11-1. 死なない死ねない死にたがり
光の門はシズの故郷であるロフェル村から山脈を挟んで反対に位置していると、情報院で見た記憶の光景は教えてくれた。
険しい山岳地帯と森林が混在しているその場所に向かうには、道のりからするとロフェルで準備を整えた方がよさそうだった。最初はシズと二人で始めたロフェルから王都への旅が、発着地を逆にして結局はシズと二人で終えることになるとは。
アイツォルク卿にロフェルに戻る旨を伝えると、意外にも隊商に加えてもらえることになった。聞けば情報院への出入許可も含めてこれまでの任務遂行の礼だと言う。シズに非難されたのが堪えたのかもしれないし、単に隊商の弾除けと考えているだけかもしれない。
どちらにせよ、おかげで俺達は獣車に乗って快適なロフェルへの旅をすることができた。途中で寄る村や街で美味しいものを食べたり、珍しいものを——シズの趣味は最後まで理解できなかった——買ってみたり。それは終わりが近付いているからこその純粋な道行だった。
途中で立ち寄ったエルオースの復興が進んでいたことには驚いた。半年前に龍の襲来によって壊滅したのに、道は再び舗装されてぴかぴかの建物が並び、市街には人の往来も多かった。
思えば俺達の旅と龍の存在は切っても切り離せない関係だった。エルオース、アイザ、ハリア。行く先々で俺達は龍と対峙する羽目になった。〝不死〟と龍は惹かれ合うのかもしれない。龍にとってこれほど都合のいい食糧は無いからだ。そんなクソッタレなことをアイザでも考えた気がする。
そして、俺達は呆気ないほど予定どおりにロフェルへと帰ってきた。
「お久しぶりです。お嬢様、シラセ」
村の入り口で恭しく頭を下げたのは、シズの家に仕えるマリィさんだ。
「久しぶりね、マリィ。お父様達は元気?」
「は、はい。旦那様がたはご健在でいらっしゃいます。しかしお嬢様、何かあったのですか?」
シズは努めて普段と同じ態度を取っていたが、流石に小さい頃からシズを見続けてきたマリィさんの目は鋭い。
「もしやシラセが不埒なことを? こんなことなら私も一緒に行っておけば……」
「ふふっ、そんなことないから大丈夫よ。シラセさんとはたくさん、たくさん色々なことをしてきたの」
「色々……ですか。私の知らないところで色々……」
「ええ、それはもう楽しかったわ」
歯噛みするマリィさんを楽しそうに見つめるシズは、旅の中ですっかり薄れてしまったお嬢様然とした態度を取り戻していた。思えばこの旅で一番人間味が増したのはシズかもしれない。本人の好むと好まざるとに関わらず、喜び怒り、哀しみ楽しむことは幾度となくあった。
「と、とにかくお嬢様もお疲れでしょうし、屋敷でお休みになられてはいかがですか? 旦那様がたもお嬢様のお帰りをお待ちですので。シラセ、あなたは私の家事を手伝いなさい」
「はいはい、分かってるよ」
以前と変わらないマリィさんからの扱いに肩をすくめながらも、俺は本心ではホッとしていた。今の俺達にとってマリィさんの存在は安らぎを得るには十分だった。
そして、それは屋敷に着いても変わらなかった。
「やっぱり実家は落ち着きますね」
家族との再会と旅の報告を終えると、一息つくためにシズは自室に戻った。使用人よろしく紅茶を持ってついてきた俺は、シズの部屋にあるガラクタ類を見回して、
「この部屋にあるもの、旅先で結構見かけたな」
「そうですね。これなんてアイザでも王都でも売っていましたし」
シズは棚に無造作に飾られていた石の置物を指でつついた。
「本を読んだり行商人から物を買ったりするだけでは分からないことがたくさんありました。シラセさんと旅をして、それを知ることができたんです」
「……」
窓から差す陽の光が、シズの顔を橙色に染める。
「いえ、シラセさん達ですね。ヒサちゃんにカイくん、それにリオさん。皆さんと一緒に旅することができたのは、私にとって一生の宝物です」
窓に映る茜空を眺めるシズの目は、過去を懐かしむように輝いている。
「それだけでもう、十分……」
シズは話し切ることなく俯いた。垂れ下がった髪に隠れてしまった顔から、斜陽がゆっくりと引いていく。
夜が来る。夜が明けて朝になれば、俺達はここを発つ。
「——ないで……」
消え入るような声が微かに空気を震わせる。うまく聞き取ることはできなくても、それがシズの声で、何を言っているのか分からないほど愚図にはなれない。
「……すみません、取り乱しました。明日のことを話すためにマリィを呼んできますね」
しかし、俺が声をかける前にシズは顔を上げ、そのまま部屋を後にしてしまう。
主の消えた部屋は、夕陽が沈んだせいですぐに真っ暗になった。
***
翌日、俺達は光の門に向かうためロフェルを出発した。
今回はマリィさんが同行することになった。道中には魔物も現れるだろうし、首尾よく俺が元の世界に戻った後に、シズ一人で帰ることになるのは危険だというのが理由だ。
この世界の従者の例に漏れず、マリィさんも戦闘においては俺よりも腕が立った。本人の言うとおり、屋敷での仕事さえなければ一緒に旅をしたかったぐらいだ。
「相変わらずシラセはシラセですね。そんなことで本当にお嬢様をお守りできたんですか?」
訝しげに質問をぶつけてくるマリィさんに、俺は曖昧な答えしか言えなかった。マリィさんには俺とシズが〝不死〟であることは伏せている。シズが望んだ時に直接マリィさんに伝える方がいい。
それから五日ほどかけて、俺達は山脈を越えて光の門があるという樹林に辿り着いた。
それは深い森を越え、水底まで澄んだ湖のある湿原を通り、今にも噴火しそうな火口を渡った先にあった。岩だらけの高山帯にもかかわらず樹木が並び立つその場所には、まるで入り口のように蔦の絡まった石柱が屹立している。それは俺の世界の鳥居にも見えて、ここから先が神域であると嫌が応にも意識してしまう。
「……」
無言で石柱を見上げていた三人のうち、話を切り出したのはマリィさんだった。
「この先は二人でも大丈夫でしょう。私はここで待機しています」
そう言ってマリィさんは俺とシズから数歩下がる。
「シラセ、元気でね」
マリィさんの表情は普段よりも優しく見えた。俺も頭を下げて、
「お世話になりました。もっと料理は上手くなりますんで」
「最初よりはだいぶマシになっていたわ。あとはもっと味付けを薄くしなさい」
「うっす。精進します」
マリィさんとの会話は軽妙でとても最後とは思えない。でも、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。マリィさんとは最初から最後まで先輩と後輩のような関係だった。別れる時も先輩に背中を押される後輩のような気分でいい。
「お嬢様、全て終わりましたらこちらへ」
「……そうね」
お堅いモードに戻ったマリィさんに念を押されたシズは、口数少なに石柱の先へと歩き出す。
「行きましょう、シラセさん」
シズに急かさせるように、マリィさんに手を振りながら俺も後に続いた。
***
「……さてと、いつまでそこに隠れているつもりですか?」
「……あら、バレちゃってたんだね」
「そのように醜悪な魔力を放っていれば嫌でも気が付きます。お嬢様とシラセのご友人というわけではなさそうですね」
「いやー似たようなものだよ、縁があるという意味では」
「……?」
「君に語る必要は無いかな。それより、わたしはその先に行きたいんだけど、そこを退いてもらってもいい?」
「拒否します。お前のようないかがわしい輩にお嬢様を追わせるわけにはいきませんので」
「ひどいなあ。やっと、やーっとここまで辿り着いたのに。もう本当に死にそうだったんだよ。あれ、何回か死んだっけ?」
「死んだ? お前、何を言っているんですか?」
「それも語る必要は無いね」
「そうですか。では、力づくで聞かせてもらいましょう」
「あっはっは、言うじゃないか。そんな状態でわたしと戦えるかな?」
「その言葉、そのままお返しします。お前もこの光の神域とは相性が悪いようですね」
「なかなかどうして鋭いね」
「なら——」
「でもそれはただのおまけさ」
「っ!?」
「はい、残念でしたっと。……くくく、また死んじゃうね」
***
これまでの険しい道のりと変わって、樹林の中はなだらかな地形だった。
地面に生える草は膝丈ほどの低さしかなく、反対に頭上に伸びる木々の枝葉は高い。加えてはるか昔に作られたと思しき石の道が辛うじて残っていたおかげで、それを道標代わりに奥へと進むことができた。
降り注ぐ木漏れ日は周囲をほどよく色付けし、澄み切った空気によって視界の解像度が増す。
——やっぱり楽しいね。こうやって二人で知らないところを歩くの。
誰かの言葉がこだまする。
「そうだな、やっぱり東京を離れると全然……」
「シラセさん?」
「……え?」
上を見ながら歩いていたせいで、隣にいるのがシズだと気付かなかったらしい。それにしたって違和感は無く、自然と声を掛けていた。
「どうしたんです? なんだか狐につままれたような顔をしていますよ」
「いやそんなことは……うん?」
違和感と言うにはあまりにも自然な会話に思わず首を傾げる。
「今ってシズと話していたんだよな?」
「そ、そうですけど……。シラセさん、本当に大丈夫ですか?」
顔を覗き込んでくるシズの姿は、よく新宿の居酒屋で飲み過ぎた時に介抱してくれるものと変わりない。それにしては優しい気もするが。いつもはもっと困ったように笑って……いる?
「違う」
違和感がようやく追いついてくる。背中に悪寒が走る。
違うちがう、ここはカナタだ。俺の隣にいるのはシズだ。
「え?」
「あ、いや悪い。ちょっと変な気分で」
シズが、カナタで出会ったシズカ・ウォル・ロフェルが戸惑いの表情を浮かべているので、俺は頭を掻いて答える。
「元の世界でもこういう場所によく行っていたし、なんだか記憶が混ざっている気がするんだ」
「記憶ですか」
シズは首を回して深閑とした周囲を見渡す。
「ここから本当にシラセさんが元の世界に帰れるのだとしたら、記憶が混ざり合うのも分かる気がします。でも……」
戻ってきたシズの視線が俺と交差する。
「不思議なことに、私もなんだか同じような気分なんです」
「それって、死ぬ前の記憶ってことか?」
俺の期待を躱すようにシズは首を横に振った。
「分かりません。なんとなく懐かしさがこみ上げてくる程度のものです。子どもの頃のロフェルでの記憶かもしれませんね」
そう言ってまた歩き始めたシズの背中を半歩遅れてついていく。
シズの前の世界の記憶。この世界に転生する前のシズ。先ほどの違和感の無い空想。最近シズがよく見るという夢。突拍子もない、しかし否定することのできない考えが頭に浮かぶ。
一歩、右足を前に出す。シズに言わないと。言って、確かめて、シズが記憶を取り戻すまでこの世界に残る。そうすればシズの〝不死〟も解くことができるかもしれない。
一歩、左足を前に出す。そんなことあり得ないだろ。だってシズがそうだったとしたら、それはつまり……。
先行と後退を繰り返し、二択を選ぶことができずに進んだ樹林の先。
「もしかして、あれが……」
それは俺達の旅の終着地。
空から降り注ぐ陽の光と、大地から湧き出る五色の魔粒子で溢れる場所。
光の門が、俺達の目の前に広がっていた。
***
「……辿り着いてしまいました」
眼前に広がる光に目を細めながらシズは呟いた。それが俺に向けられたものなのか、それともシズ自身に言い聞かせたものなのかは分からない。
「こんなに魔粒子が溢れているところを見たのはオリヴェルタの教会以来です。そういえば、あれからもう半年近く経つんですね。思えば色々あったなあ……」
シズは噛み締めるように言葉を漏らし、
「ちょっと休んでいきませんか? それとも、すぐ帰ります?」
「休むよ。別に急いでない」
シズの提案に首肯する。これが最後だとしたらすぐに帰る必要なんて全くない。
いや、それ以上に選ぶ時間が欲しかった。
「ありがとうございます。と言っても荷物はほとんど入り口に置いてきましたので……」
「普通にこの辺りをぶらぶらすればいいんじゃないか?」
「そうですね」
光の門から離れないように、二人で周囲をゆっくりと歩く。
魔力の溢れる場所なら植物の繁茂も著しいかと思いきや、背の低い草花は依然として多い。光から派生した四つの属性が互いに均衡しているからだと、シズは解説してくれた。
神域に入ってから受ける違和感はますます強くなっていた。頭の中で明滅を繰り返すのは決まって同じ光景だ。真っ青な空に、動かないシズ。茅部とナイフ。何処から漂ってくる甘ったるい香り。
「あら、白百合の花ですね。シラセさんは見たことないですか?」
——リリアの花だよ。亮は見たことない?
頭の片隅がチリチリと焦げて、言葉が烟るように脳裏を漂う。それは結奈が前に……あれ?
「どうしたんですか? そんな顔して」
——どうしたの? そんな顔して。
「……シズ、今なんて言った? その花の名前……」
目を瞬かせながら、屈み込んだシズの足元にあるその白い花を指差す。
「何と言われても、これは白百合の花で……」
シズは困惑しながらその花を一本手折った。
確かにそれは白百合の花だ。しかし、
「白百合は俺の世界での呼び名だ。カナタでの呼び名は、リリアだろ?」
この花の名前をリリアと呼ぶ言語がもしかしたらあるのかもしれない。でも俺はこの世界に来て、シズの口からリリア以外の呼び名を聞いたことがない。
「そう……です。この花はリリアで……あれ、じゃあ白百合って……っ!?」
シズがこめかみに手を当て、その拍子に手折った花が地面に落ちる。屈んだシズを見下ろすその光景に奇妙なノイズが走る。胸に湧くのは掻きむしるような衝動だ。
言えよ、確かめるんだ。
俺は右足を前に出して、その名前を口にする。
「……結奈?」
あり得ない、そんなことは。どんな奇跡が重なってそんなことが起こるんだ。
でも口に出した瞬間、それを自然に納得してしまう自分がいる。これまでのシズとの出来事を結奈に置き換えたとしても、それはごく当たり前のように思えて。
「——はいはい、お呼びかな?」
結奈と同じ顔をした女の到着に、俺は全く気付かなかった。
***
「シラセくん、ついにわたし以外にも愛する人の姿を重ねてしまうようになったなんて。これはもう末期だね」
その女はさも当然のように木々の間から近付いてくる。
「シズちゃんも具合が悪そうだけど大丈夫? まあ確かに、ここはわたしたちには居心地が悪いかもしれないなあ」
大仰を両手に広げる女は、まるでスポットライトのように陽光を浴びている。
いや、そんなことよりも。
「なんで、お前がここに……」
「あっはっは、つれないことを言うじゃないか。わたしたちは寝食を共にした仲間だよ?」
ここは俺の世界と近いはずなのに。顔も背丈も声も仕草も、再会を希う恋人と同じなのに。
その笑い方、その喋り方。
「リオ……さん?」
シズの問いに、その女が答える。
「そのとおり、わたしはリオルト・ウォル・ハリア。みんなのリオさんだよ。いやー久しぶりだね、シズちゃんにシラセくん」
ハリアで死んだはずのリオが、ウインクもせず俺達の前に立つ。
「生きて……。いや、お前は……誰だ?」
頭にハリアでの出来事が浮かぶ。血溜まりに沈むリオと、助けを求めて手を伸ばすリオ。リオルト・ウォル・ハリアとその分身。二人とも確かに俺の前で、死んだはずだ。
その質問にリオはケラケラと笑う。
「だから言ってるじゃないか、みんなのリオちゃんだって。けどまあ答えを示してあげようかな……その前に」
突然リオの目が細くなって——
「がっ!?」
胸に強い衝撃。一瞬の浮遊感の後に背中全体に鈍痛が走る。なんだ、木にぶつかって?
「シラセさん!?」
「ぁぐ……」
「ああ待って待ってシズちゃん。大丈夫、まだ殺してないから。〝不死〟に殺すってのも変な表現だけどね、くくく」
「げあっ!?」
掠れた視界から消えるリオ。すぐさま腹に襲ってくる圧迫感。右手、左手も。
「動けないように串刺しにはするけどね。はい、シラセくんの標本の出来上がり。いや磔刑の方が近いかな?」
痛い痛い。腹が燃えるように痛い。なんだこれ、腹にナイフが。なんで俺死んでないんだ? 茅部は? ああ駄目だ、頭も割れそうなほど痛い。そうだこの痛み前にも。
傷付いた内臓が死の予感を告げ、それを聞き届けた己の身に宿るくそったれな祝福が治癒を行う。しかしナイフは刺さったままなので致死と治癒のサイクルは終わらない。爛れるような痛みが腹の底から走り両手は痺れるように動かないまま。
なのに俺の目は、鼻は口は耳は、思考は正常に動作している。
「っ‼︎」
「あら」
シズの手からリオに向かって光術が放たれる。その光線がリオの胸を貫通したと思いきや、「え……!?」
「痛いじゃないかシズちゃん。痛くて痛くて……気持ちいいなあ」
その言葉のとおり、胸元を赤く染めたリオの顔は恍惚に歪む。
「ひどいねえシズちゃん。でもわたしは気にしないよ? さ、またぎゅーってしようよ、ねえ?」
「リオさん……貴女は一体……!?」
「あっはっは、わたしはわたしだよ」
困惑するシズの前で、まるで酔っぱらいの舞踏のようにゆらゆらと体を揺らすリオ。その度に背中から血が溢れ出して旅装を赤く染め上げる。常人ならとっくにぶっ倒れているはずの出血量だ。生きていることが不思議なほどの……ちょっと待て。
「リオ、お前まさか……」
「ああシラセくん‼︎ 気付いてくれたんだね!?」
くるりと振り返ったリオの顔に戦慄する。三日月のような目に光を宿し、歪めた口元から唾液と混じって血を漏らす。それは姿こそ被害者ながら、表情はまるで謎を解いた探偵を歓迎する加害者のようで。
「言ったじゃないか、仲間だって」
恭しく両手を広げて自らの肢体を晒すように。
「——〝不死〟なのさ、わたしも」
俺とシズが持つ呪いの名を、なんの躊躇もなく口にする。
「お前が、俺達と同じ……?」
「そのとおり。死なない死ねない死にたがり。今のシラセくんみたいにね」
「でもお前の祝福は〝分身〟じゃ……」
「んーそこは気付いていないのね。ハリアでの会話を思い出してごらん? はい、せーのっ」
ぱちんとリオが手を叩く。口車に乗ることを感情が拒んでも、体に走る痛みがそれを押し退けて頭に記憶の棚を探らせる。
——祝福か。
——おっとっと。カイくん、そんな殺気を向けないでもらえるかな?
——いいから答えろ。
——仕方ないなあ。じゃんじゃじゃーん、これはわたしの分身だよ。上手くできてるでしょ?
「はい回想終わり。どう? わたしは自分の祝福が〝分身〟だなんて言ってなかったよね?」
「……詭弁だ」
「詭弁! いやーこれはしたり。なら詭弁ついでに教えてあげると、あの分身はソーエルって闇術さ。君のバイデュシルと同じようなものだよ。あ、そうだ」
再びリオはシズの方を振り向く。
「シズちゃんも安心して。みんなと一緒に旅をしたのはソーエルじゃなくてわたしだから」
「え……」
「一緒にごはんを食べたのも、変なものを買ったのも、花火を見たのもぎゅーってしたのも全部わたし。シズちゃんの記憶に残るわたしの温もりは本物だよ。あはっ、こう言うとなんだか恋人みたいだね、くくく」
「意味が……意味が分からない。何を言ってるんですか……?」
呆然とするシズだったが、次第にその声には力が篭ってくるのが分かる。シズの周囲に魔粒子が漂い始める。
「あれは全部嘘だったんですか? なんでこんな面倒なこと……。カヤべさんの敵討ちなら……最初からこんなことしなくたって‼︎」
「あわわわ怒らないでよシズちゃん! 服が燃えちゃうじゃないか!」
シズの魔術がリオを襲う。リオはそれを時に躱し、時に真正面から受ける。
「いやー自分でも不思議なんだ。最初はツカサの敵討ちのつもりだったよ? でもシズちゃんたちを王都で最初に見た時にね、わたしはなぜかみんなと旅がしたいって思っちゃったんだ。これは……そう! これは天啓ってやつさ!」
リオはそれが真理とでも言うように人差し指を空に向ける。その指はすぐにシズの風術で切り飛ばされた。
「ふざけないで‼︎」
「ひどいなあ痛いなあ、わたしはいたって大真面目だよ。一回死んでからなぜか全てのことが愉快になってきたんだ。だからシズちゃんたちとの旅も愉しかったよ。ヒサラちゃんを殺した時も愉しかった。そしてそう、カイくんを殺した時も」
「「!?」」
「あはっ、あっはははは‼︎ そうだよカイくんの死に様を君たちは見ていないんだったね‼︎ 今頃は龍のお腹の中さ‼︎」
「そんな……」
「うそつけ‼︎ カイがっぐ……お前に負けるわけないだろ‼︎」
「いやいや厳然たる事実さ。今頃は兄妹仲良くあの世にいるんじゃないかな。いや咎人だからあの世にも行けないかも?」
「その顔でそんな台詞吐くんじゃねえよ‼︎」
両手に力を込めてもナイフはびくともしない。体を捩ったせいで腹の傷も広がるばかり。
「っくくく、この顔だから面白いんじゃないか。ね、リョウくん?」
「ざけんな‼︎」
腹も手も頭も痛え。くそ、なんで抜けないんだよこのナイフ。
「おお怖いこわい。本当は君とシズちゃんも龍に喰わせるつもりだったんだけどね。でもまあいいさ……っと!」
「きゃっ!?」
シズの魔術で傷だらけのはずなのに、リオは一瞬でシズを押し倒す。
「シズ‼︎」
「指を咥えて見ていなよシラセくん。君の最後の仲間が、ゆっくりと壊れていくところを」
押し倒したシズの首にリオが手をかける。すぐさま光衛が自動攻撃を開始するも、リオは意にも介していない。
「〝不死〟を殺すことはできない。それは祝福が神様から与えられたものである以上は絶対だよ。でも〝不死〟だからって痛みが消えるわけじゃない。……こういうふうに」
「う……」
「んー? あ、光護か。これぐらいならなんとかなるかな……クラヴィリ・エル・ダリアラ」
リオが呪文を唱えた途端、シズの首を守っていた光の膜に闇の魔粒子が流れ込む。それはまるで透明な水に墨を垂らしたように光の膜を汚す。
「そーれっ!」
光の膜がリオの声とともに砕け散る。光護を失ったシズの首にリオの手が食い込む。
「かはっ……あぅ……」
「さて続きだね。苦しいかいシズちゃん? 息が出来ないのって想像を絶する苦痛らしいけど、わたしはまだ味わったことがないんだよね」
「止めろリオ‼︎」
「一気に殺しちゃうと苦痛より快楽の方が強くなっちゃうから、死なない程度に殺さないと。いやーこの二律背反は癖になりそう」
「聞けって‼︎」
「ぁ……ぇ……」
「おっとっと! 危ないあぶない、間違って殺しちゃうところだった。ほらシズちゃんゆっくり深呼吸して。はい、すーはーすーはー」
「ひは……げほっ……ゃめ」
「はい次は刺殺」
「ぎっ……ぁ」
「あれ? 思ったより悲鳴を上げないね? あ、死んじゃってる」
「な……!?」
「何驚いてるのさシラセくん。シズちゃんは〝不死〟でしょ?」
そうだ、シズは〝不死〟だ。でもそれはこの世界で茅部が死んだことで——
「あ、戻ってきた」
「はあ!?」
「いやだから何驚いているのさって。ま、いいか。シズちゃんどう? 気持ちいい?」
「ぅふは……ふふっ……こ、こんな……」
「抗わなくてもいいじゃないか。痛み以外でシズちゃんが最後に得られる感覚なんだから。あ、そうだ! せっかくだからシズちゃんに決めさせてあげるよ。苦痛で壊れるのか、快楽で壊れるのか」
「……いゃ」
「こっちが痛みでー」
「ひ……ぃ…ふぇ」
「こっちが快楽。ね、どう?」
「……て」
「んー? もっと大きな声で喋ってくれなきゃ聞こえないよ?」
「たす、けて……りょう……」
「え?」
——終わらせろ。
頭に響く声と共に、気付けば俺はリオの背中にナイフを振り下ろしていた。
光衛によって焼き切れた右手とナイフを抜いた腹が再生を続ける。思考は苦痛と快楽に攪拌され、体が本能的に動いたのだと辛うじて理解する。
「……痛いなあシラセくん。もしかして待ちきれなくなったのかい?」
リオの平然とした顔に、追いついてきた思考が自分の攻撃の無意味さを思い知る。
何やってんだ俺。リオが〝不死〟ならこんなんで——
「あれ?」
だが、リオはそれまでとは違う驚愕の表情を浮かべていた。
その口から、大量の血を溢れさせて。
「ぅそ」
そのままリオの上体がフラフラと傾き、最後には力無くシズの胸元に倒れ込んだ。
「あ……え?」
動かないリオを胸に抱くシズの、その焦茶色の瞳が激しく揺れる。
「え、え? 私が死んで……。そんな、わたし、私……?」
シズの声がくぐもったようにしか聞こえない。代わりに頭に響く声は自分のものばかり。
死んだ? リオが? なんで?
俺が殺した? いやだって、リオは〝不死〟だろ?
俺がリオを? 俺が、結奈を?
「あ」
こんな光景どこかで。
降り注ぐ陽光に白百合の花。手に持つナイフが肉を貫く気持ちの悪いこの感触。
そして、血を流して倒れる結奈の背中。
「ああ、あああああ」
甘ったるい香りが鼻をつき、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
最後のフラッシュバックが始まる。
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