第38話

「やあ、もう揃っているのか。ああ、思っていたより人数が多いね」

 百貨店で購入したと思われる老舗高級和菓子屋の上生菓子を手土産にし、病室のドアを開けた亨先輩がそう口にした。陽菜乃と未知留の姿もあったからだろう。

「あっ、さすが亨先輩。手土産のセンスが違いますね」

 由美がそう言いながら足早に近づき受け取ると、早速中身を覗いていた。

「有難うございます。わあ、涼しげで美味しそう。これ、高かったでしょう」

「それなりに、ね。今日は小難しい話になるだろうから、頭に糖分が必要だと思って八月のお勧めから選んだ。数は沢山あるから、三時のおやつにでも皆に出してやってくれ」

 先輩がそう言っている間に、陽菜乃と未知留が彼女に駆け寄り、同じく中身を見て喜んだ。

「わあ、本当だ。凄い! 私、クッキーよりもこっちがいい!」

「私も!」

 はしゃぐ二人に、則夫が焦りながら窘めた。

「こ、こら。栄太さんに失礼だろう。口を慎みなさい!」

「い、いいんだ。クッキーは日持ちするし個別包装されているから、持って帰ればいいさ」

 引き攣った笑顔の栄太がそう言った為、先輩は状況を理解したらしい。

「ああ、すまない。栄太君もみんながこの場で食べられる手土産を持ってきたんだね」

「い、いえ、いいんですよ。いつでもどこでも食べられる安物ですから」

「そんな言い方、すんな。みんなにと思うた気持ちだけで十分やないか。それに由美も悪い。センスがどうとか、比べたらあかん」

 そう辰馬に軽く叱られ、彼女は肩をすくめて謝った。

「申し訳ありませんでした。栄太さん。ごめんなさい。そういう意味じゃないから」

「そうそう、気にしなくていいよ。ここにずっといるから、幹部会の手土産なんて全く頭に無かった俺に比べれば、ずっとマシだよ」

と頭を掻いてそう言った準に続き、健吾が笑った。

「栄太がクッキーを用意してくれたおかげで、俺の買って来たジュースが役立つと思ったんだけどな。和菓子の甘さと被っちゃってちょっと合わないかも」

「ああ、飲み物は考えていなかったな。お茶か何か、あるかな」

「ご心配なく。辰馬さんが冷たい緑茶が好きなので、冷蔵庫にいつも用意していますから」

「それならいいね。じゃあ、後でお菓子と一緒に用意してくれるかな」

 由美が頷き、辰馬に袋の中身を見せていると、則夫が咳払いをしてから言った。

「では早速、幹部会を始めましょうか」

「おい、慌てんな。忙しい合間を縫って見舞いに来てくれた亨さんへの挨拶が先やろ。すんません。こんなええもんをぎょうさん用意してもろうて。しかも入院なんて余計な心配させて申し訳なかったです。単なる検査入院やさかい、そんな気を使わんでも良いですのに」

 先輩も当初の目的を思い出したのか、苦笑しつつベッドに横たわる彼の枕元に近づいた。

「いやいや、容態は準君から聞いたけど、酷くならなくて良かった。少し疲れが出たのだろう。無理しないで担当医の言うことを聞いて、しっかり休めばいい。大学もまだ夏休みだろ」

「すんません。明後日には検査結果が出揃うみたいで、それまでは休ませて貰います」

「ちょっと、その言い方だと検査結果に問題なければ、直ぐにでも退院すると言わんばかりだけど、そうはいかないからね」

 そう準は釘を刺したが、彼は首を振った。

「いや、おかしいやろ。検査に問題なかったら、入院しとる意味はないはずや。安静にしとれって言うだけやったら、家で大人しぃう寝取ったらええねん。しかもこんな個室におんのや。どうせ基金から払うとか言うんやろうが、出来るだけ無駄な出費は控えんといかん。ただでさえ今は外野がうるさいんや。安静にするだけで必要以上に入院なんかしとったら、また何を言われるか分からへん。揚げ足を取られるようなことはせんほうがええやろ」

 誰もが反論しかけたが、途中でもっともだと感じたのだろう。言葉を詰まらせた。 

 その様子を見た亨先輩が、彼の言葉に頷いた。

「その通りかもしれないな。誰にでも胸を張れることなら、外野がいくら騒いでも無視すればいい。だけど少しでも後ろめたいと感じる行為は、出来るだけ止めたほうが無難だろうね」

「さすが、頭が良うて話しが分かる人や。伊達に上場企業の常務になったわけやないな。せや、フェスの時も亨さんのアドバイスのおかげで上手くいきましたわ」

 説明によると、亨先輩がフェスにいく少し前に言ったらしい。六月の時と違い情報が周囲に知られた分だけ敵が多いはずで、今度の会場は不特定多数の人が大勢集まるだろうから、引く時は引かないと膠着こうちゃく状態に陥れば不利だと忠告したそうだ。

 その教えを覚えており、コンチャイズムが出て来た際にこれだと思ったという。まさしく睨み合いのまま膠着状態になったので、一旦引こうと判断したらしい。昔なら、気分に任せて力づくで押さえつけていたと辰馬は笑った。

「亨先輩のアドバイスでしたか。タッチャンがすんなり引くほど冷静だったのは意外に思っていたんですよ。でもそれだけ学んだのかと感心していましたが、そうだったんですね」

「そうか。則夫君はリモートで監視していたと言っていたね。どんな状況だったかはよく知らないが、上手くいったのなら良かった」

「いや、俺はその場でいたから分かるけど、あの引き際は見事だった。あいつらのむかつく顔とあの挑発から、撤退という頭なんて俺には全く無かったからな。でもあの状態を脱しつつ、周囲の観客を味方につけてあいつらをけん制で来たからこそ、その後の作戦が上手くいったんだ。あれが亨さんのアドバイスだったとは。恐れ入りました」

 栄太が頭を下げる理由が良く理解できなかったのか、亨先輩は慌てていた。

「おいおい、悪い気はしないが、どんなアドバイスも聞いた本人が本質を理解して対応しないと意味はない。褒めるべきは上手く活用できた優秀な辰馬君だろう」

「そんな、謙遜せんでもええやないですか。常務のおかげですって」

「辰馬君、それはもしかしてイジっているのかな」

「あっ、バレてもうた」

 辰馬がおどけて舌を出し、笑いが起こり場は和んだ。

 そこで改めて則夫が発言した。

「ではフェスの一件を解決に導いた軍師も揃ったところで、幹部会を始めましょうか。議題は先程話題に上がった、タッチャンを中心とした情報が拡散した件の対策についてです」

「対策は弁護士がやっているんだろ。誹謗中傷者への削除要請や、情報開示請求して法的処置を取ればいい。ああ、基金参加者が有志を募って、デマや間違った見解などに対してはしっかり反論してくれているようだな。あれも則夫が音頭を取っているんじゃないのか」

「いえ、栄太さん。あれは僕じゃないです。顧問弁護士への依頼はしているけど、恐らくCMTに参加できない、主に関西在住の人達が自然発生的にやっているのだと思います」

「あっ、それって多分、若也さんのお父さんじゃないかな」

 未知留が口をそう挟むと、彼は急に不機嫌な顔をした。

「おい、何故お前がそんなことを知っているんだ」

「何よ、怒らなくてもいいじゃない。この間、学校の部活帰りに友達と途中下車した時、駅の構内でばったり会ったの。私とかお姉ちゃんの顔写真とかも拡散されていたでしょ。それを心配してくれたみたいで、ちょっと話をしたんだ。その時、そんなことを言っていたから」

「元也のことだよな。あいつ、息子の連絡先なんて知らなかったはずだろう」

 栄太がそう尋ねると、彼女は首を振った。

「そうでもないみたい。六月に痴漢を捕まえた後、私達の動画がアップされたでしょ。あれで若也さんの居場所をお父さんが知ったみたいで、しばらく経った後、駅に電話が掛かって来たらしいの。それから少し連絡を取り合うようになったって聞いた」

 そこに陽菜乃が話題に加わった。

「それ、私も聞いた。フェスの時、若也さんも来ていたじゃない。お父さんから少し複雑な親子関係の事情があるって教えられていたから、どうしてCMTに参加したのかって質問したの。しかも電車とは関係ないフェスにまで応援に来るなんて、不思議だったから」

「ほう。それで何て言っていたんだ」

「昔、父親が家族に対してやった行為はまだ許せない部分はあるけど、辰馬さん達がやろうとしているCMTやMMTの活動には賛同できるからだって。あと、六月の件をきっかけに父親と話すようになって、自分はバカだったからどう思ってもいいけど、辰馬さんは凄い人だから、折角持った関わりを大切にしろって散々聞かされたとも言っていたかな。それで辰馬さんを尊敬するのと同時に、父親のことも少し見直すようになったらしいよ」

「若也がそんなことを言うてくれとんのか。元也にも、礼を言うとかんとあかんな」

「それで今回のフェスの件が起きて、若也さんも色々書き込まれるようになったでしょ。あれを見た彼のお父さんが怒ったらしく、色々反論の書き込みをし始めたらしいよ」

「それで元也は自分だけじゃ手が足りないから、関西にいる他の奴らに声をかけたんだな」

 栄太がそう納得しかけたが、則夫がそれを否定した。

「いや、それだけじゃないと思う。タッチャン達の過去に関して注釈を入れたり、応援のメッセージを書き込んだりという動きは、六月の痴漢事件以降から既にあったんだ。内容からは明らかに、元魔N侍のメンバーやタッチャンに助けられた人達のものだよ。多分元也さんは、今回のフェスをきっかけに始めただけじゃないかな」

「俺もそう思う。ただここ最近、味方になってくれているアカウントが一気に増えたのは確かだ。新しく作ったばかりのものが多いから、これまでSNSを使っていなかった還暦過ぎのメンバーや辰馬のファン達が、応援に加わったのかもしれない」

「白海さんも調べていたんだ。実は六月にタッチャンの活動が広まった後、関西でもCMTを作ろうという動きがあって、アプリの導入に関して問い合わせを受けたんだよ。まずは基金参加者から始めたいってね。だけどまだ色々課題があったし、範囲を一気に広げるのは時期尚早と社内でも判断されて、僕は断ったんだ」

「誰がそんな問い合わせをしてきたんだ。元也じゃないんだよな」

「うん。栄太さんも良く知っている人だよ。連絡をしてきたのは、あの田端さんの息子さん」

「は? た、田端って今こっちのCMTにいる、六月の騒動の時にもいたあの田端か」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る