第6話 落とし穴イベント逆利用/知識×戦闘の複合攻略
学園裏庭の立ち入り禁止区域は、今日もきちんと立て札が立っていた。
『ここから先、危険区域につき立入禁止』
真面目な貴族は近づかない。
問題児か、用心の足りない馬鹿だけが踏み込む場所。
──そして前世のリュクス=ハルトは、迷わずここに突っ込んでいった。
(ここが、“落とし穴イベント”の舞台)
夕暮れ。
裏庭の芝生が赤く染まり始める時間帯。
人気の少ない裏通路から、わざと足音を立てて近づく。
生垣の向こうで、小さく息が止まる気配がした。
(見張りは三人。
……と、もう一つ。魔力の揺れ方が変だな)
土の下で、魔力の流れが不自然に曲がっている箇所がある。
丸く、深く、何箇所も。
剣の柄に触れると、層が二重に揃った。
地面の上に、淡い線が浮かぶ。
円形。
正方形。
細い帯状。
魔術罠の輪郭だ。
(前世だと、ここで見事に踏み抜いたんだよな)
怒りに任せて追いかけて、足元を見ずに跳び込む。
その先に、落とし穴と拘束罠と、証拠用の魔術記録陣。
「危険区域で素行不良の暴力事件を起こした悪役貴族」完成。
今は──逆だ。
◇
「……聞こえてるぞ。出てこい」
敢えて、立て札の向こう側に片足を入れる。
かすかに、芝生の下で魔力線がきしんだ。
同時に、生垣の影から二人、後ろの樹の上から一人、姿を現す。
「おや、こんなところでお散歩とは」
「立て札も読めないとは、さすが“問題児”ハルト様だ」
軽薄な声。
二人は同じ貴族科の生徒。
前世でも、モブ悪役として名前だけ出ていた連中だ。
樹上の一人は、軽装の魔術師。
細い杖に、淡く紫の光。
全員、足を絶対に一定ラインから出さない。
そのラインの向こうが「安全地帯」だと知っている動きだ。
(罠の位置、完全に把握してる顔だな)
こいつら自身が仕掛けたか、別の暗部から位置を教えられているか。
どちらにしても、今日の目的は決まっている。
「ここが危険区域だって知らなかったのか?」
「貴族としての教養が足りないのでは?」
こっちに一歩だけ近づき、
わざと肩をぶつけてくる。
その動きに合わせて、樹上の魔術師が杖を軽く振る。
俺の足元の罠陣が、わずかに反応した。
(挑発 → 小競り合い → 落とし穴 → 記録陣起動。
……全部、ゲーム通りの流れだ)
ほんの少しだけ、笑いそうになる。
こいつらは、自分たちが“イベント通りに動くNPC”だと知らない。
「確かに、教養は足りないかもしれないな」
肩をぶつけてきた生徒の手首を、軽く掴む。
その瞬間、周囲の空気がぴりついた。
「おい、離せよ」
「暴力か? 証人はいるぞ?」
「暴力ね」
俺は、掴んだ手首をすぐに離し、半歩だけ下がる。
鉄剣の柄を握る。
層が二重に揃う。
視界の中で、土の下の魔術罠が、線となって浮き上がる。
円形の落とし穴。
その縁を囲う、拘束魔術陣。
さらに奥に、魔術記録用の“眼”のような陣。
(位置は、ゲームログの通り。
……そこから、“線”をどう使うかだ)
「何をニヤニヤしている」
「いや。段取りが完璧すぎて感心しただけだ」
「は?」
「ここで俺を煽る。
俺が怒って踏み込む。
罠を踏んで落ちる。
お前らが“自己防衛のために応戦しただけ”と証言する」
淡々と言うと、三人とも一瞬だけ目を見開いた。
すぐに表情を取り繕う。
だが、樹上の魔術師の魔力がわずかに乱れた。
(知られて困る時点で、図星だ)
「……そんな話、誰が信じる」
「お前の評判を考えろ。どんな弁明をしても、誰も──」
「そうだろうな」
俺は、自分の足元の線を見た。
まっすぐ裏庭奥へ伸びる、安全なライン。
左右に広がる、落とし穴と拘束陣のライン。
そして、その罠と罠の“間”にだけ残された、狭い隙間。
(プレイヤー視点だと、ここを通ると強制イベントだった。
……でも今は、全体の“線”が見えている)
ならば、やることは一つだ。
「だから──今日は、そっちに落ちてもらう」
◇
先に動いたのは向こうだった。
「調子に乗るなよ、ハルト」
生徒Aが杖を抜き、
炎の弾を詠唱なしで放つ。
素養は悪くない。
だが、軌道が分かりやすい。
俺は一歩だけ、右斜め後ろに下がる。
足元の安全ラインから、一歩も出ないように。
炎弾は、わざと半歩外して着弾する。
土の表面が抉れ、
同時にその下の罠陣が反応した。
ごう、と空気の鳴る音。
炎の散弾が、円形に弾ける。
「ちっ、外したか」
「外してない」
炎の散弾は、俺ではなく、
すぐ横の落とし穴陣の“縁”をかすめていた。
鉄剣を鞘から少し抜き、地面の上を軽くなぞる。
層が震え、刃から薄い線が伸びる感覚。
炎が触れた罠陣の一部が、ばちりと弾け飛んだ。
支えていた魔力線が切れたせいで、構造が歪む。
次の瞬間。
ドン、と鈍い音を立てて、
俺の目の前の地面が突然沈んだ。
「うわっ──」
生徒Aがバランスを崩し、そのまま前に転ぶ。
伸ばした足が、さっきまで安全だったはずの場所を踏む。
そこは、今や落とし穴の“新しい縁”だ。
土が崩れ、彼の体が半分、穴に飲み込まれる。
「う、あああっ!」
下から、魔術拘束の鎖が伸びて、腕と脚を絡め取った。
悲鳴。
爆音。
周囲の魔力が一斉に揺れる。
「何をしている、馬鹿か!」
別の生徒Bが叫びながら駆け寄る。
が、その足運びもまた、地面全体の線の上を走っている。
(罠は“固定”じゃない。
構造線を切れば、縁も中心も、全部変わる)
俺は、今度は逆方向に刃を滑らせた。
落とし穴のすぐ隣にある、別の罠陣の“支え線”。
そこを一本だけ、横から切るイメージで撫でる。
ビキ、と魔術陣が悲鳴をあげるように歪む。
ずれた。
落とし穴の中心が、半歩だけ横へ移動する。
その先に、勢いよく走ってきた生徒Bの足。
「ま、待っ──」
言い終わる前に、土が崩れた。
二人目も、見事に落ちる。
絡みつく鎖。
土埃。
魔術記録陣が、落ちてきた二人を正確に捉え、淡い光を点灯させる。
予定では、ここに俺が写っているはずだった。
今は違う。
落ちているのは、仕掛ける側の二人だけだ。
◇
「おい、上の奴」
樹上の魔術師に視線を向ける。
彼は、信じられないものを見る目で、
俺と地面を交互に見ていた。
「まさか、落とし穴の位置を……」
「ゲームと違って、全部同じ場所だと思ったか?」
鉄剣を鞘からゆっくり抜く。
刃の内側で、層が震える。
裏庭全体の魔力線が、網目のように見えた。
「構造を支えてる線を切れば、罠の出口も縁も全部ずれる。
“安全な足場”だと思っている場所ほど危ない」
「……っ」
樹の上から、魔術光弾が連射される。
軌道は悪くない。
だが、全部、土の表面を舐めるような低い角度だ。
(地面を直接狙ってる。
罠の再起動と、俺の位置調整を同時に狙ってるな)
俺は、真正面からそれを受けた。
ただし、剣の“側面”を使って。
魔力線がまとわりついた部分だけ、
刃を通して、薄く削る。
火。
雷。
風。
混ざり合った属性の線が、剥がれる感覚。
威力そのものは消えていない。
だが、“起動条件”を満たす線だけを、事前に切り落としている。
結果として、光弾はただの魔力の塊として地面に突き刺さり、土を抉るだけになった。
罠陣は、起動しない。
「バグだろ、それ……!」
樹上の魔術師が叫ぶ。
その言葉に、少しだけ苦笑した。
(バグ、ね。
この世界のほうが、よほどバグまみれだろ)
俺は、樹の幹に向けて一歩踏み込んだ。
剣先を、地面に軽く突き立てる。
狙うは、樹の根元を通る“支え線”。
樹を支える土の魔力と、
その上に作られた簡易浮遊魔術のアンカー。
その接続点を一本だけ切る。
「っ……!?」
樹全体が、ぐらりと傾いた。
樹上の魔術師が体勢を崩し、枝に掴まろうとして失敗する。
そのまま地面へ落下。
こいつが落ちる場所にも、もともと罠があった。
さっき構造をずらしたせいで、今は“ただの地面”になっている。
代わりに、すぐ横の空間が小さく陥没した。
(予定とは違う場所だけど、結果は同じだ)
俺はゆっくりと歩み寄り、地面にうつ伏せに倒れた魔術師の背中に剣先を添える。
「……動くな」
軽く言うと、三人とも息を呑んだ。
落とし穴に落ちた二人は、魔術拘束でろくに身動きができない。
樹から落ちた魔術師は、肩を打ったらしく顔をしかめている。
「勘違いするなよ」
俺は、剣を引き、代わりに鞘で地面を叩いた。
「今ここでお前らを斬る気はない。
こっちの目的は“殺し”じゃなくて、“証拠の構造”だ」
魔術記録陣の位置を確認する。
記録の“眼”は、落ちている三人をきっちり捉えたままだ。
そこには、俺が罠を踏む映像は存在しない。
あるのは、自分たちの魔術で罠を誤起動させた馬鹿三人の映像だけだ。
(処刑ルートの“前提条件”、一つ崩れた)
裏庭での暴力事件。
危険区域での素行不良。
そのあとに続く、学園処分会議。
“落とし穴イベント”で積み上がるはずだったマイナス補正が、
今日の時点で大きく削れた。
◇
「……報告は自由だ」
俺は、落とし穴の縁にしゃがみ込んで、拘束に絡まった生徒Aを見下ろした。
「好きなように喚け。
『罠がずれた』『結界がおかしい』。
なんでもいい」
「お前……何をした……」
「構造を、少し“整えただけ”だ」
鉄剣の刃が、鞘の中で微かに鳴る。
層が揃い、震える。
剣の内側にある二重の層が、裏庭全体の魔力線と同調している感覚がある。
(まだ、光膜はない。
だが、層の“位置合わせ”は前より明らかに精度が上がった)
魔術罠。
結界。
地形。
それらすべてが、一本一本の線で繋がって見える。
「次に同じ手を使うなら、もう少し工夫してこい」
立ち上がり、裏庭の外へと歩き出す。
背中に、三人の荒い呼吸と、押し殺した罵声が突き刺さった。
無視する。
重要なのは、こっちが“どこまでできるか”だ。
◇
裏庭を抜け、校舎の影が伸びる中庭に出る。
夕陽はほとんど沈みかけていた。
剣の柄に添えた指先に、まだ微かな震えが残っている。
(罠を“踏まない”のが目的じゃない。
罠を“こちらの都合で動かす”ところまで来た)
これで、学園内での暗殺・処分ルートは、一段階目の潰しが終わった。
だが、敵も黙ってはいないだろう。
罠が狂った。
落とし穴がずれた。
記録陣に予定外の映像が残った。
その報告は、必ず“上”に届く。
(そのとき、やつらはこう判断する)
──剣の層が、想定より早く進化している。
──結界や罠に干渉できる異常な武器だ、と。
婚約破棄。
学園処分。
暗殺。
その全ての手を、加速させてくる。
(いい。来い)
鞘に収まった剣が、脈を打つ。
層の震えが、「まだ上がある」と告げている。
次は、学園全体を覆う“結界”そのものだ。
俺は裏庭を振り返らず、寮へ向かって歩き出した。
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