第35話

「いよいよだね。会場の熱気が最高潮に差し掛かったここで、必ず動きがあるはずだ」

 則夫がそう呟くと、辰馬が反応した。

「おう。仕掛けて来るんなら、ここやな」

 誰もが知っているだろう、ドラマの主題歌にもなったテンポのいい曲が流れ出す。観客は大声を出しながら飛び跳ね、周囲の客と体当たりする、いわゆるモッシュと呼ばれる行為がそこかしこで見られた。

 陽菜乃達もつられたように飛び跳ね、友人達やすっかり仲良くなった女性社員達と体を寄せ合っていた。

 しかしその前後を挟むように配置されたCMTは、彼女達に背を向けている。辰馬や栄太達の指示なのだろう。

「そうか。この騒ぎに乗じて、あいつらの仲間か誰かが絡んでくると睨んでいたのね。確かに今だと、盛り上がり過ぎてぶつかったのか、わざとなのかは分かり難いかもしれない」

 由美がそう理解したところで、これまでにない怪しげな動きをする集団が映像に映った。それまで辰馬達の近くで陣取っていた観客達を押しのけるように、飛び跳ねてはぶつかる行為を繰り返し、徐々に近づく人達がいたのである。

「来た。舞台に向かって左後ろ、八時の方向からだ。まずは後ろの四人で防御して」 

 気づいた則夫が現場に注意を促すと、辰馬が反応した。

「ああ、俺も見えとる。さっきの奴らじゃないようやけど、ありゃあ仲間か」

「多分そうじゃないかな。あいつらもさっきまでいた場所から、だんだんそっちに移動している。何度か誰かと連絡をとっていたようだったから、間違いないと思う」

「自分らとは別の奴らに、俺らをけしかけて揉めとる所を動画で撮るつもりやな。それで俺らが暴力でも振るおうもんなら、ここぞとばかりに私人逮捕でもするつもりなんやろ」

 やり取りをしていた辰馬に続き、栄太が周囲の歓声にかき消されないよう、大声を出した。

「そうはさせるか。おい、聞こえとるか! 準備はええな! 絶対、あいつらは止めとけよ! それから、こっちの奴らを挟み撃ちや!」

 興奮して関西弁になった彼の指示を聞いて、いくつかの応答が返って来た。

「こちらA班。今、移動中の三名を停止させました」

「こちらB班。八時方向の五名からなる集団を捉えました。後ろから追跡します」

「こちら本部。待機中だった警官三名が、警備スタッフに同行してそちらに向かっています」

「よっしゃ。他に仲間はおらんか」

「こちらC班。二時の方向にも、そちらへ向かう集団を発見。彼らも仲間と思われます」

 辰馬達を狙う奴らは他にもいたようだ。

「おお。そっちも止めとけ。向こうも二方向から挟み撃ちにするつもりやったようやな。そんなもん、お見通しや。せやけど油断すんな。他にはおらんやろな」

「こちらD班。十二時方向には、現在動きはありませんが、引き続き監視します」

「こちらE班。後方六時方向にも動きはありませんが、引き続き監視します」

 次々と入る報告に、由美は目を丸くしていた。

「何? そんなあちこちで、辰馬さん達を囲んでいたの?」

「特別に配置した訳じゃない。ただ点在する会場スタッフで、タッチャン達に一番近い前後左右の四か所にいる人達に、不審な観客がいたら報告するようお願いしていただけだよ」

「だけど警官が来るとも言っていたよね。待機させていたの? いつの間に?」

「当麻さんが、そっちの画面を監視してくれている時だよ。僕は運営側とコンチャイズム対策をしていたからね。彼らが明らかに違法な撮影をした証拠を、監視しているスタッフの撮った映像で確認できたからさ。いつでも身柄を確保できるよう、待機して貰っていたんだ」

「あっ、そうなの。でもそんなのがあるんなら、どうしてすぐ捕まえなかったの」

「泳がしていたんだ。このまま三人を捕まえただけだと、仲間を逃がしてしまうからね。身柄を確保するなら一網打尽にしたほうが、今後の為にもいいでしょ。これは僕の考えじゃない。栄太さんとタッチャンが相談して立てた作戦を、運営側に伝えて了承を得ただけだから」

 いつの間にそんなことをしていたのかと由美が呆気に取られた表情を浮かべている間に、栄太のスマートグラスの映像が、明らかに彼らを狙い突撃してくる姿を捉えた。

「お前らも跳べ! ガードや!」

 最も背が高い辰馬が叫び壁となり、飛び掛かって来た男達とぶつかり立ち塞がる。

 右横に栄太と素早く戻っていた若手警官二名、左横に男性社員二名と若也ら駅員組が並び、八名で五名の男達と対峙した。

 残る竜と看護師の二名は、陽菜乃達女性陣五名に寄り添っている。

「な、なんだよ」

 ノリに紛れてぶつかったが、辰馬達に跳ね返され、立ち止まざるを得なかったようだ。

「それはこっちの台詞や。お前ら、どさくさに紛れて俺らに喧嘩でも売るつもりやったんか」

 大地を揺さぶるような辰馬の重低音が、熱狂する周囲の騒々しい声にかき消されることなく、見下ろされていた彼らの頭上に振り注ぐ。

 蛇に睨まれた蛙のごとく、何も言い返せずにいた五名に対し、栄太がおどけて言った。

「残念だけど、あんた達の仲間のコンチャイズムは、向こうで足止めされているから、こっちの様子は撮影できないよ。ちなみに俺達はしっかり撮影しているけどね」

 目を見開き遠くに視線を泳がせた彼らに対し、辰馬がさらに追い打ちをかけた。

「何を見とんのや。反対側から来る予定やった、あんたらの別の仲間やったら来ぉうへんぞ。あっちも会場スタッフに足止めを食らっとる。嘘やと思うたら連絡してみい」

 一人がスマホを取り出し、慌ててメールを打つ様子が写った。しばらくして返事が返ってきたようだ。それを目にして事実だと理解したらしい。

 他の男達に伝え、どうするんだと動揺を隠せないでいる彼らだったが、その背後から声がかかった。

「ちょっとすみません。会場スタッフの者ですが、あなた達、先程から周囲の方達に激しく体当たりしながら人を押しのけ、こちらの方達に近づいていたようですね。何人もの方から苦情を受けております。迷惑行為なので、我々の事務所にちょっと来て頂けますか」

 振り向いて驚く彼らは、警備腕章を付けたスタッフがいつの間にか十人ほども集まっている状況に気付いたようだ。

 彼らは抵抗を示そうとしたが、

「さっさと出てけ!」

「邪魔なんだよ!」

という周囲の怒声に怯み、これ以上この場に居たら自分達の身が危ないと悟ったのだろう。大人しくスタッフの誘導に従い、彼らは退場して行った。

 その後ろ姿を見送った栄太達に、別画面を見ていた則夫が伝えた。

「二時方向にいた集団も、スタッフ達が事務所へ連れて行ったからもう大丈夫です。コンチャイズムのほうはまだ抵抗しているようだけど、時間の問題だと思う」

「そうだろうな。連絡していた奴らを聴取してスマホの中身を確認すれば、迷惑行為を目論んでいた証拠が挙がるはずだ。そうなったら言い逃れは出来ない。向こうは警察もいる。他の観客に対して意図的に衝突するよう仕向けたと分かれば、少なくとも迷惑防止条例違反で逮捕し、身柄拘束ができるからな」

 条例は自治体ごとに様々だが、迷惑防止条例はたいていどこでも定めている。

「盗撮などの映像がスマホから見つからなかったとしても、粗野または乱暴なぐれん隊行為として認定できますよね」

 例えば東京の迷惑防止条例の中では、

ー 何人も、祭礼または興行その他の娯楽的催物に際し、多数の人が集まっている公共の場所において、ゆえなく、人を押しのけ、物を投げ、物を破裂させる等により、その場所における混乱を誘発し、または助長するような行為をしてはならない ーとある。

 彼らの行為がこれに当たると警官が判断すれば、逮捕は可能なのだ。 もちろん奴らにも言い分があり、不当逮捕だと反論するだろう。しかし取り敢えずは会場から締め出し、辰馬達から遠ざけさえすれば作戦は成功だ。

 彼らの処罰が目的ではない。取り調べによって処分なく釈放されるか、検察に送致されるかは警察の判断次第である。送検できるだけの証拠を彼らが残しているかどうかだが、それが問題ではなかった。

「ああ。起訴されれば、これに懲りてしばらくは大人しくするだろう。だが釈放された場合、どう出て来るかだ。それにあの手の輩はあいつらだけじゃない。例えコンチャイズムが逮捕されたとしても、意趣返しの為に別の集団が絡んでくる可能性は高い。今回も彼らの主義主張に賛同する仲間に声をかけ、俺達を狙ったようだからな」

 大きな溜息をつきながらそう言う栄太に、辰馬は首を振った。

「まだ起っとらんことを、今心配してもしゃあない。まずは陽菜乃ちゃん達に最後まで楽しんでもろうて、無事家に帰すことや。その後のことは、終わってから考えたらええ」

「そうだね。もう次が最後の曲だけど、会場を出る時やその後の帰りの電車も混雑すると思う。まだ気は抜けないだろうけど、お願いします」

 則夫はそう同意し、栄太も頷いた。

 こうして一騒動が片付き会場を後にした彼らは、陽菜乃達を問題なく帰宅させて解散した。

 しかしその後、栄太が危惧していたことだけでなく、新たな問題まで勃発したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る