第2話

 そもそも学校を乗っ取るという計画の始まりは、五月まで遡る。

 軽音楽部に所属しているオレたち四人は『メビウス・L』というバンドを組んでいた。軽音楽部は三年生のオレたち四人しかおらず、実質的には『メビウス・L』部だった。

 ゴールデンウィークのライブが散々に終わり、オレたちは怒りを感じていた。ドラムのキョーイチは客が悪かったと嘆いた。みんな心が貧しいんだよ。オレたちの音楽を感じ取れないんだ。キョーイチは、勉強はできないけど、たまに芯を喰ったことを言う。ギターのゴトウは、時代が悪いと断言した。中学生ながら過激なロックン・ロール信者で、ロックン・ロールはオアシス以降途絶えたというのがゴトウの持論だった。ゴトウの言いたいことはわかる。オレたちを救ってくれる音楽はもう生み出されないのかもしれない。ベースのナベは、原因は複数あると冷静に分析した。客、会場、音響、前の出番のバンドがめちゃくちゃだったせいでもあり、オレたちもいくつかの致命的なミスをした。それらすべてが重なった結果だと。ナベは頭がいい。成績は学年一、将来は弁護士になるそうだ。

「我らがリーダーにして最高のボーカル兼ギタリストのツジケンはどう思うの?」キョーイチが訊いた。

 オレは答えられなかった。ここ最近ずっと苛立ちと吐き気が混ざった感覚がずっとあった。オレにとってギターは日常から自由になるための唯一の方法だった。ギターを弾いているときだけはオレはオレだけの世界に立てた。でも最近は何を弾いてもどれだけ力をこめても、その世界に入りこめなかった。日常が邪魔をしてきて、振り切ろうとしても振り切れない。理由がわからないことがなにより腹立たしかった。

「終わったことは仕方ない。次のライブを決めようぜ」

 ナベは顧問から渡されたプリントを音楽室の黒板に貼った。木製のベンチで横になっていたゴトウが起き上がる。キョーイチは教師に隠れて持ちこんだポテトチップスを食べていた。オレはパイプ椅子に座って、帰宅する生徒をぼんやり眺めていた。

「そもそもいつまで活動するかだな、カマタニはなんか話してなかった?」

「アイツはなにも。そもそも興味ないんだよ、オレたちに」

 軽音楽部の顧問・カマタニは名前だけで、ライブの申し込みや費用支払いといった実務はすべて中学生のオレたちが行っていた。ナベはカマタニの印鑑まで預かっていた。ライブ会場への引率も面倒だからと放棄しているカマタニは技術指導どころか、部活中に顔を出すこともない。そもそも何の楽器も弾けないらしい。

「どうしようか」ナベがオレに訊ねた。

 実務を主に担っているのはナベだが、リーダーはオレだ。ナベはちゃんとオレのことを立ててくれる。他の二人もオレがリーダーであることを受け入れている。ボーカルがリーダーというのが、しっくりくるのだろう。

「そうだな」

 ゴールデンウィークのライブを思い出すと、ふたたびあの気分を味わうくらいなら出ないほうがいいと思った。だがオレたちは冬には高校受験を控えている。どれだけ長く活動しても、夏休み明けに最後のライブをやるのが限界だろう。

「あと三、四回が限度だな」ゴトウが言った。

「そうだね。もうラストライブも考えるべきなのかも」キョーイチはポテチの袋を折り畳みながら呟いた。「でもこの前みたいなのは嫌だな」

 その言葉に空気が重くなったが、本人だけはのんびりと鼻歌交じりに隣の音楽準備室に手を洗いに行った。

「呑気なもんだ」ゴトウが苦笑する。

「だけど真理でもある」ナベが頷く。

 こんなところで躓いている場合ではない。もっとオレたちの音楽を届けないといけない。中坊の戯言だとはわかっているけど、そうやってロックン・ロールは世界を変えてきたんだろう? 

 だけど考えれば考えるほど無力感に襲われる。オレたちにできることは限られていて、目の前には無味乾燥な現実が広がっている。いつしかオレは床に寝そべっていた。

「なんか爆発的なことがしたいな」

 三人の視線が集中した。緊張感が音楽室に張り詰めた。

「いや、具体案はないんだけど」

 三人とも笑った。オレも笑った。

「なんだよ、アイデアがあるのかと思ったのに」

「でも面白いことはしたいよな」ゴトウはベンチに座った。

「それはいつだってそうだよ」キョーイチも続く。

 ナベは黒板のプリントを剥がし、パイプ椅子を新しく出した。オレも起き上がった。

「面白いことなんて、そう簡単じゃないぜ」

「なんかさ、派手にドカンとやりたいんだ」オレは言った。

「オレは、オレたちのロックン・ロールを世界に届けたいな」ゴトウが言う。

「でもこの町ですら受け入れられないんだぜ」再度ゴールデンウィークの悪夢が蘇る。

「この町は田舎だから、誰も理解できないんだ。みんな演歌ばっかり聴いてるんだ」

 オレたちは都会と田舎のあいだの中途半端な場所に住んでいる。ゴトウの言葉は強がりだった。

「SNSで発信とかは?」

「もう時代遅れだ。世界中のミュージシャンがやってるのに、中学生四人組では勝てない」

「再生数二十回が関の山か」

 オレは手を頭の後ろに組んで椅子を前後に揺らした。視聴されなければ存在しないも同然だ。たとえ低評価であっても、それは視聴された証だし、評価までされている。

 カマタニに相談する? キョーイチの提案は、死んでも嫌だとゴトウが即座に否定した。

「じゃあさ、学校の屋上でライブするっていうのは?」キョーイチが目を輝かせた。

「許可が取れないだろ」

 そうか、許可が必要か。キョーイチが呟く。顧問のカマタニは何の協力もしてくれないだろうし、デメキン校長が許可するはずもない。

「学校を乗っ取るのはどうだ?」

 三人の視線がオレに集まった。オレの唇は震えていた。自然に笑みが浮かんだ。思いつきで発した言葉は全身を駆け巡り、身体中を震わせる高揚感に変わった。

 学校を乗っ取る——なんて素敵な響きだろう。この広い学校から大人を追い出し、自分たちだけのものにする。それは面白い。この世の何よりも面白い。学校を乗っ取れば、いやでもニュースになる。世界中がオレたちに注目する。オレたちのロックン・ロールを表現する最高の舞台になる。

 ゴトウも興奮で震え、恍惚とした表情でにんまりと笑っていた。キョーイチはオレの言葉を噛みしめるように、本当に口をもぐもぐさせていた。

 ナベだけが真剣な表情を浮かべ、オレを見つめた。

「ツジケン、本当にやるか?」

 ゴトウとキョーイチもオレを見た。オレは心を落ち着けようとした。でもそんなの不可能だった。憂鬱とか怒りなんてどこかに消えていた。オレはもう興奮を抑えられなかった。

「ド派手に見せつけてやろうぜ」

 こうしてオレたちの計画は動き出した。

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