第13話

 その後静まり返った会場では、誰一人動く奴はいなかった。当然だ。

「これや。これが辰馬や。あいつ、ホンマに帰って来たんやな」

 横でそう呟いた栄太の頬には、涙の筋が出来ていた。則夫も同じく、自然と涙があふれた。

 そこで静寂を破ったのは由美だった。

「ハイハイ、そこまで。そんなに興奮したら頭の血管が切れちゃう。そしたら今度こそあの世行きよ。それでもいいの。折角助けられた命をこんな形で失ったら、晋先生に顔向けできないでしょ。あの世で土下座した位じゃ済まないから、私も後を追って謝るしかなくなるよ」

 彼女の諫めに、ぐうの音も出なかったのだろう。辰馬は慌てて頭を下げた。

「あ、す、すまん。つい、カッとして」

「辰馬さんの短気はそうそう治らないと思うけど、体のことは絶対忘れちゃ駄目。だから言ったでしょ。深呼吸して六秒我慢。アンガーマネジメントをしないと、身が持たないわよ」

 以前の一七草君から辰馬さんに呼び方が変わっている点だけでも、二人の距離感と関係性の変化が伺える。

「い、いや、結構我慢したんやけどな。せやけど、いや、あかん。すまん。申し訳ない」

 先程までの迫力がどこに行ったか、大きな体を小さくして謝る彼を見て、少し会場の空気が和む。そこで由美は周りを見渡し、辰馬とは違う形で会場の隅々に行き渡る声量を出した。

「皆さん、辰馬さんの想いが分かったと思います。この人が昔から全く変わらないことも。こんな人だから助けようと思い、新たな門出にも集まってくれたんですよね。だったらどうか心の中の恨みや怒りを抑え、この人の気持ちを汲んでは頂けませんか。お願いします」

 そこで頭を深々と下げた為、元也が慌てて駆け寄り謝罪した。

「と、当麻さん。謝るのはこっちや。頭を上げてくれ。俺が悪かった。健吾も辰馬の命を救った一人なのは認めとる。俺らには出せへん大金を出し続け、眠っとった二十九年間だけやなくそれ以降も見舞い続けとった話も知っとる。そこまでできん俺らは、そんなん当たり前やと罵ることで、言い訳しとっただけや。辰馬がそういうのを一番嫌うって知っとるのに」

「分かってくれたらそれでええ。確かにあいつは悪いことをした。けど罪は償ったんや。俺はもうええって言うた。せやのに今でも罪を償い続け取る。せやからもう堪忍したってくれ」

「私からもお願いします。辰馬さんや私に免じて、皆さん許してやってくださいませんか」

 二人揃い再び深く頭を下げたからだろう。元也だけでなく周囲で騒いだ皆が慌てた。

「す、すみません! 申し訳ありませんでした!」

「頭を上げて下さい!」

 その声に続き、元也が叫んだ。

「ほ、ほら。皆、分かっとる。反省しとるんや。酔っ払っとったとはいえ、悪かったのは俺らや。堪忍してくれ。本当にもう二度と、健吾の悪口は言わん。みんなもそうやな!」

「おう! そうです!」

「二度と言いません!」

「健吾さん、すみませんでした!」

 口々にそう呼応した為、ようやく辰馬達は顔を上げた。それを見て、皆が安堵の息を漏らす。そうした様子を見ていた咲季が、呟きながら嗚咽おえつを漏らしていた。

「ありがとう。ホンマありがとう。今のこの場を健吾が見たらどう思うやろ。見せたかった」

 するといつの間にか、辰馬達の近くに歩み寄っていた栄太がその場を仕切りだした。

「もうええな。ここで手打ちにしようや。今日は辰馬の大学合格祝いでめでたい日やからな。あと、これまで辰馬を支えてくれた皆に感謝する会でもあるんや。羽立の田舎から、わざわざ東京まで足を運んでくれた奴らも多いやろ。辰馬に会うのも久しぶりのはずや。折角の祝いの日を湿っぽくしたらアカン。改めて乾杯や!」

 この場では辰馬や元也に次ぐ、元三軍神の一人の言葉には迫力と説得力があったからだろう。皆が一斉にグラスを掲げ、「カンパイ!」と大きく唱和した。

 そうして会場は、少し前までと同じ騒がしさに戻った。

「さすが辰馬君だな。彼の影響を近くで受けている当麻さんも、なかなかの演説だったね」

 亨先輩がそう話しかけて来たので、則夫は頷いた。

「はい。もうすっかり姉御あねごです。こんな一癖も二癖もある大勢の前で、昔の彼女ならこんな堂々した意見は言えなかった。苛められっ子の面影なんか、すっかり無くなっていますよ」

「それは須和君も同じだろう。これだけの人を集め、幹事までして乾杯の音頭を取ったんだ」

 そう言われて昔を思い出す。幼稚園の頃から苛められ、小学校で一時期不登校になっていた則夫は、中学に入っても入学式当日から同じ小学校出身の同級生達に小突かれていた。

 また同じ日々が続くのかと絶望し、生きていてもしょうがないとさえ思った。だが想像していた未来は大きく変わった。何故ならそこに、別の小学校出身の辰馬がいたからだ。苛めを絶対許さないという彼が激怒し、則夫の周辺にいた彼らを蹴散らしてくれたのである。

 しかもそれだけで終わらない。則夫は、計算機を自作するほど機械にのめり込んでいたオタクだった。というのも、一九六四年に当時五十万円を切る値段で発売され、一部の会社で爆発的に売れたという電子式卓上計算機を、則夫の父親が勤める小さな会社で購入し見せられたのがきっかけだ。

 日本の某企業が開発した製品の凄さを知り、その魅力に取りつかれた則夫は、今でいうパソコンの基礎を独学で学ぶようになった。ビル・ゲイツのマイクロソフト社や、ステーブン・ジョブスのアップル社が設立されたのは、則夫が中学に入学する前年である。

 たまたま学校に持ってきていた、その自作の計算機を辰馬が見つけ絶賛してくれた。

「お前、凄い奴やの。天才やんけ。将来博士になって。ノーベル賞でも獲るんやないか」

 この一言を機に則夫は特に目をかけられ、辰馬が認めているならと周囲も接し方を変え始めた。変人の苛められっ子が、一目置かれる存在へとステップアップしたのだ。それから則夫は機械に没頭する熱量と同じ位、辰馬を崇拝し始めたのである。

 工業高校を受験せず、学力レベルは劣っていても彼と同じ高校へと進んだのは、彼の周辺にいれば平和で満足のいく学校生活が送れると考えたからだ。また優秀な成績を維持し続けていた、準というとてつもない秀才が身近にいたことも、それを後押ししたのである。

「そうですね。でも全てはタッチャンのおかげです。今日は魔N侍などの元不良達だけでなく、僕と同じ元苛められっ子も大勢来ています。皆、彼に深い恩義があるからでしょう」

「それは私もそうだ。須和君達とは少し違うが、彼に助けられ、他校なのに睨みを利かせて貰う前の学生生活とその後では、全く違うものになった。誠だって彼には感謝しているよ」

「あっ、そういえば、誠さんは急遽欠席すると伺いましたけど、体調が良くないのですか」

 思い出してそう尋ねると、彼は少し表情を暗くして答えた。

「いや、そうじゃない。健吾君とは別の意味で、あいつも怖気づいたんだと思うよ」

「え? どういう意味ですか」

「昔の仲間達が大勢いるだろ。あんな体を見られるのが、辛かったんじゃないかな」

「で、でもそれって今さらじゃないですか。それこそ四十二年も前からじゃないですか。誠さんが車椅子生活をしているって、誰もが知っているでしょう。しかもあの抗争で負った名誉の負傷ですよ。かつての仲間相手なら、それこそ誇ってもいいくらいです」

 納得いかず、則夫がそう尋ねると彼は首を振った。

「昔はそうだったかもしれない。皆、優しく接してくれたからね。だけどあいつももう六十過ぎだ。それに比べ、寝たきりだった辰馬君が、今やあんな元気な姿で歩き回っている。だから見ているのが辛いのだろう。不自由な体の自分と、どうしても比べてしまうのかもしれないな」

 そんな、と言いかけ、口を噤んだ。他人がどう思うかではない。誠自身がそう感じてしまったのだろう。健吾もある意味同じだ。いない方が良いと、電話で欠席を伝えて来た時の彼の声を思い出す。いくら辰馬が許したって、自らが自分を許せないのだ。

 周りから責められても構わない、気が済むなら殴られたって良いと彼は言っていた。しかしそれで全て許される訳でなく、また折角の祝いの席を台無しにしてしまう。また辰馬だけでなく、殴った奴やその他の人にも迷惑をかけると考え、思い止まったのだと口にしていた。

 則夫は「そんなことはないですよ」と答えた。だが彼は辰馬にもそう言われたけれど、よく考えた結果だと頑なに言い張ったのである。

 ただ今思えば、一時騒然となった先程までの出来事を考えると、彼の判断は正しかったのかもしれない。そう感じずにはいられなかった。 二人の間に気まずい空気が流れていたが、それを破ったのが辰馬だった。

「おい、則夫! ちょっと来てくれ」

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