第3話 MCバトル
マイクを受け取った氷柱さんは会場に手拍子を要求した。
まだノリを理解していない客席は困惑しているが、それでもちらほらと手拍子が鳴らされる。
足りねぇよ――と苦笑いしながらも、氷柱さんは歌い出す。
【あたしに待つのは成功 高みに昇るぜ最高
てっぺんとってスカイへGO! あんたは底辺世界で非難轟々?
だってタトゥーじゃムリなスクリーン 見たら子どもがスクリーム】
ぽんっ、とマイクがタトゥー女に向かって放り投げられる。
落ちてくるのが待ちきれないとばかりに、タトゥー女は放物線の頂点でマイクを掴んだ。
【タトゥーは私の生き様 理解できないお前にざまぁ
みんな知らないお前の本性 一緒にバンドやるのは結構苦行
言ってやろうか裏での悪行】
するとタトゥー女が歌い終わる前に、氷柱さんがマイクを奪い取った。
【あたしに悪行ナッシング! だから返すぜバッシング!
あたしの誇りさこの顔面 勘弁してくれお前の
テレビの画面じゃクレーム案件
見なよこの顔 愛くるしい
見ないよその顔 Ⅰ苦しい!】
会場からざわめきが起きた。今のはかなりポイント高いな。
これにタトゥー女はどう返す?
「この野郎!」
……ラップではなくまた平手打ちに戻った。
氷柱さん以上の歌詞が思い浮かばなかったようだが、だからって暴力に訴えるなよ。なんのためのMCバトルだ。
やはり一度ケンカが始まってからでは軌道修正はムリだったか?
予想外のタイミングで頬を張られた氷柱さんは一歩よろめきながらも踏ん張り、拳を握りしめる。
まずい。氷柱さんの性格だと、二回も殴られたらおとなしくなんてしていられない。
間違いなく殴り返す。
暴力沙汰を起こしたらメジャーデビューが流れてしまう。
せっかくチャンスと巡り合えたのに、こんなことで終わっちゃいけない。
俺はふたりの間に割って入り、氷柱さんが手を出さないようにを抑える。
同時に巨人がタトゥー女を取り押さえて肩に担いだ。
「話せコラッ!」
とタトゥー女は巨人の肩の上で暴れるが、子どもがダダをこねるくらいの迫力しかない。
巨人はタトゥー女を担いだまま高いところから俺たちをにらみ、
「もうムリだな。これ以上続けても暴力沙汰にしかならないから、オレはこいつを連れてステージを降りる。お前らまで降りると控室が血に染まるから、予定通りライブを続けろ。ライブが終わるまでには控室からも消えてる。じゃあな、あばよ」
そう言って、タトゥー女と一緒にステージを降りてしまった。
口調は平静を保っていたが、有無を言わせぬ威圧感があった。
巨人とタトゥー女がいなくなると、氷柱さんは大きく息を吐いた。
それから、まるで何事もなかったかようにマイクをスタンドに戻し、客席を向いて話す。
「え~……業務連絡。ちょっとトラブルがあって、バンド構成がギターとキーボードだけになっちゃいました」
いや、トラブルの一言でまとめるなよ。
そんな軽い話じゃないだろ。
「まぁ、割とよくある話なんでね、ベースとドラムが抜けるのは。あたしと奏は昔っから組んでてずっと一緒だったけど、他は頻繁に入れ替わるから。それがあたしらの音楽って感じでさ。だからこんなの屁でもないよ。ってことで、聴いてください、眠り姫」
……まじでこのままやるの?
この雰囲気で?
本番中にケンカして半分抜けて、それでも続行ってさ。
ロックって言葉じゃ収まらないだろ?
しかし氷柱さんはすでにイントロを弾き始めている。
冒頭の数小節をリピートし、目で俺に「早く持ち場に戻れ」と言ってくる。
どんなメンタルだよ。
俺も客席も、誰もついて行けてないぞ、あんたに。
この図太さもショービジネスのプロの適正のひとつか?
……まぁ、ついて行けてないけど、俺はやるよ。
氷柱さんの言う通り、ベースとドラムは加入しては脱退の繰り返しだった。
半分以上は氷柱さんの性格のせいで、俺も彼女の性格にムカつくこともあった。
けど、それでももついてきた。
氷柱さんは天才的なミュージシャンだ。
でも、人格におおいに問題がある。
人間関係のせいでせっかくの才能を潰して危険があることを、俺はずっと懸念していた。
この人が仲間を失い、ステージに立てなくなってしまうことをずっと怖れていた。
氷柱さんが立てるステージを作り続けるために、俺は今日までがんばってきたんだ。
だから今回も、俺だけは残るよ。
俺が氷柱さんを助けてあげられるのは、きっとこれが最後になるけれど。いや、最後だから、今日はどこまでもついて行く。
ああ、それにしても……俺がチケットを売った人たちは、この一連の流れをどう思ってるかな?
金払ってまでケンカ見に来たわけじゃねぇぞ、って怒ってやしないか。
恐る恐る客席に視線を向ける。
俺がチケットを売った人たちの大半は、もやもやとした表情をしている。
もう帰りたい――と顔に書いている者も少なくない。
しかし、その中にひとり、目を輝かせている人がいた。
今のケンカをプロレスかなにかだと勘違いしていそうな顔をしているのは、デコ杖を持った美少女、羽前花束だった。
この状況で普通に演奏できる氷柱さんもヤバいが、楽しんでる羽前さんも普通じゃない。
ルックスも申し分ないし、メンタルも並みじゃない。
彼女にはステージに立つ素質があるのかもしれない。
もし膝を壊していなければ、彼女はアイドルとして売れていた――そんな未来は容易に想像できる。
惜しいなぁ――。
と思わざるを得ない。
まぁとにかく、今は演奏に集中だ。
氷柱さんとの最後のステージ。悔いの残るものにはできない。
ちなみに、ライブ終了後に、どうして予定変更して、ステージでスカウトされた話をしたのか訊いてみた。
「語り継がれる伝説を作りたくなった」
と言われた時には……その浅はかさに呆れてものも言えなかったね。
さて、氷柱さんを見送って、俺はこれからどうしよう。
音楽しか人に誇れる取り柄がないから、続けるのは大前提として……。
今さらコンクールを目指してがんばろう、って方向に気持ちは動かない。
競技としての音楽から一度離れてしまった以上、もうトップを目指すことはできないし、興味もない。
俺はエンタメの方が性に合っている。
どんなにめちゃくちゃなことをしても、観客を楽しませたら勝利ってエンタメは、ミスを許さない完璧さを要求してくる競技の世界よりも楽しい。
だから、またバンドをやりたい。
入れてくれるバンドを探すのは、きっとすごく簡単だ。
客観的に見て、俺のキーボードの演奏技術はアマチュアの中では上澄みに分類される。
おそらく引く手あまただろう。次のバンドはすぐに見つかるはずだ。
でも、その辺の適当な連中と組むつもりはない。
弓張氷柱という本物の才能を知っているから。
なんでこの程度の連中と――なんて思うようなバンドで演奏するのはイヤだ。
氷柱さんのように、この人をプロにしてあげたいと思えてしまうような人か、それとも……この人と一緒にプロになりたいと思える人か。
そういう特別な人と一緒じゃないと組みたくない。
でも、そんな人には簡単には出会えないだろう。
出会えても、その人が俺と一緒にやりたいと思うかは、それはそれで別問題。
もしかしたら、そんな機会は二度となく、ミュージシャンとしての俺は終わってしまうのかもしれない。
だけど――。
幸せの青い鳥は家にいた、という寓話がある。
ひょっとしたら、俺が求める才能は、案外近くにいるのかもしれない。
―――――
次回更新は12/2 午後9時頃です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます