第2話(前半) 春のひととき

 クラス全員をやる気にさせる!と意気込んだものの、何の策もないのはこちらも同じだ。電車通学の藍菜(あいな)が教えてくれた駅前のカフェに寄り道し、ゆっくりと策を考えることにした。


「クラスのみんなをやる気にさせるなんて出来るのかな」


「そもそも男子が一人だけのクラスって。先生達は何考えてるんだろ」


 砂糖とミルクたっぷりのコーヒーをすする。苦味が得意じゃない俺に、藍菜はおそろいだねと微笑んだ。


 そしてその直後。顔色が少し陰った。


「今更だけど藍菜はなんで学級委員になったんだ?」


「……人の役に立ちたいなって思ったからだよ。私、なんの取り柄もないの」


 藍菜はレモン入りのアイスティーを飲みながら、緩くため息をついた。


「あ、ごめんね。出会ってすぐなのに溜息なんて」


「俺の方こそごめん。藍菜、なんの取り柄もないって本当のことなのか」


「……私は珠那(しゅな)ちゃんみたいに頭も良くない。天城さんみたいに誰かを引っ張るようなことも向いてない。私にできるのはせいぜい皆があんまりやりたがらないことを引き受けるくらいなんだよね」


「だから進んで学級委員を?」


 藍色の髪が緩やかになびく。コップの氷がからん、と音を立てた。


「うん、ごめんね。でも楢崎くんとなら楽しく学級委員できるって本気で思ってるんだよ」


 藍菜の言葉に嘘はない。付き合いが誰より短くても、それくらいは分かる。


「少なくとも俺は本当に助かってるよ。藍菜が学級委員やってくれなかったら、俺がすごい気まずい思いしてたかもだし……なんか今青春してるって感じなんだ」


「青春?」


「うん。女の子との関わりもほとんどなかったから」


「そ、そうなんだ」


 言葉に詰まる藍菜を見てようやく自分の発言に気がつく。今のじゃまるで藍菜を女の子として見ている――つまり意識しているって言い方だったじゃないか。


「ごめん。そんなつもりじゃ」


「ううん……嬉しいから、大丈夫。私も楢崎くんは男の子だと思ってるから」


 秒針が、少しずつ角度を変えている。何の言葉も続けられない俺達はよそよそしい態度のままカフェを後にした。


「ありがとう。楽しかったよ」


「うん、私も」


 結局なんの対策案も出ないまま藍菜は電車に乗った。改札越しに見送った俺は、そのまま歩いて家に帰った。


『私も楢崎くんは男の子だと思ってるから』


 藍菜の言葉が脳裏をよぎる。夕暮れの橙色は、やっぱり藍菜によく似合う――流石にキザか。





 翌日の終礼、村津先生から体育祭について話があった。どうやら体育祭で行われる競技のうち四つで一位を取れたら焼肉を奢ってくれるらしい。


 教師がそんなことしていいのか、という逡巡より気になったのは天城(てんじょう)さんの表情だった。少し険しい顔で先生の方を見つめている――きっとこの作戦は彼女が考え、先生に根回ししたものなのだろう。


「めっちゃ太っ腹やん!みんな頑張ろ!」


 市原朱音(いちはらあかね)が声を上げた。バレー部長だと自己紹介していたことを覚えている。


「せんせぇ〜本当に奢ってくれるんですかぁ?」


 丸っこく甲高い声、桃井花のん(ももいはのん)が言葉を続けている。


 桃色の髪をしている彼女は確か野球部のマネージャーだったはずだ。廊下で見かける度に男子と話しているし、きっと彼氏がいるどころか何人もの男子を手玉に取っているのだろう。


 実際あざとさは拭い切れないがとても可愛い。男は全く単純な生き物なのかもしれない。


「本当に奢りますよ。ただし、四種目で一位!ですからね」


「だとしたら各競技に誰か出るかちゃんと決めた方がいいよね」


 能瀬唯波(のせゆいな)が口を挟む。確か彼女は演劇部で部長をしていたはずだ。ハキハキとした喋り方が耳に残る。


「みんなが良かったら次のホームルームは競技種目の出場者決めにしますか?」


 村津先生のアイデアにクラスの雰囲気は少しずつ体育祭に前向きになっているのを感じる。


 ただ、運動嫌いはそう上手くはいかないだろう。右隣の新谷侑李(しんたにゆうり)は特に――少し複雑な表情をしている。





 終礼が終わってすぐ、俺は話しかけた。


「新谷さん。じろじろ見てたわけじゃないんだけど……さっき浮かない顔してたよね。体育祭、あんまり楽しみじゃない?」


「……ごめんなさい。クラスのああいう雰囲気あんまり得意じゃなくて」


「そっか。お節介かもしれないけど、競技決める時はある程度調整できるから何かあれば教えてほしい」


「自分じゃ力になれない。ごめんなさい」


「新谷さん」


 俺の言葉などまるで届かないまま新谷さんは帰っていった。その様子を見ていたのか、一人の女の子が俺に話しかけてきた。


「侑李のこと、教えたげよっか」


 意地悪な笑みを浮かべる快活な女の子――沼淵舞衣(ぬまぶちまい)。


「なんか知ってるのか?」


「まあね。侑李とおんなじ、陸上部だし」


「……沼淵さん。新谷さんのこと教えてほしい」


 少し考える仕草の後、沼淵さんはニヤッと笑いかけてみせる。


「良いよ、でも代わりにアタシからお願い。私と侑李をリレー競技に入れて」


「それは新谷さん次第じゃ」「じゃあ教えたげないよ?」



『つまりさ、侑李は大会で怪我しちゃったってこと。もう走るのもやめちゃって、今じゃ何が楽しくて生きてんのかぜんっぜん分かんない』


 教えてもらった以上は二人をリレーに出場させなければならない。新谷侑李さんについて語る沼淵舞衣は、少しイライラしているように見えた。


 きっと沼淵さんは新谷さんのことがいけすかないのだろう。


「天城さん。他に体育祭の話で表情が曇ってたのは誰かいたかな」


「椎名(しいな)さんもあんまり楽しみじゃなさそうに見えました。できればお声がけだけでもお願いできますか?」


「任せて。藍菜には鈴原(すずはら)さんと和泉(わいずみ)さんの話を聞いてもらってる」


「ありがとうございます。お二人のご協力が無ければ、今頃手一杯で混乱していたと思います。生徒会長としても、わたくし個人としても感謝申し上げます」


「クラスメイトだから当然だよ。天城さんには天城さんのやりたいこと、やるべきことがある。皆きっと天城さんを待ってるよ」


 天城さんの口から僅かに息を呑む音が聞こえた。生徒会長として現れた彼女と同一人物とは思えないほころんだ笑顔が、目に焼きつく。


「楢崎(ならさき)さんはお優しい方ですね」


「あ……いや、そんなことは」


「謙遜なさらないでください。頼りになる殿方が側にいると誰しも安心しますから」


 気品に溢れる彼女の言葉が夕焼けに揺蕩う。


「きっと多くの女性は、そんな殿方と一生を添い遂げたいと思うのではないでしょうか。自信が持てるよう、あれかしと祈っています」


 天城さんはそれだけ言って生徒会室へと歩いていった。


 お淑やかで――それでいて物腰が柔らかい。彼女のような人に頼りになる、と言われては流石に調子に乗ってしまいそうだった。





 名簿を見た時のインパクトは間違いなく彼女が一番だった。椎名椎奈さん。読み方ももちろん、しいなしいなだった。


 漢字のバランスで見るとそこまでの違和感はないが、声に出して読むと本人には失礼だがコミカルな響きだ。


「……シイナさん」


 苗字呼びなのか名前呼びなのか、俺も分からない。


「はいっ。あ、えっと、クラスの男の子ですね」


「楢崎悠人です。体育祭のことで椎名さんと少し話したいんだけど、今いいかな」


 椎名さんは写真部に所属していると天城さんから聞いていた。天城さんは去年同じクラスだったらしいのだが、ろくに関わることもなく一年を終えてしまったらしい。


「体育祭、ですか。全然、わたしでよければっ」


「ありがとう。クラスの雰囲気は結構盛り上がってるけど椎名さんはどうなのかなと思って。あんまり浮かない顔してたって天城さんから聞いたんだ」


「み、見られてたんですか。……実はあんまり、その……運動が苦手で、迷惑かけちゃうと、思うんですっ」


「迷惑なんかじゃないよ。椎名さんも一緒に参加して初めてクラスで一丸になれるから」


「……マラソン大会で、一緒に走ろうって、言ってくれる人いるじゃないですか。あれ、嘘なんですよ」


 椎名さんは少し独特な喋り方をするけど、不器用ながらに何かを伝えようとしてくれる上、自分の意見がはっきり言える。


「結局、わたしが遅すぎて、みんな置いてっちゃいます。それと同じで……体育祭もきっと、わたしが元からいない方が、いいんですっ」


「そんなこと」


「わたしは、当日、休みますからお気になさらず」


「……椎名さん。じゃあ体育祭のことは一旦置いといて、俺と仲良くなってくれませんか?」


「へ」


 きっと男子慣れしていないのかもしれない。俺だっていきなり女の子に仲良くなってほしい、なんて言われたらびっくりする。


 椅子を持ってきて、椎名さんの正面に座った。


「どんな写真撮るのが好きなの?」


「……風景画、ですっ」


「見てもいい?」


「へたっぴ、ですからね」


 きっと大切にしているのだろう。隅の塗装が若干剥げているデジタルカメラを取り出して、俺に渡してくれた。


「ごめん。……操作わかんない」


「あ、ごめんなさい。ここをこうして……」


 椎名さんは席を立って俺の後ろに回って教えてくれる。少し距離を感じると思ったけれど、今はむしろ距離が近くすら思える。


 椎名さんは不思議な人だ。


「あっ、近すぎましたかっ」


「ううん。ここを押せばいいんだよね」


 ボタンを押すと、これまで椎名さんが撮り続けてきた景色の数々が羅列されていた。夕暮れの校舎や、道横切る猫の眼差し、空に浮かぶ奇妙な形の雲など、椎名さんの写真には人が映っていなかった。


「綺麗だね。椎名さんはいつもこんな世界を見てるんだ」


「えっ、そ、そうなんです……かね」


「そうじゃないとこんな写真撮れない。多分椎名さんは、俺には見えない世界が見えてるんだよ。羨ましいなあ」


「……あ、ありがとう、ございます」


 どんどん下へ行くと家族写真が一枚出てきた。両親と幼い椎名さんだろうか。遊園地か何処かで撮影されているように見える。


 唯一、このデジカメで見つけられる人が写っている写真だった。


「これは椎名さんが撮ったの?」


「これは……カメラをくれたおばあちゃんが、記念に撮ってくれたもので。わたしの家はその、親が離婚してるので、唯一の家族写真が……これでっ。あ、謝らないでくださいね」


「――良い写真だね」


 何気ない俺の言葉に、椎名さんは激しく頷いた。きっとそれだけ大切な一枚なんだとすぐに分かる。


「椎名さん。良かったらまた、写真見せてよ」


「……次会う時は、とびっきりの風景、撮っておきますっ」





 家に帰って一息、結局何の解決にも導けていない無力感に苛まれる。


 陸上部で、大会の怪我から走ることをやめてしまった新谷侑李(しんたにゆうり)さん。情報が得られたのは良かったけど、沼淵舞衣(ぬまぶちまい)さんと一緒にリレーに組み込まなければいけないという課題も増えた。


 椎名椎奈さんだって、少し仲良くなれたけど体育祭自体は当日休む気でいるだろう。


 クラス全体の雰囲気を前向きにしてくれたのは生徒会長の天城さんと村津先生のおかげだ。


「俺……本当、何もできてない」


 不意にカフェで聞いた藍菜の言葉を思い出す。


『私、なんの取り柄もないの』


「俺も何の取り柄もないよ」


 学校という場所において、運動が得意な人は多かれ少なかれ光が集まる。勉強が得意な人はそれだけで成績という確かな数字が居場所をくれる。


 どっちも中途半端な俺や藍菜みたいなタイプは、何においても居場所が無いように感じる。


「学級委員なんて……本当は誰でもできるんだろうな」


 クラスに唯一の男子だから選ばれただけ。普通のクラスなら、俺はきっと冴えない高校生活の延長線にいたに違いない。


 藍菜や天城さん、椎名さんと話すことだって一切なかったはずだ。


 この出会いが奇跡だとしても……大切にしたい。


 そのためにはまず、体育祭だ。四種目で一位を取って、必ず焼肉に漕ぎ着けなければ。

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