恋人達の帰り道 スピンオフ

bataro

1章:一番大事な宝物

独立空港にて、プロポーズの余韻がまだ胸に残る中、

晶子はふと現実に引き戻された。

彼女の瞳に、ほんの一瞬、揺れる影が差す。


「…どうしよう。アメリカの仕事、ちゃんと連絡しなきゃ。

急に戻らないなんて、きっと大騒ぎになるよね」


声の端に、責任感と不安が滲んでいた。

滋昭はその様子に気づき、そっと微笑む。


「僕が代わりに電話するよ。連絡先、教えてくれる?」


晶子は戸惑いながらも、手帳を差し出した。

「えっ…でも、しっちゃん、英語だよ?大丈夫?」


「相手も英語が苦手なら、きついことは言わないよ」


その軽やかな言葉に、晶子の肩の力が少しだけ抜けた。


ロビー内の喫茶店に入り、滋昭は電話をかけ始めた。


電話口の向こうから、

外国人の大きな声が響く。

「What happened? So, what now?…」


滋昭の「Marry her… She is my wife」

という宥める声が途切れ途切れに聞こえてくる。


晶子は、彼らのやりとりをやきもきしながら

聞いていた。電話を終えた滋昭が振り返る。


「なんとかなったよ。最後には“Congratulations”って

言われちゃった」

「花束の送り先も聞かれたけど、“Sorry”って断った」


晶子は心の中で、そっと呟いた。

(高校の時から変わらない、私をさりげなく助けてくれるところ)


喫茶店でコーヒーを飲みながら、

晶子が申し訳なさそうに言う。

「…ねえ、今晩から泊まるところないんだけど。どうしよう」


「大丈夫。宝塚ホテル、10日間予約してあるよ」


「えっ、10日間も? なんでそんなに?」


「今朝、車の中から延泊の電話をした。

絶対連れて帰るって決めていたから」


「…え、そうなの? 私が見つからないかもって、

考えなかったの?」


「全然。あの時の後悔、もう繰り返さないって決めていたから」


「飛行機を止めてでも。アッコを離さないって」


滋昭は喫茶店の勘定を済ませると、

「車が停めてあるから。行こう」

と晶子の腕を深く組み、歩き出した。


ロビーを抜け、駐車場へ向かう途中、

晶子が小さくつぶやく。

「ねえ…日本でこうやって腕組んで歩くのって、

ちょっと恥ずかしくない?」


滋昭は即座に言い切る。

「ここはアメリカだよ。アメリカ行き搭乗ロビーだもん。

恥ずかしくない」


晶子は一瞬、言葉を飲み込んだ。

周囲の視線が気にならないわけではなかったが、

彼の手の温もりが、それ以上に確かなものだった。

「…もう、しょうがないな」


そう言いながら、彼の腕に自分の腕を預ける。

その仕草には、少しの照れと、たくさんの安心が混じっていた。


車に乗り込むと、ラジオが流れ始めた。

洋楽の激しいビートは、アメリカで長く暮らしていた

晶子にとって心地よく響いた。


ふっと目をダッシュボードにやると

「パーマンの手鏡」が大事そうに置かれていた。

晶子は手に取ってみた。古びているが確かに晶子が

プレゼントとしたものだった。


「しっちゃん。これって」


「そうだよ。アッコがくれたもの」


前を見て運転しながら

「今、映っている人が、僕の一番大事な宝物」

と告げた。


晶子は小さく「嬉しい」と囁き、

一度軽く彼の頬にキスをした。

そして運転している滋昭の肩に頭をそっと預け、

目を閉じてずっと、そのままでいた。


滋昭が急にラジオチャンネルを変える。

「この時間、のりっぺの番組があるんだ。

彼女、卒業してからずっと続けているよ」


「えっ、のりっぺが? 一緒に聴こうよ。

楽しみ!」


ラジオから、西村の声が流れる。

「…人を好きになるってことには、

覚悟と勇気がいることを」


二人は静かに聴き入った。


(……これ、私たちのことだ。こちらこそ

お礼を言わなきゃ。しっちゃんのこと、

最初に私にいろんなこと教えてくれたのは、

のりっぺだもの)


そのまま、車はホテルへ向かった。


ロビーに入ると、滋昭は晶子の腕をしっかりと

抱えたまま、受付へ向かった。

受付スタッフが少し怪訝そうな顔をしながら対応する。


晶子は、少し顔を赤らめながら小声で言った。

「…しっちゃん、ちょっと。恥ずかしいから、

そろそろ離してよ」


「え? だって、またどこか行っちゃうかも

しれないじゃん」


晶子は笑いながら、少しだけ腕を引いた。

「しっちゃん、心配しすぎ。私もお金ないし、

日本じゃ迷子になる自信あるから、どこにも

ひとりでいけないよ」


滋昭はその言葉に、ふっと肩の力を抜いた。

「それ、安心していいのかちょっと微妙

だけど……でも、よかった。もう離れない

ってことだよね」


「うん。そうだよ。だから…」


「やっぱり、もう少し。だめ」

と答えた。


ホテルの部屋に入ると、ようやく滋昭は腕を

解いた。


晶子は、彼をじっと見つめながら

(……この人の優しさに、私、高校時代に

夢中になったんだ。

これからは、この優しさを、私だけが受け

取っていいんだよね…)

と心の中でつぶやいていた。

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