第6話 落とし穴イベント逆利用/知識×戦闘の複合攻略

 学園裏庭の立ち入り禁止区域は、今日もきちんと立て札が立っていた。


『ここから先、危険区域につき立入禁止』


 真面目な貴族は近づかない。

 問題児か、用心の足りない馬鹿だけが踏み込む場所。


 ──そして前世のリュクス=ハルトは、迷わずここに突っ込んでいった。


(ここが、“落とし穴イベント”の舞台)


 夕暮れ。

 裏庭の芝生が赤く染まり始める時間帯。


 人気の少ない裏通路から、わざと足音を立てて近づく。

 生垣の向こうで、小さく息が止まる気配がした。


(見張りは三人。

 ……と、もう一つ。魔力の揺れ方が変だな)


 土の下で、魔力の流れが不自然に曲がっている箇所がある。

 丸く、深く、何箇所も。


 剣の柄に触れると、層が二重に揃った。


 地面の上に、淡い線が浮かぶ。


 円形。

 正方形。

 細い帯状。


 魔術罠の輪郭だ。


(前世だと、ここで見事に踏み抜いたんだよな)


 怒りに任せて追いかけて、足元を見ずに跳び込む。

 その先に、落とし穴と拘束罠と、証拠用の魔術記録陣。


 「危険区域で素行不良の暴力事件を起こした悪役貴族」完成。


 今は──逆だ。



「……聞こえてるぞ。出てこい」


 敢えて、立て札の向こう側に片足を入れる。


 かすかに、芝生の下で魔力線がきしんだ。


 同時に、生垣の影から二人、後ろの樹の上から一人、姿を現す。


「おや、こんなところでお散歩とは」

「立て札も読めないとは、さすが“問題児”ハルト様だ」


 軽薄な声。

 二人は同じ貴族科の生徒。

 前世でも、モブ悪役として名前だけ出ていた連中だ。


 樹上の一人は、軽装の魔術師。

 細い杖に、淡く紫の光。


 全員、足を絶対に一定ラインから出さない。

 そのラインの向こうが「安全地帯」だと知っている動きだ。


(罠の位置、完全に把握してる顔だな)


 こいつら自身が仕掛けたか、別の暗部から位置を教えられているか。


 どちらにしても、今日の目的は決まっている。


「ここが危険区域だって知らなかったのか?」

「貴族としての教養が足りないのでは?」


 こっちに一歩だけ近づき、

 わざと肩をぶつけてくる。


 その動きに合わせて、樹上の魔術師が杖を軽く振る。


 俺の足元の罠陣が、わずかに反応した。


(挑発 → 小競り合い → 落とし穴 → 記録陣起動。

 ……全部、ゲーム通りの流れだ)


 ほんの少しだけ、笑いそうになる。


 こいつらは、自分たちが“イベント通りに動くNPC”だと知らない。


「確かに、教養は足りないかもしれないな」


 肩をぶつけてきた生徒の手首を、軽く掴む。


 その瞬間、周囲の空気がぴりついた。


「おい、離せよ」

「暴力か? 証人はいるぞ?」


「暴力ね」


 俺は、掴んだ手首をすぐに離し、半歩だけ下がる。


 鉄剣の柄を握る。

 層が二重に揃う。


 視界の中で、土の下の魔術罠が、線となって浮き上がる。


 円形の落とし穴。

 その縁を囲う、拘束魔術陣。

 さらに奥に、魔術記録用の“眼”のような陣。


(位置は、ゲームログの通り。

 ……そこから、“線”をどう使うかだ)


「何をニヤニヤしている」


「いや。段取りが完璧すぎて感心しただけだ」


「は?」


「ここで俺を煽る。

 俺が怒って踏み込む。

 罠を踏んで落ちる。

 お前らが“自己防衛のために応戦しただけ”と証言する」


 淡々と言うと、三人とも一瞬だけ目を見開いた。


 すぐに表情を取り繕う。

 だが、樹上の魔術師の魔力がわずかに乱れた。


(知られて困る時点で、図星だ)


「……そんな話、誰が信じる」

「お前の評判を考えろ。どんな弁明をしても、誰も──」


「そうだろうな」


 俺は、自分の足元の線を見た。


 まっすぐ裏庭奥へ伸びる、安全なライン。

 左右に広がる、落とし穴と拘束陣のライン。


 そして、その罠と罠の“間”にだけ残された、狭い隙間。


(プレイヤー視点だと、ここを通ると強制イベントだった。

 ……でも今は、全体の“線”が見えている)


 ならば、やることは一つだ。


「だから──今日は、そっちに落ちてもらう」



 先に動いたのは向こうだった。


「調子に乗るなよ、ハルト」


 生徒Aが杖を抜き、

 炎の弾を詠唱なしで放つ。


 素養は悪くない。

 だが、軌道が分かりやすい。


 俺は一歩だけ、右斜め後ろに下がる。


 足元の安全ラインから、一歩も出ないように。


 炎弾は、わざと半歩外して着弾する。


 土の表面が抉れ、

 同時にその下の罠陣が反応した。


 ごう、と空気の鳴る音。

 炎の散弾が、円形に弾ける。


「ちっ、外したか」


「外してない」


 炎の散弾は、俺ではなく、

 すぐ横の落とし穴陣の“縁”をかすめていた。


 鉄剣を鞘から少し抜き、地面の上を軽くなぞる。


 層が震え、刃から薄い線が伸びる感覚。


 炎が触れた罠陣の一部が、ばちりと弾け飛んだ。


 支えていた魔力線が切れたせいで、構造が歪む。


 次の瞬間。


 ドン、と鈍い音を立てて、

 俺の目の前の地面が突然沈んだ。


「うわっ──」


 生徒Aがバランスを崩し、そのまま前に転ぶ。

 伸ばした足が、さっきまで安全だったはずの場所を踏む。


 そこは、今や落とし穴の“新しい縁”だ。


 土が崩れ、彼の体が半分、穴に飲み込まれる。


「う、あああっ!」


 下から、魔術拘束の鎖が伸びて、腕と脚を絡め取った。


 悲鳴。

 爆音。

 周囲の魔力が一斉に揺れる。


「何をしている、馬鹿か!」


 別の生徒Bが叫びながら駆け寄る。


 が、その足運びもまた、地面全体の線の上を走っている。


(罠は“固定”じゃない。

 構造線を切れば、縁も中心も、全部変わる)


 俺は、今度は逆方向に刃を滑らせた。


 落とし穴のすぐ隣にある、別の罠陣の“支え線”。


 そこを一本だけ、横から切るイメージで撫でる。


 ビキ、と魔術陣が悲鳴をあげるように歪む。


 ずれた。


 落とし穴の中心が、半歩だけ横へ移動する。


 その先に、勢いよく走ってきた生徒Bの足。


「ま、待っ──」


 言い終わる前に、土が崩れた。


 二人目も、見事に落ちる。


 絡みつく鎖。

 土埃。

 魔術記録陣が、落ちてきた二人を正確に捉え、淡い光を点灯させる。


 予定では、ここに俺が写っているはずだった。


 今は違う。


 落ちているのは、仕掛ける側の二人だけだ。



「おい、上の奴」


 樹上の魔術師に視線を向ける。


 彼は、信じられないものを見る目で、

 俺と地面を交互に見ていた。


「まさか、落とし穴の位置を……」


「ゲームと違って、全部同じ場所だと思ったか?」


 鉄剣を鞘からゆっくり抜く。


 刃の内側で、層が震える。


 裏庭全体の魔力線が、網目のように見えた。


「構造を支えてる線を切れば、罠の出口も縁も全部ずれる。

 “安全な足場”だと思っている場所ほど危ない」


「……っ」


 樹の上から、魔術光弾が連射される。


 軌道は悪くない。

 だが、全部、土の表面を舐めるような低い角度だ。


(地面を直接狙ってる。

 罠の再起動と、俺の位置調整を同時に狙ってるな)


 俺は、真正面からそれを受けた。


 ただし、剣の“側面”を使って。


 魔力線がまとわりついた部分だけ、

 刃を通して、薄く削る。


 火。

 雷。

 風。


 混ざり合った属性の線が、剥がれる感覚。


 威力そのものは消えていない。

 だが、“起動条件”を満たす線だけを、事前に切り落としている。


 結果として、光弾はただの魔力の塊として地面に突き刺さり、土を抉るだけになった。


 罠陣は、起動しない。


「バグだろ、それ……!」


 樹上の魔術師が叫ぶ。


 その言葉に、少しだけ苦笑した。


(バグ、ね。

 この世界のほうが、よほどバグまみれだろ)


 俺は、樹の幹に向けて一歩踏み込んだ。


 剣先を、地面に軽く突き立てる。


 狙うは、樹の根元を通る“支え線”。


 樹を支える土の魔力と、

 その上に作られた簡易浮遊魔術のアンカー。


 その接続点を一本だけ切る。


「っ……!?」


 樹全体が、ぐらりと傾いた。


 樹上の魔術師が体勢を崩し、枝に掴まろうとして失敗する。


 そのまま地面へ落下。


 こいつが落ちる場所にも、もともと罠があった。

 さっき構造をずらしたせいで、今は“ただの地面”になっている。


 代わりに、すぐ横の空間が小さく陥没した。


(予定とは違う場所だけど、結果は同じだ)


 俺はゆっくりと歩み寄り、地面にうつ伏せに倒れた魔術師の背中に剣先を添える。


「……動くな」


 軽く言うと、三人とも息を呑んだ。


 落とし穴に落ちた二人は、魔術拘束でろくに身動きができない。

 樹から落ちた魔術師は、肩を打ったらしく顔をしかめている。


「勘違いするなよ」


 俺は、剣を引き、代わりに鞘で地面を叩いた。


「今ここでお前らを斬る気はない。

 こっちの目的は“殺し”じゃなくて、“証拠の構造”だ」


 魔術記録陣の位置を確認する。

 記録の“眼”は、落ちている三人をきっちり捉えたままだ。


 そこには、俺が罠を踏む映像は存在しない。


 あるのは、自分たちの魔術で罠を誤起動させた馬鹿三人の映像だけだ。


(処刑ルートの“前提条件”、一つ崩れた)


 裏庭での暴力事件。

 危険区域での素行不良。

 そのあとに続く、学園処分会議。


 “落とし穴イベント”で積み上がるはずだったマイナス補正が、

 今日の時点で大きく削れた。



「……報告は自由だ」


 俺は、落とし穴の縁にしゃがみ込んで、拘束に絡まった生徒Aを見下ろした。


「好きなように喚け。

 『罠がずれた』『結界がおかしい』。

 なんでもいい」


「お前……何をした……」


「構造を、少し“整えただけ”だ」


 鉄剣の刃が、鞘の中で微かに鳴る。


 層が揃い、震える。


 剣の内側にある二重の層が、裏庭全体の魔力線と同調している感覚がある。


(まだ、光膜はない。

 だが、層の“位置合わせ”は前より明らかに精度が上がった)


 魔術罠。

 結界。

 地形。


 それらすべてが、一本一本の線で繋がって見える。


「次に同じ手を使うなら、もう少し工夫してこい」


 立ち上がり、裏庭の外へと歩き出す。


 背中に、三人の荒い呼吸と、押し殺した罵声が突き刺さった。


 無視する。


 重要なのは、こっちが“どこまでできるか”だ。



 裏庭を抜け、校舎の影が伸びる中庭に出る。


 夕陽はほとんど沈みかけていた。


 剣の柄に添えた指先に、まだ微かな震えが残っている。


(罠を“踏まない”のが目的じゃない。

 罠を“こちらの都合で動かす”ところまで来た)


 これで、学園内での暗殺・処分ルートは、一段階目の潰しが終わった。


 だが、敵も黙ってはいないだろう。


 罠が狂った。

 落とし穴がずれた。

 記録陣に予定外の映像が残った。


 その報告は、必ず“上”に届く。


(そのとき、やつらはこう判断する)


 ──剣の層が、想定より早く進化している。


 ──結界や罠に干渉できる異常な武器だ、と。


 婚約破棄。

 学園処分。

 暗殺。


 その全ての手を、加速させてくる。


(いい。来い)


 鞘に収まった剣が、脈を打つ。


 層の震えが、「まだ上がある」と告げている。


 次は、学園全体を覆う“結界”そのものだ。


 俺は裏庭を振り返らず、寮へ向かって歩き出した。

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