『辺境の森に住む「邪神様」の正体、実はただの人間(隠居したい元宮廷魔術師)なんだが ~「祟りを鎮めてください」と聖女が送られてきたので、とりあえず茶菓子を出して帰らせた~』

無音

辺境の森に住む「邪神様」の正体、実はただの人間(隠居したい元宮廷魔術師)なんだが

【第一章:森の隠遁者】

 大陸の北の果て。  人間が立ち入ることを禁じられた領域、『常闇(とこやみ)の森』。  昼なお暗いこの森は、Sランクの魔獣が跋扈し、一度入れば二度と帰っては来られない「死の場所」として恐れられていた。


 その森の最深部に、一軒の古びた小屋があった。


「……ふぅ。腰に来るな」


 小屋の前で鍬(くわ)を置いて、トントンと腰を叩く男が一人。  名を、ノックスという。  年齢は32歳。無精髭を生やし、少し目つきは悪いが、どこにでもいる枯れた雰囲気の男だ。


「最近、森の熊(キラーベア)や猪(マッドボア)が畑を荒らしに来るからなぁ。少し『虫除け』を強くしておくか」


 ノックスは面倒くさそうに手を振った。  彼が指先で空中に複雑な幾何学模様を描くと、紫色の魔力光が溢れ出し、小屋の周囲にドーム状の結界を形成した。


 ズズズズズ……!!


 大気が悲鳴を上げ、空間が歪む。  それは「虫除け」などという可愛いものではない。  触れたあらゆる生物を原子レベルで分解し、魂ごと消滅させる、古代語魔法『絶対拒絶領域(アブソリュート・サンクチュアリ)』の多重展開だった。


「よし。これでトマトも安心だ」


 ノックスは満足げに頷き、小屋の中へと入っていった。  彼は知らない。  この「虫除け」の余波が、森の外にある王国まで届き、空を紫色に染め上げ、人々を恐怖のどん底に叩き落としていることを。


 彼はかつて、宮廷筆頭魔術師として国の危機を救った英雄だった。  しかし、終わりのない派閥争いや、若手への指導、そして王族からの縁談攻撃に心底疲れ果ててしまったのだ。  「もう働きたくない。静かに暮らしたい」  その一心で3年前に死を偽装して失踪。人里離れたこの地で、念願のスローライフに突入したのである。


「さて……3時か。昨日の残りの生地で、クッキーでも焼くか」


 彼はエプロンをつけた。  暇なのだ。死ぬほど暇なのだ。  魔術の研究はやり尽くしたし、本も読み飽きた。最近はもっぱら、畑で採れた小麦を使って、試行錯誤しながらお菓子作りに没頭するのが日課になっていた。


 元・最強魔術師の、平和で退屈な午後のひととき。  だが、その平穏は、意外な訪問者によって破られようとしていた。


【第二章:生贄の聖女】

 森の入り口。  そこには、悲壮な空気が漂っていた。


「……ルミアよ。すまない。国の……いや、世界の平穏のために、犠牲になってくれ」


 涙ながらにそう告げるのは、王国の宰相だった。  彼らの前には、豪奢な純白の法衣を纏った、一人の少女が立っていた。  聖女ルミア。17歳。  銀の髪と、透き通るような碧眼を持つ、国一番の美少女だ。


「はい……。覚悟はできております」


 ルミアは震える声で答えた。  彼女は今から、この森に住む**「復活した邪神」**への生贄として捧げられるのだ。


 数日前から、森の奥より放たれる禍々しい紫色のオーラ(※ノックスの虫除け)が観測された。  宮廷占い師は告げた。「あれは伝説の邪神の復活の予兆なり。清らかな乙女を捧げねば、国は滅びるであろう」と。


「行ってまいります」


 ルミアは一人、森へと足を踏み入れた。  彼女は孤児だった。聖女として教会に拾われ、都合よく利用され、最後は生贄として捨てられる。  17年の短い人生。まだ恋もしたことがないのに。  悔しさを押し殺し、彼女は歩を進めた。


 そして、森の最深部。  ルミアの目に映ったのは、この世のものとは思えない光景だった。


 空間が歪み、赤黒い雷光が走る結界。  その中心に、不気味に佇む小屋(※ノックスの家)。  あそここそ、邪神の神殿に違いない。


「……うぅっ」


 恐怖で足がすくむ。  だが、彼女は勇気を振り絞り、結界の前まで進み出た。  不思議なことに、結界は彼女を拒絶せず、招き入れるように揺らいだ(※ノックスが「人畜無害な小動物」は通す設定にしていたため)。


 ルミアは小屋の扉の前に立ち、震える手でノックをした。


 コン、コン。


 死刑台の階段を上るような音だった。  中から、重そうな足音が近づいてくる。  ガチャリ、と扉が開く。


 現れたのは――気難しそうな顔をした、30過ぎの男だった。  無精髭に、眠そうな目。だが、全身から隠しきれない膨大な魔力が漏れ出ている。  間違いない。彼こそが、人の姿を借りた邪神だ。


 ルミアはその場に崩れ落ち、額を地面にこすりつけた。


「お、お初にお目にかかります、邪神様……!」


「あ?」


 男(ノックス)が不機嫌そうに眉をひそめる。  ルミアは必死に言葉を紡いだ。


「私は聖女ルミア! 愚かな人間たちが、貴方様の怒りを鎮めるために送った生贄でございます! どうか……どうかこの身一つで、国への祟りをお納めください!」


 食われる。  魂ごと引き裂かれる。  ルミアは死を覚悟し、ギュッと目を閉じた。


 沈黙が流れた。  1秒、2秒、3秒。  やがて、頭上から呆れたような、大人の溜息が聞こえてきた。


「……嬢ちゃん。家出か?」


「え?」


 ルミアが顔を上げると、邪神様は困ったように頭をかいていた。  そして、信じられない言葉を口にした。


「悪いが、今日は客が来る予定はねぇんだ。……まあ、こんな森の奥まで来た根性は認めてやるよ。入れ」


 え?  食べるんじゃないんですか?


「ちょうど焼き菓子を作ってみたんだが、男一人じゃ食いきれなくてな。……毒見ついでに食ってけ」


 邪神様は、可愛らしいエプロン姿でそう言った。


【第三章:邪神様のお茶会】

 ルミアは混乱していた。  邪神の住処(生活感のあるリビング)に通され、椅子に座らされ、目の前には湯気を立てる紅茶と、少し焦げたクッキーが並べられている。


「……あの、これは……?」 「見ての通りだ。最近ヒマでな、菓子作りに凝ってるんだが……火加減が難しくてな」


 ノックスは対面の席にどかっと座り、自分の分のお茶を啜った。


「で? 生贄だっけ? 君、どこの家の子?」 「い、いえ、家と申しますか……教会から……」 「また教会か。あそこの連中は相変わらずだな。身寄りのない子供を保護するフリして、面倒な仕事(生贄)を押し付けるとは」


 ノックスは誤解していた。  ルミアを「口減らしのために教会から追放された、可哀想な孤児」だと思ったのだ。  15歳離れた子供が、訳の分からない設定(ロールプレイ)で現実逃避しているのだと。


「ま、食いな。腹減ってんだろ?」


 勧められ、ルミアはおずおずとクッキーを口にした。  サクッ。  少し硬いが、口いっぱいに広がるバターの香りと、不器用な甘さ。


「……おいしい」


 思わず涙がこぼれた。  聖女として厳しく管理され、粗食しか与えられなかった彼女にとって、それは生まれて初めて味わう「誰かの手作り」の味だった。


「そうか? 少し焼きすぎたと思ったんだがな」


 ノックスはぶっきらぼうに言いながらも、少し嬉しそうに口元を緩めた。  その顔を見て、ルミアは思った。  (この方は……本当に恐ろしい邪神様なのだろうか?)


 その時。  ルミアの首元にあった「隷属の首輪(逃亡防止用の魔道具)」が、急に赤く発光し始めた。


「きゃっ!?」 「ん? なんだそれ」


 ノックスが身を乗り出す。


「こ、これは……私が逃げ出さないように、教会長がかけた呪いの首輪です。森から出ようとしたり、邪神様を害そうとすれば、爆発して……」


 説明し終わる前に、ノックスが手を伸ばした。  彼の無骨な指先が、首輪に触れる。


「……趣味の悪い首輪(チョーカー)だな。流行らねぇぞ、そんなの」


 パキンッ。


 乾いた音と共に、国最高位の呪術師がかけたはずの絶対拘束の首輪が、まるで砂糖菓子のように砕け散った。  何をしたのかも見えなかった。ただ触れただけだ。


「え……?」


「ほら、首元が赤くなってる。あとで薬塗っとけ」


 ノックスは何事もなかったかのように、お茶のおかわりを注ぎ始めた。  ルミアは呆然と、砕けた首輪を見つめる。    (やはり、この方は邪神様だ……! 人知を超えた力を持っておられる!)


 だが、その力は破壊のためではなく、行き場のない少女を救うために使われた。  ルミアの中で、何かが音を立てて変わった。  恐怖が、信仰へ。そして淡い思慕へと変わる音だった。


「……ノックス様(と仰っていましたね)」


 ルミアは椅子から立ち上がり、再び跪いた。  今度は、心からの敬意を込めて。


「私の命は、既に貴方様に捧げられています。……どうか、ここに置いていただけませんか?」 「は? いや、帰れよ。親御さんが心配するだろ」 「帰りません! 帰る場所などありません! 家事でも畑仕事でも何でもします! 貴方様の使徒として、末席に加えてください!」


 瞳をキラキラさせて迫る17歳の聖女。  隠居したい32歳の元英雄。


「……はぁ。厄介なのに懐かれちまったな」


 ノックスは頭をガシガシとかいた。  一人の生活は気楽だったが、まあ、話し相手がいるのも悪くはないか。  どうせすぐに飽きて出ていくだろう。


「好きにしろ。ただし、俺の邪魔はするなよ」


 こうして、勘違いと思い込みによる、邪神(仮)と生贄(聖女)の奇妙な同居生活が始まったのである。


【第四章:勘違いの平和】

 邪神(仮)と聖女の奇妙な同居生活が始まって、一週間が過ぎた。


「ノックス様、おはようございます! 朝食のパンが焼けましたよ!」 「……朝から元気だな、お前は」


 ノックスはあくびをしながら、食卓についた。  目の前には、焼きたてのパンと、庭で採れた野菜のスープ。  ルミアは聖女としての教育を受けていたため、家事はからっきしだったが、持ち前の根性と「ノックス様のお役に立ちたい」という信仰心で、メキメキと上達していた。


「どうですか……?」 「ん、悪くない。スープの塩加減が丁度いい」 「! ありがとうございます!」


 ルミアが花が咲くように笑う。  彼女にとって、この森での生活は天国だった。  教会の厳しい規律もなく、政治の道具にされることもない。ただ、敬愛する主のために働き、感謝される。それだけで、彼女の心は満たされていた。


 一方、ノックスも満更ではなかった。  一人暮らしの侘しい食事が、誰かと囲む温かいものに変わる。  「帰れ」と言いつつも、甲斐甲斐しく働く少女を追い出すほど、彼は冷酷にはなれなかったのだ。


「さて、今日は裏の畑を耕すか」 「はい! 私もお手伝いします!」


 二人が農具を持って外に出た、その時だった。


 ビビビビッ!!


 ノックスが張っていた結界が、侵入者の反応を示した。  それも、一人や二人ではない。武装した集団だ。


「……チッ。また客かよ」 「ノックス様、あれを!」


 ルミアが指差した先。森の入り口付近の空が、眩い光に包まれていた。  そして、拡声魔法を使った大声が響き渡った。


『聞け! 邪悪なる神よ! 我は王国最強の勇者、アルバンである! 聖女ルミアを返し、大人しく封印されるがいい!!』


「勇者……?」


 ルミアが青ざめる。  アルバン。それは、ノックスが宮廷を去った後に頭角を現した、新世代の英雄だ。聖剣を操り、数々の魔獣を討伐してきた実力者である。


「どうやら、貴方様を討伐しに来たようです……! 私が誤解を解いてきます!」 「いや、いい。危ないから下がってろ」


 ノックスは鍬(くわ)を肩に担ぎ直し、面倒くさそうに溜息をついた。


「せっかくの農作業日和だってのに。……害虫駆除といきますか」


【第五章:聖剣 vs 鍬(くわ)】

 小屋の前までやってきたのは、金色の鎧に身を包んだ勇者アルバンと、その取り巻きの精鋭騎士たちだった。  彼らは緊張で顔を強張らせている。  無理もない。彼らの目には、ノックスが纏う「虫除けの結界」が、世界を滅ぼす邪悪な瘴気の渦に見えているのだから。


「出たな、邪神! ……む?」


 アルバンはノックスの姿を見て、拍子抜けした顔をした。  そこにいたのは、ジャージのような服を着て、泥だらけの鍬を持った、無精髭のオッサンだったからだ。


「貴様、何者だ? 邪神の使い魔か?」 「ここん家の家主だ。……で? 人の家の敷地で何騒いでんだ、お前ら」


 ノックスが不機嫌そうに睨むと、騎士たちがビクリと震えた。  一般人のフリをしていても、滲み出る「格」が違う。


「とぼけるな! 聖女ルミアの魔力反応がここにあるのは分かっている! 貴様、彼女をどうした! 喰らったのか、それとも洗脳して手籠めにしたのか!」


 アルバンが聖剣を突きつける。  背後で見ていたルミアが飛び出そうとするが、ノックスが片手で制した。


「喰ってねぇよ。今は朝飯の片付けと洗濯が終わって、休憩中だ」 「なっ……聖女に洗濯をさせたと言うのか!? なんて冒涜的な……!」


 勇者は勝手に激昂した。  彼にとって聖女は崇拝の対象であり、それを家政婦扱いするなど、邪神の所業に他ならないらしい。


「許さん……! 俺の聖剣で、その薄汚い魂ごと浄化してやる!」


 シャラァァァン!!


 勇者が聖剣を振り上げた。  刀身が光り輝き、最大出力の聖なる魔力が収束する。


「見るがいい! 俺が編み出した最強の必殺技! 勇者剣・アルバンストラッシュッ!!」


 勇者が自分の名前を叫びながら、必殺の一撃を放った。  巨大な光の刃が、ノックスと小屋をまとめて両断しようと迫る。  Sランク魔獣すら一撃で葬る、人類最高峰の攻撃だ。


 ルミアが悲鳴を上げた。  だが、ノックスはあくびを噛み殺しながら、肩に担いでいた「鍬」を軽く振るった。


「……畑にゴミを散らすな」


 カァァァァァァァァァンッ!!!!


 甲高い金属音が森に木霊した。  光の刃が、ノックスの鍬によって弾かれ、空の彼方へと消し飛んでいった。  雲が割れ、一直線に青空が覗く。


「……は?」


 アルバンがポカンと口を開けて固まる。  自分の最強の必殺技(自分の名前入り)が、ただの農具で、しかも「虫を払うような動作」で弾かれたのだ。理解が追いつかない。


「な、なんだその武器は!? 神話級のアーティファクトか!?」 「隣町の鍛冶屋のワゴンセールで買った鍬だ。……手入れはしてるがな」


 ノックスは鍬の泥を払いながら、一歩前に出た。


「で? 続きやるか? 俺はこれから土作りで忙しいんだが」


 ズズズズズ……。  ノックスから放たれるプレッシャー(ただの不機嫌)が、勇者たちを押しつぶす。  彼らの目には、ノックスの背後に巨大な闇の巨人が立ち上がり、世界を飲み込もうとしている幻影が見えていた。


「ひ、ひぃぃぃッ!?」 「か、勝てない! これは次元が違う!」 「勇者様、撤退を! 全滅します!」


 騎士たちがパニックになる。  アルバンもまた、脂汗を流して後ずさった。本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。


「く、くそっ! 覚えておれ邪神! 今日はこれくらいにしておいてやる!」


 勇者は捨て台詞を吐くと、脱兎のごとく逃げ出した。  あっという間に森の向こうへ消えていく討伐隊。


「……なんだあいつら。冷やかしか?」


 ノックスは呆れて鍬を下ろした。  後ろでは、一部始終を見ていたルミアが、目をキラキラさせて手を組んでいた。


「すごいですノックス様! 勇者の必殺技を、鍬一本であしらうなんて……! やはり貴方様こそ、真の神……!」 「だから違うって。あいつが弱かっただけだ」


 ノックスは肩をすくめ、畑に向かった。


「さ、仕事の続きだ。今日中に畝(うね)を作っちまおうぜ」 「はい! 邪神様!」


 こうして、王国の切り札だった勇者パーティは、たった数分で敗走した。  だが、これで終わりではなかった。  逃げ帰った勇者の報告により、「邪神は勇者すら指先一つで捻る怪物である」という誤解がさらに加速し、ついに国のトップが動くことになったのである。


【第六章:王の決断】

 数日後。  森の周囲は、数千の王国軍によって完全に包囲されていた。  だが、攻撃を仕掛けてくる気配はない。  ただ、異様なほどの緊張感が漂っている。


「……おいおい。今度は戦争かよ」


 ノックスは小屋の窓から外を覗き、うんざりした顔をした。  畑のトマトが収穫時期だというのに、これでは落ち着いて作業もできない。


「私が……私が出ていけば、収まるでしょうか」


 ルミアが暗い顔をする。  ノックスは彼女の頭にポンと手を置いた。


「バッカ。お前を返したら、また変なことに利用されるだけだろ。……座って茶でも飲んでろ」


 ノックスは扉を開け、外に出た。  すると、軍列が割れ、豪奢な馬車がゆっくりと進み出てきた。  降りてきたのは、初老の男。  王冠を被り、マントを羽織った、この国の国王その人だった。


「……邪神よ。余の話を聞いてくれるか」


 国王の声は震えていた。  護衛の騎士たちは、いつでも飛びかかれるように剣に手をかけているが、その足はガクガクしている。


「話? なんだ」


 ノックスが腕を組んで仁王立ちする。  その瞬間、国王がとんでもない行動に出た。


 ザッ。  彼は地面に膝をつき、深々と頭を下げたのだ。  土下座である。


「へ?」


「頼む! どうか、どうか我が国を見逃してくれ! 生贄なら他にも用意する! 金も土地もやる! だから怒りを鎮めてくれぇぇぇ!」


 国王の絶叫が森に響く。  勇者すら敗退させた「災害」に対し、王はプライドを捨てて全面降伏を選んだのだ。


 ノックスは呆気にとられた。  そして、ふと国王の顔をよく見た。  ……見覚えがある。  3年前、宮廷魔術師時代に、毎日のように「結婚しろ」「もっと働け」と小言を言ってきた、あの上司(国王)だ。


「……おい、爺さん。顔を上げろ」


 ノックスはため息をつき、結界を一部解除して歩み寄った。


「ひぃっ! 命だけは!」 「取らねぇよ。……久しぶりだな、国王陛下」


 ノックスがフードを少し上げ、顔を見せる。  国王が恐る恐る顔を上げ、ノックスと目を合わせた。


「……ん? その顔……まさか、ノックスか? 3年前に死んだはずの、宮廷魔術師の……?」


「生きてるよ。過労死寸前で逃げ出しただけだ」


 沈黙。  国王の口がパクパクと動く。  恐怖が、驚愕へ。そして、安堵と怒りが入り混じった複雑な表情へと変わる。


「き、き、貴様ァァァァ! 死んだと見せかけて、こんなところで隠居しておったのか! 余がどれだけ葬儀で泣いたと思っている!」 「知るか。あんたが縁談ばっかり持ってくるからだろ」


 邪神騒動の正体が、元部下のサボりだったと判明し、場の空気は一気に緩んだ(というか、脱力した)。


【エピローグ:最強の隠居生活】

 その後。  小屋のリビングで、ノックス、ルミア、国王の三者面談が行われた。


「なるほど……。その禍々しいオーラは、ただの畑の『虫除け』だったと……」 「ああ。最近イノシシが多くてな」


 国王は頭を抱えた。  国の存亡をかけた危機が、ただの獣害対策だったとは。


「それで、ノックス。城に戻ってくる気は……」 「ない」


 即答。


「俺はこの森で静かに暮らす。ルミアもここに置く。あの子は聖女なんて柄じゃない。ただの素直な娘だ」


 ノックスが言うと、ルミアが顔を真っ赤にして俯いた。


「……分かった。貴様の実力は、勇者アルバンすら退けるほどだ。無理に連れ戻せば国が消し飛ぶ」


 国王は諦めたように溜息をついた。


「その代わり、条件がある。……この森の『守護者』として、国に害なす魔獣を抑えてくれ。それならば、この森を貴様の領地として認めよう」 「……まあ、住処を守るついでなら、いいか」


 交渉成立。  こうして、「邪神討伐」は「邪神(元英雄)との不可侵条約の締結」という形で幕を閉じた。


 ***


 会談を終え、ノックスとルミアは、国王を森の入り口に停めてある馬車まで見送りに来た。


 帰り際、馬車に乗り込む直前に、国王はノックスに小声で言った。


「しかし、貴様も隅に置けんな。あんな可愛い聖女を囲い込んで」 「……料理が上手いだけだ」 「ふん。まあいい。たまには菓子を持って見舞いに来てやる」


 国王を乗せた馬車が去り、包囲していた軍隊も撤収していく。  森に静寂が戻った。


 夕焼けに染まる森の小道を、ノックスとルミアは並んで小屋へと歩いて戻る。


「よかったのですか? ノックス様。国王様に正体がバレてしまって」 「まあな。これでコソコソ隠れる必要もなくなった。堂々と引きこもれるってもんだ」


 ノックスは伸びをした。  これからは、国公認の引きこもり生活だ。  隣には、ニコニコと笑う可愛い同居人。畑には完熟のトマト。  悪くない。


「さあ、帰るぞルミア。夕飯は何にする?」 「今日はシチューにしましょうか! 邪神様!」 「その呼び方やめろって」


 辺境の森に住む、最強の隠居魔術師と、彼を崇拝する元聖女。  二人のスローライフは、これからも騒がしく続いていくのだった。


(完)

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『辺境の森に住む「邪神様」の正体、実はただの人間(隠居したい元宮廷魔術師)なんだが ~「祟りを鎮めてください」と聖女が送られてきたので、とりあえず茶菓子を出して帰らせた~』 無音 @naomoon

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