第2話 前の車を追ってくれ!

タクシーに乗り込んだのは、午後三時過ぎ。

都心の交差点で、信号待ちをしていたときだった。

突然、目の前を一台の車が通り過ぎた。

それは、十年前に別れた恋人が乗っていた車だった。


「……え?」


一瞬、目を疑った。

でも、あの横顔、あの運転姿勢、間違いない。

彼女だった。

十年ぶりに見た、彼女の姿。


「運転手さん、すみません!」

「はい?」

「前の車を……追ってくれ!」


運転手は驚いた顔をしたが、すぐにアクセルを踏んだ。

「了解です!」


車は、都心の雑踏をすり抜けていく。

前の車は、白い軽自動車。

信号を右に曲がった。

こちらも追いかける。


「急ぎの用事ですか?」

「ええ、ちょっと……大事な人なんです」


運転手はうなずいた。

「わかりました。任せてください」



車は住宅街に入った。

前の車は、ゆっくりと走っている。

こちらも距離を保ちながら、追いかける。


「十年前に別れたんです。僕が勝手に遠くへ行って、連絡も絶って……」

「それはまた、ドラマみたいな話ですね」

「今日、偶然見かけて……どうしても、話したくなって」


運転手は笑った。

「人生って、そういう偶然があるから面白いんですよ」


前の車が、コンビニに入った。

駐車スペースに止まる。

こちらも、少し離れた場所に止まった。


「……行ってきます」


車を降りて、ゆっくりと歩く。

彼女は、車から降りて、店に入ろうとしていた。

その背中に、声をかけようとした。


でも、足が止まった。


彼女の隣には、小さな男の子がいた。

手をつないで、笑っている。

そして、もう一人。

彼女の隣に立つ、男性。

家族だった。


自分は、そっとその場を離れた。

タクシーに戻る。


「どうでした?」

「……話せませんでした。でも、見られてよかったです」


運転手は、静かにうなずいた。

「じゃあ、次はどちらへ?」


自分は、少し考えてから言った。


「そうですね……未来に向かって、お願いします」


車は、静かに走り出した。

窓の外には、夕焼けが広がっていた。


そして、自分はふと笑って言った。


「前の車を追ってくれ!」


運転手は、冗談だと気づいて笑った。

「了解です!」


車は、夕焼けの中を走っていった。

もう、過去を追う必要はなかった。

これからは、自分の選んだ道を、まっすぐに。

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