのない笑みを浮かべ、メイドといちゃつく王子。


 プツリ……


 シルヴィアのこめかみで、何かが切れる音がした。


「……貴様が、レオンハルト殿か」


 努めて冷静な声を出すシルヴィア。しかし、テーブルの下で握りしめた拳は震えている。


「おや、君が噂のシルヴィア姫? へぇ、聞いてたよりずっと美人じゃないか。でもちょっと目が怖いかなぁ。眉間の皺を伸ばしてあげようか?」


 レオンハルトはシルヴィアの向かいに座ることもせず、ふらふらと彼女のそばへ歩み寄る。そして、まるで馴染みの酒場の女にするように、シルヴィアの肩に馴れ馴れしく手を置こうとした。


「触るな」


 シルヴィアが低い声で威嚇する。その殺気に、侍っていたメイドたちが「ひっ」と悲鳴を上げて後退るが、レオンハルトだけは涼しい顔で手を引っ込めた。


「おっと、棘のある花は嫌いじゃないよ。でもさ、和平のために結婚するんだろ? もっと仲良くしようよ」

「仲良く、だと? このようなふざけた態度でか?」

「固いなぁ。人生楽しまなきゃ損だよ。君、普段は鎧姿なんだって? そんなもの脱いでさ、僕の選んだ下着でも着ければもっと可愛くなるよ。ふふふ……」

「き、貴様ぁ……!」


 シルヴィアが怒りで立ち上がろうとしたその時、料理を運んできた給仕の女性が、緊張のあまりワインボトルを少し揺らしてしまった。


「あ、申し訳ございません!」

「いいよいいよ、気にしないで。それより君、可愛いねぇ。仕事が終わったら僕の部屋においでよ。特別手当を出してあげるから」


 レオンハルトは給仕の顎をくいと持ち上げ、流れるような動作でウインクをする。さらに、その視線はシルヴィアの後ろに控える女官長ヒルダへと向けられた。


「そちらのクールな麗人も素敵だ。年上の女性の魅力ってやつかな? ねぇ、堅苦しい姫のお守りなんてやめて、僕の国に来ない? 毎晩極上のマッサージをしてあげるよ」


 言いながら、レオンハルトの手がヒルダの腰へと伸びる。ヒルダは無表情を崩さないが、その手は剣の柄に伸びかけていた。

 だが、それより早く――


 ドォォォォンッ!!


 轟音と共に、最高級のマホガニー材で作られたテーブルが真っ二つに叩き割られた。

 シルヴィアの拳が、テーブルの真ん中を粉砕したのだ。


「い…いい加減にしろぉぉぉッ!!」


 シルヴィアの怒声が部屋を揺らす。

 飛び散る木片の中、彼女は鬼神の如き形相でレオンハルトを睨みつけた。


「我が国を愚弄し、あまつさえ我が忠臣にまでその汚らわしい手を伸ばすか! 軟派男が。貴様のようなふしだらな奴に、この身を預けられるものかっ!」

「うわぁ、すごい力。さすが、戦乙女ヴァルキュリア

「黙れ! もう我慢ならん。和平など知ったことか! どうしても私を妻にしたいと言うなら、力ずくでねじ伏せてみろ!」


 シルヴィアは懐から手袋を抜き取ると、レオンハルトの顔面めがけて力任せに投げつけた。バシッ、と乾いた音がして手袋がレオンハルトの頬に当たる。

 刹那、場の空気が凍りついた。


「一対一の勝負だ! 負ければお前の嫁にでも下僕にでもなってやる!!」


 静寂の中、シルヴィアが堂々と宣告する

 しかし、レオンハルトは頬に当たった手袋を拾い上げると、またしてもニヤリと笑った。


「野蛮だなぁ……。でも、いいよ。その勝負受けよう。女の子のお願いは聞かないとね」

「ふん、どこまでも軟弱な……。だが、逃げ出さんだけましか。――闘技場を用意させる。そこで白黒決着をつけようではないか」

「ただし、僕が勝ったら――」


 レオンハルトは手袋の匂いを嗅ぐような仕草をして、ねっとりとした視線をシルヴィアに向けた。


「ベッドの中で、たっぷりと勝負の続きをさせてもらおうかな? 僕の愛のテクニックで、その怖い顔をトロトロに溶かしてあげるよ」


 その瞬間、シルヴィアの理性のタガは完全に外れた。顔を真っ赤に染め上げ、羞恥と憤怒で全身を震わせる。


「上等だ……。その減らず口、二度と利けぬように叩き潰してやるっ! 首を洗って待っていろ!!」


 シルヴィアは粉々になったテーブルを蹴り飛ばし、部屋を飛び出した。

 後に残されたのは、へらへらと笑う王子と、怯えるメイドたち、そして呆然とする両国の関係者たち。


 だが、誰も気づいていなかった。

 シルヴィアが去った扉を見つめるレオンハルトの瞳から、一瞬だけ軽薄な色が消え、鋭く冷徹な光が宿ったことに。


「……さて。『戦乙女ヴァルキュリア』のお手並み拝見といこうか」


 レオンハルトは誰にも聞こえない声で呟くと、再びあのお気楽な仮面を被り直した。


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