第21話

 辰馬達がどんな奴かを知り、怒らせた時の恐ろしい姿を見たのは、生徒達の中だと三月の謝恩会にいた未知留だけだ。

 栄太達にしてみればあれもほんの一部に過ぎず、また今日は相当声を抑えた憤りに過ぎない。それでも彼女達は、彼が発した強烈な気を感じ取ったようだ。

 これ以降、未知留の元に集まった女生徒達が車内で煩く騒ぐことはなくなった。恐らくCMTは頼りになるが、かなり怖い集団だと知れ渡ったらしい。

 あの後、未知留の元にはどんな人達かを詳しく教えて欲しい、と何人かが尋ねてきたという。そこで辰馬が長く昏睡状態に陥っていた事やそうなった経緯に加え、元暴走族総長とその仲間に加え、かつて苛めなどで助けられ恩義を感じている人達の集まりだと説明したようだ。

 その影響か、以前より寄って来る人数が若干減った。怖いと思ったのか、大きなトラブルに巻き込まれることを恐れたのかもしれない。

 しかしそうした件を話題にすると、辰馬は言った。

「それはしゃあない。集まるのも離れていくのも自由や。強制するもんとちゃうからな」

「そうだな。まあ、元々は未知留ちゃん一人で始めたことだ。同じ想いをしている子がいるなら、少しでも多く助けたいと思っただけだし」

「そうや。俺らが痴漢より怖いと思われたんやろ。ええ勉強になったわ。せやから今後は気を付けなあかん。当然昔のようにはいかんし、ここは四十年前の羽立やなく東京なんや」

 だがそれから数週間ほど経った、六月初旬に事件が起こった。辰馬と栄太を含め、CMTが八人いた時だ。

 その日は早朝に人身事故が起こり、未知留達が使う路線が一時運休になっていた。幸い六時半過ぎには動き出していたが、乗車できなかった人達がホームに集まっていたからだろう。その影響で、どこもかしこもがごった返していた。

 電車は次々とホームに到着し、多くの人を乗せ発車していく。ただ朝のラッシュ時に便が少なくなった分、当然一本の電車の乗客人数は増える。その為とてもではないか、いつもの七時十五分発には乗り込めなかった。到着した時点で、ドアについているガラス窓から、押しつぶされた大勢の人達の姿が見えたからである。

「しょうがないね。一本、遅らせよう。学校へ行く時間には、まだ余裕があるから」 

 そう決断し、本部で監視する則夫が、その旨をアプリの登録者達に一斉送信で知らせた。

「そうやな。しかし毎回思うが、この混雑は何とかならへんのか」

 辰馬がそうぼやく。こうした事態は初めてではない。CMTの活動開始から約二カ月余りの間、少なくとも五回以上あったし、彼自身もその内の何回かを経験している。全国では一日二件以上のペースで起こっており、週一回は発生するという都内の路線もあるそうだ。

 その多くが単なる事故ではなく、飛び込みによるものらしい。また春はそうした人身事故が特に増える時期だという。そう考えればまだこの路線は少ない方なのかもしれない。

「俺らが学生の頃でも、自殺者はそれなりにおったみたいやが、こんな頻繁に起っとるのを身近に感じさせられたらたまらんな。勘弁して欲しいもんや」

 栄太は彼の呟きに対してどう返したらいいか分からず、黙ってしまった。以前から思っていたが、こうした状況が起こると正直心配になるからだ。

 辰馬はただでさえ純粋で感受性が強い。それに目を覚ましてからは取り分け、自分がこの社会に対して何ができるか、役に立てることはないか、と考え続けている。

 その上十年余りの間で多くのことを学び元気になった今では、命を賭してでも貢献したいとさえ口にし出していた。そうした思いが強すぎて、精神を病まないかと不安になるのだ。

 人は慣れる。そうして反応する刺激を弱め、心や体の平安を保つ仕組みだ。心理学などでは“馴化じゅんか”とも言うらしい。人身事故などでもそれが当てはまる。何度も繰り返し経験することで、最初は苛立ったり、嫌な想像をしたりしていたものが徐々に慣れ、またか、と余り考えないようになってしまう。そうでなければ身が持たないからだ。

 しかし辰馬は違う。その度に考え悩み同じ問題にぶつかり、自分の力だけではどうにもならないと痛感し、無力さに苛まれるのだ。

 何度も電車に乗る機会がなければ、そんな想いはしなくて済むだろう。だがそれだと彼の目的に反する。正義感が強く、私利私欲の無い行動力と実行力が彼の魅力であり人望であり、こうした活動に繋がっているのだ。

 かといって何事も健康体であってこそ、である。それを損なえば本末転倒になってしまう。

 そうした想いが頭の中を占め、本来の目的意識と集中力が削がれていたのだろう。次に来た電車が先程より空いているように見えた為に辰馬達は乗車したが、その後ろから物凄い力で車内へと押し込まれたのである。

 同じように一本乗り過ごした人達に加え、新たな乗客が列に並んでいた事に気付かなかったのだ。それで対応が遅れてしまった。

 というのも、いつもなら彼の後ろに続くはずのCMTと辰馬達は、切り離されたのだ。さらに隣のドアから入った栄太らも身動きできず、車内で彼らに近づくことはできなかった。

「あかん、合流出来へん」

「やばい、こっちもや」

「俺もや。ピクリとも動かれへんぞ」

 イヤホンから聞こえる各自の言葉が関西弁だった様子からも、彼らの焦りが感じられた。

 それでも今日は背の高い辰馬がいるおかげで、未知留らがどこにいるかは目視できる。

「無理すんな。じっとその場で待機や。こっちは二人おる。心配せんでええ」

「辰馬の言う通りだ。中は二人で未知留ちゃんともう一人を見ていればいい。問題はこの後乗って来るだろう、他の生徒達だ。制服を見れば分かるよな。各自でCMTだと声をかけ、それぞれで見守れ。駅に着けば降りる人もいるから、多少動けるようになるはずだ。そのタイミングを上手く利用し、なるべくバラバラにならないよう移動してくれ」

「了解です、栄太さん」

 出した指示に皆が応じてくれた。だがそう易々とはいかなかった。次の駅では降りる人より乗車する数がまだ多く、仲間同士が近づくことさえできない。

 それでも辰馬の顔を知るアプリの連絡を見て同じく便を遅らせた女生徒達が、彼を目印に乗り込んできた。

 ドア近くに押し止められている栄太達が、

「CMTだ。俺の近くにいろ」

と彼女達にささやき、離れた場所で各自が護衛に入った。

 しかし駅に着く度に繰り返される大きな人の動きに翻弄され、新たに集まって来た彼女達を見守る余裕さえ奪われていった。

「おい、大丈夫か。何とか踏み止まれ」

 栄太はそう声をかけたが、イヤホンからは息も絶え絶えの音ばかりが聞こえてくる。それも止むを得ない。同世代よりは元気で気合が入っているとはいえ、所詮還暦を越えたおっさんばかりだ。若い連中に力で敵う訳がなく、またそれ以前に多勢に無勢である。女生徒どころか、自分の身も守れず流れに逆らわないで立っているのが精一杯だった。

 それでも目的の駅にあと二駅まで近づき、乗車人数より降車する人の数が増え始めたからか、体の自由が少しずつ利くようになり始めた、そんな時である。

 “止めて下さい”、という小さな電子音が聞こえた。と同時に栄太が持つスマホが震える。

 これは則夫が開発したアプリの機能の一つだ。守る側のCMTだけでなく、守られる側の女生徒が登録していると、痴漢に触られた際に怖くて声が出せなくても、スマホの操作で音声を出すことができた。と同時に、その信号が登録しているCMTにも伝わり知らせるのだ。

 少しして、“止めて下さい”、と先程より大きい二度目の電子音が続けて聞こえた。

「痴漢や、どこや!」

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