第49話

 電車が停まりドアが開く。既に車両はかなり混雑していた。僅かに降りる人を待ち、並んでいた乗客達が一斉になだれ込む。

「大変混雑しております。車両ドア付近に立ち止まらず、電車の中ほどまでお進みください」とのアナウンスは流れるが、毎度ながら従わない乗客は一定程度いる。

 次、またはその次の駅で降りたい場合もあるだろうが、多くはそうで無い。中まで進むと囲まれて嫌なのか、単に入り口にいれば邪魔になると周囲を気遣う思考回路なんて元々ないのか、は不明だ。

 よって毎回客による数の力で押し込まれ、皆が車両の中へと進む。辰馬はもちろん栄太達のようにそれなりの身長があり、体幹もそれほど弱くない人でさえ苦痛に思う時間帯だ。

 未知留のような身長が低い女性などは力に対抗できず、なす術もないまま人に埋もれてしまう。背の高い男性達に挟まれ、窒息しそうになることさえあるのだ。

 今日はいつも居ないユーチューバー達がいるからだろうか、特に混雑が酷く感じた。

「未知留ちゃん、大丈夫か」

 苦しまないよう、栄太達が間に入り緩衝材になろうとしたが、多勢に無勢で限界はあった。

「う、うん。大丈夫」

 いつもより背後からの圧迫が激しい気がしたのは、近藤達が後ろにいる為かもしれない。栄太達との間にもCMTは二人いるが、それだけで十数倍の人数を押し返すのは無理だ。

 何とかいつも通り車両の中ほどまで進み、別のドアから入って来た他のCMT達と合流する。

 しかしその過程で、多少の衝突があったようだ。どうやらユーチューバー達が、CMTの周辺に立ちはだかったらしい。

「こいつら、俺達の邪魔をしようとしていますね」

 ボソッと呟く声がイヤホンを通じて耳に入る。すかさず本部から指示が飛ぶ。

「強引に進めば因縁を付けられる。できるだけ流れに逆らわず、いつも通り進むように」

 そうした忠告が功を奏した。ユーチューバー達も周囲の力を押し返す力はない。無理をすれば、逆に他の客から攻撃を受けてしまう。

 また彼らとは違い、CMT達は何度も満員電車に乗り込んできた経験を持つ。かつ同じ時間の同じ車両に乗っている為、他の客のほとんどがこれまでと同じ面子だ。よって彼らの手助けも受けたらしく、危惧する程の混乱は何とか避けられ、予定の位置に付くことができた。

「あいつら、この時間帯の通勤ラッシュを舐めていたようだな」

「普段、経験してへんからやろ。毎朝早く起きて会社に行こうと電車に乗るような奴が、こんな時間に動画を回す真似なんかせえへんわな。そんなんしとる余裕なんてまずないやろ」

「しかし油断はできない。この時間帯を狙って来たんだ。必ず何か仕掛けてくるぞ」

「駅に着く度、他の女子生徒や登録者達が乗り込んで来る。その人達がこの車両中央へ近づく時が危ない。一緒に中へ入り込もうとしたら、出来るだけ防ぐように。但し無理はするな」

 女生徒達に紛れて他の男性客がついてくることは、これまでも何度かあった。痴漢行為が目的か、単に押し込まれただけかは判別が難しい。

 ただそんな他の客とアプリ登録者を分断する動きは、これまで再三繰り返してきた。

 これもまたいつもと同じ乗客が周囲にいる場合が多く慣れている為、女生徒達は車両の中へ進む流れが出来ている点も大きい。

 皆、ただでさえ毎日の満員電車の中でストレスを抱えている。よって少しでもお互い邪魔をせず、楽に乗っていたいとの心理が働くのだろう。

 だが今日は、ユーチューバーという異分子が入り込んでいる。それがどう影響するかは未知数だ。今のところ栄太達にとっては良い流れだが、今後どう動くか分からない。

 そうしている間に次の駅で電車が停車し、降りる客が動き出す。ホームにいる客が乗り込むまでの短い時間、車内の混雑が緩和される。この隙に、CMT達は客の合間を縫って移動し、配置の微調整をした。

 しかしそれは、奴らが動ける範囲も広がることを意味する。

「来たぞ。気を付けろ」

 案の定、離れた場所に立っていたコンチャイズムが、辰馬達に近づいてきた。その手前で二名のCMTが立ちはだかり、それ以上進ませないようブロックする。

「おい、どけよ」

 やはり絡んで来たようだ。それを無視し、彼らはそのままの位置をキープする。

「何だ、お前ら。耳にイヤホンを嵌めていやがるな。ということは、あのじじいの仲間か」

 そう口にした瞬間、入り口から乗客がどっと押し寄せて来た。その勢いで両者がぶつかる。

「痛えな! おい! お前ら! どけ!」

 こうなると言われた通り後退するしかない。しかし彼らを後ろに行かせないよう、壁となったまま流れに逆らわないよう移動する。

 ドアから入った他の乗客達も中へと進もうとし、その中には学生服を着た数人の女生徒がいた。

 彼女達はいつも通り、車両中央付近にいる背が高い坊主頭の辰馬を目印に、未知留達がいる場所へ進もうとする。それを周囲の乗客の多くが、何の抵抗もなくサポートしていく。

 だが今日は少し状況が違った。近藤や他のユーチューバー達が立ちはだかったからだ。

「すみません。中に入れて貰えますか」

 申し訳なさそうに、生徒の一人が小声で呟いた。そんな一言でも見知らぬ男性に対し、なかなか口にはできない。それでもCMTがいるからと、勇気を持って言葉を発したのだろう。

「ああ、ごめん。だけど、この前に立っている人が邪魔をするんでね。中に進めないんだよ」

 コンチャイズムの近藤がそう言いながら、CMTのメンバーを睨んだ。別のドアから入った女子生徒にも、他のユーチューバー達が同じような声をかけている。

「やはりこいつら、グルかもしれないな」

 栄太が忌々しいと思い呟くと、本部から再び指示が出た。

「できるだけ、女子生徒達だけ通すように。友達が中にいるのかと質問して下さい」 

 CMTの一人がその通りに聞くと、彼女達は黙ってうなずいた為、

「君達だけ中に入って」と声をかけ通そうとした。

 だが当然近藤達が割って入ろうとする。その動きを止めようとし、再び体同士がぶつかった。

「おい、痛いな。どけ」

 しかしCMTメンバーは睨んだまま、返事をしない。そうして膠着状態は続くかと思ったが、次の駅に電車が到着し降りようとする客が動いた際、小柄な利点を生かした女生徒が隙を突いて中に入った。

「あっ、待て!」

 その後をついて入ろうとする近藤をCMTが体で止め、周囲に聞こえる声で言った。

「今、あんた、待てって言った? 制服を着た女の子達の後を追いかけて、何をしようとしているんだ? なあ、ユーチューバーのコンチャイズムの近藤さんよ」

 反対側で止められていた女子高生の近くでも同様のやりとりがあり、周囲がざわついた。

「なんで、こんなところにユーチューバーがいるんだよ」

「勝手に撮影しているんだったら、辞めて欲しいんだけど」

「もしかして、こいつら痴漢の仲間か?」

 あちこちでそうした批難の声が挙がったからだろう。彼らは黙り、動きを止めた。

フェスでの騒ぎなどでも、無関係の客を下手に刺激し敵に回せば厄介だと学んだのかもしれない。

 そこで新たな乗客達がなだれ込んで来た。同じくここでも数人の女子生徒達が現れ、またアプリ登録者と思われるスーツ姿の女性も伴い、中に進もうとしていた。

 しかも二十代半ばくらいの彼女達は笑顔でCMT達に近づくと、一人が声をかけて来た。

「あの、もしかしてあそこにいるのは辰馬さんと、栄太さんですよね」

「ああ、そうだけど」

 一人がそう答えると、彼女は喜びを押さえた声を出した。

「嬉しい! 痴漢がいたら絶対捕まえて下さいね! 応援しています!」

 少し離れた場所にいる栄太達がその言葉に黙って頷くと、近藤が割り込んで来た。

「何、あんた達。こんなやばいジジイ達を信用してんのかよ。そんな下着が透けて見えそうな服で歩いたら、盗撮されるかもしれないのに」

「何、この人達。あっ、ちょっと。勝手にスマホで撮らないでよ」

「辰馬さん達に絡んでいるユーチューバーじゃない。変なことしていると、警察呼ぶからね」

「そうよ。そうよ。CMTの活動を邪魔しないで。私達は辰馬さんに守って貰うから」

 CMTの二人は、今度もコンチャイズム達の前に立ちはだかりつつ、彼女達を通そうとした。乗り込んで来た人数が多すぎて、他の男性乗客と共に中へと進ませる。

「それでいい。中は中でブロックしてくれ」

 本部の指示通り、栄太達は未知留に近づいて来た女生徒や女性客といった登録者を一塊ひとかたまりにさせた後、彼女達に背を向けつつ他の男性客達の間に体を押し込み、壁を作る。

 体制としては八名で取り囲み、少し離れた場所で二名ずつが待機し、ドアから入って来る女性客などを中に通す二番目の壁になっていた。

 しかし今や両側にいた四名は、それぞれユーチューバーの前に立ちふさがる役目で精一杯だ。それでも本部は問題ないと判断したらしい。

「おはよう!」

「おはようございます!」

 未知留達が明るく挨拶を交わし合う。いつもの光景だが、元気な彼女達の姿を見ているだけで、栄太は心が洗われる気がした。

 しかし今日は、そこから不穏な会話が交わされる。

「ねぇねぇ。駅に変な人達がいなかった?」

「変な人って? 痴漢じゃなく?」

「そうじゃないと思うけど、スマホで撮影している人達」

「ああ、それ、ユーチューバーでしょ。いたいた。駅員が声をかけて注意してくれたから、どっかへ行ったけど、あれ、何だったのかな」

「えっ、あなた達、アプリの連絡を見てないの。今日、何組か現れているんだよ。この車両にも乗って来たんだから。あっちの方に、コンチャイズムまで来ちゃってさ」 未知留が聞こえよがしに言った為、車内がざわついた。


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