第43話 第7章 ぶつかり男―栄太

 栄太はいつも通り五時半に起き、六時半過ぎには集合場所の駅にいた。

「相変わらず混んでるな。時々、どこからこれだけの人が湧いてくるのかって思うよ」

「俺よりずっと長く東京で住んどる栄太でも、そう感じるんやな。関西の一地方都市に過ぎん羽立と比べもんにならんのは分かっとるが、ホンマに東京へ人が集まりすぎや。そりゃあ、仕事前にこんだけの人混みに毎日晒されとったら、ストレスも溜まるわ。せやから、色んなアホが出て来るんとちゃうんか。全く、何とかしてくれって話やろ」

 CMT発足当初に調べ分かってはいたが、痴漢などの要因として混雑した状況やストレスが挙げられていた。

 今回の対策対象のぶつかり男も、ストレスなど日頃に溜まった鬱憤を自分より弱い立場の人に向けた憂さ晴らしというのが、加害理由の一つと言われている。

 加えて女性蔑視もあり見下しているからこそ標的にし、痛がって苦しむ顔が見たいが為に暴力を振るう、または自分より幸せそうに見えるとの妄想から、嫌悪感を抱く心理が働くそうだ。

 さらにはすれ違いざまに肩や腕で胸などを触る痴漢行為の為、ぶつかるというよりは接触するケースさえあるという。

「まあそういうな、辰馬。今日もそういうアホから、登録者達が嫌な目に遭わないよう見守っていこう。それが俺らの役目じゃないか」

「そうやな。例え嫌な目に遭うても、俺らが文句言うて少しは気が晴れるようにせなあかん」

 CMTならぬBTT、ぶつかり男対策隊が動き出して今日で五日目だ。今のところ、直接被害に遭った登録者はいなかった。

 しかしぶつかりまではしないものの、すれ違いざまにブス、デブと暴言を吐いたり、どけ、邪魔だと乱暴な口を利いたりする輩は何人か出没していた。マークしていた登録者の傍で、辰馬自身も既に二度、遭遇しているのだ。

 そうした忌々いまいましい経験から、先程のような愚痴が思わず出たのだろう。他のメンバーからも事前に聞いてはいたものの、初めて実際近くで目にし、耳にした時、彼は驚きと同時に激しい怒りが湧いたに違いない。

「おい、ワリャ、今、何言うたんじゃ、ボケ!」

と即座に怒鳴ってしまい、通り過ぎようとした男を追いかけて前に回り込んだのだ。

 別の登録者のマーク中で近くにいた栄太が騒ぎに気付き目を向けると、相手は息を呑んで立ち止まり、目を丸くして自分よりずっと背が高く坊主頭の辰馬を見上げていた。

 ブスと口走った五十代位の男も、さらに年上のおじさんに注意されるとは思っていなかったのだろう。

 もしかすると、女性の連れと勘違いしたのか、または堅気に見えない辰馬の迫力に気圧されたのかもしれないが、彼は素直に

「す、すみませんでした」

と頭を下げた。

 女性に対して取った態度とは余りにかけ離れ、蚊の鳴くような声で怯えていたその様子に気を取られたのだろう。そのまま逃げるように立ち去る男を、茫然と振り返っていた。

「あ、有難うございます。あ、あの、もしかして、CMTの辰馬さんですか」

 アプリ登録者だからか、暴言を吐かれた彼女は気付いて立ち止まり、そう声をかけていた。

「あ、ああ、そうです。こちらこそ、すみません。余計な真似をして」

 頭を下げる辰馬に、彼女は首を振ってにこやかに言った。

「いえ、有難うございます。驚きましたが、ああ言って下さったおかげで、少し気分がスッとしました。朝の通勤時間帯に見守り隊が、この駅の構内に待機する予定だというお知らせをアプリで見ましたが、このことだったんですね」

 あたふたして口籠くちごもっている彼の代わりに、異変を察知し駆け寄った栄太が説明した。

「そうなんですよ。詳しくは書きませんでしたが、この界隈でぶつかり男がよく出没するという登録者の声を聞いて、新たにその対策を始めた所なんです」

「そうでしたか。それは助かります。そう言えば、そんなアンケートが少し前にありましたね。私も答えましたし、実際ここで被害に遭った同僚もいますから」

 そう言った彼女は二十代半ばか後半くらいだ。亨先輩の会社の社員かもしれない。それなら同じく登録し、この駅を利用している女性社員が十数人はいるだろう。

「そうですか。まだテスト的に始めたばかりで、今後どれくらい続けられるかは分かりませんが、少しでも登録者の方達が安全に安心して通勤できるよう努めます」

「有難うございます。あ、あの、あなたは元刑事の担咲栄太さんですよね。動画で拝見しました。色々騒がれて大変だと思いますが、私達は応援していますので頑張ってください」

 そこで辰馬と一緒に求められるまま握手をし、会社があるのでと去った彼女を見送った。

 開始間もなくの実体験により、BTTの存在意義を改めて感じ取った上で彼は反省をしていた。いちいち怒鳴り返していたのでは、いつトラブルが起きないとも限らないからだ。

 その為対応方法を改めて他のメンバーと話し合い、彼は二度目には、同じくブスなどと言い放った男に遭遇した際は、怒鳴ることなく、

「ブ男、臭いんじゃ、ボケ」

と、言われた女性にも聞こえるよう、言い返すだけにしていた。

 怒鳴れば言い返され喧嘩になるなど、更なる問題を招きかねない。それは女性にも迷惑が掛かる。

 とはいえ不快な気分は晴らしたい。そこで考えたのが、悪口には悪口で返す方法だ。

 これは実際同じ被害に遭った女性が対策として考えた方法の一つで、ネットにも書き決まれていたものである。

 他にダサッ、など女性に言われると傷つくだろう言葉もあり、自分が逆の目に遭えばどんな気持ちになるかを知らしめる為には有効、とされていた。

 ただし男が逆上する恐れもある為、女性の実行は人混みに紛れ逃げられる場合に限る、との注意点も挙げられていた。

 ぶつかり男は、周囲に人が余りいない時間帯に現れるケースもあるという。騒がれた場合、逃げやすいからかもしれない。そういう時、下手に相手を刺激すると逆切れされ、危険な目に遭う恐れもあるからだ。

 今回BTTがどの時間帯で行動するか、登録者アンケートや実際被害に遭ったと思われる人の事例などを分析した結果、人が余りいない午後の早めの時間も捨てがたかったけれど、効率や発生頻度など総合的に考えて朝の通勤時間帯、七時から八時半までと決めた。

 ちなみに周囲にいた他のBTTの証言によれば、辰馬からブ男と言われた奴は一瞬振り返った後、チッと舌打ちをしただけでそのまま通り過ぎたという。

 その際辰馬はトラブルを避ける為、意図的に振り向かなかったからだと思われる。立ち止まり引き返してまで文句を言ってくる相手では無かっただけか、元々そんな気概など無い輩がそういう行動を取ったからかは不明だ。

 しかし言われた女性は、一瞬ムッとしていたが、辰馬の言葉が耳に入ったのだろう。プッと吹き出し、笑いながら歩いて行ったという。

 辰馬の行動指針は自警団じけいだんとは違う。行き過ぎた行動は対立を深め、新たな争いを産む。よってあくまで人に寄り添い、平穏な毎日を少しでも継続させる手伝いができればいいのだ。

「それでええ。俺らが守っとるとか気がついて貰わんでも、気分よう過ごせたら十分やろ」

 後で辰馬はそう言い、栄太は頷いた。

「ああ。気分の悪い出来事が、後で笑い話の一つに変わればそれだけでおんの字だよな」

 そう言っている間に時間となった。今回は、CMTの時より倍以上の二十四名が集まり、登録者数を増やした成果が出たと言える。

 ただ周囲から注目を浴び過ぎないよう、各自が少しずつ離れた場所に待機しており、位置や人数はアプリで確認していた。

 八月最終週の中日、駅構内は比較的ヒンヤリと涼しいが、連日熱帯夜が続く外ではまだまだ朝から日差しが厳しい。その為、会社に向かう女性達の装いは大半が薄着だ。

 男性達もスーツの上着を着る人は少なく、シャツ姿が多く見られる。よってそうした人に紛れるよう、今回招集されたBTT達のほとんどは、通勤中のサラリーマンと似た格好をしていた。

「よし、皆揃ったな。では各自、配置についてくれ」

 目立たないよう、栄太はマイクに向かって小声で指示を出すと

「了解です」

とそれぞれが返事をし、指定された場所へと散らばった。

 今日は乗り換えなどで行き来する構内の直線、約二百メートルの通路が対象地点だ。この駅では他にもぶつかり男が出没した場所があり、その中で最も多い地点二か所を日替わりで監視することとなっている。

 辰馬と栄太を含めた六名は直線通路の一番端で待機し、通り過ぎる人々の中でアプリ登録者の女性を画面と目視で確認し、把握できれば二名ずつに分かれてその前後を歩く。

 反対側通路の端までそれが続き、到達すればそこで女性と別れて次のターゲットを探すのだ。

 同じく反対側に待機していた六名も、逆側から歩いて向かう女性達を栄太達と同じ行動でマークする。つまり十二名六組が、通路を行き来するターゲットを追いかけて見守る要員だ。

 残りの十二名は六名ずつに別れ、それぞれが通路の三分の一辺りで待ち合わせをしているかのように待機し、通過する女性達や追随するBTTを見守る役目だった。

 彼らは何か起きた場合の応援部隊であり、また追随から漏れた女性達がいた場合や、登録していない人達でも被害に遭っていないか、怪しげな動きをしている輩を見つければ仲間に知らせる、などの対応も任されていた。

 こうして大きく四組に分けたのは、登録者同士で相互監視する意味合いも、実は含まれているのだ。

 また同じ場所にずっといれば不審に思われる為、それぞれ三十分程度を目安として、グループや場所の入れ替えをした。

 さらにスマートグラスで映像を撮る人員を、二十四名の内六名とこれまでより多くし、リアルタイムでの監視体制も強化した。

 よってこれまで以上に、運営者である則夫の会社における負担は、人員だけでなく費用的にも相当増したと聞いている。

 それでもこんな体制が取れたのは、基金参加者の支援の他、活動に賛同する多くの人達からの寄付や、登録者数の増加による公告収入のおかげらしい。

 特に亨先輩の会社の社員は、これまでの実績により高い効果を期待したからだろう。

 登録者の制限を緩和すると、女性はもちろん男性社員が多数参加した上、自らの通勤時間帯を早めたり、午前休などを取得してまでBTTに加わったりしてくれる社員まで現れた。

 さらに彼らは身内や友人、知人達にまで声をかけ、参加出来る人達を集めてもくれたのである。

 結果、栄太と同じく定年退職した人やフリーランスで時間に融通が利く人、駅周辺に勤める人や近くに住む人までもが参加を表明してくれた。

 よって毎日毎朝七時から八時半まで二十四名の監視体制を組むという、一見無謀にも思える行動がとれるようになったのだ。

 ちなみにこの時点ではまだ登録料は無料のままだが、今後は守られる側からだけ登録料を取る構想があるらしい。

 将来的に守る側は無料の上、ケースに応じてポイントが付与される体制を考えているそうだ。

 守られる側が痴漢などに合わなかった、または捕まえて貰ったなどと感謝した場合、守る側に投げ銭などができれば、善意の行動は単なるボランティアからポイ活に変化する。そうすることで、守る側の更なる登録者の増加を想定しているという。

 さらにはアプリ利用の応用編として、守られる側の登録者同士でトナラーを防ぐことも考えられていた。

 トナラーとは、電車や飲食店、スポーツジム、サウナ、駐車場など、周囲に空席があるにもかかわらず、あえて誰かの隣に座ったり、隣に駐車したりする人を指す。特にわざわざ女性の隣に座る男達がいた場合、モヤモヤや不快感を抱く上、身の危険を感じることさえあるらしい。

 それらの防御策として、同じアプリの登録者同士で集まるのだ。そうすれば、例え見知らぬ相手でも登録している女性同士なら安心であり、男性であればなお守って貰えると期待ができる。

 そうした出会いがきっかけで、お付き合いが始まることさえあるかもしれない。

 痴漢に限らず有効な活用方法が複数あれば、有料でも登録したいと思う人は増えるだろう。また守る側もただその場にいるだけで感謝され、運よくポイントが手に入るかもしれないと思えば、登録しがいがある。

 将来的にはそんな体制を目指そうと、則夫はしているのだ。

 こうして順調にスタートしたかに見えたBTTだったが、この日は違った。

「注意、注意。ユーチューバーと思われる集団三名を、通路D地点で発見」



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