第25話
乾杯、と口々に発声し、それぞれの飲み物で喉を潤す。その後、いつの間にか席についていた未知留が頭を下げた。
「一学期は、本当にお世話になりました。有難うございます。二学期からどうなるか分かりませんが、父の開発したアプリともども、今後も宜しくお願いします」
「立派な挨拶や。色々あったけど、未知留ちゃんの活躍もあっての活動やから。お疲れさん」
辰馬にそう言われ、娘に次いで則夫も頭を下げた。
「そう言われると嬉しいな。本当に色々あったけど、おかげで登録者も増えたし、アプリの課題や改善点が明らかになって開発が進みました。現場で活躍したCMTはもちろん、後押ししてくれた亨先輩を始め、幹部会の皆さんにはお世話になりました。有難うございます」
「固いよ、則夫。だけど亨さんの声掛けがあったのは、確かに大きかったな」
「そやな。栄太の言う通り、助かりました。有難うございます」
「おいおい、やめてくれよ。辰馬君や栄太君を始め、CMTのみんなが痴漢を捕まえた際の対応が良かったからじゃないか。私は君らに賛同した社員の声を聴いただけだ」
「それにしても、痴漢を捕まえた正義感溢れる若者の一人が亨さんの会社の社員だったなんて、偶然とはいえ不思議な縁だよな」
後で事情を知ったがその通りだ。痴漢逮捕を機に、その後の活動が一気に活発になったと言える。その理由の一つが、勇気ある若者の賛同と参加だった。
「そうそう。栄太さんに言われて、僕が彼に活動の説明をして連絡先を確認したんだよね。それでアプリを導入してくれたんだけど、そこから彼が会社の人達に広めてくれたのは有難かった。おかげで登録者が一気に増えたのも嬉しかったな」
「私も驚いたよ。CMTの活動は事前に聞いていたが、ある日突然社内で評判になったんだからね」
情報や意見交換等で使われる社内限定のSNSに、その彼が書き込みをしたという。それが一気に拡散され、やがて一般のSNSにまでも載せられた。すると、いいね、が何万もつくほど話題になったのだ。痴漢被害への世間における関心の高さが、そこに現れていた。
将来的には辰馬周辺の賛同者以外にも展開したいと考えていたが、こんなに早く実現するとは想像しておらず、則夫にとっても嬉しい誤算である。
「あの時、俺とは別に痴漢騒ぎの様子をスマホで撮影していた奴が、そのバズリに乗っかって動画を乗せただろう。それがさらに拍車をかけたんだよな」
「初めは大変だったよ。社内の誰が関わったのかと、役員会の議題にまで上がったからね」
「でも常務の亨先輩が、社内の騒ぎを収めてくれたんですよね。それだけじゃなく、CMTの活動に積極的に参加するよう、口添えしてくれたそうじゃないですか。その後押しがあったから賛同者が増えたと、最初に登録してくれた彼から僕は聞きましたよ」
則夫の言葉に、彼は頷いた。
「そういう面もあったかもしれないが、無理やり登録させた訳じゃない。社員の自発的な参加意識があってのことだからね。ただ保険会社っていうのは、女性社員の比率が結構高い。当初反応が良かったのは、守る側じゃなく守られる側だった。それに促された男性社員の登録者が増えたらしいよ。女性社員を敵に回したら、仕事がやり難くなるからだろうね」
「守られる側の女性社員が男性社員に登録するよう迫ったというのは、思いがけない動きでしたよね。うちの会社もそういう面があるのかな」
健吾の呟きに、心の中で賛同した。彼や則夫のような新興のIT企業は、亨先輩の会社と違い在宅ワークが多い。よって通勤で困っている人はそれほどでもなかった。
けれど痴漢に困っている女性は少なくない。それに昔ながらの男社会ではないので、力関係から考えると他業種より女性の発言力が比較的大きいからだろう。未知留の学校や基金参加者以外にも登録者を拡大したところ、似た行動が見られたからだ。
「私達みたいな学生だけじゃなく、社会人になっても痴漢に悩んでいる女性が多いからですよね。その声に押されて、男性の社員さんが見守る側で登録しないといけない空気が出来たというのは、少し面白いけど良いと思う。あの時みたいに、いざとなれば捕まえてくれる男の人がいると分かっていたら、すごく安心だもん」
「そうだね。ただ未知留ちゃんは実際、あの場にいたから知っていると思うけど、警察や駅員達に理解されるまでが大変だったよな。こうして世の中に知られたおかげで、今後は楽だと思うが。あの後、警視庁刑事部や生活安全部に呼ばれて、俺からも再度説明しておいたし」
「だけど色々問題も発覚したよね。スマートグラスでの撮影は、グレーだと言われたでしょ」
「いや、それは確かに俺も上から指摘されたけど、おかしな話だよ。別に下着とかを撮っていた訳じゃないから、
体の性的な部位や下着などを相手の同意なく撮影してはいけないという、最近施行されたばかりの法律だが、CMTが撮影している映像は本来、無関係なのだ。 辰馬が当時を思い出したのだろう。
「警察っちゅうのは、ほんまに頭の固い奴らが多いで」
と怒り出した。それを則夫は苦笑しながら宥めた。
「あの時は六月に衣替えをしたばかりだったから、タイミングが悪かったんだよ。下着じゃなくても、薄着になった女性の胸や二の腕などを撮影していたんじゃないかと疑われたってしょうがなかったと思うよ。あの痴漢達も、結局そういう時期を狙っていたんでしょ」
学校などが始まった春に続き、薄着になり始める六月からも痴漢は増えるという。そういう女性が目の前に現れると、触りたいという欲望や衝動にかられやすくなるらしい。
ただ六月に起きた件では、明らかに痴漢を常習とするグループでの犯罪だと分かった。各人が持つ携帯を確認したところ、事前のやり取りが残っていたという。
言い逃れが出来ない為に三人共連行され、揃って逮捕された。痴漢は現行犯でないと駄目だが、スマホにいかがわしい映像も残っていたと聞く。
だからだろう。それらを駅事務所で確認した際、栄太がつけていたスマートグラスでも、そうした映像がないかと念入りに調べられたのだ。
もちろんそんなものは写っておらず、痴漢が起きた前後のやり取りを含めた音声などと一緒にデータを警察へ提出した後、しっかり削除するよう促されたのである。
本来はそこまでする必要はなかったが、則夫は今後のことを考え指示に従った。しかも警察は会社にまで来て、そうした作業を確認していったのだ。
「お前はホンマ、人がええ奴やな。警察のやつらには、嫌な目に遭うとるのに」
「しょうがないよ。警察だって仕事だからね。それにあの人達に色々指摘されたから、問題点があぶり出されたんだから。アプリ開発の改善の為には、良い経験だったと思うよ」
「そうだな。登録者がそれぞれ位置情報を確認できるのは便利だが、リスクも伴う。だからうちの会社では勝手に希望者全員が登録するのではなく、ある程度路線を限定して参加希望の社員を絞った上で、個人情報も把握できるようにさせたんだ」
「そこだよね。登録希望者が多いのは有難いけど、一気に増え過ぎたら対応しきれないから」
「
登録者の中で、痴漢をする人が紛れていないとは限らない。守られたいと思い登録した人達が守る側に痴漢されたとなれば、それこそ信用問題だ。普及どころか、痴漢の手助けをする危険なアプリと認識されかねず、CMTの活動自体が危うくなってしまう。そんな自体に陥れば、折角辰馬の思い付きから始まったこれまでの成果が全て水の泡だ。
亨先輩の会社の役員会でもそうした話が出た為、登録者の範囲を限定させたと聞いている。これらの点が今後の課題だ。今日集まったのも、これからの活動に向けてそうした問題点を話し合うのが目的だった。 そこで由美が発言した。
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