引きこもっていたら女勇者が家に来た件

水津希理

独白

 その日も僕は、これからどうしようか考えていた。

おそらくはメイドが部屋の前に置いたのであろう昼ご飯はもう食べてしまったし、本棚にずらりと並べた魔法書のコレクションをどれかひも解いてみる気にもなれなかった。

窓の外には、誰のためだと問いかけてみたくなるほどに青い空が広がっていたが、もちろん外に出ようとは思えなかった。


ふと僕は、いつからこの生活を続けているのかと自問自答してみた。

ソーサリー魔法学園を首席で卒業したのが、5年前の25歳のとき。

その後は魔法書を扱う出版社で数か月働いただけで、あとはずっと家にいる。

仕事を辞めたのは誕生日よりも前だったから、もう5年は同じような日々を過ごしていることになる。


 そもそも僕は、なんですぐに会社を飛び出したんだろう。

ああそうだ、どうしても働き続けることが不可能に思えたからだ。

僕はなんでも完璧にできるはずだった、少なくとも学園を卒業するまでは。


会社というものに入ってから、少しずつなにかがおかしくなっていったんだろう。

自分に与えられた仕事は、先輩たちが軽々とこなしていたから簡単そうに見えた。

ところが実際に自分がやってみると、ミスだらけの上に遅くて、少しもうまくできない。

最初のうちはそんなものだと言われたけれど、僕にとっては苦痛でしかなかった。


僕は学生時代の勉強で苦労したという記憶がない。

同級生たちがうんうん唸るような難問も、いつもたやすく解いてきた。

それから魔法書を読むのも、みんなは苦痛だと言っていたけれど、僕はいまだに大好きだ。


難解だと言われている箇所だって、いつでもすらすらと解読できたし、古代語を学ぶと語源の謎がわかるから楽しくて仕方なかった。


唯一の不満は、魔法書というものはどれもこれも分厚く、装丁も重厚なので、体力に関してまるで自信がない僕にとっては、重くて仕方ないという点だ。


 話がそれてしまった。

僕が会社というものに見切りをつけた理由について、考えていたんだった。

確かに僕は仕事がうまくできなかった。

それは紛れもない事実で、さらにもうひとつ問題があった。


僕はコミュニケーションというやつが、どうにも苦手らしいということだ。

どうして進捗についてなにも報告しなかったんだ、とか、新人なんだから自己判断で仕事を進めるんじゃない、とかいうセリフは、嫌というほど聞かされた。

でも、なんでそう言われなければいけないのか、なんで怒られなければいけないのか、全くと言っていいほど僕には理解できなかった。


自分は優秀なんだから、自分の判断は間違っていない。

割と本気で僕はそう思っている。


一応、会社という組織の一員として働いているわけだから、せめて仕事に関してはほかの社員と話をしなければいけない、という暗黙のルールがあるのかもしれない。

だからまあ、仕事の話をするというのはまだわかる。


どうしても僕が理解できないのは、上司も先輩も同期も、みんなくだらない雑談が大好きだ、という一点だった。

これはいまだに僕の中で謎のままだ。

職場の誰と誰とが密かにつきあっているだの、誰と誰とが一見すると仲がよさそうだけど実は嫌いあっているだの、そんなことはどうでもいい。


そんな戯言にかまけている暇があったら、魔法書の一冊にでも目を通している方が、よっぽど有益だろう。

でも悲しいかな、そういった毒にも薬にもならない、どうしようもないおしゃべりが大好物な人間が、どうやら多数派らしい。


そのせいか、僕はノリが悪い偏屈な奴だと会社で思われていた。

それゆえにいじられた回数は、おそらく両手では数えきれないだろう。


だから僕は、1年どころか半年もたたずに会社を離れた。

ただでさえ自分が優等生だという自信を基盤としていた僕のプライドは、粉々に砕かれていたのだ。

あのまま働き続けていたら、僕は再起不能になるまで打ちのめされていたに違いない。


 僕は深く大きくため息をついた。

順調に人生が進んでいたとしたら、今ごろは一体どれ程の地位に上り詰めていられただろう。

なにかのきっかけで独立し、本を何冊も書いて先生と呼ばれる立場になっていたかもしれない。


もちろん仮定法で語りえる話など、全くと言っていいほどに意味がないことなど、痛いぐらいによくわかっている。

わかりすぎていると言ってもいいぐらいだ。

それでもやっぱり、考えてしまうのだ。


僕は再びため息をついた。

深さも大きさも、さっきのやつを超えていただろう。


 不意にガタン、という物音がして、僕の思考は中断を余儀なくされた。

それに続いて、軽い足音が聞こえる。

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