第24話 第5章 夏の活動―則夫

 日中の最高気温が三十五度を上回る猛暑日が続く七月最後の土曜の夕方、辰馬と由美が揃って則夫の家に来た。リビングから移動し玄関先へ出る。

「今日はお招きを頂き有難うございます」

 そう頭を下げた由美が、買って来た手土産を、後ろについて来た未知留に手渡した。

「気を使わなくていいのに。でも有難う。どうぞ、中に入って。タッチャンもどうぞ」

「おう、ありがとうな。最近、変わりはあらへんか」

 靴を脱ぎ上がった彼にそう尋ねられた未知留は、並んで歩きながらニコッと笑い頷いた。

「うん。別に何も。夏休みに入っちゃったから、久しぶりだね」

「そうやな。でも学校には時々行っとるんやろ」

 一学期が先週で終わった為、辰馬達CMTが同行せずに良くなったから聞いたのだろう。

「そう。部活で週三回ね。だけど朝のラッシュ時じゃないから、全然大丈夫」

 未知留はそう答えたものの、則夫の開発したアプリを導入している生徒達は、CMTがいない夏休み中でもそれぞれの位置を確認し、学年が違っても同じ電車に乗っている子がいれば集まるようにしていると聞く。

 六月に起きた痴漢逮捕の件でCMTの活動の有効性認められ、彼女達の学校では評判が一気に広がったからだろう。特に被害に遭った女生徒が、どれだけ頼もしく有難かったかを熱く語ったからだという。その為まずは一年生の中で一気に拡散され、そこから上級生へと波及したらしい。よって今では、全校生徒の五割以上がアプリを導入してくれていた。

 バージョンアップさせたアプリでは、登録者同士の位置情報が画面上で分かる。その為、自分が乗った電車に登録者、今回の場合では主に同じ学校の生徒達がいるかを確認できるようになった。

 またCMTのような守る側は青、守られる側が赤と色分けもされている。今は画面上赤だけだが、それでも仲間と集まるだけで心強い為に使っているそうだ。未知留が乗っている路線以外の利用者も、学年やクラスの垣根を超えて集まっているらしい。

 そうした波及効果もあってか、学校内での雰囲気も良くなっているそうで、苛めといった問題が少なくなったとも耳にした。それが本当なら思わぬ副産物だと、辰馬は喜んでいた。

「そうか。そうやったらええわ。みんなで仲良く声を掛け合っとれば、安心やからな」

「うん。タッチャン達やお父さんのおかげだよ」

 そう言って台所にいる母親の元へ走って行き、由美に貰った手土産を見せていた。その後ろ姿を見ながら、則夫は思わず呟いた。

「俺じゃないよ。全部、タッチャンのおかげだ」

「何を言うとる。お前が苦労して、あんな便利なアプリを開発してくれたんやろうが」

 辰馬はそう褒めてくれたが、首を振った。

「それもタッチャンが未知留の悩みに耳を傾けて、痴漢から守る為にと実際動いたからだよ。それが無かったら、あのアプリの開発をここまで進められなかっただろうし、あの子が俺を見る目も変わらなかったと思う」

 すると由美に背中を軽く叩かれた。

「私は子供を産んで育てた経験がないけど、教師だった時の経験からいえば、あの年頃の子と父親の関係って難しいからね。だけど良かったじゃない。父親の威厳いげんが守られて」

「威厳なんていらないよ。でも認められたのは少だけ嬉しいかな」

 そう答え照れを隠しながらリビングに入ると、栄太と準、亨先輩がこちらを向いた。夏休みに入りCMTの活動が一段落した為、今日はその慰労と今後の活動方針を話し合う会を兼ね、則夫の家に集まっていたからだ。

 辰馬の基金に寄付をし続け、目覚めた後も彼の活動を助けてくれている人達で構成した幹部会は、こうして不定期に開かれている。

「おお、辰馬。由美もお疲れさん」

 栄太にそう声をかけられ、少し遅くなっちゃいましたね、と由美が頭を下げた。「いや、そんなことないよ。俺達が早く着いただけだから。健吾達もまだだし」

「咲季も来るんだよね」

「そう聞いているけど」

「亨さん、いつもすみませんね。誠は元気にやっとりますか」

「ああ、元気だよ。この間もシニア連中と、車椅子テニスを楽しんでいた位だから。最近は辰馬君に負けないようにと、少しずつだが運動するようになったからね」

「そう言えば、準。辰馬の定期通院の診察で、お前は全く診てないのか」

「うん、最近は大体、竜に任せている。もうリハビリはほとんど必要なくなって安定もしているし、脳波の確認だとか一定の検査の繰り返しだからね。だけど世界が注目しているまれな患者のデータだから、海外からの色んな問い合わせといった対応は俺がやっている」

「そや。竜には世話になっとる。あいつはええ医者やで」

「まだまだ。でもタッチャンの診察と俺の補助だけでも、十分勉強になっているとは思う」

「それはそうだよな。脳医学の中でも第一線にいるんだ。国内はもちろん、世界から注目されている研究に携われる機会なんて、そうないだろうからね」

 十人以上はゆったりと座れるソファに腰を下ろした面々が、それぞれ雑談を始めた。

「こんばんは、辰馬さん。由美さんもお疲れ様です」

 キッチンから料理を持って出て来た陽菜乃がそう挨拶すると、辰馬が応じた。

「おう、こんばんは。そっちも大学は夏休みに入ったんか」

「うん。辰馬さんもそろそろ休みでしょ」

 テーブルに皿を全て並び終え、そのまま腰を下ろした陽菜乃との会話が続いた。

「そうや、来月からな。陽菜乃ちゃんは二年やったっけ。それにしても、大学ちゅうのは色んな奴がおんな。俺みたいなじいさんも珍しいけど、引けを取らんくらい変わったのがおる。友達っちゅうほどやないけど、会うたら話かけてくる学生仲間は結構できたで」

「そうなんだ。だけど辰馬さんらしいかも。今だって昔からの友達が多いもんね」

「ああ、俺は人に恵まれとる。そうや、今年で二十歳やったやろ。酒は飲めるんか」

「誕生日は来月。だから今日はまだ飲めないの」

「ちょっとは良いだろうよ」

「こら、栄太。警察OBがそんなこと、言うたらあかん」

「ああ、すまん。でも実は、少し位は飲んだ経験があるんじゃないの」

「お父さんに叱られるから、ノーコメント」

 陽菜乃は笑顔で栄太の投げかけを拒んだ。その口調から、少しはあるなと思い苦笑した。そんな則夫も大学に入って早々、新歓コンパなどで飲まされた記憶がある。昔は今ほどうるさくなかったから、急性アルコール中毒で運ばれる学生など、そう珍しくなかったからだ。

 しかし健康や安全面を考えれば、厳しくなった今のほうが正しいし良いのだろう。

 そうこうする内にチャイムが鳴り、一人で迎えに出てくれた未知留に付き添われ、健吾が顔を出した。

「遅れて申し訳ない。ちょっと出かけに色々あって」

 頭を下げながらそう言ってソファに腰を下ろした彼に、由美が尋ねた。

「あれ、咲季は来なかったんですか」

「うん。来る予定だったんだけど、急に行きたくないって言いだして、それで揉めたんだ。いや、大した問題じゃないから気にしないで。よくある家庭内の、ちょっとした喧嘩だから」

 そう言われ、それ以上深く聞けずに彼女が黙った為、気を取り直そうと則夫は口を開いた。

「では全員揃った事だし、料理を食べながら始めようか。各自、グラスを持って下さい」

 皆が従い座り直し、準備した様子を見て音頭を取る。

「今年度四半期余りの活動の慰労と今後の会の発展を祈って乾杯!」

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