履き違え

@y-masae

第1話 中古住宅

田中えりなは、念願の中古住宅を手に入れていた。

結婚して六年。かわいい息子も五歳になる。

小学校に入学する前に戸建てが欲しいと探していたのだ。

大阪府高槻市。閑静な住宅地。築二十年だが、立地の良さと購入費が予算内だったので決めた。

えりなは三十四歳。夫である誠人(まこと)は三十六歳で、高校時代の同級生が誘ってくれた合コンで知り合った。

可もなく不可もなくというところだった。

寝ても覚めても会いたいという恋愛の末の結婚ではない。

そんな恋愛もしたかもしれない。もう忘れた。


就職して六年。デパートに勤めた。

華やかな場所で華やかな仕事がしたかった。

年齢を重ねても若くいられるんじゃないかと、安易に思っていた。

就職して二年間は楽しかった。えりなはジュエリーブランドに新入社員として入社し、梅田のデパートに配属された。一階はデパートでは花形。日々多くのお客様が訪れ、めかしこんだ女性が行き交っていた。

一階のジュエリーショップに立ち、濃い目のメイクで「いらっしゃいませ」とにこやかに言う。

私に相応しい場所なんだ、と自負していた。

高校時代は女子高だったが、モテた。目鼻立ちが華やかで、くっきりとした二重。今でこそ女子高はジェンダーフリーにより少なくなったが、その当時は女子高、男子校という括りがあった。えりなは正に男子校生徒からモテた。

両親に大切に育てられ、バイト等しなくても友達とのショッピングで使える充分なこづかいを与えられていた。

高校生の頃に初めておつきあいをした彼から4℃のネックレスをプレゼントしてもらった。服や靴は友達と梅田のショッピングモールで購入していたが、デパートのジュエリーショップでジュエリーを買ったことはなかった。

華やかな自分にとても似合うと思った。何より「えりなに似合うと思ったから」と、彼がバイトして貯めたお金でプレゼントしてくれたネックレスが、嬉しかった。

高校の同級生達に、彼から4℃のネックレスをプレゼントしてもらうことは憧れだと言われた。


デパートで働くこと。ジュエリーショップで働くこと。それはえりなの理想通りだった。大学での就活も順調で、十一月には内定が決まった。

入社してから一ヶ月間は本社がある東京での研修。その後はジュエリーアドバイザーとして売り場に立つ。専門的なことを学び、販売実績が上げられるようになるまで六ヶ月間が実習生だった。

半年経つと、高額なジュエリーも売れるようになった。より大きなダイヤモンドをお勧めし、お客様へのコーディネート提案が楽しかった。

大学時代からつきあっていた彼はジュエリーショップで働くえりなを自慢してくれた。会社員だった彼とは休みが合わず、平日の夜にご飯を食べて帰る程度のデートを繰り返した。

サッカー部だった彼はスポーツメーカーの会社に就職し、営業マンだった。

優しくてイケメン。背が高くてさわやか。絵にかいたような美男美女カップルだと周囲から羨まれていた。えりなも彼と結婚したいと思っていた。


クリスマスイブイブ。二十三日の夜だった。

大勢のお客様で賑わうデパートの一階は、汗がにじむ程の熱気だった。来る客来る客は男性。もしくはカップル。即決が多く、ホリデー限定のネックレスやピアスが飛ぶように売れた。

接客、お包み、お会計。接客、お包み、お会計…の繰り返し。

やっと終業した後、先輩と締め作業。残業して店を出たのは二十時半だった。

「明日、明後日も忙しくなるわ。体調気を付けて」とチーフに言われ、十二月に入ってからヘトヘトな毎日だったえりなだが「はい」とにこやかに返事をした。

足が痛い。痛すぎる…。もう笑顔でなんていられない。早く帰って温かい湯舟に浸かりたい…。

そう思いながら顔を上げた先に。見慣れたコートに見慣れたマフラーをした背の高い男性がいた。隣には腕を絡めるように纏わりついているショートカットの若い女性。どう見てもえりなより年下。二人は笑顔で話しながら、通りの向こうを歩いていた。

彼女の手には4℃の紙袋。かつてえりなが元カレにプレゼントしてもらったブランドロゴがはっきりと見えた。

今ではえりなが勤めるブランドの、ライバル企業。

え?どういうこと?

私の彼氏よね。いや、見間違い? 

クリスマスは会えないと伝えた。「分かった。仕方ないよね。仕事頑張れよ」と言ってくれた。

一年中で一番の繁忙期。そして売り上げを伸ばせるチャンス。

個人予算も店予算も達成出来れば評価が上がる。

そんなえりなの頑張りを理解して、応援してくれているはずの彼氏。

そんなはずない…。

咄嗟に電話した。「お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため…」機械的なメッセージ。

絶望で頭がくらくらする。心臓の音が早まる。足の先が凍り付いたように冷たい。

どうやって家路にたどり着いたか分らぬまま。食事も摂らず、自室でへたり込んでいた。

母が

「えりなちゃん、どうしたの?大丈夫?」

ドアの外から声を掛けてくれたが、

「うん、大丈夫」

と応えただけで。呆然としていた。

ひとまずお風呂に入ろう。そう思ったとき。着信があった。彼からだ!

『えりな、電話くれた?』

「うん」

『どうした?今日忙しかったんじゃないのか?』

「忙しかったよ。」

『大丈夫か?』

「あなたを見かけたの」

『え?どこで?』

「大阪駅。仕事が終わって、電車に乗る前」

『ああ。今日忘年会だったんだ。地下の店だったから、電波が繋がらなかったみたいやな』

「女の子と歩いてたね」

『後輩だよ。大学の。えりな、知らなかったっけ?うちの会社に内定が決まったらしくて』

「知らない。知らないし、4℃の紙袋持ってたね」

『持ってたっけ?』

とぼけやがって!

と思った瞬間、涙があふれてきた。

疲れ切った体に追い打ちをかけるような怒りだった。

私がこんなに頑張ってるのに。ふざけやがって!

情けなさでガタガタと震えた。

『泣いてる?』

「ごめん、明日早いから、もう切るね」

風呂で泣いた。

泣きたくなかった。目が腫れて売り場に立つなんて絶対に嫌だ。

でも溢れて止まらない涙で溺れそうだった。


翌日はカップルばかりだった。カップル。その隣にカップル。その隣もカップル。

ガラスケースの周りはカップルで埋め尽くされていた。お包みした商品をショッパーといわれる紙袋に入れてお渡しする際、誰と誰がカップルなのか分からなくなった。

この男とこの女がカップルか…。絵にかいたようなカップルばかりじゃないんだな。

とか。思っている場合じゃない。

「ちょっと何してるの?早くしてよ」

急におばさんに声を掛けられる。こんな日に自分で自分に買う女もいるのか…。

とにかく。忙しくて救われた。

ネガティブな考えが横切る間もなく、あっという間に一日が終わった。


「明日もまだお客様来るから」と、チーフは頭から湯気が出ている。明日もか…

今月は休みが少ない。ただでさえ連休なんて取れない。新入社員は有給も取りづらい。

年明けにやっと取れるかどうかだ。

年内は三十一日まで出勤。年明けは二日から出勤。覚悟はしていたが、こんなにしんどい勤務体制とは…。

『田中はいいよね、若いから。化粧崩れも全くないし』

先輩は二十代もいれば三十代もいる。

三十八歳のチーフは目尻にファンデーションが溜まっている。

「そんなことないですよー。かなり顔、浮腫んでます…」

『昨日、なんかあったの』

「え?」

『今日さ、カップルを見る目が死んでるよ』

怖っ。こんなときの先輩は、本当に怖い。接客の態度だけでなく表情も細かくチェックされている。

「いや、別に…。ちょっと疲れているのかもしれません」

『このくらいで疲れるんじゃ、この先思いやられるわ』

この程度の嫌味は今まで何度も言われてきたから。特に気にすることはなかった。はずなのに…

「ホントですね…」

『あら、珍しく弱気やな』

泣きそうになる。

『この仕事、本気でやるなら彼氏に会えないことぐらいで泣いてる場合やないで』

そんなことまで見抜かれるのか…。疲れが肩にのしかかる。

笑顔を保つだけで頬が痙攣する。


重い生霊でも背負っているかのような気分で電車に乗った。また明日も大量のカップルにクリスマス限定の商品をお勧めする。自分の彼氏が年下の女にライバルブランドのジュエリーを買ってやっているというのに。

華やかな場所で煌びやかな物を販売する。えりなにぴったりの仕事。なのに…

他人の幸せのお手伝いをしながら自分の幸せは?

と、問う六年間だった。


クリスマスに浮気をしたかどうかの彼とは年明けに別れた。

真実も真意もどうでもよかった。こんな私をないがしろにする男は要らなかった。

次につきあったのは、アパレルの営業マンだった。メンズブランドの営業で、休憩中に声を掛けられた。ほぼナンパのような感じだったが、長身にロン毛で長い睫毛が印象的だった。スーツのセンスが良く、今から思えばチャラいだけの男だったが、ノリでつきあった。

東京本社の勤務だった彼は月に一度、大阪に出張に来ていた。

ビジネスホテルに泊まるというので、一緒に泊まって翌日はホテルから出勤していた。入社して一年が経過するころには連休や有休も取れるようになり、東京に会いに行くことが楽しみになっていた。

ジュエリーブランドで働いても、給料は然程いいわけではない。ノルマはないが、個人予算はある。予算に達成しない限りインセンティブは付かないし、ボーナスの査定も良くない。実家暮らしだから給料は自由に使えるが、一人暮らしでは厳しいだろう。

クリスマスシーズン以外の残業は殆ど無いし、予算が達成しないからといってお咎めがあるわけではない。働きやすいのかもしれないが、自社ブランドのジュエリーを毎月のように購入してしまうのでお金はいくらあっても足りなかった。

東京の彼に会いに行く交通費は自分で出した。会ってからの食事代は彼が支払ってくれる。彼の一人暮らしのマンションに泊まるので交通費くらいだし、東京に行く理由があるというだけで楽しかった。

それなのに…

クレジットカードの請求書が届いて驚いた。

購入した覚えのないブランドの請求金額…

すぐに彼だと気付いた。

カード会社に電話して不正利用されている旨を告げ、警察に被害届を出した。

事情聴取を受けた。

彼は

『ごめん。前にネット購入した時、えりなのカードを登録してもらっただろう?それがそのまま反映されてたみたいなんだ』

と、見え透いた嘘をついた。

全額現金で支払ってもらい、被害届は取り下げた。

もちろん別れた。

購入したものはアウトレット商品ばかりで、購入の仕方もせこい感じがした。

真意はどうでもよかった。くだらない男とくだらない自分に嫌気がさした。

エステや高級化粧品でしっかりと女を磨き、上質なジュエリーを身に纏って売り場に立つ。華やかで美しい私が、デパートに勤めているというのに何故だろう。

ろくなことがない。

それからは、仕事に集中した。


五年目でサブチーフに推薦された。顧客管理や新人教育も任されるようになった。

研修で東京に行く機会が増えた。確実に成功していく自分の未来像が見えてきた。

休憩室で昨年の新卒が他ブランドの女の子と話していた。

『田中さんって、美人だけどキツイんですよね…』

『ああ、なんかそんな感じよね。笑顔がいつも同じだし』

『そうそう、心から笑ってないんですよ』

『彼氏いるのかな』

『いないと思う。てか、ああはなりたくないって感じ』

えりなが入って来たことに気付くと

『あ、お疲れ様です!私、売り場に戻ります』

と、そそくさと出ていった。

言いたいことは分かる。私も入社二年目くらいで同じようなことを思った。

この仕事を続けたい気持ちが半分。辞めたい気持ちが半分。

先輩みたいに婚期を逃して女だけの職場で働き続けるなんて、枯れていく…。

そんな風に思っていたから。

三十代はどうなんだろう…。考えたくない。仕事に集中しよう。

そう思えば思うほど心からの笑顔が出来なくなっていった。

その頃、高校の同級生が久しぶりに連絡をくれて合コンに出かけた。

正直期待なんてしてなかった。その同級生は真面目で目立たない子だったし、 

「えりなが来たら華があるから、メンズが喜ぶからさ」

と言うので。

たまたま休みだった金曜日の夜に出かけた。

実際にイケてるメンツではなかった。

誠人は、公立中学校の教員だった。イケメンではなく、不細工でもない。オシャレではないが不潔でもない。その程度の男だった。

『えりなちゃんは、とても美人だね』

ストレートだった。

今までつきあってきた男たちは自分に自信があり、えりなを自慢してくれたが、自分を鏡で見る方が好きな人ばかりだった。

付き合う気は更々なかった。連絡先も交換しなかった。

が、売り場に突然来たのだ。

『今まで出会った女性の中で一番美人だったから、もう一度見たくなって』

と、後輩の前で言った。

『お勧めのネックレスはありますか』

と聞いてきて、購入したネックレスをそのままプレゼントしてくれた。

自社ブランドのジュエリーは社員割引で購入出来る。だからえりなも欲しいものはいつも自分で購入していた。ジュエリーのプレゼントは、高校生のときの4℃以来だった。

『彼氏さんですか』

後輩に聞かれた。

「いや、違うんだけど」

答える自分が恥ずかしかった。

『え?素敵ですね』

後輩の笑顔が妙に心に刺さった。

それからゆっくりと時間をかけて交際していった。

焦らずゆっくりと距離を縮めてくれるような人だった。

休みは合わなかったが、仕事終わりに本を読みながら待っていてくれる人だった。

安心。そう感じた。

結婚することを決めて両親に報告すると、かなり喜んだ。

やはり娘の結婚相手には公務員がいいのだと実感した。

婚約指輪も結婚指輪もえりなの店で購入してくれた。

結婚式では、誰もが「意外だよね」とささやいていた。

結婚なんて、こんなものだろうか…


結婚しても退職はせず、時短勤務で勤めた。女性ばかりの職場はそこのところが寛容だった。

結婚してから

『笑顔が素敵ね』

マダム層のお客様に褒められるようになった。


公務員とはいえ、中学校教諭の給料はそんなに高くない。賃貸マンションに住み、共働きで生計を立て、少しでも貯金していきたいと思うようになった。

エステや高級化粧品でなくとも、愛されている自信がえりなの肌を潤した。

程なくして子どもが生まれ、産休中にマイホームが欲しいと思うようになった。

えりなが貯めていた貯金と誠人の給料で月々のローン金額をシミュレーションする。新築だと建売でも手狭な物件になりそうだ。

何件か足を運んで見に行ったり、不動産屋に相談する中で現在の物件に出会った。幼稚園や小学校も近く、閑静で人気の地区だと言われた。

子育てには良さそうだった。中古ではあったが、室内は綺麗に使用されていた。庭付きの二階建て。間取りは4ⅬⅮKだった。

すでに空き家になっていた。購入予算より安く手に入りそうだったのでキッチン、トイレ、浴室をリフォームした。

誠人も気に入った。誠人の学校までバスと電車を乗り継いで四十分程だった。


えりなは産休復帰をすることはなく、そのまま仕事を辞めた。誠人がそれを望んだのだ。

『俺の母親はずっと働いていたから、えりなには家に居て子育てをしっかりして欲しいんだ』

えりなも、子どもがこんなに可愛いなんて信じられないくらいだった。


華やかな場所、煌びやかな世界が遠い昔のように感じた。

新しく通う幼稚園が決まり、入園準備に追われていた。

保育園には行かず、家でずっとべったりだったのでちゃんと通えるか心配だった。

ミシンで通園バッグを縫ったり、全ての持ち物に名前を付けたり…。

日々が楽しかった。 


えりなの父が桜の苗木を持って来た。二月から三月中旬までに植えるといいと言うので、誠人と一緒に日当たりのいい庭に植え付けることにした。

幼稚園の入園式には小さな苗木が育ち始めると思うと、息子の成長に合わせて夢が膨らむ気がした。

『深く掘った方がいいよな』

「そうね。ネットでは四十センチ位深く掘るって書いてる」

少し暖かく感じる日曜日の昼下がり。誠人がはりきってシャベルを持っている。息子も嬉しそうに見ている。

「温かいコーヒーでも淹れてくるね」

『ああ、ありがとう』

本当に、幸せだと思った。これは、普通の幸せなんだと。

スーパーで買った安い豆でも、コーヒーメーカーで淹れるとそれなりにいい香りがする。

ああそうだ、母がデパートで買ってきてくれたクッキーがあった。それも一緒に食べよう。と、マグカップにコーヒーを注いだその時

『なんだこれ!』

誠人の大きな声が響いた。

「何?虫?」

そんな大きな声出して…。

そう思いながら庭先を見ると、誠人が立ち尽くしている。

深く掘っていた地面を見つめている。

「え?なに?」

えりなが傍まで行くと…。

「え?なにこれ。」

 ルイ・ヴィトンのスーツケース。モノグラムの革製。泥まみれで染みのようなものが広がっているが、高級ブランドのロゴがはっきりと分かる。まさか、大金が埋まっているのだろうか…。えりなは誠人と共に掘り起こした。しっかりとファスナーが閉じられている。

『うえっ。くせぇ』

 何とも言えない腐敗臭が鼻につく。古いお札が入っているとは到底思えない。動物の死骸だろうか…。二人は顔を見合わせた。ゆっくりとファスナーを開ける。錆び付いていてなかなか開かない。

「え?」

 そのファスナーを開けた瞬間…。えりなの背中に冷たいものが流れた。誠人がガタガタと震えている。

石ではない。白い二十センチ位の長さの棒状のもの。そして…。頭蓋骨。

「ひ、ひぇえええええ」

誠人が悲鳴を上げて真後ろに倒れた。

え?なに?どういうこと?




『三月三日午後一時三十分頃、大阪府高槻市の住宅敷地内で白骨化した遺体が発見されました。この家に住む住人が庭を掘り起こしたところ、スーツケースの中から骨のようなものが出てきたと警察に通報しました。遺体の年齢や性別は不明で、身元と詳しい状況を調べているとのことです。』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る