第33話
そうした会話を耳にした由美が、則夫に向かって小声で囁いた。
「これ、健吾さんが言っていたSNSの件だよ。思っていたより広まっているみたい」
「そのようだね。これはやりにくくなるな」
もし本物のコンチャイズムなら、辰馬達は格好の餌食だ。確か、電車内で痴漢らしき男を見つけてはつけ回し、触った証拠もないのに捕まえて駅員に突き出すという映像をアップするなど、悪質で有名な奴らである。
則夫は頷きながらそう説明すると、彼女は驚いた。
「ええっ、それって冤罪だよね。そんな動画を上げたら、捕まってもおかしくないでしょ」
「実際警察から警告を受けたらしいよ。でも肝心なところをモザイクでぼかし、視聴者にはさもやったように見せているから、一部では相当支持されているようだから厄介なんだ」
痴漢を憎む人達にとっては例え嘘でも、痴漢抑制に繋がる行動だと思うからだろう。
「前にもそんな話をしていたわね。須和君、あんなユーチューバーの動画を見ているの?」
「別に見たかった訳じゃなく、こういう問題が起きるかもと思って調べただけだから」
二人が会話している間も、現場では睨み合いが続いていた。運営側は迷惑行為と判断し、事務所での聴取と撮影された映像に問題がないかを確認させろと主張している。
だが彼らは受け入れず、無理やりにでも連れて行くなら暴力だと騒ぎ立て、周囲にいた一部の無責任な観客による声援を味方に付け、一切動こうとしなかった。
腹を立てつつ動きが取れない栄太は焦れていたが、辰馬が平然と前に出て口を開いた。
「ちょっと冷静に話そうやないか。まず君らが迷惑行為をしとると運営側が判断したのが発端やったな。そんなこと、してへんちゅうのがそっちの言い分か」
「そうだ。してへんっちゅうのが、俺達の良い分だよ」
通称コンチャンと呼ばれる近藤が、関西弁をからかうように答えた。
「お前、誰に向かって口を利ぃとんのや」
思わず興奮して関西弁になった栄太だったが、それを宥めた辰馬は続けた。
「そうか。せやけど実際こうしてスタッフや俺らと揉めて、周りの人らに迷惑をかけとるのはホンマやろ。どうや、みんな。こんな目の前で大声を出し、スマホで撮影されて騒がれとったら、演奏なんて聞けへんのとちゃうか。高い金を払って来たんやろ。
周囲を見渡しながらの問いかけに、多くは頷いていた。だが声を上げる者はいない。下手に彼らを敵に回せば、今度はいつ自分達が的となり被害に遭うか分からないからだろう。
しかしその無言の抗議は、間違いなく伝わったようだ。その証拠に近藤が舌打ちをした。
それを見た辰馬が笑って言った。
「どうや。あんたらが許可もなく動画を撮っとるせいで、表立っては非難出来へんようになってもうとるが、迷惑をかけとるのは確か見たいやな。あんたらだって演奏を聞きに来たんとちゃうんか。それとも、俺らのような奴らを見つけては動画を撮り、金を稼ぐのが目的やったんかのう。それやったらスタッフが言うまでもなく、ここから退場せなあかんわな。そやなかったら、ここに集まった音楽を愛する皆の迷惑や」
「それは違う。俺達だってフェスを楽しみに来たんだ。動画を回しているのは、不当な理由で中身を検閲し削除しようとする横暴を許せなかっただけだろ」
「ほう、そやったらこっちのスタッフが勇み足やった、ちゅうことやな。そんなら今回はイエローカードってことにしといたろか」
「ち、ちょっと、辰馬。そんな勝手なことを言ったら駄目だって」
慌てる栄太を、彼は再度宥めながら反論した。
「待て。そんなこと言うても、このまま睨み合いが続いとったら、他の客に迷惑がかかるばっかりや。運営側の本部の人らも、そう思わんか。会場から追い出すか、事務所に連行できる決定的な証拠があるんなら別やが、それが無いんやったら一旦引くのも手とちゃうか」
その主張を受け入れたらしく、マイクに音声が入った。
「こちら運営本部。了解しました。厳重注意をした上で、一旦引き上げて下さい」
「ほう。話の分かる偉いさんがおるようやな」
辰馬は感心していたが、栄太と若い警官や会場スタッフ達は腑に落ちない顔をしている。
だがそんな周囲を無視して彼は続けた。
「あんたら、良かったな。取り敢えず今回はイエローカードだけで済んだみたいや」
「何がイエローカードだ。俺達は何もしてない」
肩透かしを食らったからか相手はまだ反抗したが、それを一喝した。
「やかましや! お前らも、周りの反応をみたやろ。皆迷惑しとんのや、大人しうしとれ!」
今度こそ辰馬の迫力に押され沈黙した近藤に対し、彼はさらに告げた。
「今回は見逃したる。せやけど次に騒いで迷惑かけたら容赦せん。非番中の警官やなく、勤務中の警察を呼んで速攻逮捕したってもええんや。ええか。もうお前らが有名なユーチューバーやと、周りは知ってもうとる。私人逮捕系を名乗るんなら、注意される側やなく注意する側になれや。そんなこともせんと勝手しとったら、今度はお前らが動画を撮られて拡散されるやろ。それこそ逮捕されたら、お前がさっきスタッフを脅したように、顔を晒されて人生終いや。その覚悟があるんなら騒いどれ。俺らを的にするのもええ。相手になったる」
ドスの利いたセリフに彼らだけでなく、周囲にいた観客までもが表情を固まらせ沈黙した。
辰馬が背を向けてその場を立ち去ろうとした為、栄太が慌てて後をついていく。
その後ろ姿に向け、最後のあがきなのか、近藤が叫んだ。
「おい、逃げるのか!」
しかし彼は振り返らず遠ざかりながら右手を上げ、人差し指をクイクイっと曲げただけで何も言わなかった。恐らく、用があるならお前らが来い、との挑発だろう。相手も理解したのか、それ以上言葉を続けることはなかった。
会場スタッフ達も本部からの指示で一旦引き上げたようだ。相手から姿が見えなくなるまで離れたことを確認した栄太が、辰馬に声をかけていた。
「さっきはすまん。つい頭に血が上って、挑発に乗るところだった。だけどよくあんな冷静な判断ができたな」
「まあ昔の俺やったら
「確かに。でもこのままあいつらを野放しにしておくのは、どうにも
「いや、野放しにはせん。あいつらに面が割れとらん奴と入れ替わって、監視させる。確か故障した場合に備えて、栄太らがつけとるスマートグラスの予備があったやろ。則夫、聞ぃとるか」
「うん。聞こえているよ。そっちも映像が取れるようにこっちの回線と繋げて、それで誰かにあいつらを監視させるんだね。了解」
「おお、さすが話が早い。頼むわ。おい、誰が予備を持っとるんや。則夫の指示通りに操作して、使えるようにしといてくれ」
「なるほどな。だけど誰に監視させるつもりだよ」
予備を所持しているのは若い警官の一人だ。しかし辰馬達を含め、彼らの顔は相手に知られてしまっている。
とはいえ危険を伴う役目を竜や看護師、または若也と若い駅員にさせるのはまずい。亨先輩の会社の社員には、優先的に守るべき女性同僚がいるから尚更だ。
どう答えるかが気になり、則夫は由美と共に聞き耳を立てていると辰馬が言った。
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